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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第一話 親しくなる時間

 倒れた人形を、廉太郎れんたろうはそっと抱きかかえた。元の持ち主であるグライフが塵一つ残さず消滅したきり、意識を失ったままだ。

 理屈は分からないが、息はしている。

 大事はない。

 こうして目を閉じていると、本当に人間と――ただの子どもと、見分けがつかなくなる。振る舞いに違和感を覚えることがないからだ。

 小学生のような背丈。 

 とても軽く、幼い。


「それで……大丈夫?」


 ユーリアは返事を返さなかった。人形と同じく地に倒れたきり、身動きをしていない。

 人形は安らかに眠っているかのようだったが、ユーリアのほうはとても大丈夫そうには見えなかった。どこを負傷したわけでもなく、意識もあるようだが、それでも立ち上がれない程に弱っている。

 視力を確保する魔力も、五感を制御する魔力もないのだろう。散り際のグライフが残した死臭にあてられて、昏倒してしまう程だ。

 そんな状態で戦う羽目に、戦わせる羽目になったのかと思うと、背筋が凍りそうになる。


「き、気分が――」


 絞り出すような声。

 それが胸に刺さる。


「気分が悪くて……」

「じゃあ早く帰……あ、いや……少し休んでいこうか?」


 車にも酷く酔うのだった、この状態の彼女は。


「そう……させてもらうわ」


 痛むように頭を押さえながら、ユーリアは体を起こした。

 

「休むなら、家屋に入ろう。ベッドもあったし、タオルくらいあるだろうから」









「さて」


 ほどなくして、廉太郎は風呂場に入っていた。

 風呂にではない。


 ――体を洗いたい。

 

 そう言ったユーリアの体は泥に汚れていたし、そのままベッドに横たわる気にはなれないようだった。

 それでなぜ廉太郎が風呂場に立ち入っているのかと言えば、それは設備を点検するためだ。

 浴室の構造はユーリアの家のそれと似通っており、同じ技術でシャワーが使えるはずだ。しかし、どこをどう弄っても水は流れなかった。

 誰に管理されているわけでもない集落の一軒だ。故障しているのか、水がもう通っていないのかのどちらかなのだろう。

 近場にあった井戸から水をくみ上げ、急いで風呂場まで運ぶ。ついでに、道具を借りて軽い清掃まで済ませておく。

 着替えの服も体を拭くタオルも、適当な物を見つけることができた。

 それで、準備は整ったはずなのだが。


「うーん……」


 あれこれと、思い悩まされてしまう。


「廉太郎、まだ……?」


 脱衣所で待つユーリアが、落ち着かない調子で催促している。気を害したわけでもないだろうが、汚れたままでいるのが相当に耐え難いようだった。


「あ、いや……もういいよ。ごめん、時間かけて」


 そう答えて、脱衣所から退室。しかしその扉を固く閉ざしても、離れる気にはなれなかった。

 扉越しに、気配を感じる。

 布ずれの音と、浴室に消える音。それらを、はらはらしながら聞いていた。

 心配で、気が気でなくて。 


 ――盲目の人間とは、一人で体を洗えるものなのだろうかと。


 風呂場での事故は、ただでさえとても多いものだから。

 廉太郎は介護士でもなければ、視覚障害への知識があるわけでもない。

 だからこれは余計なお世話。当人であるユーリアは言及していない以上、押し付けた善意で無礼ですらある。

 それでも、ユーリアは普段から暗闇に慣れているわけではない。それに気分も悪くしているし、疲れ切ってもいる。

 よって、心配せずにはいられないのだ。


 ――まぁ湯船に浸かるわけじゃないし、足を滑らせるようなことも……。


 足を取られそうな物は排除している。浴室の構造や状況も、口頭で詳しく伝えておいた。何に躓くことも、ぶつけることもないだろう。

 打てる手はもうない。それでも、万が一に備えて注意を払っていた。


「――そこにいるの?」


 そう、浴室からの声が耳に届く。

 動かない廉太郎の気配を感じ取ったのだろう。


「えっと……」


 気まずい。

 というか、そこで初めて焦りを覚えた。

 相手があいてなら、ユーリアでなければ、警戒されてもおかしくない行為だ。


「別に、変な事は考えてないよ。その……心配しちゃっただけで」


 声を平静に保つのが、思いのほか難しかった。後ろめたさが発言の前後、二重にあったからだ。


「心配?」

「……その、目が」

「あぁ、ありがとう」


 納得したように朗らかな声が届き、言葉が続く。


「でも平気よ。そんなに気を使わなくて」

「……そうだね、君は強いから」


 初めて会った日の夜も、彼女は今以上に消耗していて、目も見えていなかった。それでも、決して助けを求めようとはしなかったし、弱みを見せようともしなかった。 

 それは少しだけ気がかりというか、逆に心配にもなる性格。だけど、その強さは確かなものだろう。

 

