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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第七話 食事事情

 魔人の子はほぼ本能だけで蟲の霊を操っているようだった。霊に運ばれたリヤカーはそのバランスを保ちつつ、徒歩よりずっと速く道を行く。

 おかげで、予定よりだいぶ早く町に着くことが出来た。


「ではこれで、ユーリアさんによろしくです!」

「うん。その時、君の名前も聞いておくよ」


 町に入ると、その子は真っすぐ病院に向かうと言い、そこで別れた。

 先ほどの暴行やこびりつく迫害意識を思えば、病院まで付いて行きたくもなる。しかし、町中で危険な目に合うことは、おそらくない。

 たとえ悪意に晒されようとも、町の法があの子を守ってくれるからだ。

 ラックブリックの町の治安は、驚くほど良い。

 協同せずには生きられないという認識が強いのか、統治機構である機関を恐れているのか。その両方であろう。

 めったなことをしたものだ、あの暴漢も。


「ライバル登場」


 町に消えた背を眺めながら、クリスが感慨深そうに呟いた。

 またその話かと、ややうんざりしながらも応えてやる。


「……何の話だよ」


 あの子がユーリアを好いているのは明らかだ。しかし、それが恋敵を生むような感情だと決めつけるのは軽率ではないか。

 その上、クリスが意図するような恋敵などどこにもいないのだ。廉太郎れんたろうからの好意は、つまるところは友人や恩人としての――


「いやいや、いいんですか? 負けてますよ? ヒモなんですからね、あなた」

「それは言わないで……」


 あの子は働いて、独立していると言った。一方、廉太郎は事情があるとはいえヒモ同然。ユーリアの好意に甘え続けている。

 情けない話だと、自分でも思う。世話になってから数日、ずっと後ろめたさは感じていた。

 目を逸らす廉太郎をよそに、クリスは何かに気付いたように声を上げた。


「――あっ、すいません。逆に勝ってましたね、ヒモなら」

「だからお前は、そういう話を……」


 まぁ、いいか。誰かに聞かれてさえいなければ。

 そう諦めるように納得したところで、町に戻った目的を果たそうとする。


「さてと、早いところ車を借りて戻るとするか」


 もはや慣れた足取りで貸車屋に向かう廉太郎に、クリスが「私はお腹がすきました」と呼び止めた。


「あぁ、じゃあ少し休憩していこうか」


 そのくらいの時間的余裕は稼がせてもらった。

 それに、クリスが感じている空腹は相当なもののはずだ。

 クリスが脱走したのは早朝。昨晩から今まで何も食べずに動き続けたことになる。

 子どもにはつらいだろう。単純に、疲労もたまっているはずだ。


「何か食べたいものは?」

「任せます」

「しかし、俺もアイヴィさんの喫茶店くらいしか知らないしな……」


 今、彼女の店に行くのはやめた方がいいだろう。今朝は朝食もとらずに町を飛び出したがために、アイヴィには一言も告げていない。

 心配しているだろうし、ユーリアと別行動している所を見られると説明が面倒だ。

 説明が面倒なのはクリスも同様。機関の収容下から脱走したことになっている彼女が、今この町に居ては話がおかしくなる。

 そう考えると妙に居心地が悪く、さっと済ませられるような軽食店を目が探す。

 幸い正門に面する大通りでは、道を歩く者に向けた店舗が複数あるようだ。


「パン屋さんがあるけど、それで大丈夫か?」

「はい……ふふっ」


 よほどパンが好きなのか、クリスは妙な笑みを浮かべている。

 店内に入ると、こちらに目を向けた店員が目を丸くしながら「いらっしゃい……ませ」と言い淀んだ。

 その視線の先を追い全てを察した廉太郎が、クリスに小声で告げる。


「その首元……目立ってるんだよ、隠せ」

「おや? 廉太郎は私の体が人目に触れさせられないくらい醜いと、そんなひどいことを言うんですか?」

「そうじゃない! そうじゃないけど――」


 目立つのが嫌だという心理には、そのような思いが全く含まれていないとは言えない。

 完全に無意識のことで、指摘されるまで自覚できなかった。もちろん、クリスの体に対して何を言うつもりもない。隠したくないと言うのなら、そうあるべきだと思う。

 しかし、この一時いっときに限れば、悪目立ちすることによる不要なトラブルを避けたいと思ってしまうのだ。ユーリアとの合流が遅れるようなリスクを、少しでも背負いたくはない。


