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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第四話 可愛い頼み事

「ねぇ、誰かいるの? 妙な気配がするんだけれど……」 


 部屋に入るなり、ユーリアは敏感に人形の息遣いを感じ取っていた。目の見えない彼女にとって、いるかいないか分からない存在は大きな不安要素。


「私です、私」 


 不安そうに室内を警戒する彼女へかけられた、主張するような本人の声。


「人形の子が起きたんだよ」


 一瞬驚いたユーリアが、次いだ廉太郎れんたろうの捕捉を聞いて納得したように、「あぁ、そう……」とだけ呟いた。

 いらぬ心配や警戒をしなくてすむようにと、簡単な説明を続けていく。


「それで、この子が言うにはもう俺との魂の繋がりは終わってるらしい。……実感はないけど」


 廉太郎が感じ取った変化は、今のところない。全ては人形の自己申告であり、確信はない。嘘を言われている可能性だって、ゼロとはいえないのだが――。


「いやいや……思考がちゃんと読めてるんですから、そこは信じてもらわないと」

「それもそうだ」


 脳内で生じた僅かな猜疑心さいぎしんでさえ、重箱の隅をつつく勢いで指摘されてしまう。 

 人を無暗に疑う趣味はないが、信じるというのも簡単ではない。

 信用できないのではなく、信用するにも心構えがいるということだ。

 心を読まれている以上存在する、廉太郎を騙すことが容易だというリスク。それを意識せずにはいられないからだ。


「良い感じにスリリングですね、廉太郎」

「言うなぁ、楽しそうに……」


 少なくとも言葉の端々に冗談の一つ二つは隠れてそうなものである。

 そんなことを考えていると、そのやり取りを聞いていたユーリアから静止がかかった。


「ちょ、ちょっと待って……」


 眉間にしわを寄せ、彼女は言った。


「混乱してるのだけど、廉太郎は今何がしたいの……?」

「何がって……」


 混乱させるようなことをしたつもりがない、廉太郎の方が混乱してしまうような反応。

 それに解を出すように人形は口を開き、つまらないことのように言った。


「人形と会話してるみたいで奇妙なんでしょうよ。こんな風に喋る個体は、私くらいですからね」


 ――人形。

 自我はなく、一挙手一投足は所有者のコントロールによるもの。当然、口にする言葉も一言一句その意思と指示に沿い、会話は成立しない。

 それが聞かされた話であったと、廉太郎は今さらながらに思い出した。


「えっ……じゃあ今のこの会話、どう思われてるんだ?」 

「急に始まった腹話術での一人劇とか?」

「されたくないな、そんな奇妙な誤解……」


 とんだ変人扱いだ。


「どれどれ、てっとりばやく挨拶でもかましてみますかね」


 言葉と共に、一歩踏み出した人形。

 妙なことはするな――そんな無言の懇願を横目に無視。人形は、ユーリアの傍までその足を近づけていく。

 そして、迷うことなくその手をとってしまった。


「ほぼ、初めまして」

「……え?」

 

 握手。

 ユーリアが身体接触を拒んでいることは人形も知っているはずだ。意識的にも無意識的にも、心の中で何度も警告を発している。

 悪意のある行動。かといって悪びれもせず、また危うい行動だと分かってもいるだろうに。


「馬鹿――」


 止められなかった非は廉太郎にある。特にこの、触覚が完全に働いている状態のユーリアにとって、接触はかなりの精神的な負担。

 そんな風にはらはらと、事の収束を願っていた。

 すると。


「……あれ?」


 不意にユーリアは、空いた手を人形の頭に乗せてしまった。

 拒絶でも戸惑うでもなく、感触を確かめるようにまさぐってもいる。

 傍目には妹を撫でている姉のようにも見えるようだが、微笑ましい空気は流れていない。

 欠片も。


「……廉太郎。これは何かの冗談なの?」


 怒っているわけではないようだが、穏やかな声色とは言えない。 

 嫌いそうなものだ、この類の冗談は。

 反対に、人形はというとこの手の冗談が好きでしょうがないのだろう。余裕がある平時ならまだしも、今のユーリアに相手させるのはあまりに酷な相手。

 というか、事情を把握していない彼女には、廉太郎がけしかけたものだと確実に誤解されている。


「俺は……何もしてないよ」


 上手い言い訳が思いつかず、咄嗟に話題を逸らす。


「というか、平気なの? 触っていても」

「別に。私が触れないのは、生き物だけよ」


 ――人間と何一つ体の構成が変わらずとも、人形は生き物ですらない。

 ――人工的に造られ、腹から産まれていないというだけで無機物同然。


 今の状況を捉えると、言葉以上に奇妙な話だ。

 現にユーリアが触れている頭皮と髪の感触は、人間と何も変わらないだろうに。

 しかし、生き物とは何かという議論を始めるような状況でもない。いずれ話してみたいことではあるが、それはユーリアが魔力を回復させてからでもいい。

 

