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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第十五話 吹き替え映画

「おまたせしました」


 浴びたシャワーの熱気を漂わせながら、クリスが脱衣所を出て顔を見せる。廉太郎れんたろうは先にシャワーを使わてもらったのに、廊下で待たされていたせいですっかりと冷めてしまっていた。

 クリスが廉太郎の魔力を受け取る都合上、離れることもできず、風呂に入っている間さえ互いに近くで待機し合う必要があるのだ。


「洗濯物、部屋に持ち帰れよ」


 濡れた髪をタオルで拭いながら、クリスが「え、なんでですか?」と聞き返してくる。そんなことを疑問に思う態度に、どう振る舞っていようとも子供でしかないのだな、と再認識させられた。


居候いそうろうさせてもらってるのに、洗濯まで任せてたら駄目だろう」


 それではあまりにずうずうしい。

 この家の家事をこなすのはアイヴィであり、脱衣所に服を放置しておけばユーリアのついでにと洗われてしまう。それが分かっているから、廉太郎は自分で洗い物をすませている。石鹸こそ借りているものの、手間はかけさせられない。

 もっとも、知り合って日の浅い女性に、自分の着た服を任せられないという抵抗だってあるのだが。


「めんどくさ……」


 申し訳ないという気は欠片もないのか、クリスはそう言って口を尖らせた。言い聞かせるのは不可能に思えて、思春期の子供をしつける親の虚無感に触れた気がした。

 ふと思いついて、最も嫌がりそうなことを言ってみる。


「なら、俺が洗うけど」

「自分でやりまーす」


 人並みに羞恥心はあるようで、素直に脱いだ服を回収しだす。

 品の良さそうな、可愛らしいワンピース。

 それは元々着ていたクリスの一張羅で、彼女に私物と呼べるものは他にない。破壊し、脱走した病室に戻れば何かしらあるのだろうが、回収する気はないようだ。

 着替えを買いに行く時間はなかったので、ユーリアに寝間着を借りている。幼いころの服でも残していたのか、あつらえたようにサイズが合っていた。


「部屋が同じでも文句言わないよな?」


 階段を上がって二階の自室に戻ると、廉太郎は気を使ってそう聞いた。部屋を隔てて離れることもできないため、同じ部屋で眠るしかない。

 小学生くらいの子供相手なので、廉太郎は気にはならない。しかしクリスの方はといえば、それこそ一番気にしそうな年頃のはずである。


「気にしませんね」


 心配をよそに、クリスはそう言って部屋に入っていった。当然の権利ようにベッドに近寄ると、そのままごろりと横になった。寝床が取られてしまったが、さすがに床に寝かせるつもりはなかったので、文句はない。


「仕方ないことで駄々をこねるほど幼稚じゃないですよ、私は」


 そう言いつつ、クリスは眠そうに目をこすった。その仕草にはやはり幼さを感じるのに、本人の言うように子供らしいとまでは思えない。クリスの言動には年不相応の知性とまとまりがある。

 一方で気遣いに欠けている未熟さや、人をからかう幼稚性をあわせ持ってもいる。

 半日を共に過ごし接し方は覚えつつあるが、どうクリスを捉えればいいのかは、未だ分からないままだ。


「そういや、クリスはいくつ?」 

「五歳」

「嘘つけ」


 手のひらを開いて面白そうに答えてみせるクリスに、反射的につっこみをいれた。見た目で分かるが、少なくとも十歳は超えている成長具合だ。身長にしたところで、廉太郎と四十センチほどしか違いがない。

 五歳といえば、ようやく人並みに歩けるようになる頃ではないか。


「そりゃあ、人形は肉体の成長を待ってから稼働させますからね。ギャップがありますよ」

「そうか、見た目通りの年齢じゃないってことね」


 人形は人工的に造られた仮想的な生命である。母体外で生成される、ガラス容器で受精と培養を行う試験管ベビー。

 もとの世界では、その後受精卵を子宮内に戻すことで妊娠させるという、不妊治療に過ぎない技術だった。

 しかし人形と呼ばれる存在は、そのままガラスの中で生まれ落ちる。水槽のようなケースに入れられて、培養液とケーブルに命を支えられて育つのだ。そこまでのことは、すでに聞いている。