「流石にユーリアさんを出されたら黙るしかありませんね、仕方ない」


 廉太郎が脱いだ上着を両手で抱え、首元を隠してくれた。

 口調が常に冗談じみているために、先ほどの言葉をどれだけ気にしているのかは察せられない。

 言葉につけこみ動揺させようと茶化しただけなのか、それとも本気で傷つけてしまったのか……。


「前者です」

「良かった……」


 それでも一度見られた店員から逃げるように商品を選び取り、会計を済ませる。自分で会計をするのは初めてであり、金銭感覚のない廉太郎は横からクリスの指示を受けることとなった。

 余計に、目だってしまった気がする。


「お前、最初は外套がいとうを着て喉も手足も隠してたじゃないか。なんで今は嫌なんだ?」


 店を出て適当なベンチを目指しながら、廉太郎は問いかけた。


「前持ち主の指示でして、嫌々と」

「従順だったんだな……グライフさんには」


 らしくないと思う。それはつまり、らしくないことを強要されていたということだろうか。

 欠損した体を隠せというのも、暴力を振るった相手に傷を隠せと強要する加害者のようで。

 変に、勘繰ってしまう。


「別に、あの人が私に穴をあけたわけではありませんよ。むしろ、動けるように加工してくれた人でした」


 クリスは静かに真実を告げた。さらに聞けば、彼は義肢を造る職人だったのだと言う。元々、魔力を応用した義肢の性能を試すために体の壊れた人形を入手したらしい。


「私でも多少は恩を感じたりするもので、そのくらいの言うことは聞いていたってだけです」


 安堵するとともに、廉太郎の心には新たな影が差していた。

 クリスとグライフの関係は良好だった。

 ならば、彼を死なせたことを恨んでいたりはしないのだろうかと。

 それぞれに事情があってどうしようもなかったにせよ、廉太郎たちはグライフを殺してクリスを奪ったのだ。彼は隔離病棟で安楽死を待つほどの異形化末期。いずれ死ぬのには変わらなかったとしても、受け入れることは難しいだろうに。


「心配せずとも、そんな風には思ってません」


 涼しい顔で、クリスはベンチに腰を下ろした。


「別に、親や恋人が奪われたわけでもないんですから」


 廉太郎は何も言えず、少し間をあけて隣に座った。


「食べないんですか?」


 クリスが紙包みに指を差す。


「俺が? いや、これはお前のだよ」

「いえ、廉太郎も私と同じくらい空腹のはずでしょう?」


 そう言って、中からパンを取り出した。練り込まれたチーズの匂いが、空になった胃を刺激する。

 そこで、初めて気づいた。


「そうか、俺はお腹が空いていたのか……」

「えっ、何ですその台詞……? 私より人形みたいな言い回ししますね」


 今日朝食も昼食も抜いて動き回ったのは、廉太郎も同じだった。しかし、この二日間は常に小食のユーリアに合わせて食事をとっていたために、空腹でいることに慣れてしまっていたのだ。日に二食ずつしかとっていない。


「いいよ、俺は。全部食べなよ」

「いや……私にどれだけ食べさせるつもりなんですか」


 クリスが自分で選ばないものだから、一人分と思って適当に選んだ。しかし、考えてみれば子供の食べる量ではない。

 それでも廉太郎は、そのパンに手をつける気にはなれなかった。


「なぜです?」

「お腹空いてるのはユーリアも同じだろうから、俺だけ先に食べるのは悪い気がして」


 クリスは困ったように眉をひそめ、「愛情の向け方がやや気持ち悪いですね……」と苦笑いを浮かべた。

 愛情とはまた違うだろうと思ったが、反論はしなかった。


「お前の方こそ、食べないのかよ?」

「――さて問題です」

 

 唐突にクリスが切り出した。まるで待っていたかのようなタイミングで、クイズの出題者を気取りだす。

 何だ、そのテンション。


「私がこのパンを咀嚼そしゃくして飲み込むと、一体どうなるでしょうか?」

「はぁ?」


 少し気持ちの悪い話だが、考えるまでもない。口内でかみ砕かれた食物は、唾液と混じることによって消化されやすいものに変わる。それを飲み込むと食道を通り、胃の中へと……。


