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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第十三話 仕方のない嫌悪

 ユーリアが家に帰って来たのは、思ったよりも早い時間だった。

 意識のないユーリアをロゼに預けた後に家に向かい、アイヴィと話をしたりお茶を飲んだり、クリスの食事の面倒をみたりしているうちに、家の鍵が回された。


「平気そうでよかった」

 

 玄関まで出迎えると、ユーリアは魔力的にも気分的にも回復した様子で現れた。目も開けているし、顔色も悪くない。

 しかしどこか疲れたような調子で、廉太郎れんたろうに笑顔を向ける。


「あなたもね。帰りに何かあったようだけれど、無事でよかったわ」


 帰りの車内で意識を失っていたユーリアは、そこで何が起きたのかまだ把握していない。それでも気絶までさせられた状況にただならぬものを感じて、こうして顔を見せるまで心配してくれていたようだった。


「あ、うん……それはその、クリスのおかげだよ」

「クリス?」 


 聞きなれない名前を耳にして、ユーリアはきょとんとした顔で問い返した。 

 言葉で伝えるよりも直に紹介するほうが良いだろうと、戸惑うユーリアを居間に誘う。

 二人が居間に顔を見せると、食卓に座っていたクリスが視線を投げてきた。

 

「なんだか今さらですけど……クリスです、よろしく」


 どこか憮然ぶぜんとした態度で、なげやりに自己紹介を済ませる。

 少しだけ、機嫌が悪いのだ。

 気管と食道の管を間違えてしまったことを、まだ根に持っているのだろう。先んじて食事――という名の栄養補給――を取りたがったクリスは、廉太郎の手を借りた。

 口から食べ物を飲み込めない彼女が栄養を取り入れるのは、喉孔のどあなの切断面から顔を出した食道の管。

 手を借りたのは、自分の手では目が届かずに手元が狂ってしまうからだ。

 その際、前後に並んだ管を廉太郎が間違えてしまった、というわけである。

 ……壮大にせてしまったのは、言うまでもないことだろう。


「だから、謝ったじゃん……」

「実は一番疲れているクリスちゃんに、まさか拷問みたいな仕打ちが待っているとはね」


 じとっとした目で睨まれて、何も言い返せなくなってしまう。

 丸一日何も食べていないのはユーリアも廉太郎も同じだが、子供の体であるクリスの負担は特に大きい。それに、運動量も多かったのだ。

 深夜の脱走のため徹夜。遊び半分とはいえ戦闘もこなした。それに、徒歩での移動と車の運転。

 こういう性格なので態度にこそださないが、その実へとへとになっているはずだ。

 一度食事を取らせてくれという要望を無視した事実も、罪悪感を刺激していた。


「もうしないって、ごめん」

「じゃあ早く席に戻ってください。私の食事はまだ終わってません」

「少し待てよ。ユーリアの分を温めてくるから――うん?」


 こほんと、咳払いが聞こえた。

 振り向くと、それを発したユーリアが額を抑えている。彼女は「その、廉太郎……」と言いにくそうに、言葉を濁しながら目を背けた。


「い、いくら寂しいとはいえこうも徹底されると、私はちょっとついていけないというか……」


 そんな、誤解したことを言う。

 人形の自我を信じていないユーリアの目には、それまでのやり取りが全て廉太郎の一人芝居に映ってしまうのだ。


「いえ、名前くらいはつけてもいいと思うけど」


 どう接すればいいか分からないと言いたげに、クリスをちらりと横目に見る。 

 クリスは、明らかな自我を持っている。

 本人曰くそんな人形は自分だけで、特別どころか異常個体であるらしい。しかし、それを誰かに伝えるとなると、なかなか言葉は見つからないものだ。


「あぁ、違うよ。こいつ人形だけど、人みたいなんだ」

「分かるように言いなさいよ」


 自分でも、何一つ説明になっていないと思う。


「ごめん……俺も分かってないから、分かるように伝えるのが難しい」


 そもそも廉太郎は、ユーリアたちの言う普通の人形の方を知らない。だからどうしてもお互いの認識、捉え方に食い違いが起こる。


「自分で考えて言葉を話してるし、自分で考えて行動してる……そんな人形」

「ふ、ふぅん……」


 半信半疑なのか、ユーリアは収まりのつかない顔で食卓に座った。いつも座っている席ではなく、わざわざクリスの対角線上に座ったのは、意識的にせよ無意識にせよ避けようとしているからだろう。

 人の形をしているが、人ではないと捉えた存在。それを忌避しようとする彼女に、共感できないわけはない。

 人に限りなく似せて作られたロボットに対し、一種の気持ち悪さを覚えたことがある。それと同じことだ。


「待ってて」


 二人を残して、廉太郎は台所へ向かった。

 思いのほか表情を動かす人形と二人きりになるのが気まずいのか、すがるような視線を背後に感じた。

 無言となった居間の様子が気がかりで、廉太郎は急いで料理を温め直した。野菜のスープ、焼きたてではなくなったパン、魚介の煮込み――アイヴィが残していった、食欲のそそる匂いが立ち込めていく。

