第二話 「ファーストコンタクトは印象勝負ですよ」
どうやら心配はいらなかったことを確認すると、廉太郎はそそくさと脱衣所の前から退散していた。
そのまま二階にあがる。外で倒れた人形をベッドに寝かせておいた一室に向かって。
「そろそろ起きてるかな……あいつ」
起きたとして、それで上手くコミュニケーションがとれるだろうか。
人形が言葉を話すのは確認していたが、これまで廉太郎とは意思疎通を拒んでいたように見える。
仕切り直しのファーストコンタクト。失敗は、あまりしたくない。
廉太郎はドアを開けた。
ノックはしなかった。
「……あ」
「ん?」
てっきりまだ目覚めていないと思っていたが、しかし人形の少女は起きていた。気だるげに、ベッドの上で体を起こしている。
ドアを開けてすぐ、目が合ってしまった。
改めて見ると、異様さを感じさせられる。
薄い黄色の瞳は、あどけなさが隠せていない。小学生のような体躯に、不釣り合いなほど長い空色の髪。季節感も、サイズも合っていない分厚いコートを着こんだまま。
全てがちぐはぐで、まとまりを欠いているように思えた。
その姿かたちも、これまでの言動も。
「ふっ……」
少女は、不意に笑みをこぼした。
それからわざとらしく、芝居がかかった口調で廉太郎に告げる。
「ようこそ、こちらの世界へ」
「な、なに……?」
第一声は予想だにしないものだった。意図するものが捉えられず困惑する廉太郎に、追い打ちをかけるように、少女は口を動かしていく。
「そちら的に、剣と魔法の世界ってやつですかね? 魔王はいませんが世界は終わりそうです」
「待って、話についていけない……」
冗談のようなくちぶりで、そのようにしか聞こえないのに。そこに無視できない点が見え隠れしてしまう。
否応なく。
「えぇと……なんで俺がこの世界の人間じゃないって知ってるんだよ、既に」
「当然でしょう? もう我々は繋がっているんですよ……娵府廉太郎?」
楽しそうに名を呼ばれて、廉太郎は少女の言葉の意味を吟味する。
魂で繋がる――それは、人形と人間の関係そのもを指す。
その繋がりが廉太郎と少女の間にあるということは、当初の目的が既に果たされているということでもある。
廉太郎の魂に蓄えられた、行き場のない魔力を逃がす穴が開いたのだ。
「そっか……もう、済んでいたんだな」
これから何らかの段階なり手順なりを踏んだ、手続きがあるものかと思っていただけに、肩透かしを食らった気分になる。
「まぁ、今回の契約はだいぶイレギュラーでしたけども」
くつくつと、少女は目を閉じつつ笑う。
先ほどから何が面白いのか。よく笑う子どもだと思った。
「で……それが俺のことを知っちゃったことと、どう関係するわけ?」
当然の疑問、だったのだが。
「はぁ? 経験あるんでしょうが」
少女に、呆れかえったような表情で返されてしまう。
「経験なんてないよ――いや」
確かに、経験はしていた。
一昨日のことだ。忘れもしない。
ロゼに魂を調べてもらって、ずいぶんな事を引き起こしてしまった。
その際何が起こったのか考えれば、少女の言葉にも説明がつく。
つまり。
「えっ……まさか、心の中が読まれてるってこと?」
魂に触れたロゼには、廉太郎がその場で考えていることが全て筒抜けになっていた。
それだけではなく、魂に記録された記憶や知識まで曝け出すことになったのだが。それはかなりの心理的な抵抗感を伴うもので、できれば二度と味わいたくないと思っていた。
「そうですが」
返って来た残酷な肯定に、いよいよ眩暈がしそうになる。
「まじかよ……」
「まじですが」
「聞いてないよ、そんなこと……」
ロゼの時は一時的な繋がりだったからいいものの、人形との契約は半永久的。その間常に心を監視されているのかと思うと、他に手はなかったといえ文句の一つ二つ抱えたくなる。
「いや、聞いといてくださいよ。それくらい……」
