第十七話 聖人の差別
「え、なんで……?」
朝起きたらクリスに抱き着かれていた。
そこまで好かれている気もしないので、寝ぼけているのだろうと思う。意外にも可愛らしいところがあるものだが、このまま目を覚ませばうるさいことを言われてしまいそうだ。
そっとベッドから離れて、部屋のカーテンを開けた。
「――んっ、おはようございます……」
呼びこまれた朝日に照らされて、クリスが寝ぼけた顔で起き上がった。まだ夢にでも未練があるのか、そのままじっと動こうとはしない。
廉太郎が隣にいたせいで、眠りが浅かったのか。さすがに、同じベッドで寝るのは不都合が多い。すっきりとした頭で考えてみると、随分おかしなことをしたものだとも思う。
今日あたり、別の布団でも用意してもらうべきだろう。
「眠いんですけど、もう少し寝かせてくれません……?」
「どのくらい?」
「この倍は寝ていたい」
「一日終わっちゃうよ」
そのくらい自由にさせてやりたいところだが、廉太郎にはユーリアを起こすという大事な仕事がある。
朝が弱いという言葉でも説明がつかないが、とにかく、ユーリアは一人で目を覚ますことができないというのだ。
「上にいくから、ついてきてくれないと」
ユーリアの寝室は二つ上の階にある。そこまで一人で移動すれば、クリスへの魔力供給が及ぶ範囲からは外れてしまう。
手足の動きと呼吸を他人の魔力に依存しているクリスにとって、それは命に係わる問題、なのだが――。
「息止めてますから、どうぞ一人で……」
「余計なチャレンジしなくていいから」
冗談ではなく、そのまま動かなくなってしまいかねない。
寝ぼけ続けるクリスを洗面所につれていき、無理やり顔を洗わせて意識を叩き起こす。
そのまま四階まで上がりると、寝室のドアノブを回す。中に入る必要はない――というより、許されない。
仕込まれた目覚ましの魔力が駆け巡りし、ユーリアの意識を強制的に覚醒させて、数分。
「おはよう」
脱いでいた寝間着を着直してから、ユーリアは姿を見せた。直後に、シャワーを浴びに行く。
そして、当たり前のようにクリスがそれに続く。
入れ替わるように浴室に入ったその姿に、勝手に同調圧力を感じてしまい、今まで遠慮していた廉太郎も朝のシャワーを借りることになってしまった。
てっきり、ユーリアに潔癖症の気があるのだと思っていたが、元の世界でも文化によって入浴のタイミングが違っていたことを思い出す。
クリスも当然のように昨晩と今朝、二度シャワーを浴びているのだ。日に二度体を洗うのは、普通なのだろう。
みな清潔好きなようで、気持ちがいい。
潮風の吹く港町ゆえの事情かもしれない。海水から真水を造り出すのが容易らしく、飲み水にも困らないというのだから、生活用水だって遠慮なく使えているのだ。
お湯を沸かすための燃料魔力にしたって、その生成に長けた人種族がいる。
だから、いろいろあるけれど、いい町なのだと廉太郎は思う。
人間から逃れ、身を寄せ合って隠れ住む町なのに、そんな悲惨さは感じさせない。
環境が清潔であるだけで、なんとなく前向きな空気に満ちているのだ。
朝からさっぱりとした気分で、朝食を食べにアイヴィの待つ喫茶店へと向かって行く。昨日のやり取りを思い出すと気まずくてしかたないのだが、「全部任せてくれていいわ」と言ってくれたユーリアが頼もしくて気がまぎれた。
広くない町だ。
数分で着く。
住人だって、どれだけ多く見積もっても一万人は住んでいまい。そのため数日しか過ごしていない廉太郎でも、この短い移動の中に顔見知りを見つけることだってあるのだ。
「――あっ」
ローガン・ストライト。
機関職員の青年で、ユーリアからちょっと強めに敵意を向けられている。本人も気が強く、喧嘩を買い文句を言い返す性格であるため、二人の相性と折り合いは最悪に悪いと言っていい。
「げっ……」
ユーリアは気づいていないようだが、向こうはこちらに気付いたようで、露骨に迷惑そうな表情を浮かべて見つからないよう去って行った。
大人だなぁ、と廉太郎は思う。
やがて目的の店に着くと、ユーリアは戸を開くと共に声を上げた。
「アイヴィ――!」
「――えっ!? あぁ、うん。おはよう……」
不意打ちのことで驚いたのか、入り口の近く、客席に腰かけていたアイヴィは戸惑ったようにこちらを振り向いた。
少し、顔色が悪いように見える。