 フィクションでは見飽きた技術だが、いざ現実となると倫理観が吹き飛ばされてしまいそうな話だ。


「――お前が生き物扱いされない理由、なんとく分かってきたよ」


 つまりその際、赤子のまま取り出されることもない、ということだろう。人形が道具である以上、少なくとも歩ける程度まで成長させてから覚醒させるに違いない。

 その成長だって自然な経過速度をたどるとも思わないが、ともかく見た目と年齢が食い違うのはそのためだ。

 初めて目を開けたとき、クリスの肉体はすでに女児程度まで成長していたのだろう。

 脳ができて体ができても、時期が来るまで意識を目覚めさせない。

 確かに、生き物だと認めていては行えないような、非人道的な措置ではある。


「そういう映画とか、よくあるでしょう?」

「お前、映画で例えるの好きだなぁ」


 確かに創作ではジャンルを問わず触れられる題材だが、映像媒体の無いこの世界ではどうしても浮いた発言に聞こえてしまう。

 クリスがそれを知っているのは廉太郎の魂、つまり思考や深層心理に触れているからで、意図的にせよ不可抗力にせよ知識を得てしまうのだ。


「えぇ、好きですよ。今夜は恋愛ものでも探してみますかね」

「ずいぶんと便利に人の魂を……」


 小説や映画などの娯楽データでも貯めこまれた端末かのような扱いだ。

 記憶ではなく魂に刻まれた記録を読み取るので、一度廉太郎が観て忘れている映像作品でさえ完璧に再生することが可能。

 しかしそれはクリスが一方的に触れるだけなので、自分の記録なのに廉太郎はそれらを楽しむことができない。

 不公平だと強く思う。「特権ですよね」とクリスは笑った。


「日本語はさっぱりですからね。廉太郎が洋画、それも字幕派で嬉しいです」

「あぁ、だから小説や漫画には触れないのか」


 確かに、廉太郎は洋画を好んで観ていた。フィクションとして観るには身近でない文化の方が演技臭さを感じなくてすむし、目新しさをも感じられるからだ。吹き替えではなく字幕を選んでいたのも、外国人固有の喋り方を味わいたかったから。

 そんな趣味のおかげでクリスが楽しめているのなら、勝手に魂を使われても悪い気はしない。

 そう、思ったのだが――


「――ちょっと待って。それって英語は理解してるってことじゃないのか?」

「あっ……」

「いや、『あっ……』じゃなくて」


 確実に『何かありますよ』と言っているような反応。しかし、それではおかしな話になってしまう。

 廉太郎はこの町で、すでに二度アルファベットを目撃している。

 世界復興機関のシンボルマークと、図書館館長のペンネーム。

 それ以上の情報は両者からとも引き出せていないが、廉太郎の世界との繋がりを示す証拠であるのは確か。

 クリスが言語としてそれを理解しているのなら、どこで学んだというのだ。その答えは元の世界へ帰るための、強力な手がかりになる。と同時に、なぜ今まで教えてくれなかったのかという強い疑問が発生する。


「なぁ――」

「こ、これはその……」


 と、思い切り顔をそらして言い淀むクリス。言葉を探すというより、誤魔化そうとしているのが見え透いているようだ。なぜ隠されるのかわからずに、僅かに苛立ちが募ってしまう。

 するとまずいと思ったのか、クリスは急に振り返ると「――そう! 昼間の内にですね? すでに英語の学習は終えていただけですよ!」などと得意気にまくしたててきた。


「えっ!? 一つの言語を半日で……しかも、片手間に? 頭の中だけで?」


 ――無理があるだろ。

 いくら廉太郎の魂を覗いたとしても、言語習得がそんな簡単にできるとは思えない。そもそも廉太郎自体、流暢りゅうちょうに話せるわけはないのだ。あくまで高校生が習う、教科としての英語知識と参考書データしか魂にはない。


