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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第一章 越境のアジャスト
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第三十四話 ユーリアの能力

 自我を失い見境みさかいなく暴れ狂う巨体。その姿はもう人間であった頃の面影おもかげなど僅かにも残ってはいない。人をそのまま大きくして、武骨な鎧を貼り付けてしまったような漆黒の体躯。

 ユーリアは、それを廉太郎れんたろうの逃げた方向から引き離すように立ち回りつつ交戦していた。

 異形者はその巨体に似つかない素早さをもって破壊をまき散らしている。知性も何もない力に任せた突撃、体ごと叩きつけるような捨て身の攻撃。勢いのままに立木を砕き飛ばし、爆発音と共に破壊の衝撃をまき散らしている。肉体の疲労や負担など何も感じさせずに連続する攻撃は自らの負傷すら考慮していない。

 でたらめで、街中で暴走車が人でもなぎ倒しながら疾走しているかのように荒々しい。

 そのことごとくを、ユーリアは余裕を持って回避することができていた。


「これで……いい感じに離れてくれたわね」


 ユーリアの強さを一言で言うのなら、ただ()()()()()()()()()()ということ。

 発砲を視認してから避けることも容易たやすいし、弾丸と並走することもできる。その際の動きは音速を超えているし、瞬間的な最高速度は亜光速にさえ迫る。

 この速度は、近距離での戦闘に特化した魔術師の中でさえも規格外。

 魔術師は二系統に分かれる。つまり、遠距離から攻撃魔術を放つタイプと、己の肉体を高速で動かして敵に迫る近距離戦闘タイプ。

 両者は一長一短。しかしそれら同士が戦う際の相性差で言えば、近距離型には圧倒的なアドバンテージがある。

 全ての攻撃をかわして敵に接近できるということ。

 対人戦闘に、より特化している存在。

 だから、その中でも特出した素早さを叩き出すユーリアには対人戦闘において敵などいない。最高戦力と呼ばれる所以ゆえんはそこにある。

 しかし、


「なかなか難しいことを……っ」


 それでも苦戦を強いられていた。

 振るわれた男の拳が地表を抉り飛ばす。その勢いのままに、地に腕を突き刺すように体勢を崩している。勢いが止まった一瞬、敵は、ユーリアへの目も切っていた。

 文句のない隙。

 ユーリアが見逃す筈もなく、必殺の一撃を突き立てていた。

 響いたのはただ鋼を突いたような金属音だけ。

 衝撃を吸収した結晶魔力が、火花となって世界に散っていく。


「硬い……当然だけど」


 常人の目で捉えることもできない速度で動くユーリアから放たれた一閃。異形と化した男の首元を狙ったその一撃は、薄皮一枚削ぐことはなく止められていた。


 ――ユーリアの魔術師としての戦闘力はただ、()()()()()()()()()()


 音速で繰り出す刃は衝撃波を生むことすらなく、子どもの骨すら切断することができない。その異常な運動速度から自身の肉体を守るために、過剰なエネルギーは結晶魔力に結びつけて体外に排出、そのまま世界へと溶かしているからだ。

 そこから生まれるのは、ただ女の細腕で振るわれた非力な斬撃。当然、重く長い武器を持つ膂力りょりょくすら持ち合わせていない。

 速く動いてはいるものの、生まれる破壊力は通常速度と同等。ただ、彼女だけが早送りの映像の中にいるように見えるという現象だけが残る。

 それで、人間の急所を破壊するには十分だったのだ。人一人殺すのに、それ以上の破壊力など必要ない。反応すらできない速度で近づいて、一撃で仕留めるのが基本戦術だ。

 人間はみな強大な攻撃魔法を手にしている。火を放ち氷を生み出し、他の種族を圧倒している。それら同族を人間自体が制するために育成されたのが、通常の魔術師である。人間の一段階上に立つ、殺傷魔法の使い手として。

 そして、さらにそれら魔術師への対抗策として生み出されたのが、ユーリアのような近距離戦闘に特化した存在であった。

 ゆえに、


「あぁ……ちくしょう」


 思わず悪態をついてしまう程痛感する火力不足。魔術師ではない人間であっても、この程度の装甲を破壊できる魔法を放つことができる。しかしユーリアの魂は肉体の制御に特化するよう歪められているために、一切の攻撃魔法を失ってもいるのだ。

 対人戦闘に、あまりに特化している。

 振るう刃が通らない敵との戦闘など、本来想定されていない。


「もどかしい……っ。なんて、不毛な……っ!」


 それでもユーリアには、本来この類の異形者を一撃で殺す術があった。その程度の手段も持たぬようでは、最高戦力などと呼ばれはしない。

 相手の魂へ強引に魔力を流し込んで、直接破壊してしまうという技。

 異業者のように魂が限界まで摩耗している相手にしか通じないが、その効果には疑いがない。接近するだけで発動することができる。

 人形ごと破壊しても構わないのであれば、苦戦どころか闘いにすらならない相手だった。


「いっそ試して……いいえ、絶対に駄目よ」

 

