第十四話 照れ
友達になりましょうと、ユーリアは言った。正確にはそれは提案ではなく、すでに決定された事実を告げただけ。
こうして有無を言わさず、ユーリアの中でクリスは友人となった。そんな宣言に対するクリスの反応は――
「え、えぇと……その――」
などと、かなり動揺したものだった。
間近で見つめられて、言葉も返せていない。のぞき込むユーリアの視線を前に、クリスは目を白黒させながら口元を震わせた。
「――駄目だ、美少女すぎます」
「何を言いだすのよ」
そんな脈絡のない台詞を無視して、ユーリアは顔を背けたクリスの頬に手を添える。逃がしはしないとでも言うようなその行動に、遂に限界を迎えたのか、クリスは大声を上げて身をよじってみせた。
「顔がっ、顔が近い――!」
「もしかして、そうやって茶化してうやむやにするのがお前の照れ隠しなのか?」
その態度がわざとらしく芝居じみていたので、廉太郎は思いついたままに指摘をぶつけた。
すると、椅子を引いて逃げ出そうとしていたクリスの動きがぴたりと止まる。それきり静かに、声も出さなくなってしまった。
「図星か」
苦笑してしまう。
これまでずっと口が回っていたクリスなだけに、意外に思える場面だった。
クリスは子供っぽさこそあるものの、その言動は落ち着き過ぎている。会話のモチベーションは幼稚であるのに、言っていることは大人のよう。
だからこそ、年相応の振る舞いがようやく見れたようで、妙な満足感を覚えたのだ。
一度会話のペースを取られてしまうと、意外と弱いのかもしれない。
「何よ、照れてしまったの?」
そう言うと、ユーリアは済まなそうに距離を置いた。
友達と言われて照れたことよりも、それがバレてしまったことの方がこそばゆいのだろう。クリスは顔を赤くしながらも、納得いかないように食ってかかった。
「そんなわけないでしょう? 何でこんなことで照れなきゃならないんですか、まったく……」
片腕を組み、頬に手を添えて「友達、友達ねぇ……?」と、クリスが独り呟く。
何をそんなに思案しているのかと、疑問にすら思う。そもそも、それこそ照れるようなことではない。らしくないと思えるのはクリス本人も同じだったのか、やがて合点がいったように顔を上げた。
「あぁ。考えてみれば私……友達とか、いたことなかったですね」
――友達がいない。
誰かの口からそんな言葉が漏れるという事実は、思いのほか強い衝撃を廉太郎に与えた。
廉太郎の思うところの本音で語れるような親友などではなく、ただ気安く話せる同世代の相手すらいないのであれば、それは相当な孤独だ。
クリスが人形であることを思えば、環境的、性質的に仕方ないことなのかもしれない。クリスが特別だとしても、その特別性が周囲に認知されなければ何の意味もない。
逆に、自我があるという特別性ゆえに、より悲劇的に思えてしまう。
「……それなら、私は初めての友達になれるのね」
同じくそう感じたのか、ユーリアの口調が子供を相手にするような優しいものへと変わっていく。膝を折って目線を合わせるその仕草が、保育者のようで不思議と似合っていた。
「あぁ、どうします? 握手でもしますか?」
自分に対する妙な空気にいたたまれなくなったのか、クリスが投げやりな態度で手を差し出した。
――固まってしまうのは、今度はユーリアの番であった。
「えっ……握手? あ、握手って私……したことなくて、その――」
立場が一転したかのように、あたふたと小さな手を見つめている。声が、面白いほど緊張に震えているようだった。
他人との接触を拒絶しているユーリアにとっては、無理のない話だ。やむを得ない接触ぐらいはあったのだろうが、自ら手を握りにいくような行為は経験したことがないのだろう。
「よろしくです」
それで調子を取り戻したのか、クリスはさっとユーリアの手を取ると、いたずらに指まで絡めてしまった。
「そ、そうね。よろしく」
それは握手ではない、などと横やりを入れる気にもなれない空気。