「――あぁ、そうだ。さっきその子の攻撃から俺をかばってくれた時、触れさせちゃったな……」


 唐突に思い出して、すまないという気持ちが湧いてくる。

 文字通り一瞬の内に起きたことだが、あの時ユーリアは廉太郎を救い、勢いのままに下敷きにまでなってくれた。

 その時の接触は、手のひらなどでは済まなかった。


「いいわよ? 気にしなくても」


 有耶無耶うやむやにできないような、謝罪が必要なものだと思っていただけに、その返答はあまりに軽く感じられて、肩透かしを食らったような気分になった。

 続けて、ユーリアは閉じた瞳の下で僅かな笑みを作り、言った。


「――まぁ私から誰かに触れるのは、自分で自分の爪を剥がすくらいの抵抗感があるのだけど」

「ごめんなさいっ……!」


 全く責めるような音色が込められていないのに、それがこの上ないほどの非難となって廉太郎に突き刺さる。

 表情は穏やかだが、その実怒りを抑えているのだと思うと気が気でない。怒るとなったらあの短気を見せるユーリアが表情一つ変えないのが、逆に怖かった。

 それだけのことをさせたのかと、怖かった。


「歯をペンチで抜くくらいの覚悟がいるのだけど」


 絶句する。

 重ね重ね、驚嘆きょうたんさせられる。

 想像はしていたものの、彼女の接触嫌悪はそれを遥かに超えていた。


「本当に、ごめん……君にそんなことを強いるなんて――」

「それでも、あなたの命と比べることじゃないわ」


 楽しそうに、ユーリアは笑った。

 瞳を閉じていても、彼女の表情はとても豊かだ。

 

「当たり前でしょう?」


 それは受け取る準備もできていなかったような、そんな嬉しく、また光栄な言葉で。


「あ、ありがとう……」


 真っすぐに目を見つめられているような錯覚を覚え、面映おもはゆい気持ちでたまらなくなる。

 気配で、それは伝わってしまっただろう。

 喉を鳴らす愉快気なユーリアの様子で、冗談でからかわれたのだと分かった。

 いや、触れることによる苦痛自体に誇張はないのだろう。しかし、廉太郎を責めるような口ぶりで振ってみたことに関しては、冗談だったのだと分かる。

 思えば、ユーリアが冗談らしい冗談を言ったのはこれが初めてではないか。

 正確には聞いていなかったと言うだけで、知らなかっただけだ。

 ――彼女は、こんな風に冗談も言う人なのだと。

 

「……いい感じの空気になりましたね」

「お前が険悪にしかけた空気なんだけど」


 しみじみと言った人形の台詞に言葉を重ねることで、その意図することを有耶無耶にしておく。

 すると、ユーリアは何事かを思い出したかのように、落ち着かない様子で廉太郎を伺い始めた。


「その……ここで振ると庇ったことへのお礼を求めるみたいで、嫌な言い方にはなると思うのだけど、一つ頼んでもいいかしら?」

「何でも」


 廉太郎はすぐにそう答えた。


「その……」


 しかし彼女は珍しいことに、言い淀んでいるようだった。

 手置き代わりに使っていた人形の頭から手を離し、覚束ない足取りでベッドを探し、腰を落ち着けた。

 しばらく無言の間が空いたのちに、ユーリアは、すまなそうに口を開いた。


「私達の乗って来た車、壊れてしまったようなのよ。だから、本当に悪いとは思うのだけど……代車を用意してきてくれないかしら?」

「いいよ」


 どれだけ重い頼み事かと思えば、言ってしまえばただのお使い。

 むしろこんなことでいいのかと、物足りなさを覚えるほど。ユーリアの頼みであれば、それがどれだけのことであろうとも聞いてやりたいと思うのに。


「いいの……?」

「町に戻って借りてくればいいんだろう? 大丈夫、大したことじゃないよ」


 目も見えず、体力的にも精神的にも疲労しているユーリアに徒歩での帰宅はさせられない。

 徒歩で帰るとなると時間は要するが、日が暮れるまでには戻ってこれるはずだ。

 早々に気持ちを固めると、人形が、


「えぇ……私、歩くの苦手なんですよね」

 

