第二十六話 成長と発達
「今日は何をしてきたの? 二人で、仲良く」
夕食の席に着くなりアイヴィは妙にこそばゆい聞き方で一日の進捗を確認してくる。シチュエーションとしては家に娘の友人が泊まりに来ている母親でしかないので、その間柄を茶化されてもしかたない。そうなるよう仕向けていたのはアイヴィ本人である上に、娘に異性意識がないことは了解しているはずなのに。
仲良く、させてもらってはいる。
が、そろそろ親身にしてもらいすぎて申し訳なくなっていしまいそうだった。
「そうね……紆余曲折あったとはいえ、前進はしているはずよ」
確かな手ごたえを感じているようにユーリアは言った。それは確かで、三日目にしてするべきことが定まりつつあるのを感じていた。
廉太郎の魂に蓄積された逃げ場のない魔力は、その対処法が確立。人形の持ち主には遺産の譲渡を拒まれてしまったが、死んだ後でうやむやにして貰ってしまう方向に話が進んでいるのだ。
さらに元の世界に帰る方法について……その確かな形には触れられていないが、大きな情報源を見つけることができていた。
図書館館長、アニムス・IS・ラブレイター――彼は、廉太郎の世界を認知し、過去そこからの来訪者と接触している。
「へぇ、館長さんがねぇ……物知りな人だから、知っていても不思議じゃなかったわね」
興味深そうに話を聞いていたアイヴィは、アニムスが情報に通じていることを不思議に思っていなかった。司書にはやはり博識というイメージがあるが、あの館長も例外ではないということらしい。
「でも、なぜか言い渋られてしまったんですよね」
彼がなぜ情報を隠そうとするのか見当もつかない。
しかし、どうもただ邪険に扱われているわけではないようではあった。
アイヴィはそんな彼について、昔を思い出すような語り口で話し始めていた。
「あの人、別に気難しいだけの人じゃないのよ。昔は愛妻家でもあったんだから」
「えっ……家族がいるの?」
その事実に心底驚いているユーリアを面白がるように笑いながら、
「えぇ、だいぶ前に亡くなっちゃったけど」
そう、寂しそうに口にした。
「四十年くらい前かしら。奥さんとはわたしも親しくしてたから、当時は寂しかったわ」
「……えっ?」
話の流れで申し訳ないのだが、ではこう語るアイヴィは一体何歳なのだろうかと気にならずにはいられなかった。彼女の種族がエルフであり、ユーリアの義理の母親として過ごしている以上、見た目通りの年齢ではないのは分かってはいたのだが……。
もしかしたら、思っている以上に年上なのかもしれない。
そんな心が顔に出ていたのだろう。
「わたし? 確か、六十三よ」
さらりと歳を答えさせてしまった。女性に歳を確認させてしまうのは、常識的に考えてよくはないことだ。それもけっこうな年齢。おばあさんならまだしも年下かと疑うほど若々しい見た目の彼女にとっては、言うのは苦でなかったものかと狼狽えていると、
「あれっ、気を遣われるような歳じゃないんだけど……」
無用な態度だったらしく、逆に困らせてしまっていた。
「すいません……疎くて」
彼女にとっては抵抗のない数字なのだ。
種族間による年齢感覚の差というものだが、見た目が人間に酷似しているためどうしても凝り固まった価値観に当てはめてしまっている。
「あなたたち人間でいうと、少しだけお姉さんってくらいかしら?」
「二十代後半くらいでしょう?」
「いえ、前半くらいだわ」
どうやら、八年間連れ添ったユーリアとも認識の誤差があるようだった。ぎりぎりのラインを攻めあっている。ちょうど、認識が一段階変わってしまいそうな境界。
「あっ……それよ」
そこでユーリアは、何かに気付いたように反応してみせた。それは昨夜の会話でみせた、彼女の成長に比してアイヴィが変わらないことによるひっかかりに言及する言葉だった。
「私は十代からもうすぐ二十代に変わろうというのに、あなたは出会った時から二十代前半のまま……だから、徐々に年上感が無くなっていくのよね」
要は成長速度の違い。エルフが何年生きるのか分からないが、会話から推測するに三倍以上は生きるのだろうと思われる。
アイヴィは困ったように笑い、
「私からすれば、あなたたちの成長が早すぎるって感じなんだけどな――」
そこで急遽、アイヴィはその纏う雰囲気を変えていた。