二人ともに、あまりに微笑ましすぎる有様。なかなか見せることのなかった一面を、無理やり発掘されたようにさらけ出していた。
「なんです、ギャップに弱いんですか?」
じっと見られていることに気付いたのか、クリスが軽口を飛ばす。それに「そうかも」と答えられるほどには、感慨深い思いだった。
と、クリスの目が光る。
「あぁそれとも、羨ましいんですかね? なにせ私は歴史上ただ一人、ユーリアさんの手に指を絡ませたわけですから」
――また始まった、その手の話しが。
クリスを一度からかうと、どんな形でしっぺ返しを食らうか分かったものではない。今後はどんな弱みを見せられようと、無暗につつくのはやめようと心に決めておいた。
「そういえば、ユーリア」
咳払い。
話を変える。
「君はクリスに『もう人形とは思わない』と言ったけど、そうして触れているのはまだ平気なの?」
これまでもユーリアは何度かクリスに触れられている。生き物でなければ平気だと言うが、その判定は非情に曖昧なように思う。
「そうね、これは……まだ心のどこかで、生き物ではないと思っているからだわ」
ユーリアはその表情に影を差し、握ったままの手に片方の手も添えて「ごめんなさい」と頭を下げた。
「あの……私は別に、人形扱いされたくないわけではないので」
自分で握っておいて恥ずかしくなったのか、いつまでそうしているつもりだとばかりに手を引き抜く。名残惜しそうなユーリアの表情が、妙に印象的だった。
「それより興味深いですね。命の有無で触れるかどうか変わるのですか?」
人形の体、つまり触った感触は人間のそれと何も変わらない。違うのは魂や自我の有無くらいなものだ。
クリスを例外に考えても、ユーリアはそんな人形に触れることができる。
だから彼女の特性は触覚的な忌避ではなく、心理的な忌避なのだ。
「えぇと……私が触れたくないものは他にもたくさんあるけれど、生き物だけはそれらと全然違うのよね」
「そうだね、五感を制御していても駄目なんだから」
ユーリアは常に魔力で五感を制御している。その力で本来聞きたくない音を聞いたり、触れたくないものに触れたりすることができるのだ。
しかし、生き物への接触忌避にはその力が及んでいない。
「これを言葉にして伝えるのは難しいわ」
それ以上話す気はないのか、ユーリアは言葉を切り上げて席に戻ってしまった。
「でもクリスのことをどう思うと、ちゃんと友達だって思っているわよ」
「あぁ、それはもう分かりましたから」
苦笑いで答えるクリスに、ユーリアは白湯に口をつけながら、なおも声をかけていく。
「アイヴィにも言い含めておくわ。『私の友達に意地悪しないで』ってね」
「押しが強い人だ」
クリスも接し方を覚えたのか、諦めたように言葉を返した。
食事も冷めそうなほど話しこんでしまったが、そこでユーリアはようやく食事に手をつけた。小食を通り越したような彼女だが、丸一日食べてなければ空腹にもなるだろう。
食べる量はとても少ないのに、ユーリアの食事には時間がかかる。会話も難しくなるほど飲食に苦戦する人なので、廉太郎は邪魔をせずにクリスと自分の食事に取りかかった。
「ユーリア、話があるんだけど」
頃合いをみて、話を切り出した。
今日起きたことは、ほぼ話した。残っているのは、廉太郎がアイヴィとした会話だけだ。
つまり、廉太郎の都合にユーリアを巻き込んで、危険な目に合わせたこと。
アイヴィにそれを咎められたことで、これ以上迷惑をかけることはできないと思ったこと。
そんな話を静かにした。クリスは口を挟まなかったし、ユーリアは黙って最後まで聞いてくれた。
「――その話はもう、しなかったかしら?」
ユーリアが口にしたのは、それだけだった。
「そうだっけ?」
「そうよ」
そうして、一息の間を置かれる。
話すことを整理しているのか、それとも気持ちを静めているのか、それは分からない。
「だからまた同じことを言うけれど、廉太郎とアイヴィにそう言わせてしまうのは、ひとえに私の力不足のせいよ」
その言葉で、ユーリアとの会話を思い出す。
