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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第十六話 『クリス』

 異様な窮屈さを感じて、クリスは真夜中のうちに目を覚ました。自分で思うより無理をしていたのか、眠気も疲れも取れた気がしない。ギロチンのように重いまぶたがいっそ痛いくらいで、人目もはばからずに欠伸がもれた。

 溢れた涙で視界がぼやける。それを拭ううちに緩やかに意識が覚醒していき、そこではたと気づいた。

 すぐそばで、廉太郎が寝息を立てている。


 ――いや、なんで……?


 そこまではいい。

 確かに眠る前、都合の悪い話をごまかしたくて流れのままに床についていたのだ。だからそこまではいいのだが――

 なぜか、抱きしめられていた。

 まるで抱き枕かペットでも抱えるように、全身でしがみついて放そうとしてくれない。

 恥かしいとか気持ち悪いとか、そういう名前のつけられそうな感情は欠片もわいてこない。年相応の女の子のように振る舞うことはできるけれど、誰も見ていないのであればやりがいもないし、どうでもいい。

 

「妹でもみつけたんですかね、夢の中で……」


 廉太郎がこの世界で目覚めて、四度目の夜になる。そろそろ本当に、家族が恋しくなってしまった頃合いだろう。

 ところが廉太郎自身は、こんな風に本気で考えているらしい。


 ――元の世界に帰りたいのは家族を悲しませたくないからで、自分が寂しいからではない。

 ――会いたいからではなく、会わなければならないから。


 呆れて溜息もでない。

 家族相手にそんな薄い情しか抱けない自分を、後ろめたく思ったりもしているようだけれど――何というか、もどかしいほどの思い違いに感じる。

 無意識ではこうして、何かにしがみつかずにいられないほど寂しさを募らせているくせに。


「面倒な人だ、ほんと」


 その根幹にあるのは、身にしみついた強迫的な道徳心だ。他人に迷惑をかけることこそが、この世でもっとも許されないことだとでも思っているのだろう。


「好きにはなれそうにないですね……そういうところ」


 苦々しく思う。

 顔はいい男なのだが、性格がだめだ。絶妙に好みじゃない。むしろ美意識に反するようで、苛立ちすら覚えてしまいそうなほど。

 常時心の内を見せられているせいで、なおさらそう感じてしまうのだろう。

 女にはもてそうだが、いざ付き合うとすぐ飽きられるタイプ。優しいだけの男はもてないし、育ちがいいだけの人間はつまらない。

 人付き合いは自分本位であるほうが、ずっと上手くいきやすかったりすることを知らないのだろう。特に恋愛など、エゴをどれだけぶつけあえるかのゲームでしかない。

 もっとも異性を欲していないユーリアのような人間にとっては、相性のいい相手だったりするのかもしれないが。

 だから彼女が恋人を求められずとも、人生のパートナー的位置くらいは狙えそうなものなのだが――この男は気になる女を目で追うどころか、その自覚すらできていない、そんなどうしようもない男なのだ。

 性教育が必要なのはお前の方ではないのかと、問い詰めたくなってしまう。

 

「ぁ――」


 寝言なのか、廉太郎の声が漏れる。

 起こすのも悪い気がして、腕の拘束を外そうともがいていたクリスはその動きを止めた。

 すぐ後に聞こえたのは、ささやくような独り言の続き。


「――ロゼ」

「……なぜ、ここでその名前が?」


 少し――いや、もの凄くがっかりした。

 ユーリアでも残してきた家族でも、百歩譲って現に抱えている自分でもなく、ロゼ。

 なんでだ。

 もしや、実は気の多い男だったりするのか。

 

 ――む、胸かなぁ……?


 であれば、恋心が性欲に敗北している。共に無自覚下で。

 もう少し、しっかりしてほしい。

 しかし欲求不満のうちに見る夢なんて、好きな相手より性欲が反映されたりするものだろう。ユーリアを胸のある方だと言うと――決して残念なわけではないが――お世辞になってしまうので、異性の好みと性的嗜好が別々に存在するのかもしれない。

 そんなくだらない事情を探ってみようかと廉太郎の魂を覗き、影響を与えていそうなデータを探っていく。そのついでに日本語でも習得してみようかと意気込んでみたけれど、あまりにも億劫になって諦めてしまった。


「ははは、英語はらくに覚えられたんですけどね……」


 それも、二年ほど前に。

 廉太郎には今日のうちに覚えたなどと言ってごまかしたが、それは真っ赤な嘘である。

 廉太郎が知りたがっているほとんどの事情を、クリスは知っている。この世界で目覚めた経緯だとか、果たしてどうすれば帰れるのだとかいう、全ての問いの答えを。

 しかし、それらを打ち明けるつもりは一切なかった。

 その方がいい。知る必要がないし、知ったところでどうにもならないから。


「すみませんね。私たち()まだ、友達でもないので? 腹を割ったりできないんですよ」 


 そう言って胸のうちに隠しておいた、首飾りを取り出した。数珠じゅず状の石は部屋の薄明りに光ることもなく、装飾品としてはいささか華に欠けている。

 十字架の施された、血の匂いが残る遺品。

 実のところこれがアクセサリーでも貴金属でもなく、宗教的儀式に用いる祈りの道具であるということは、クリスもちゃんと分かっている。

 しかし別世界の宗教の事情など、クリスには関係がない。お守り代わりに身に着けていたところで、何を言われる覚えもない。

 だが、これを――このロザリオを見たのなら、廉太郎も察してしまうのだろう。 

 これの元の持ち主が、廉太郎と同じ世界から来た人間だということに。

 そうなれば、かつてクリスがその人間と関わりを持っていたことにもたどり着く。それどころか、自分と同じように魂の繋がりを結んでいたことにまで。


「まさか、二人目とはね」


 人生には、なんと不思議な縁があるのだろう。まさかという事態が、こうしてあさっりと起こってしまう。

 この世界に迷い込む向こうの世界の人間など、そうはいない。それと巡り合い続け、魂の契約を結び続けるなどと――因縁めいたものすら感じる確率だ。

 だからといって、廉太郎に求めることは何もない。

 クリスにとっては過去に契約したその一人だけが特別であり、同じ世界から来た人間だろうと、思うところは何もない。


 ――だけど、少しだけ。


 この偶然は、あの人を死なせた自分への罰なのではないかと、そんな感傷に浸ってしまうのだ。

 クリストファー・リード。

 誇り高い、快活な米国軍人。

 いつかお前に名前をやると、あの人は言った。思いつくまで時間をくれと。

 しかし、その約束は果たされなかった。死ぬのを看取ったその瞬間にさえ、あの人は名前をくれなかった。

 だから、それきりクリスは自分の名前を求めなかった。あの人から貰っていない名前など、名乗りたくもなかったからだ。

 でも――

 あの人自体の名前を借りることができるのなら。そんなことをしても可笑おかしさも違和感もなく、あの人の名前にけちがつかないのであれば。

 私はこの名前で生きていこう。それはそれで、名前を貰ったようなものだから。

 娵府廉太郎よめくられんたろう

 ――私の新しい、異世界の隣人。

 名前を貰ったわけじゃないけれど、そのきっかけは与えてくれた人だ。

 だから、まぁ……元の世界に戻る、なんてことの手伝いはできないけれど。楽しく生きていくことの手助けくらいは、しばらく隣でしてあげてもいいだろう。

 そんな風に、クリスは思った。


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