「……実は私、天才なんですよね」

「苦しいよ。お前なんか知ってるだろう? 教えてよ」


 立ち上がり、一歩クリスに近づいた。

 クリスは慌てた様子で、言いわけでも述べるようにあたふたと手元を動かしている。


「いえ、思考速度は操作できますし……そこまで不可能な話ではないかと」

「む……」


 思考が早いと言われれば、その程度を知らない以上信憑性がだいぶ上がる。しかし、それなら隠すような態度をとった理由が分からないし、あまりに怪しすぎる。

 何となく――というよりどうすればいいか分からなくて、とりあえずクリスが横になったベッドへと膝をついた。


「ちょっと、近づかないでください! ベッドにこないで――」

「うるせえ五歳児が。必死なんだよ、意地悪するなって」


 半分以上壁際に追い詰めるのが目的で、隣に寝転ぶようにベッドに侵入する。

 クリスは恥ずかしがるというより本当に困ってしまった様子で、どうすることもできずに渋い顔を晒していた。

 魔法で抵抗するのは簡単だが、そんな反応があればまだ起きているであろうユーリアが数秒の内に乗り込んでくる。そんな騒ぎを避けるだけの分別は、クリスにもついているようだった。


「そういえば――」

「何ですか、変態」


 ――ませた子供だ。

 肉体年齢は十歳相当、稼働してからは数えて五年だが、精神年齢はいったい何歳に相当するのだろう。五歳児の思考ではないし、肉体に引っ張られているにしても十よりは先に進んでいるように思う。


「俺、この世界に来ただけで言葉も覚えちゃったんだけど……これは何で?」

「……逆に、何で今の今まで誰にも聞かなかったんですか、それ」


 廉太郎の抱えていた疑問に、クリスが呆れたような視線を返す。

 廉太郎はこの世界で会話に困らなかったし、文字だって読めている。それどころか、思考言語まで知らない内に塗り替えられていたのだ。


「怖かったんだよ。なんだか、頭がおかしくなったみたいで」

「病気だと分かるのが怖くて病院に行けない、みたいな話しですね」


 馬鹿にしたようにくすくすと笑う。

 確かにそれでは、悪い方に悪化させるだけの臆病な愚か者だ。


「大陸規模の言語統一です。そういう思考汚染の……まぁ、魔法だと思って納得してれば大丈夫ですよ」

「思考、汚染……?」

「悪いものじゃないんですよ? 単に、言語間の壁が面倒だっただけです。もう、百年以上前の話ですが」


 それは、あまりに多くの問題を解決する夢のような話だ。強引で、あまりに都合のいい子供の夢の類い。

 国家間、人種間――特にこの世界では他の人種族間と――のコミュニケーションが容易になる。さらに、語学能力の格差からくる負の連鎖を無理やり断ち切る効果もある。


「でも、そんなの納得しない人たちの方が多かっただろ?」


 言語というものは、つまり文化そのものだから。言語には文化圏のあらゆる価値観が多分に含まれており、思考そのものの結晶だ。

 それを一つのものに、しかも無理やり思考体系を捻じ曲げてまで統一するということは、ほとんど文化の破壊に他ならない。

 それに既存の言語が崩壊するということは、膨大な文章データが無価値になるということでもある。

 第三統一言語。

 世界を画一化するための、洗脳のような汚染。


「多様性を認めないのは、戦争前から変わらなかったのかもしれませんね」


 人間が他を迫害し、浄化しようと狂気に染まったのは五十年前。それ以前から、この世界の取り組みは狂気的だった。

 もといた世界に同じ技術があったとして、その使用は議論の末に封殺されるだろう。これには、生命を創造することに匹敵する倫理的問題がある。

 それだけを見ても、やはりこの世界は歪だと思う。


 ――不意に、部屋の明かりが落ちた。


 クリスが魔力灯を操作したのだろう。手足の動きも発声もいらないのであれば、灯り一つとってもこの世界の技術だけは優れている。

 部屋には、ろうそくの火のようなささやかな光だけが残った。

 クリスが残したのだ。

 いつも真っ暗にして寝ていたから、そんな子供らしい癖の一つを微笑ましく思う。

 寝返りを打つだけで触れあってしまいそうなほど窮屈なのに、それをうっとおしいとは思わなかった。自然と添い寝するような空気になってしまったが、クリスも何も言わず目を閉じている。

 それは単に、眠気に限界がきただけなのだろう。無理もない。

 しかし、廉太郎は結局何も聞けなかったことなど忘れてしまうほど、不思議と安らかに眠れるような気がしたのだ。

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