第十二話 怒りの源泉
白い天井を見上げて、ユーリアは目を覚ました。
ありえないことだ。
意識を手放していたのに、疑似眼球が形成されたままでいる。それもおかしいことだし、そもそも直前まで魔力を失っていたはずなのだ。
だからこれは、自分で作った眼球ではない。
そのことに憤慨して、眼孔内の魔力を破棄。すぐさま新たな疑似眼球を形成。制御し、具合をなじませていく。
さっきの目が何色だったかなど、考えたくもない。
今は、間違いなく赤いはずだ。
「元気そうだね」
「……枕元に来るんじゃないわよ」
案の定聞こえた嫌いな声に、思いっきり不快な視線を返して起き上がる。
横になった姿など、そう気軽に見せるものではない。単純に、無防備ではしたないとも思う。だがそれ以上に、見下ろされているようで腹が立つのだ。
特に、この男からは。
「余計なこともしなくていい、代表」
代表、ルートヴィヒ・フリード。
ラックブリックの町において、軍と警察の機能を果たすとともに魔力研究機関でもある、世界復興機関のトップに立つ男だ。
町の評議会にも好きなだけ口が出せるのだから、実質的にこの町の支配者であると言ってもいい。
ユーリアの直接の上司でもあり、任務は彼からのみ与えられている。
そのため、ユーリアは組織に属しているというよりも、ルートヴィヒの私兵であるという感覚が強い。
「裸眼だと、恥ずかしがるだろう?」
抗議しているのに、一切悪びれることもない。親族が見舞いにでも来たかのように、傍の椅子に座り手を組んでいる。ここが医務室であるだけに、余計居心地が悪くなった。
ついうっかりとして、舌打ちが漏れてしまう。品のない振る舞い。普段は絶対にしないと、意識的に避けているのに。
「嫌われたものだな」
対して残念でもなさそうに、ルートヴィヒが言う。
そういう態度が、さらにユーリアを苛立たせていくのだ。
「報告は、君の魂から記録を読んだロゼから受けているよ」
「あぁ、そう……」
今日起きたことを結果だけ捉えれば、管理病棟から抜け出した異形化末期患者を、ユーリアが独断で始末したことになる。
どうせ他の者に回った仕事だ。能力的に相性が悪かったことを除けば、褒められも叱られもしない行為。
それでも報告は必要だったので、手間が省けた思いだった。
勝手に話を進められるのは好きではないが、ロゼを介しているのであれば気にならない。彼女には何度も魂を預けているし、心も許している。
「まぁ……帰り道で何があったかは、君が気絶したせいで分からなかったそうだが」
「そう、ね」
ユーリア自身も覚えていない。
廉太郎が迎えに来て、彼の人形に無理やり拘束されたところまでは覚えているのだが。
攻撃、されたのだろうか。
だとすれば、廉太郎の安否が気になる。もっとも自分が無傷でここにいるのだから、無事に帰れているはずだろうけれど。
「君が無事ならどうでもいいがね」
その言葉に一切の情など含まれていないと、ユーリアは知っている。
単に、自分の戦力としての価値を重く見ているにすぎない。
つい先ほど、廉太郎にも似たような言葉を言われたのを覚えている。同じ言葉でこれほど差が出るのかと、苦々しく思わずにはいられない。
「それにしても、最近の君はらしくないな」
「な、なによ……」
唐突に切り出された話題に、思いのほか動揺してしまった。心当たりはいくつもあるが、それをこの男から指摘されるのは、どうにも気持ちが悪くて仕方ない。
「三日前の任務、それと今日のことだ。無駄なことで死にかけている」
「無駄……」
例の任務では、己がしでかしたことに動揺して腹部を破壊された。守りたかった女の子は、戦闘に巻き込む形でユーリアが殺してしまった。生き延びた理由を含めて、今も思い出したくない失態。
それを無駄な動揺だなどと言われるのは、あまりに酷いと思いはする。が、軍人として考えれば妥当な指摘。もとより、この代表にまともな感性など期待していない。
今日のことだって――。
「特に、今回は完全なプライベートだぞ」
責めるように言われたところで、悪びれるつもりは一切なかった。むしろプライベートなのだから、いくら死にかけようが勝手ではないかとさえ思う。
「君に何の得がある?」
「得ねぇ……」
その口ぶりでは、ルートヴィヒはほぼ事情を知っているのだろう。
廉太郎が生き残るために人形を必要としたこと。身近な人形を入手するために、ユーリアが無茶な戦い方をしたことまで。
――喋り過ぎよ、ロゼ……。
もっとも、目的が分からなければ奇行に思われてしまう行為なのだが。
「友達が助かるのは私の得だし、そのために死にかけるのも無駄ではない。それだけのことよ」
丁寧に言葉を一つ一つ言い返してみたところで、この男に何が伝わるというわけでもない。ルートヴィヒはただ、呆れた様に眉をひそめるだけだった。
「……出会って数日だろう? それで命を張るなど常軌を逸している」
「上等よ」
それだけのことが異常だというのなら、私はずっと異常でいい。
世界に居場所がないのかと思うほど周りと違う自分だけれど、この時ばかりはその特異性が誇らしかった。
「彼に深入りしすぎだ。付き合いは、ただの友達までにしておきなさい」
「――なに、それ」
まともに相手をするのは馬鹿らしいと思いながらも、つい反応してしまう。つくづく切れやすい嫌な性格だとは自覚しているものの、どこに沸点があるのか自分でも分からないものだ。
「どの立場から言ってるつもりなの……?」
人間関係にまで、いちいち口をだされる覚えはない。
それは当然の抗議で、互いの立ち位置をわきまえてもらおうと問いただしただけなのに。
「父親みたいなものだろう」
「――ッ」
さも当然であるかのように、ルートヴィヒは言った。
「君をこの町に連れてきて八年か。その間、ずっと大事にしてやったじゃないか」
眩暈がする。
「よ、よくもまぁ……私に、そんな――」
無神経なことが言えるものだ。
確かに付き合いこそ一番長いものの、そんな風に思われていたという事実が気持ち悪くてしかたなくなる。
「何を怒る? 父親が二人、母親は三人もいた君だ。一人増えたところで――」
「その大半を奪ったのは、あんたでしょって言ってんのよッ――!」
考えるより先に、そう怒鳴っていた。
頭に上った血が沸騰して、そのまま音になったのかと思った。
――あぁ、もう……ッ!