「そうよ、ね……どれだけはやく歳をとっていくのよ……」
楽しげだった会話は鳴りを沈め、緊張した空間を作り出している。彼女の視線、吐息、一挙手一投足が場の空気を支配していた。
それは発言の内容が、おそらく想像しうる中でもかなり重たいものだったからだ。種族の違う者が共に暮らして、お互いに大事に思って、その上でどうしても直面する現実への、絶望の言葉だったからだ。
「あなたがおばあちゃんになって死ぬ日が来ても……わたしにはまだ、しわの一本も入ってない」
芝居がかかったように大げさで、しかしどこか泣き出してしまいそうな……真に迫る表情を見せている。
「親不孝すぎ……私を一人にしないでよ」
この場では彼女意外には想像もできないような境地。どうしようもない現実を前にした悲哀。アンニュイで厭世的でありながら、どこまでも俗世にしがみつこうとする生と、人らしさを感じさせる。
俗で欲深い、そんな飢えと渇きの鼓動。
「む、無茶言わないでよ。寿命が違うんだから……しかたないことでしょう」
それに当てられたように、ユーリアの表情も暗くなっていた。その口調にもやるせなさが含まれている。
「できることといったら、死ぬまで一緒にいることくらいしか……」
そんな娘の、それしか返せないという言葉に対し当のアイヴィはというと、
「じゃ、孫でも作ってちょうだい」
済ました顔でそう返して見せた。
あぁ、そう繋げるのかと感心させられてしまった。
この態度は効く。
結婚を渋るような人間に、親に対する罪悪感だけで子供を設けさせようとする態度だ。特に、親への愛情がつよければ強いほどこれは効いてしまうだろう。
親を愛する者にとって、親を悲しませる以上に避けたいことがあるだろうか。それも、彼女たちエルフがどこまで生きるのかは知らないが、ただでさえ種族間の繋がりには切ないものがまとわりついているのだ。
しかし、予想通りではあるのだがユーリアには聞けない頼みでもある。
「ちょっと、それは……難しいわね」
「――どうしても?」
その願いに演技はないのだろう。にべもなく否定されても、食い下がるようにまっすぐと見つめている。
ユーリアも、親を一人にするのが心苦しい気持ちは多分にあるのだろう。真摯で切実な視線から、それでも逃れるように難色を示している。
「うっ……お腹の中で人を育てるなんて、私に耐えられるとは……」
ユーリアは、誰であれその体に触れることを異常なまでに拒絶している。
身体的接触をどうしても許容できない以上は……つまり、言ってしまえば子を宿すこともできない。仮に人工的な手段を用いて子を宿そうにも、それだって胎内に他人を抱えることに繋がる。どちらにせよ、ユーリアにとっては耐えがたいことなのだ。
「気が狂って自分のお腹に刃物を突き立てるなんて事件……聞きたくないでしょう?」
「本当に聞きたくない話だ……」
一度妊娠してしまえば後戻りはできない。中絶にしたところで母体に負担がかかり、一つの命を奪うことになるのだ。本人が難しいと自覚している以上、それは実行するべきではない。
アイヴィはそれで、気の毒になるくらい気落ちしているようだった。俯いてしまって、その表情すら伺うことができない。
かと思えば。
「あぁ……いっそわたしが産めたならなぁーっ!」
何を言い出すんだこの人は……そう思ってしまうような言葉を口にしていた。まだ冗談の気配を見せているので、やけになっているわけではないと思いたい。しかし、態度こそ冗談だがどうにも本心であるようだった。
そのまま両手を祈るように握り、彼女には似つかわしくないほど不遜な言葉を吐き出していく。
「……無知蒙昧で白痴の神よ、私は再び唾を吐きたい……どうして、わたしの娘は女なのですか――?」
そんな強い言葉を使う人だろうかと違和感を覚えることもできないほど、彼女の嘆きは奇妙に過ぎる。
「……娘だからでしょ」
それ以前に、仮に男であったなら自ら孕んででも子を成そうとしたとでも言いたげな様子に、複雑な思いを抱かされてしまう。いろいろと倫理観がぶっとんでいるように思えてならない。とはいえ、子が自分を置いて逝ってしまう親の気持ちなど分かるはずもないのだ。
確かな命の繋がりを求めるのは、ある種自然で、切実な思いなのかもしれない。
「上手くいかないなぁ……性別やら種族やら。何一つとして」