こんな不平、人形である彼女にとっては知ったことではない――どころか、勝手な話だろう。
契約書を読まずに判子を押したようなものなのだから。
「だって、まだ契約は先の予定だったんだし……」
詳細を調べ損ねてしまった。
落ち度――否、覚悟がまだできていなかっただけだ。
どの道、受け入れなければならなかった事実。
深呼吸を、一つ。
「――それで……驚いたりしないのかい?」
「はははっ! まさか、これでも仰天してるんですよ」
別世界の存在を受け入れるのが早すぎる。ユーリアもロゼも最終的には信じてくれたものの、彼女たちのようにワンクッション置いてみようとする気さえ、さらさらないようだった。
――まぁそれは、幼さ故の柔軟さ……なのかもしれないけど。
再び、深い息を吐いた。
「なぁ、頼むからそんな見ないでくれよ……恥ずかしいから」
「自分の部屋でつけっぱなしのテレビを、意識から逸らせますか?」
――テレビって……学習が早すぎるだろうが。
「……むずかしいな、それは」
妙に現実的な例えのせいで、監視されているという圧迫感がより増してしまう。
「感情や思考がテレビならば、知識や記録は本ですね。そちらは意識的を向けなければ読み取れません」
少女の言葉は嫌に分かりやすい。廉太郎の知識をある程度共有しているがゆえに、理解できる言葉をわざわざ選んでいるようだった。
その気遣いは助かるものの、その思慮深さはやはり見た目にそぐわない。
「じゃあ、本だけはしまっといてくれるか?」
「嫌です」
「……なに?」
かと思えば、了承されてしかるべき頼みさえ迷うことなく切り捨てられる。
少女のことが何一つつかめないまま、主導権を握られているような気分になった。
「別世界の本ですよ? 覗きたくないわけがない。非常に、魅力的ですからね」
その声は弾んでいた。年相応に。
異世界の知識を持つ者が急に現れて、しかもその者の記録に触れ放題ともなれば、わくわくする気持ちも分からないでもない。
触れられる方は、たまったものではないのだが。
「……やめてくれよ」
廉太郎は顔をしかめた。
人が嫌がることを止めようとしない少女の子どもらしさに、少々の苛立ちを覚えてしまう。
そんな廉太郎の様子を、少女は値踏みするように眺めていた。心の中を覗かれているのだから、何を考えているのかは言わずとも伝わる。
「一つ、正しておきます」
少女は、改まって告げた。
「私は誰の指図も受けませんよ」
「……うん?」
「持ち主だろうが人間様だろうが、私には知ったことではありませんし? やりたいようにやるだけです」
「聞いていた話とは、だいぶ違うみたいだけど?」
――人形は人が作った兵器で、自我はなく、自由に話すこともない。
何一つとして当て嵌まらない。彼女を人形として所有しても、制御は一切できそうにない。
「私は特別な個体ですから」
そう言って悪戯な笑みを浮かべている。それがやたらと似合っていて、何を言っても無駄なのだろうと思わされてしまう。
彼女の人となりが、だんだんと掴めかけてきた。
「なるほど、だから俺が嫌がったとしても知ったことではないと……良い性格してるな、お前」
「ははっ……災難でしたね廉太郎、せっかく手に入れた人形が私なんかで」
返した笑顔は、軽く引きつっていた。その反応を楽しむように、少女は愉快そうに笑っている。
我を通すのは結構なことだが、それにしても人が嫌がることを躊躇わないのは単純に嫌な奴だとも思ってしまう。
しかしその性格の悪さ自体は、不思議なことに不快ではない。
「それとも、骨を砕いて喉も目も潰して……そうやって従わせようとしてみますか? ――こんな風に」
少女は言葉と共に、おもむろに外套を脱いだ。
その晒された体を見て、分かってしまった。
「……やめろ、わかったよ。全部諦めるから、しまってくれ」
その言葉は悪趣味な冗談などではなかった。
彼女の体は、欠けていた。
――両腕、両足、喉元。