この男への情なら、確かに以前はあった。その時に父親の顔をされたのなら、照れこそすれ嫌悪など抱かなかったろう。
しかし、それも二年前までの話だ。
すでにユーリアの中で、ルートヴィヒとの関係は決裂している。
「酷い言いがかりだな。証拠はあるのか?」
「……あったら殺してるわよ」
気持ちがはやって、そんな虚言を吐いた。
ユーリア一人の問題で済むのなら、証拠などなくとも既に殺している。
「運が良かったわね」
それが分かっているのかいないのか、殺意だけは本気の視線を、ルートヴィヒは軽くあしらってしまう。
この余裕はどこから来ているのかと、いつも疑問に思う。
魔術師でもないルートヴィヒを殺すのに、瞬き程度の時間もいらないというのに。
甘く見られているのではなく、ただ恐怖がないだけならば、この男も異常でなければおかしい。
「……用は済んだ? もう話すのにも疲れたから、私は帰るわよ」
これ以上声を聞いていたらどうにかなってしまいそうで、ユーリアは腰を上げた。
どうやら、最近のユーリアの行動に文句が言いたかっただけらしい。それが一通り終わったのであれば、早いところ視界から消してしまいたい。
「あぁ、最後に伝えたいことがあるんだが」
そう言うと、ルートヴィヒは一枚の紙をユーリアに渡した。
怪訝な顔で目を走らせるユーリアに、軽い調子で声がかかる。
「今回はプライベートだからね、経費は何もでないよ」
目立つように大きく記された数字を見て、変な声が出そうになるのを必死で抑える。
――請求書。
ユーリアが壊した車。敵にダメージを負わそうとして、わざと爆破してしまった車両一台。その再製造費用が、丸々ユーリアに請求されていた。
あそこまで派手に壊しては、修理など望めないのは分かっていた。だから覚悟の上ではあったのだが、予想より桁が一つ違う金額を前に現実感のない冷汗が流れてしまう。
それなりに――いや、かなりの高給取りであるユーリアの年収が、軽く吹き飛んでしまうなど……。
――良かった貯金してて。あれ、アイヴィにはなんて言おう……?
これは廉太郎にはとても言えない。言えば心を痛めるだろうし、最悪、返済するまで元の世界に帰らない、とでも言いかねない。
「後悔したかい?」
意地の悪い顔で、ルートヴィヒが固まったユーリアに問いかける。ただ他人に構うだけでは、損しかないとでも言いたいのだろう。
「馬鹿にしないで」
損得でしか物事を考えられない人間が父親面などと、笑わせてくれる。見透かしたようでいて何も分かろうとしない、この男のことが心から嫌いだった。
だから少しどきどきするものの、見栄を張って言ってやった。
「安いものよ」
声は、震えていなかったと思う。
――
自分の家の扉から、人の声が聞こえる。先に帰宅したであろう廉太郎と、女の子との話し声だ。
その女子とは人形であるし、一人でまた、何をやっているのかとも思う。しかし、人形相手に会話役を任せるほど、密かに寂しがっていたのかもしれない。
家族とも離れ離れに、一人こんな世界に来てしまったのだから、仕方のないことだとは思う。
ならば自分がもっと話相手になってやろうと、玄関の戸に手をかける。
――鍵がかかっていた。
「……几帳面ね」
身内にはいなかったタイプだと思う。
これまでに、ユーリアは多くの家族を持った。本当の両親は人の国に置いてきてしまったけど、そうしなければ異質な自分は殺されていただろう。
ユーリアをこの町に連れてきたのはルートヴィヒだが、それを恨むつもりはなかった。実親には二度と会えないが、会いたいわけでも、奪われたわけでもない。
しかし、この町で新たに得た家族は違う。
ユーリアを引き取ったアイヴィと、それと同居していた家族。
シルビア、オルディナ・ヴァイス夫妻と、その一人息子。
彼らに囲まれて、ユーリアは初めて家族愛を知ったのだ。五人で暮らす幸せな日々は、六年もの間続いてくれた。
「……やっぱり、どうしても私は許せそうにない。変われないままだ……」
結局、変わりたくないのだろう。この怒りが少しでも薄まることを、どこかで恐れている。
自分の愛した彼らは、もうどこにもいない。この町自体に裏切られて、無残にも殺されてしまった。
ユーリアに残されたのは、アイヴィだけだ。
この家に居るのが辛いのか、アイヴィは別居するようになってしまった。家事をしに来てくれるし、毎日一緒にいれるけれど、同じ家には住んでくれない。
そんな寂しい家の鍵を開けて、ユーリアは中へ入った。
「ただいま」
居間から、廉太郎の返事が聞こえる。律儀にも、玄関まで顔を見せに来るようだ。
アイヴィ以外が自分を出迎えてくれるのは、実に二年ぶりのことになる。
――また家族ができたかのようだとも、少しだけ思う。