親は子に孫を期待するものだということは知っている。家族が増えるのは喜ばしいことだ。ユーリアに恋愛感情が生まれることはないのだが、家族愛については人並み以上の感性を持っている。
だから、母であり自分より遥かに長くアイヴィに孫を残してやれないのは、彼女にとっても心が軋むように辛い事実。
大げさに嘆いてみせているのは半ば分かっていながらも、どうにもその空気が耐え難くてわざと無視するように会話を振っていた。
「ねぇ、アニムスに子どもはいなかったの?」
何気なく口にしたのは、ふと思いついたそんな言葉。あの不愛想な館長に妻がいたのも驚きであるので、ならばこれまた意外なことに子どもだっているかもしれないのだ。
脳裏に掠めていたのは、図書館の帰り道で味わった奇妙な会話。
顔を合わせたことはあったけど、会話したのは初めての相手について。
ひっかかることがあったのだ。
「ん、いたわよ。奥さんが死んでから養子に出したみたいだけど」
アイヴィだって本気で嘆いているわけではないので切り替えも早い。というより、このようなやり取りは珍しくもないのだ。
恋をしろだの孫を産めだの、母親の望みはそのことごとくが実現不可能。
いい加減心が痛くなってしまうのだが、
「で、奥さんってのは……」
聞きたかったのはその子供。その正体について。
「人間の人だったわよ。すごく優しくて、黒髪の美人さん」
「黒髪……」
似ている、あの子に。
母親が人間ならば、アニムスがどんな種族であれ子どもも人間ベースの存在であるはずだ。髪の色も符合している。
人間で、黒髪。
あの子自身も、自分を人間だと言っていて――。
「……いえ、歳が合わないはずよね」
彼女の見た目はどう見積もっても十代のそれだった。母親が死んだのが四十年前だというので、彼女がアニムスの子どもであるはずがない。
根拠なく浮かんだ推測は、考えてみれば馬鹿馬鹿しいものだった。
「ラヴィって子知ってる? 図書館で見かける人間なんだけど」
「知らない子よ?」
当然のようにアイヴィは首を振った。
「アニムスと揃って私に恨みがあるようなのよね。なにやら許してくれたみたいだけど、心当たりがなくて……」
落ち着かなくて気持ちが悪い。
しかしどうにも視線だけは本気だったようで、なんだか本当に悪いことをしたような気分にさせられてしまう。
特に図書館では大人しくすることを心掛けていたはずなのだ。一度騒ぎを起こしたのだって、それは向こうのほうに非があると、最終的にアニムスも認めてくれたようなものだったのに。
ところが、この母親は娘の言動を信用していないようだった。
「あぁ、何かやったのね?」
即答されてしまった。
ユーリアは少しむっとする思いで、しかしどうにも確かな反論はできなくもどかしい言葉が口をついていく。
「だから、何もしてないし……ほとんど初対面みたいな子だったのに」
「いやぁそれにしたって、あなたの人間嫌いは見境ないからね。無自覚で傷つけることしたんでしょうよ」
「否定できないけど……」
だとすれば、いったいどれほどのことをしたのだろう。
自分自身の感情をごまかすことはできないが、それにしても態度を抑える必要があることはこのところ、痛感するようなことが増えた。
言ったように、ユーリアはもう二年もすれば二十代。今までの態度など、子どもだから許されていたものにすぎないとも思っている。誰に許されていたかと問えば、それは彼女自身の品性にだ。これ以上心が成長してしまえば、自分でもみっともないと思い始めてしまうだろう。
変わりたいという本心を、自覚できるようにもなっている。
――でも歳が増えたって、簡単に自分を変えることなんてできないし……。
子どもだと言われるのが頭にきてしまうのは、結局彼女自身が一番自覚しているからだ。
人間への憎しみ自体は、アイヴィのほうがより大きいはずなのに。彼女はそれを態度にださない。年を重ねて、達観しているのだろうか……いや、そんな単純な話ではありえないことは隣で見て知っている。
そう思うと、自分がこの母親に精神が追い付こうとしているだなどと思い上がりも甚だしい。途端に、得意気に話していたことが恥ずかしくなってしまう。
自分にできる親孝行が限られているのなら、せめて彼女が胸を張れる娘でいられるように、そんな風に成長することを目指さなければならないとユーリアは思った。