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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第一章 越境のアジャスト
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第三十八話 目に見える光

「……え?」


 顔を見なくても、ユーリアが困惑しているのは分かる。

 何を言っているのか分からないのだろう。しかし、これは廉太郎れんたろうにとっては大事なことだった。

 ユーリアと出会った時のことを思い出す。

 彼女は酷い怪我を負い、目も視えていなかった。

 そんな状態で獣に襲われようが、まだ名も顔も知らないままの廉太郎を逃がそうと、一人暗闇の中に立っていた。

 人の手を借りることに、異様なほど消極的。

 この数日、ユーリアとは気が合ったろうと思う。

 気に入らないと思ったのは、その一件だけだ。

 だから、


「あの人形の子は……俺に任せてくれ」


 ほとんど何も考えずにそう言っていた。


「――な、何を言ってるの!?」


 当然の反応だと、廉太郎は思った。

 今しがた、二度もユーリアに助けられたばかり。

 正気ではない。 

 それを重々承知しながらも、廉太郎はそうするべきだと思っていた。

 死ぬのは――そこまで怖くない。

 それよりも、ユーリアが死ぬことのほうが恐ろしい。あってはならないことだと思う。

 彼女が死ぬのであれば、それは廉太郎の都合に巻き込んだせいだから。

 仮にそうなったとして、その後自分一人だけ逃げ延びることはありえない。逃げたとしても、町に戻る気にはならないだろう。

 誰に、どう顔向けしろというのだ。


「自分でも、おかしいとは思うけど……」


 ユーリアは、本当に助けなど求めなくていいくらいに強い力を持っているのだろう。それは分かった。

 しかし、現に苦戦しているのも十分わかっている。

 そして、いかに苦戦しようとも、彼女は敵に背を向けて逃げ出さないであろうことも。


「それでも……きっと必要だと思うし、無理じゃないと思うんだ」


 自分にできそうなことがあるならば、やらなければならないと思う。

 ユーリアの負担を少しでも減らすことで、彼女が負傷する万が一の可能性を、可能な限り無くしたい。

 無謀だが、無策ではない。

 勝算もある。


「無理じゃないって……?」

「あの子は、俺に対して本気で攻撃してこようとしない」


 ユーリアに対する攻撃と比べれば、遥かにぬるい。

 人形には意思があり知性があり、意図さえあるのだと確信した。

 攻撃はして、殺そうともしてくるが、対処可能な余地をわざと与えてくる。

 何かを求めるような、試すような行動。


「気のせいよ! そんな分別のある加減なんて利いてないわ」


 ユーリアの目には、人形を不安定に操るグライフの姿しか映っていない。人形の自我など、疑ってもいないのだ。

 それが切なく、もどかしくなる。

 廉太郎はすでに、人形の持つ一個の人格を信じている。相対して、肌で感じ取っている。

 なのに、それをこの世界の誰とも、ユーリアと共有することができない。

 世界間によって、隔絶されている。


「……そうか、寂しいんだ。それが――」


 生まれた世界が違うことで、どうしても分かり合えないことがあるということ。

 らしくもなく、あの人形に惹かれている理由に、そこで唐突に気付いた。

 あれが人間と変わらないことを証明したいのだ。この世界の、白日の下にさらしてやりたい。

 きっと、それは驚くほど容易い。

 そのために、人形を手に入れたいと心から思う。


「らしくないわよ……お願いだから、言うことを――」


 懇願するようなユーリアの声。それが、途中で断ち切られる。

 グライフと、人形が活動を再開。

 唸りをあげ、異形の巨体が足を踏み出していた。


「あぁ……もうッ――!」


 ユーリアは前に出て注意を引き付けると、諦めたように言葉を残す。


「また少し引き離してあげるから、好きにしなさい……」


 どこかなげやりで、それでいて力づけるような声だった。




――



 本当に言いたかったのは、言うべきだったのは、ただ逃げろという一言。

 しかし、意見は対立する。言い争うだけの僅かな時間すら惜しかった。

 それに、他人を説得するのは、ユーリアが最も苦手とすることでもある。


「私は……ど、どうすれば――」


 内心、動揺は止まらない。

 未だグライフとの戦闘に突破口は見えない。打倒するのには時間がかかる。

 悠長に戦っている今も、廉太郎が殺されるのを待っているようなものだ。

 かといって今さらどうすべきか、ユーリアには答えが出せなかった。

 勝機が薄い。余裕がない。

 両の目を潰しても、グライフは正確に標的を追ってくる。他に与えたダメージも決定打には至っていない。

 急所が、急所として機能していない。生き物とは体構造が根本から異なっている。

 

「あぁ、もうッ――! なんて、しょうもない……っ」


 泣きたくなるような無力感。

 対人戦闘で無敵と持てはやされていた。誰よりも強い自負はある。

 なのに、肝心な状況下ではなす術が何もない。

 

