第二十四話 R.I.P.
驚いて首を向けた目と鼻の先に、眼鏡をかけた銀髪の司書の顔があった。
図書館内だというのにおしゃべりが過ぎたのか、彼はそんな注意を飛ばしてきていた。少し動転して、周りが見えなくなっていたのも事実。すかさず謝ろうとしたのだが、意外にも先制で謝罪を返したのはユーリアの方だった。
「ご、ごめんさい……」
「友達連れでくるとはいい度胸だな。構わんが、余計に気を払えよ」
「……はい」
やはり意外にも、そう怒られてただしゅんとしている。なんだか可愛らしく見えてしまうほど殊勝な態度で、隣で見ているだけで調子が狂わされてしまう。
「すいません。どうにも浮ついてしまって……」
落ち着いてみれば、静寂な館内ではわりと響いてしまう声量だったと分かり反省を促される。
司書である男は廉太郎の謝罪を横目に、ユーリアの方にだけ厳しい言葉を飛ばし続けていた。
「お前は初回だから多めに見るがな……しかしユーリア、お前は何度俺を怒らせた?」
「いやでも、今日はそこまで騒いではいないし……わざとでもないのよ?」
どうあれ話をするのは良くない場所だが、確かにそこまで強く怒られるような騒ぎを起こしたわけではない。
「黙れ。基準は俺の癪に障るかどうかだ」
他に職員はいないのか姿も見えず、匙加減は彼に一任されているらしい。
というかこの男性、司書と呼ぶには高圧的すぎる。
日本の公務員然とした司書ではこうはありえない。ユーリアは以前騒いで怒られた経験でもあるのか、彼に対して割と苦手そうな態度さえ見せている。
強面というわけではないのだが、表情一つ変えず真顔で迫る様子には廉太郎も飲まれてしまう。
「ここで特別扱いされると思うなよ、触るぞ?」
「ひっ……」
彼女は反射的に身をすくめていた。
苦手意識どころか、軽い恐怖心を覚えているようですらある。それで、まさか飛び出すとは思いもしなかったような声をあげていた。
また、と言うからには以前触られたのだろう……おそらく、怒られでもした際に。
それにしても触れることを仄めかされただけでこれほどの抵抗を見せるとは、どれだけ彼女は身体的接触を拒んでいるというのだ。触れられたくないとは再三聞いていたものの、まさかこれほどとは……。
「それが嫌ならささっと入館料を払え」
「え、金とるんですか……」
図書館とは。
「きょ、強制される必要はないはずよね……?」
言いつつも、彼女はいくらからの金銭を無造作に手渡していた。上着のポケットから片手で取り出せるだけで、大金ではない……いや、あの金色に輝く五百円硬貨程度のコインが、本物の貴金属であるのならその限りではないのだが。
「助かる。俺の生活費はほぼお前からの寄付金で賄われてるからな」
それなら少しくらいは多めに見てやってもいいのではないか、とも思う。
傍目には恐喝のようにも見えるのだが、一応は彼女の好意ということになるようだ。しかし、司書に給料がでないというのもおかしな話だ。町が運営しているわけではないのだろうか。
「――ラヴィ」
ふと、司書は呼んでいた。人の名だったのだろう、反応するように女の声が聞こえてくる。
「……なに、館長」
不意に視界の端に現れたのは黒髪の女の子だった。背も低く細身で小柄、その割に大人びている。その印象を強めるのは、彼女の服装が完全にゴスロリであるせいだと思う。所謂拘束具に近いほど肌を締め付けているというのに、浮き出た体のラインは作り物のように完璧。無駄がなく、ショートパンツを履いているせいで素足を完全に晒してしまっているが、やはりそれも病的なほど細い。
色白なのと髪の色とが相まって、彼女はたった二色だけで完結している。
それでツインテ―ルだ。
ゴスロリでツインテールだ。
「まさか、図書館でこんな……」
これまで出会う人たちが割と日常的に見慣れていた服装をしていたのもあり、別世界とはいえ格好の基準は変わらないのだと思っていただけに面食らってしまった。
異質だがおかしくはない。むしろ似合ってもいる。
逆に、図書館だから違和感が少ないのかもしれない。