「あれ?」


 気づく。

 クリスの喉は抉られており、食道と気管が断ち切られている。喉元に空いた穴からは二本の管が覗いており、それが人工的に加工された気管と食道の切断面であることが予想できる。

 だから息を吸おうが水を飲もうが、道が通っていない。途中で行き場を失ってしまうのだ。


「――いやいや。吸った空気の通り道は、魔力で作ってるんだろう? 疑似気管ってやつ」


 欠けた筋肉も同様に、魔力を制御することで実体のない器官をあてがっている。ユーリアの疑似眼球も同じ技術だ。

 だからこそクリスは呼吸できているわけで、食事だって問題はないと思うのだが。


「これは構造上の欠陥ですが、形成できる疑似食道の強度が足りないんですよ」


 そんな重いことを、クリスはさらりと言った。


「なので問いの答えは、喉から吐いたみたいに気持ち悪いことになる――です」


 少し想像しかけて、あまりにも悲惨なのでやめておいた。


「じゃあ、どうやって食べるんだよ」

「この、喉元の管に直接入れてください。咀嚼の必要がない、流動食が好ましいですね」

「そ、そこから……?」


 そんなの、車にガソリンを給油するようなものではないか。とても食事とは言えない行為だ。


「せ、せめて植木鉢に水を与えるようだと言ってくれませんかね?」

 

 心に浮かんだ例えに不満があるのか、クリスが訂正を求める。が、本来自由であるはずの場所につけられた文句を受け入れる気などない。

 こちらからの文句だってあるのだ。


「なら、パン屋を選んだ時点で止めてくれればよかっただろうが」

「これは私の持ちネタです。面白おかしく紹介する義務があります」


 要らない手間を取らされたにしては、いまいち面白さが分からないネタだ。

 

「オチがないじゃん、この冗談」

「さすがの私も、公衆の場で嘔吐する気にはなれませんから」

「みたくねぇよ……っ」


 クリスは悪びれることもなく笑っている。冗談が好きなのは結構だが、節度くらいは持って欲しいものだ。


「じゃあしょうがない。どこか座れる店でスープでも頼もう」

 

 少し複雑な食事風景になるであろうために、道ばたですませることもできなくなった。店内でも相当奇異の目で見られるだろうが、ユーリアのいない今彼女の家に上がるわけにもいくまい。

 そう思いたって腰をあげたところで、不意に背後から声がかけられた。


「――楽しそうね、廉太郎くん?」


 振り返る。

 アイヴィ。

 金髪のエルフで、赤い服を好んで着る。ユーリアの母親代わり。


「探していたのよ? 今日も朝ごはんに来なかったし、迎えに行っても見つからないんだもの」


 クリスよりわずかに背が高い程度の、小柄な女性。

 いつもにこやかに笑っている彼女が、凍ったような表情で語りかけている。

 一目で分かった。

 絶対に怒っている。

 やはり、朝なにも告げずに行ってしまったのはまずかったか。心配させてしまっただろうし、それだけでは済まないのだ。

 ユーリアが廉太郎と共に動くのであれば、それは廉太郎の事情に巻きまれたことが明白。その上で協力してもらっている側が呑気に別行動しているのだから、母親であるアイヴィが心中穏やかでないのも当然だ。


「すみませんでした、アイヴィさん――」


 頭を下げる廉太郎を横目に、アイヴィはクリスに目を向けた。


「必要だって言っていた人形? そう、無事に手に入って、よかったわね……」


 事情を知っているアイヴィは、ひとまずの目標達成を喜んでくれた。かと思えば、目を閉じると「よりによって、この型……」と吐き捨てるように言う。

 その真意を掴みかねる前に、クリスが挨拶を振った。


「よろしくです。おっかないお姉さん」


 わざと油に火を注ぐように、茶化した声で。

 そうして差し出された手を、アイヴィはとらなかった。


「いえ、どうでもいいのよそんなこと」


 鼻から人形のことなど、眼中になかったのだろう。

 目を細めて、廉太郎に問う。 


「ユーリアは? ――あの子はどうして一緒じゃないの!?」


 これまでは、感情を抑えていたのだろう。

 せきを切ったように溢れたその感情を、黙って受け止める。

 痛ましいほどに震えた声だと、廉太郎は思った。



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