 と抗議するように不平を漏らす。

 慌てて、ユーリアへのフォローを入れた。


「お前が今それを言うと、俺が行きたくないのかと思われるだろうが……」


 会話が不便なので、早いところユーリアにこの饒舌じょうぜつな人形を認知してもらいたい。しかし、それには目でみながら判断してもらったほうが受け入れやすい……ようにも思う。

 紹介は、ユーリアが魔力と視界を回復させてからだ。

 どのみち、車を取りに戻るなら早く出発したほうがいい。


「別に、お前はここで待っていていいよ」

「いえ、私も行きます。道中一人では寂しいでしょうし」

「別に寂しくはないけど……」


 一人では不安だったのも事実だ。行動を共にしてくれるのなら、それはありがたい。なにより、まだよく分かっていない人形を、無防備なユーリアに預けるのも抵抗がある。


「じゃあ、行ってくるよ。なるべく早く戻るけど……」

「気にしないで。私はここで睡眠をとっているから」


 そう言ってベッドに横たわったのを確認し、部屋を出ると、廉太郎は静かに戸を閉めた。

 そのまま階段を下りる廉太郎に付き従って、人形が軽快な声を飛ばしてきた。


「夫婦みたいな会話でしたね」

「お前は本当に……言って欲しくないことばかり言うな」


 本人の目の前で言われていた場合を想像すると、ここが階段でよかったと心から思う。

 そんな動揺を見抜かれて、手の内で転がされている自覚がある。囁くように、人形は言葉を続けていった。


「可愛いですね、ユーリアさん。噂で聞いていた彼女は仏頂面なイメージばかりだったので、驚きです」

「……まぁ、町の人間にはあたり強いからなあ」


 しかし、家族や友人に見せるユーリアの態度はいつも穏やかで、表情に富んでいる。

 外で見せる彼女しか知らない人間が見たら、きっと驚くのだろう。

 そう思うと、少しだけ優越感に似た感情が湧いてくる。


「可愛いってことを否定しないんですね」


 心を見透かしたような、からかう声。


「そこをどう否定しろって言うんだよ」


 人形の軽口に対抗するように、冗談交じりの返答を返す。

 少なくとも、女の子に対して可愛くないとは言えない。


「えっ、ちなみに私はどうですか?」

「お前は……女の子って前に子どもって感じなんだけど」


 しかも、前に『生意気な』がつく。

 距離感に関しても、もうなんだか親戚の子どもくらいに思え始めていた。


「それはよかったです。うっかり惚れられてしまったらどうしようかと思いましたよ」

  

 そう言ってくつくつと笑う様子からは、どこまで冗談なのかが分かりにくい。

 それにしてもこれまで知り合った人たちと同様に自己評価が高い。この世界の女性は、皆容姿に自信があるのだろうか。


「妹より歳下の子どもに、惚れるわけないだろう」

「そうですか。よかったですね、ユーリアさんは同い年で」

「そうだなぁ……」


 正確には、ユーリアは一つ上の十八歳。

 もし同じ学校に通っていたのなら、一つ上の卒業生だったろうか。それとも、同じ学年の人だったのだろうか。

 ――気になる。誕生日が知りたいものだ。

 それにはこの世界の暦を把握して、元の世界のものと照らし合わせなければならない。

 否、そもそも世界が違うのであれば、日の長さや歳の数えだって違うのか……そう思ったところで目に留まる、今にも噴き出しそうな人形の顔。

 それを見て、一瞬で失言に気付く。


「違うよ? 変に気を遣ったり、遣われたりしなくてよかったなって意味だからな?」

「私は何も言ってませんが」


 表情に全てが書いてある。

 分かりやすい。

 このようにからかい半分で接されるのは業腹だが、少なくとも、考えてることがこちらからだけ全く分からないような相手ではなくてよかったと、心から思う。

 


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