「大丈夫ですか? なんだか、疲れてるようですけど」
「うん、眠れなくなっちゃって」
廉太郎の問いかけに、アイヴィは気まずそうに微笑みを返した。
ユーリアは難しい顔して傍まで近づくと、同じ席に腰を下ろして、言った。
「だから、感じ悪いわよ。クリスのことで文句あるんでしょう?」
「ク、クリス……?」
何のことか分からずに、アイヴィは目を丸くして聞き返す。ユーリアに始めて告げたときと、だいたい同じような反応であった。
「この子のことよ」
そう言ってクリスの服を引っ張り、自分の腕の中へと引き込む。ユーリアはしっかりとその両肩を抱きながら、唖然とするアイヴィの目をまっすぐ見据えて宣言する。
「私の友達」
「そ、そうなんだ……友達」
いきなりの話についていけないのか、アイヴィはただそう返すばかりで目を逸らしてしまう。ユーリアが肩に触れた瞬間、驚いた表情も見せたのだが、何かを言うつもりはないようだった。
クリスはといえば一人、もの凄く居心地の悪そうな顔で「すみません、なんか……」とだけ呟いている。
「ずっと昔に人形と何かあったんでしょう? それは言いたくないのだろうし、聞いたりしないけど――」
理由があって何かを嫌うのだって、それはそれで大切な気持ちだ。
それを否定することは、誰にもできない。
だが――
「クリスとは一言も話してないじゃない。それなのに、ただ人形というだけで態度変えないでよ」
戦争相手の国の人間が、みな憎い仇に見えるように。特定の人種の価値を、一方的に低いと決めつけるように。
人形というだけで――ただ特定の何かだというだけで、色眼鏡をかける。
その言葉は、いったいどれほどアイヴィの心に刺さるのだろう。
人間に、同じ人種族だという理由だけで執拗に攻撃されるこの世界で、アイヴィはその当事者だ。この町はその迫害から逃れ住む町だが、アイヴィは初めからこの町で生まれたわけでもない。逃れついてここに来たのだ。
その攻撃を、空気を、直に味わって知っている。
だから、そのような差別意識そのものを、この場の誰よりも憎んでいるはずで。
「母親のあなたがそんなでは、悲しくなってしまうわ。とてもね」
差別は、特別なものではない。
どんなに普通の人ですら、知らず知らずのうちに抱えこんでしまう。
理由は敵意だったり、憎悪だったり、あるいは無関心だったりもするけれど。
身近な――とりわけ善良な人のそういった一面を垣間見てしまったとき、親しければ親しいほど、裏切られたような、失望させられたような感情を抱いてしまう。
強く指摘せずには、いられなくなるほどに。
「ご、ごめんねユーリア――でもそれって、あなたが言えることなの……?」
「ん。それは……そうね」
アイヴィに正論を返されて、ユーリアは完全に何も言えなくなってしまう。
ユーリアの人間嫌いは、そういった迫害思考に対する反意、反発だ。差別とは少し性質が違う。
しかし、それを封じて生きているこの町の人間にすら、問答無用で敵意を向けているのだから立場は悪い。
「あぁ、それと――」
都合の悪いことをごまかすように、ユーリアは話を変えた。
「廉太郎にも意地悪なことを言ったでしょう? 謝って」
「えっ、そんなつもりは……あんまりないんだけど――」
思いがけないことを言われたのか、アイヴィは困ったように身を縮ませると、ちらりと廉太郎のほうを見た。
娘に責められ続けているのが苦しいようで、可哀そうなくらいに声がか細い。
つい、口を挟んでいた。
「いや、アイヴィさんが俺に言ったのはほんとに正しいよ」
ユーリアは昨日、廉太郎のために危険に身を投じた。
責められて当然だと思う。
ユーリアには気にするなと言われた以上、話を蒸し返すだけなのだが、少しくらいアイヴィをかばってやらないと、申し訳が立たなかったのだ。
「母親の立場なら、俺みたいな厄介者にこれ以上関わってほしくなくて当然なんだから……」
「――えっ!? そうは言ってないわよ!?」
神妙な面持ちで口を開いた廉太郎に、アイヴィは本気でびっくりしたのが分かるほどの大きな反応を示した。
とぼけているようではないが、こちらを凝視されるほど見解がずれているのは妙だと思い、誤解を招かないように言葉を続ける。
「俺の都合に娘さんが巻き込まれて、これ以上迷惑をかけてほしくないと思ったのでは……?」
「め、迷惑っていうか――二人とも馬鹿なんじゃないのかな、って思っただけなんだけど!」