今まで大ぶりの外套に覆われていたその三か所は、廉太郎の知識では形容できない形に歪められている。
肉が抉れている。
本来そこにあるはずの筋肉や血管が消失し、骨らしきものが見えている。骨は人工物のような無機質なものに代替させられており、言葉ほどの生々しさは感じられない。
それで生きて、動けているのはこの世界の魔法技術に違いあるまい。
――問題は、なぜそんな体になっているのかということ。
自然にできた損傷ではない。明らかに人の手によって与えられた傷だ。
傷をつけられたというより、人体を加工されたようにすら見える。
小奇麗に整えられた、工芸品の細工のような、欠落と欠損。
彼女の言葉通りに解釈するのなら、それは彼女の、命令を受け入れないという特異性に対して科せられた処置――おそらくは行動を縛り、強制するような。
そして、彼女がそれに懲りることもなく、屈することもなかったのであろうことも、十分察せられる。
あまりにも凄惨。
しかし、嫌悪感は抱かなかった。
いっそ、綺麗だとさえ感じてしまう。
それは、あまりにも勝ち誇るように見せつけてきたからだ。
これが少しでも卑屈な態度であったのなら、そんな風にはとても思えなかっただろう。
「お前……」
「おっと、冗談でしたのに。思いのほか動揺しましたね」
平静を必死で保とうとする廉太郎の心を文字通り見透かしながら、仕舞えという言葉を無視するように服を脱ぎ続けていく。
いろいろと合点のいく体だった。
走ろうとしなかったのも、無理はない。
見た目より遥かに軽かったのも当然だ。
「それで、お前は……これからどうするんだ?」
彼女が人形として特別なのは、このように自我がある点なのだろう。だとすれば、同意なく廉太郎の都合でいいように機能を使うことはできない。どこぞに消えてしまおうとも、それは彼女の自由なのだ。
廉太郎にそれをどうこうする権利は何もない。
「あっ、いえ……あなたの事情はおぼろげながら分かってますし、心配しなくてもいいですよ。私のことは予定通り使ってくれて結構です」
「それは……助かることだけど」
意外にも、すんなりと受け入れてくれる。
自我の明らかな彼女にとって、それは人権を無視されるほどの不自由な立場であろうに。
そう考えると、魂を読まれる程度の見返りは本来、文句を言うべきですらなかったのかもしれない。
「そうだな……それだけで、俺はお前に感謝しなければいけないよな」
――考えてみれば、当然の話で。
目の前にいる彼女は、当初考えていたような道具ではない。
人間。それを、廉太郎は自分の人生に巻き込んだのだ。その関係に責任を持たなければならない。
今さらながらそれが罪深いことであり、重荷であるとすら感じてしまう。
「――ありがとう」
謝罪は、したところで何の意味もない。
深い思いを込めて頭を下げた廉太郎に対し、少女は焦ったような声と共に制止をかけた。
「いやいや、重く捉えないでいいですよ? 単に、私にとってもあなたが必要ってだけですから」
「俺が……?」
「私はこうして人みたいにしゃべってますが、魂も魔力もないのでね。この体を動かすのに、誰かから魔力を貰わないといけないんですよ」
「あぁ……」
――彼女の、異様な体。
筋肉の欠けた手足。気管すら繋がっていない喉。
歩くことも呼吸することも、本来は不可能なはずだ。それを可能にしているのが、魔法による機能維持なのだろう。
似たようなことをしている人を、廉太郎はよく知っていた。
ユーリアが形成する疑似眼球。あれも彼女の魔力によって造られ、機能している。
「そっか、じゃあ……」
「はい。これからよろしくですね」
「あぁ、よろしく」
「――楽しくやりましょう。面白可笑しくね」
彼女は片目を閉じて、冗談っぽくそう言った。
そのまま、小さな手が差し出される。
果たしてこの奇抜な少女とうまくやっていけるかどうかは不安だったが、とても退屈はできそうにないだろうとも、廉太郎は思った。