 人形持ち相手に試したことはなく、駄目にしてしまうという確証は無い。しかし、万が一にでも人形が使い物にならなくなれば、どういった事態になるのか想像がつかなかった。

 もしこの機会に人形が手に入らなければ、廉太郎がそれらを手に入れる可能性は恐らくない。死を前にした人形持ちに出会えるという、都合のいい条件はそうそうないからだ。

 彼は、死ぬと分かっても誰かを殺して生きながらえようとはしない。

 今回だって結局は持ち主を殺すことになってしまったが、それは仕方のないこと。もう手遅れになってしまった相手を楽にしてやるという、大義名分がある。廉太郎も、納得してくれると信じている。

 しかし、ここでグライフの所有する人形を取りこぼすことになったのなら、廉太郎はもう他に手を出そうとはしないだろう。

 再び猛攻を始めた巨体を無駄のない動作でさばきながら、ユーリアは考えを飲み込むように一人呟いていた。


「あぁ……もちろん、私だって気軽に誰かを襲えるほど見境ないわけじゃないけど」


 それでも知らない他人より自分の命が大事だろう。それに大事な人とそうでない者を天秤に掛けた時、ユーリアは前者を迷わず選ぶ人間だった。

 だから、

 初めて出会った時、廉太郎への印象はただの人間だった。手は借りたけど、それでも他の人間に対してそう思うように拒絶心があった。次の日黙ってアイヴィの元へ連れて行ったのも、試してみるという意図があったのは否定できない。

 期待はしていなかった。そこでどんな態度をとろうが、礼は礼として金で払い、それきりにするつりだった

 だというのに、彼は完璧に期待に応えて見せた。その理由が別の世界から来たということに過ぎないのだとしても、それは些細な事だと思える。

 付き合いは短いが、人となりにも好感がもてる。それでいて、隣にいても苦にならない人間。廉太郎が自分の性格に合わせてくれていることも、ユーリアは分かっていた。共にいるだけで、だいぶストレスを感じてしまっているだろうに。

 こうして手をあれこれと貸してしまっているのも、借りだとか哀れんでいるだとか、そんなことだけではない。別の世界の人間だから、特別視しているというだけのことでももちろん無かった。

 友人として、親しくいたいと思うだけ。


「だから……そう、死んでもらっては困るのよ」


 自分の守りたい大切な者だけ選ばれるように死んでいくなど、とても許せることではない。

 勝機はあるし、ないはずがない。こんなところで根を上げていいわけがない。

 数少ない身内くらい守れないようでは、生きている意味などありはしないから。

 一対一。今度は、何の言い訳もできない。


「狙うのは急所……大人しくしてなさい」


 いくら全身が硬質化していようとも、それでも脆い箇所はある。手の平、指先、頬……僅かながら皮膚を削げていた。そして、確実に効果が見込める弱点がある。

 今まで避けるように狙わなかったのは、リスクを恐れていたのか、それとも躊躇があったのか。


「まさか……っ!」


 わずかな逡巡。それを振り払うように敵の懐に潜り込み、腕の攻撃を誘って頭を下げさせる。訳もなく躱しながら、敵の勢いのままに手にした刃をその顔に突き立てた。狙いを違えることもなく、刃の先端が片方の眼球を深々と抉りこんでいく。


「――ガッ……グゥオオオオッ――!」


 眼孔から噴き出る血潮と、苦悶した獣のような咆哮。


「……あぁ、気分がいい。確かな手ごたえというのは」


 吐き捨てるような虚言。

 表情はけわしかったし、手も震えていた。それを武者震いだと思わなければ、対の目を潰すことは叶いそうになかった。


 


――



 ユーリアから託された人形の手を引いて、廉太郎れんたろうは唐突に始まった戦闘から逃れようとしていた。


「い、行こう……こっちだ」


 人形は言葉が通じているのかいないのか、その指示には従ってくれなかった。それでも腕を軽く引けば抵抗することなく着いて来てくる。背後で起こった破壊音に背を向け、距離をとりながら隠れられる場所を探していく。


 ――ユーリア……。


 彼女のことは気がかりだったが、傍にいても邪魔になるだけ。状況はおおよそ想像がついていた。病棟で見た人形がここにいる以上、あの化け物はグライフなのだろうと。

 そして、もう連れ帰るという話ではなくなっている。殺してしまうしかない。

 自然と早まる廉太郎の足取りについて来れないのか、人形の足は不自然にもたついていた。その様子を見て、一つの事実に思い当る。


「君……走れないの?」


 人形は肯定するように目を合わせてきた。

 ふと足を見ると履いている服は損傷がひどく、しかもその内側の足には包帯が巻かれていることが確認できた。


「け、怪我してるのか!?」


 暑苦しく着こんでいる黒々としたコートも、よく見れば血で濡れているのが分かる。

 自我が無いゆえに、痛覚もないのだろうか。しかし、それが余計に痛ましい。目を背けるかのように、人形の体を両腕に抱え込んで走り出した。

 背中と膝の裏を抱える姿勢だが、人形がじっとしているだけに本当に荷運びでもしている気分になる。

 人一人をこうして抱えたことなど無かった。せいぜいが幼児のような弟で、妹を抱いた記憶は無い。それを加味しても、やけに軽すぎると思った。小学校の高学年程度の背丈はあるというのに、抱えて走っても負荷にさえならない。