二人。
他人のために平気で命をかけるユーリアと、魔法も使えないのに何かをしようとした廉太郎。
馬鹿で無茶なことをしたとも、あの時確かに言っていた。となるともしかして、責めるような口ぶりだったのはそのためということに――いや、そんなことはないだろう。
「そ、そうなんですか? 嫌われたんだろうって、ここに顔を見せるのも心苦しかったんですけど……」
「廉太郎くんのこと……? き、嫌ってないわよ!?」
アイヴィは席から立ちあがると、髪が乱れそうなほど首を振って否定してみせた。
その様子や直前の言動から、思っていたよりずっと軽い問題だったのではないかという気がしてくる。自分の口走ったことが変な空気にしてしまったようで、気まずい愛想笑いを浮かべてしまう。
「ありがとう、ございます――?」
双方に誤解があると分かったのか、アイヴィは頭を抱えながら焦った様子で目を閉じた。
あの時の会話を思いだすように。
「あれっ……だから、こんなことはもう起きないようにユーリアのことはちゃんと見ててねって――そう言ったんじゃなかったけ、わたし!」
「そ、そうでしたっけ――?」
自信がなくなってくる。
正直な話、あのときは申し訳ないという気持ちだけが渦巻いていて、詳しい話の内容はあまり入ってこなかったのだ。
事情は向こうも同じなのか、「全然、おぼえてない――」と唸ったきり、顔を青くしてしまっている。
恐る恐る、アイヴィと共にユーリアの顔色を伺った。腕を組んでいるだけで何も言わないが、終始「何をやっているのだ」とでも言いたげな表情を浮かべている。
廉太郎はついで、クリスへと視線を動かした。若干巻き込まれているだけに煮え切らないのか、ただ苦々しい顔で笑っていた。
沈黙。
「ごめーん、嫌なこと言っちゃったの!? わたし、ユーリアのことになると頭がいっぱいに……しかもこの顔の人形なんて連れてくるし、もうぐちゃぐちゃで――!」
「わ、わかりました――」
耐えかねたようにまくし立てるアイヴィに、余計な気を使わせてしまっているようでいたたまれなくなる。
廉太郎が責められるべきなのは変わらないが、アイヴィにそこまで攻撃的な意思はなかったのだ。
それが分かったことで、心からほっとする。友人と仲直りでもしたような、そんな晴れやかさが心に吹いた。
――気まずいけれど。
「ちなみに」と、それまで口をつぐんでいたクリスが横やりを入れる。
「廉太郎は自分に都合の悪い方にばかり解釈していましたよ。だから、どちらかといえばまぁ、この男が悪いんですが――」
「そ、そう? それより、よく喋るのね……く、クリスちゃん?」
人形にやはり苦手意識があるのか、それとも喋る人形に慣れないのか。おそらくその両方であろうアイヴィが、クリスの名前をぎこちなく呼んだ。
クリスは「無理に仲良くしようとしなくていいですよ」とだけ断り、彼女の視線に答える。
「私の仲間に危害を加えられたのなら、私に言えることはありません。責任や罪の意識なんて感じませんが、悪いとは思いますからね」
「う、うん……」
一言多いとは思ったが、クリスの人間性を認めるのであれば、そこはむしろ明言させるべきでもある。
クリスの過去も、アイヴィの過去も知らない。
聞いていないし、聞く気もない。
知れば同じことは言えなくなるのかもしれないが、アイヴィにクリスを嫌う自由があるように、クリスにも自分を主張する自由がある。
「ユーリアの世話になっている身で、かってなことを言ってすみません。でも、クリスを傍に置くことを許していただけませんか? 悪い奴だとは、俺は思わないんです」
今度こそ嫌われてしまうかもしれないが、廉太郎も言えるだけの本心を口にしておいた。
「良い奴でもないんですけどね?」と茶々をいれてくるクリスには、照れ隠しなのかもしれないが本気で黙っていてほしいと思う。
「私の友達を私の家に置くのよ? ちゃんと面倒みるから」
ユーリアもそれに続いて、家主として、それから友人としての助け舟を出してくれた。
二人に真剣な顔で見つめられて、アイヴィはきょとんとした顔を晒す。かと思うと、こらえきれないように表情を緩ませて、言った。
「――二人とも、すっかりこの子と仲良しなんじゃない」
敵わないなぁ、とでも言うように笑っている。
それは同調圧力のように、仕方なくで事情を受け入れただけの表情ではなかった。