「ウゥ――」


 振り下ろされた右腕部を、胸が締め付けられるような焦燥の中、目で追った。

 懐に潜り込むように回避。

 変わらず、敵の攻撃を躱すことは容易い。

 こんなことを繰り返して、敵の消耗と隙を伺っている。

 しかし、


「――ぐぅッ!」


 疲労が蓄積しているのは、ユーリアも同じことだった。

 肉体の疲労――それだけではない。

 長時間の魔術行使による魂への負荷。加えて、残存魔力の枯渇。

 それらが合わさり、一時的に加速していた肉体の動きが通常の速度に引き戻されていく。

 強制的な魔術の解除に、想定した回避行動がとれなくなる。


 ――焦るな、私……っ。


 視認速度だけが強化されたままのスローモーションの世界で、同じくスローになってしまった体を必死で動かす。

 頭を逸らし、地に倒れるように攻撃を回避。

 眼前を、鋭利な爪先が掠めていった。

 風圧で、髪がなびく。


「――ッ」


 触れられた悪寒が、ぞくりと神経を走る。

 その一撃はユーリアの疑似眼球、表面薄皮一枚を撫でて空を切っていた。

 目に、僅かな損傷。

 繊細な魔力制御によって保たれていた、疑似眼球の構造と機能が破壊されてしまう。

 視界が歪み、立っていることすら難しい。回避するために崩していた体のバランスそのままに、頭から地に転倒してしまう。

 地はぬかるんでいた。

 知らぬ内に、湿地帯にまで足を踏み入れていたことに気づく。


「……最悪」


 酷く不快だった。

 泥水が服を濡らし、髪を汚す。立ち上がろうと地に突いた手と腕に、容易に落ちない泥が付着して泣きそうになる。

 嫌悪感は五感と乖離している。制御できるものではない。


「なんて、無様な……」


 振り払うように吐き捨て、立ち上がった。

 壊れた疑似眼球に魔力を流し込み、修復を試みる。

 瞬間。


「あ゛ぁッ――!」


 思わず、頭を抱え込むほどの頭痛に襲われる。

 魔力の過剰消費による過負荷に上げられた、魂の悲鳴。

 五感を超越した苦痛がフィルターを破り、脳に直接突き刺さっていく。


「さ、さっき……回避しそこねたのは――不味かったわね」

 

 廉太郎を押し倒してまでかばった時、その実躱しきれていなかった。

 寸分の差で右肩に被弾。

 結果として防御魔術を使うはめになっていた。

 魔力崩壊。

 その身で触れた魔法攻撃を無効化する。扱える者が他にいるのかさえ知らない、常軌を逸した技である。 

 当然、連発できるものではない。

 使用すら想定していない。

 本来被弾するはずのないユーリアが会得した、他人を庇うための力。

 一度の使用で、ユーリアが保持する魔力の半分近くを捨てることになる。

 それを二度使うわされたために、疑似眼球を新たに形成するだけの魔力が残っていない。

 構造を保てなくなった眼孔内の結晶魔力が崩壊し、液状になって流れ出ていた。


 ――落ち着け……この熱は血じゃないんだから。


 痛覚が復活する。五感を制御する魔力すら、今は惜しい。

 視覚器官は破壊された。

 もう、そこまで速く動くこともできない。

 敵ではなかった人形にさえ、今なら殺されてしまうだろう。

 ふと思い至る。


「――あぁ、そうね。廉太郎が人形を引き受けてくれなかったら……」


 死んでいた。

 思わず笑みがこぼれる。


 ――え、私が助けられる側なの……?


 そう思わずにはいられない。

 確か、これは二度目のこと。

 前回はまだしも、今回は文句なく助けられた状況。

 訳もなく愉快にさせられる。少なくとも万全に始めた戦闘において、誰かの助けを必要に思ったことは殆んどなかったから。


「ふふ……」


 焦りは消え、どうにでもなりそうな万能感が湧いてくる。

 私の眼球を潰して、それでどうにかなるとなると思ったか――そんな、言ってもどうにもならない冗談が浮かぶほどに。

 気分は驚くほど冷静。

 勘も冴えていた。

 

「グゥゥッ――」


 何も映さない瞳は、敵の攻撃を捉えてはいない。

 それでも、


「――そう、今日は眼球のスペアまで用意してもらったのよね。そう言えば」


 回避する。

 自前ではない眼球が、敵の動きをユーリアの魂に教えていた。

 未だユーリアに追随する、上空を旋回する浮遊体。

 グライフを探索するために譲り受けた拡張端末だったが、ここに第三の予備眼球としての機能を果たす。

 旋回する眼球をユーリアの意思で操作することはできない。機械的に自立飛行するだけ。

 視覚情報も上空からに偏る。

 目の代わりにするには酷く不安定な視界。

 しかし、ユーリアにとってはそれで十分だった。


 ――僅かでも外界が見えるだけで、本来羨むような能力ひかりなのだから。


 ふと、意外なものを目にした。


「――なんだ。廉太郎、ほんとうに上手くやってるんじゃない」

 

 上空からの開けた視界に広く注意を向けることで、離れた廉太郎の姿を捉える。

 気が気でなかった心配を他所に、彼は無事だった。

 任せろと言われた時は頭を抱えそうになったものだが、現に見ている分にはどうにかなりそうだと思わされてしまう。 

 元より根拠なく無謀なことをする人間でもあるまい。

 ならば、その意思は尊重しなければ。

 意味が分からないと一言で否定するのはやめよう。

 今でも無茶はしないで欲しいと思うけど、その不可解さは不快ではないから。

 

「しかし……魔法一つ使えないのに、よくやるわね」


 自分に同じことができるか、自信がない。

 魔法が一切使えないとなると、ユーリアは完全に無力になる。

 誇張ではなく、生きていくことすら難しい。

 それにくらべれば、眼球がなくなった程度何のこともない。

 大丈夫、まだ戦える。

 引けない理由はいくらでもある。

 一つは廉太郎のこと。

 この機を逃して人形を失えば、彼が遠慮なく手部にできる他の人形にはそうそう出会えない。

 この場からの逃走は、廉太郎の死をも覚悟しなければならない。

 もう一つは、自分自身のプライド。

 上空からの俯瞰する視線が、ユーリアの姿を他人事のように見下ろしている。

 自分を客観視させられている。

 思えばここ数日で――これまでの人生で、私はどれだけの醜態を晒したことだろう。

 ほんの僅かの大切な者すら守れないのなら。

 そんなことを続けることしかできないのであれば。

 

「死んだ方がいい、そんな奴は」


  心から、そう思った。


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