 肉体を構成する物質は変わらないとロゼは言った。しかし、目測より五キロ以上は軽い。


「あそこに隠れよう……」


 集落の再奥の建物を目に留める。見たところ民家ではなく、少し大きい集合施設になっている。玄関も扉が開かれ解放されており、身を隠すにはちょうどいい。

 その内部に駆け込んで一息を入れたところで、人形を下ろして共に二階に上がっていく。窓から外を覗き込み、化け物と戦っているユーリアの姿を探す。

 彼女たちの姿は遠くに消えようとしていた。


「そうか……引き離してくれてるんだ」


 廉太郎はユーリアが戦っているところを初めて見た。初めてと言うには語弊があるが、ともかく彼女が魔術師として、その力を存分に振るっている姿を目にしたのはこれが始めて。

 目の前の現実を疑う程の速度で動く姿に、驚くことも忘れて魅入られてしまう。

 あれは強い。間違いなく強い。何者かに負けることが想像できないほどに彼女の動きは素早かった。

 数日を共に過ごし、彼女が強いという話は所々聞いていた。それが過大評価でないことは、ほんの数舜目にしただけで充分すぎるほど伝わってくる。

 だというのに、こんなな遠くから盗み見ることしかできない。そんな自分が、酷く惨めに思えてしまう。


「……くそ」


 思わず窓から視線を外すと、廉太郎のすぐ隣で人形も外の様子を伺っているのが目に入った。喋らず表情すら変えないのに、その仕草は妙に人間臭い。

 息を切るほど必死に動いてきたせいでぶかぶかに着こんだコートが乱れ、口元が露わになっていた。表情をさらけ出していることで、子供のようなあどけなさと共に生きているという印象を決定づけられる。


「……君も、気になるのかい?」


 その言葉に反応して、ちらりと廉太郎を見ていた。やはり口は利かないが、肯定のようだった。


「なんだ、やっぱり……自我があるんじゃないか? 言葉は分かるんだよね、指示が聞けるんだから」


 喋らない。しかし、それが逆にわざと声を出さないでいる子どものようにも見えてしまう。

 人形はやがて廉太郎を無視すると、再度窓の外へと視線を向けていった。 


「……そうだよな。俺も気になるよ」


 ユーリアの動きは見事だった。映像でしか見たことないような、現実離れした速度と挙動。魔法などという荒唐無稽なものより、はるかに人を魅了するだろう。人が動くというのはそれだけで心を揺さぶってくる。ちょうど、体操演技や演舞のように。

 こんな状況でなければ、もっと近くで見ていたい。

 それも隣で、肩を並べるぐらいの距離で。その上で役に立ちたいと、そう思た。

 しかし、


「攻めあぐねてる……」


 動きでは圧倒し、攻撃は当たる気配すらないというのに。素人目で見ても、戦いが長引きそうだとわかる。

 決定打がない。


「あぁ、くそっ! 俺にできることが……何か一つでもあれば」


 手助けできるなら何でもしてやりたいのに、泣きたくなるほどに無力。

 自分がしているのは――もっと言えば初めからしようとしていたのは――ユーリアが用意してくれた人形をただただ受け取ろうとしている行為。まるでただの顧客。何もかもに頼りきっている。

 いったいどんな関係なのだと嘆きたくなる。友達だと胸を張って言い返してやれなかったのは、そういった後ろめたさがつきまとっているからだ。

 世話になっただけでなく、ああして危険な目に合わせている。それだけの価値が、自分にあるなどとは到底思えなかった。

 不甲斐なく、申し訳ない。


「……え?」


 ふと、肩に手が置かれていた。驚いて目を向けると、傍らにいた人形が穏やかに微笑みながら視線を向けていた。


「慰めてくれてる……の?」


 やはり、口を動かすことはなかった。それでもその行動は、なんらかの意思がなければ説明がつかない。

 自我が無ければこんなことはしないだろう。

 互いにしゃがみこみ、一つの窓を覗くように寄り添っている。目線は同じ高さで、顔の距離はとても近い。

 それは心を許す者との距離だった。急いで抱えてきたために意図せずそうなっただけだが、共に離れようともしなかった。

 だからどうというわけでもないが、それでも心が安らぐ実感がある。


「……君、優しいんだな」


 この子を人形と呼ぶのは、繰り返すが別に良い。しかし、人間どころか生き物であることすら認めないのは、やはりおかしいように思う。世界の共通認識というか、もっと別の、根本的な価値観が異なっている。

 魂に刻まれた本能が、この世界への居心地の悪さはそれだと叫んでいる。

 人形の顔は確かに作り物のように整っていた。どこか人間的で、それでいて非現実的。人形とも人間とも、廉太郎には判断しにくくなる。

 思わず笑顔を返していた。

 人形は、その人のように柔らかい微笑を湛えたまま――


「――えっ?」


 カチャリと、廉太郎の眼前に鉄の塊を突きつけていた。


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