あの時、廉太郎はユーリアの負った危険に対して済まないと思った。なのにユーリアは、『自分にもっと力があれば、危険な目には合わせなかった』と言ったのだ。
「じ、じゃあ俺も話しを蒸し返すけど、君にそんな風に思って欲しくない」
「どういう意味?」
「だから……とても感謝しているのに、それで力不足だなんて言わせていたら心苦しいんだよ」
ユーリアは強い。戦闘能力や権力のことなどではない。単にその存在が、廉太郎の助けになっている。
どれだけ感謝しても、足りることはない。
「それで、これ以上世話になるのは……」
甘えすぎているし、迷惑になると思う。
今後また廉太郎に何かあれば、必ずユーリアは手を貸してしまう。この数日の付き合いとアイヴィの忠告で、それが身に染みて分かった。どれだけの危険があったとしても、彼女は躊躇しないだろう。
それが危うい。考え無しに動くようにさえ思えてしまう。
この話を振れば、必ず喧嘩になるだろうとクリスは言った。ユーリアの性格を、よく捉えているとも思う。
果たしてどう思われたのか、ユーリアはただ調子を変えずに言葉を紡ぐだけだった。
「廉太郎、私は今とても機嫌が良い……いえ、悪かったわね」
「どっち!?」
「それは、返答次第で変わるわ」
言い間違えた言葉を軽い調子で訂正する。冗談を言っているような態度なのに、結局、ユーリアは睨むように口を開いた。
「黙って私の世話になりなさい」
「凄い人ですね……」
隣でクリスがそう感心している。廉太郎はただ、息を飲んでいた。
――分からない、なぜここまで気にかけてくれるのか。気にかけ続けてくれるのか。
何も言う言葉が見つからない。
場の空気が、緊張していくのを感じる。
「一度整理しましょう」
クリスが手を叩き、視線を自分に集めた。
「整理?」
「腹を割れと言っているのです。友達なんですから」
面白くなりそうだと笑っていたのに、クリスは言い争いになる前に助け舟を出した。
その勢いに勢いを削がれて、ユーリアも
「廉太郎、あなたの目的は元の世界に帰ることだ。では、その理由は?」
「それは、俺がいないと心配する人がいるからだよ……家族とか」
突き詰めれば、理由はそれだけだ。
廉太郎一人の問題であれば、無理にでも帰る労力と危険を背負う必要は、そこまでない。しかし、親や兄弟を悲しませたままにはさせられない。
「そうね、家族は大事だわ」
しきりに頷くユーリアに向けて、クリスが次のことを問う。
「ではユーリアさん、あなたはなぜ廉太郎に手を貸すのですか?」
「友達のためなら何でもするわよ」
「いやもっとこう、モチベーションの話を聞きたいんですが……」
食い気味に答えたユーリアに対し、もう少し考えてくれとばかりに時間をやんわりと与えている。
つまり友達のためになぜ、何でもしたいと思えるのかと問うているのだ。
「私はこの世界なんて好きじゃない。ここに迷い込んでしまったなんて人は不幸よ、見ていられないわ」
さして考えるまでもなく、ユーリアはそう答えた。クリスは「なるほど、なるほど」と頷き、納得したように笑った。
「つまり、自分のためでもあるんですね?」
「そういうことよ」
話がそれで済んでしまいそうで、廉太郎はとっさに声をあげた。
「ちょっと、何が『つまり』で『そういうこと』なんだ……?」
「友達の幸せは私の幸せで、友達の不幸は私の不幸よ。簡単でしょう」
当然だとばかりにそう言われて、今度こそ何も言えなくなってしまう。それも分からないような人間だと思われたくはない。その思いやりを悪いと言って拒絶するのは、むしろ不誠実ですらある。
友情を拒絶されるのと変わらない。廉太郎にそのつもりがなくとも、手を貸したいと思う側にとっては。
「どうせ、アイヴィに意地悪でも言われてそう思ったのでしょう? 大丈夫よ、明日文句言ってあげるから」
こうして微笑まれてしまうと、何もかもそれでいいような気がして安心させられる。
意思が弱いと情けなく思いながらも、ただ「ありがとう」とだけ心の想いを声に出した。