 それらを器に盛り、盆に乗せてやや緊張感の漂う食卓まで運んだ。


「廉太郎、まだ食べてなかったの?」


 席に並ばれた二人分の食事を見て、ユーリアが沈黙を破った。


「ユーリアさんと一緒に食べたいって、ずっと待ってたんですよ」


 などと、にやにやしながらクリスが言葉を返す。

 反射的に言い返そうとして、どう考えても否定しようがないことに気づく。急に照れ臭くなってしまうのを隠したくて、反応はせずに黙って席に座った。

 クリスの隣に座るもので、必然的にユーリアの前に座ることになる。


「あら、可愛いことを言ってくれるのね」


 からかうような視線を真っすぐに向けられても、逸らすことができない。

 曖昧に笑い流して、クリスの食器に手を伸ばした。食事の続きである。

 咀嚼の必要がないように、具材をすり潰した流動食のようなスープ。半分ほど残ったそれをすくい、クリスの喉元へと近づける。

 なんどやっても慣れそうにない。

 奇妙で、とても緊張する行為だ。

 

「今度は間違えないで下さいね。奥側が食道、手前は気管ですから」

「分かったって」


 切断面から僅かに突起した二本の管は、人工的なセラミック状の素材で加工されていて違いが分かりにくい。

 慎重に食道の管までスプーンを運び、零さないように注ぎ込んだ。精密機械にオイルでも差しているような、他では味わいがたいもどかしさがある。


「私は、何を見せられているんだろう……」


 ふと見れば、ユーリアは信じられないものを見たように固まっていた。食欲が残らず喪失したような様子を見て、配慮が足りていなかったかと後悔する。


「ごめん、見たくなかった?」

「いえ、構わないのよ。驚いただけで」


 ユーリアは寛容な態度で何も見なかったことにすると、静かに食事を始めようとして、ふと手を止めた。

 

「そういえば、アイヴィはもう帰ったのかしら?」

「うん。食事は三人分しか作ってないからって言って、帰っちゃったよ」


 クリスの食事事情を考えればその必要はないし、アイヴィが遠慮する必要もないと言ったのだが、「ええ、でも……今日はちょっと帰っちゃうわね」と言い残して家を出てしまったのだ。