「強い、か……そのはずなんだけどね」


 ユーリアが溜息を吐いたのが、二枚の扉越しでも感じ取られた。


「それでも今回は、我ながらぞっとするくらい力不足だったわ。――あなたを、危険な目に合わせてしまった」

「そ、そんなことは……」


 思いがけない言葉、というわけでもなかった。

 彼女が苦戦した理由を、廉太郎は詳しく知らない。それでも、本来の力を発揮できていない……活かせていないということは感じ取っていた。

 それは彼女にとって――自信家で、確かに強い彼女にとって――どれだけ歯がゆい思いだったのだろう。


「今振り返れば、私のしたことは全部失敗だった……」


 悔やむような、消え入りそうな声だった。

 廉太郎は、彼女が何を後悔しているのかが分かってしまった。


 ――そもそも、こんな戦闘になることが想定できていたら廉太郎を連れてくることもなく、危険な目に合わせることもなかった。

 ――人形が無抵抗でいるなんて、勝手な思い込みで廉太郎を死なせかけた。


 きっとそんなところ。

 それらをユーリアの過失だと思う気持ちも、責める気持ちもなかったけれど、彼女がそう考えるであろうことはなんとなく分かる。


「あなたを守るつもりだったのに、振り返ってみれば逆に助けまで借りて……何をやっているんだか」

 少しでも助けになれたのだろうか。ならば、それはこの上なく嬉しいことだというのに。

 そんな風に、後ろめたいことのように捉えてほしくはない……そう思うと、切ない気持ちにさせられてしまう。


「ごめんなさい。私には、人を守る才能が――」

「――いや」


 謝罪の言葉などとても受け取れるはずがなく、口にさせてはならないものだと強く思う。 


「君にどれだけ守ってもらったと思ってるんだよ。別に、今日のことだけじゃなく」


 明らかなことなのに、わざわざ言わなければ伝わらないのだろうか。

 ――案外、そういうものなのかもしれない。助けた側は大したことには思っておらず、助けた自覚にすら薄いのだと。

 それは、なんて大物然とした在り方なのだろう。


「それに、今日危険な目にあったのは君も同じだろう?」


 そしてそれは廉太郎のためで、廉太郎のせいだ。

 だから、謝るのも感謝するのも廉太郎のほう。


「本当は面と向かって、落ち着いて言いたかったことだけど」


 そのせいで、まだ言葉を作っていない。

 謝るのはこの場合、失礼なんだろう。善意で手を貸してくれたのだから。

 ならばせめて、お礼だけには気持ちを込めなければ。

 それで何に感謝するのかといえば、一言で纏めるのはとても難しい。


「……いつもありがとう」

 

 聞こえただろうか。


「いつも? 会ってまだ四日目よ」


 呟きのような声に返された、からかうような快活な声。

 廉太郎にとってそれは声量も思いもとても足りていない言葉なのに、ユーリアにとっては大げさなものでしかないらしい。


 ――あぁ、このひとは本当に、どれだけ俺の力になってくれてるか自覚してないんだ……。


 自信家で、かと思えば無自覚的。意外と、自虐的なところもある。

 多くの面を見せてくれたものだ。

 彼女の言う通り、たった数日で。


「なんだ……まだ、それしか経っていないのか」


 少し、信じがたい。

 気安いと言えるほど遠慮がないわけではないし、むしろ傍にいて緊張させられることも多いけれど。

 それでも、長年気の合い続けた友達といるかのように心安い。

 勝手の分からない世界でも、安心していられる。






――――





 グライフが病棟を脱するという意思を、人形は強く支持していた。

 それが無意味なものだとしても、どうせ死ぬのが同じであれば、駄々くらいこねてもいいだろうから。

 病棟の一室はとても広く、快適で、食べ物にも娯楽にも困らなかった。話し相手すら、グライフにはあった。

 何不自由のないおりだったが、檻であるがゆえに自由はなかった。


「最後の最期でようやく息が合いましたね。頑固な中年の心は、私なんかにはまだ早かったようですから」


 あの決行時、病室内で、これから破壊する厚い壁を撫でながら、人形の少女は楽しそうに笑っていた。

 この男と一緒になって以来、概ね平凡で、退屈な日々が続いていたから。


「だろうな。俺も女児の心など、理解するのに一年かかった」

「だから、私に心なんてないんですけどね」


 こんなやりとりも、思い返せばしばらく繰り返したものだ。

 自分のようにおしゃべりな人形も珍しいが、かといって人形を人扱いする者もまた稀有。

 だからこそこの男は、一目でそこに至った娵府廉太郎よめくられんたろうという男が気に障ったのだろう。

 死にゆく者の嫉妬。

 しかし、心中まで図られるとは……我ながら良く好かれたものだと、おかしくなってしかたがない。

 遊びにでも行くように、酷く愉快な気分だった。

 ふと、耳に残ったままの男の言葉に気がついた。


「一年……あぁ、そんなに一緒にいたんですね、私達」


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