 一度町に戻った時にひと悶着あったせいで、てっきり今回も心象を悪くしたのかとも思ったが、アイヴィの態度はそれと少し違ったものだったと思う。


「多分、私のことが気に食わなかったんだと思います」


 廉太郎が思い浮かべた疑問に、クリスが口を開いた。それに対し、ユーリアが勘に触ったように反応を返す。


「ちょっと、人の親をそんな風に言わないでよ」

「あぁ、俺もあの人がそんなことを考えるとは思わないな」


 ユーリアと廉太郎に否定されても、クリスは「仕方ないことだと思いますがね……」と肩をすくめるばかり。さらに、推測に過ぎないと前置きをしながらも話を続けていった。


「あの方は妖精種で、この町には迫害から逃れて来た形だ。その過程で、人形と争いになったのは疑いようがない」


 エルフであるアイヴィは長命で、五十年前の虐殺を経験している。世界から人間以外の人種がほぼ消滅した、人間による一方的な虐殺戦争。

 そこで使用されたのは、以前より造られていた人形兵器。遠隔で操作でき、反撃されようと構わない量産品。

 人間が自分たちの魔力を手に入れたことで、その性能を十二分に引き出せるようになった。

 それらは広く展開され、草の根を分けるように他種族を狩り続けたという。


「私の顔つき自体に反応していましたからね。同一個体に襲われたのかもしれません」


 いわばクローン体である人形。クリスと同じ遺伝子から作られた個体であれば、その容姿に区別をつけることは難しいだろう。

 クリスは終始、無感情に淡々と話をした。

 廉太郎は何も言えなかったし、ユーリアもただ黙って耳を傾けていた。


「人の作った兵器なんだから、人形が異種族への攻撃に使われたっていうのは、それはそうなんだと思う……で、でも――」


 ユーリアはじっとクリスを見た。ユーリアはエルフを親代わりにしているし、他の種族と仲がいい。人形が彼らの仲間を狩るのに使われたのなら、当然怒りを覚えるだろう。

 しかし、その目にはクリス自体への憤りは含まれていなかった


「あなた自身は無関係でしょう? なのにそんな……いじけた子どもじゃないんだから」


 アイヴィがこの町に来たのもほぼ五十年前だというが、クリスの見た目はどう見積もっても十歳前後。個人としての関りは確実にない。

 それはアイヴィ本人も分かっているはずだ。その上で、一緒に娘の帰りを待つことすらできないほど避けてしまっている。


「らしくないわね、アイヴィ。そんなことは一度も言わなかったのに……」


 食卓に、重い空気が流れていた。

 このままでは味のない食事を皆が終えることになると思い、変えられそうな話題を探していく。


「そうだ、君を知ってる魔人種の子に会ったよ」


 ぽつりと、思い出したことを呟いた。


「あらそう」

「名前は、本人が忘れたっていうから聞けなかったんだけど」


 改めて「自分の名前を忘れるって凄いことだよな……」などと思いながらも、昼間に知り合った不思議な子どもの特徴を思い出していく。


「傘の骨組みみたいな体で、髪の色が派手で、間延びした感じに喋る、礼儀正しくて明るい子で――」


 年齢も性別も何も分からないのに、ついつい面倒を見てしまいたくなるような、隣に居て楽しい子供だったと思う。容姿は異様だが、それが気にならないだけの魅力があった。


「あと、君のことがとても好きだって」

「えぇと……それでは心当たりが多すぎて、誰のことだか分からないわね」


 だいぶ特徴を絞ったつもりなのだが、人種的なもので差異にならなかったのだろう。それにしても好かれ過ぎである。実は人気者なのではなかろうか。


「無自覚的でも、死霊術に長けた子供でしたよ。リヤカーを蟲の霊に引かせていたのは、ユーリアさんに紹介してもらったという仕事に関係するんでしょうかね?」


 横からクリスが私見を述べ、捕捉してくれた。

 するとその情報から、ユーリアは一人に思い至ったように口を開いた。


「あぁ、クラヴィーノのことね」

「多分ね。そんな名前を言いかけていたはずだよ」


 初めの音までは覚えていたようだし、それであっているはずだ。

 友人を思い出したのかくすりと笑うと、ユーリアは少し照れたように天井を見上げた。


「その名前、私がつけてあげたのだけど……少し、あの子が覚えるには難しかったのかもね」

「そっか、名前まで――」


 仕事、家、服についで名前を与えた。

 それは好かれるわけだ。もう、親みたいなものなのだから。

 そう思ったところで、隣からの視線に気づく。


「なんだよ?」

「別に……」


 どうやらネーミングセンスの差において、似たようなことをしてやったクリスからは好感度など得られなかったらしい。「照れ隠しにしても桜子はない。却下されるのが前提ではないか」と、そんな意図を感じる。


「あの子、元気だった?」


 友人について、ユーリアは楽しい話が始まることを疑っていない。そんな笑みが廉太郎に向いて、少しだけ打ち明けることを躊躇してしまう。

 

「それが――」


 それでもユーリアには、起こったことを総て話した。彼らの仲が良ければいずれ分かることであるし、何より隠しておくのが辛くなったからである。

 雰囲気を変えるつもりだったのに、失敗したなと今さらながらに思う。

 友人が暴行され、あわや死にかけた話だ。

 

「……ふざけないで」


 聞き終えたユーリアは、一言だけそう呟いた。


「どこのどいつよ? 今からでも突き出してやるわ」


 怒りで声が震えている。同時に、悲惨な暴力に胸を痛めている。

 そんなことが手に取るように分かって、見ているほうが辛くなってしまうほどに、それは痛ましい様子だった。


「ごめん。そいつをただ逃がすだけだったのは、やっぱりまずかったね」

「……いえ、廉太郎はよくやってくれたわ」


 深呼吸を繰り返して、ユーリアは気持ちを落ち着けていた。やがて泣きそうな顔で笑みを浮かべると、廉太郎に向かって頭を下げた。


「ありがとう」

「いやっ……礼ならクリスに言ったほうがいい。俺はただ、見ていただけで――」


 こつんと、右のすねを蹴られる。隣を見ればクリスが、余計なことを言わなくていいとばかりに苦々しい顔で溜息をついていた。


「そう、なのね……あなたが助けてくれたんだ」


 ユーリアは戸惑いながらも、クリスをじっと見つめている。それが照れ臭いのか、クリスは珍しく言葉をつまらせながら目をそらしていた。


「わ、私は別に、そんないい奴ってわけでは……廉太郎がそうしたいというから、手を貸しただけで……」


 言い訳を並べるように、あくまで自分の手柄ではないと主張している。そんなクリスを見て、ユーリアは静かに立ち上がった。そのままクリスの傍まで近づくと、そらした目線に回り込み、視線を逃さずに真っすぐ目を捉えて、言った。


「決めたわ。あなたは私の友達よ、クリス」

「えっ――はい?」


 困惑するクリスをよそに、ユーリアは有無を言わさないような力強さで、はっきりと告げる。


「もう人形とは思わない」


 クリスがそれを聞いてどう思ったのかは知らないが、廉太郎にはそれが自分のことのように嬉しい言葉に感じられた。

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