「外出許可を与える。買出しに行ってこい」
「良いけど……」
司書のお使いに応じる様子を見せながらも、ラヴィには憂いがあるようだった。
廉太郎を一目見て、それから、
「な、なに……?」
彼女はユーリアをじっと見つめていた。その表情はただ気だるげで、読み取れることは少ない。しかし、どうにも穏やかな視線というわけではないようだった。黒々としたその目が、何かを訴えようとしている。
「どうした……何を機嫌悪くしている? 抑えろ」
司書はそう言って彼女の態度を切り捨てた。
有無を言わせない口調だった。
「良いな?」
司書の目つきは何もなくとも睨んでいるようであり、ラヴィの目つきもまたそれに似ている。その視線が交錯し、
「……この子好きだよね、館長」
そう言い残して、ラヴィは消えていた。目の前で何かの姿が消滅するなど初めてである。少なくない怯えと共に二人の顔を伺うが、特に気にした様子もみせていない。
二人にとっては驚くことではないのだろう。
魔法とは凄い、そう思った。
「――私、あの子に何かしたの?」
ユーリアは不安そうにそう言った。彼女を見て、司書曰く機嫌を悪くしていたようだったのだ。当人としてみればいい気はしないだろうし、心当たりもないらしい。
「知らん。女であるせいで不安定なのだろう。お前と同じだ」
「分からないわよ……」
答えが返ってくるわけでもなく一括りにされて、それで余計に理解が難しいものになったようだ。性別で心の強さだとかに差があるとは、廉太郎も思わない。
ユーリアはそこで何かを思い出したように口を開き、
「あ、そう……アニムス、最近何かあったの?」
「なに?」
「今日更新されていたあなたの連載小説……百話くらい飛んだのかと思う程別物になってたわよ」
そう言って懐から折りたたまれた紙を取り出して見せた。館の入り口で配布されていた物で、廉太郎は手に取らなかったが彼が執筆する小説が綴られているようだった。
「今まで家族愛だとかが暖かく書かれてたのに、急に怪談みたいな語り口で惨劇に突き落とされていってるのだけど……」
「それは嫌だ……」
それが許されるのは映画とかで、しかもあらかじめホラーやサスペンスだと告知した上での雰囲気づくりくらいだろう。特に長編、それも連載小説だと読み手の衝撃はとんでもないものになるはずだ。
「それがどうした、なぜ俺に何かあったなどと思う?」
「だって、普通に精神状態を疑うわよ?」
どんな文章なのか気になるほどの評価だった。
ちらりと、彼女が開いた紙片に目を落とす。
あぁ……これは、これだけみれば確実に凄惨な恐怖譚だと思うだろう。家族愛どころか、あらゆる人間関係が破滅する話にしか見えない。どこか真に迫る迫力があり、廉太郎の好むところではあるのだが、方向転換に付き合わされてここにたどり着いてしまった読者は悲惨だと思う。
作者名は――アニムス・IS・ラブレイター。ペンネームか、或いは本名か。
というより、
「アルファベットじゃないですか!?」
「……なんだと?」
唐突に不自然な事実に気付き声を上げてしまった。慌てて口をつぐんだものの、アニムスは静寂を乱したことよりもむしろ、指摘された事実に反応を示している。
おそらく、何か知っているはずだ。
「あぁ言ってたわね、前にも」
機関の本部にも、アルファベットはあった。それについてはまだ調べがついていないが、本人が書いた文字にそれが含まれているのだ。
手書きだ。
「アイエスって……イニシャルですよね?」
「……あぁ――?」
何を言うでもなく目を逸らしている。嘘をつく気もないようだが、答えたくないという意思は見て取れる。理由は、それが秘匿されるべき情報だからに思えてならない。
「なんて読むんですか?」
「アイオナ……でいいのよね?」
問いに答えたのはユーリアだった。彼女は読み方など知らないが、彼の名前は知っているのだろう。
アニムス・アイオナ・ラブレイター。ミドルネームにあたるものをイニシャル表記するところも、ますます元の世界との共通項を匂わせる。
ここまでくれば、確信に迫ることを黙っているのは非合理的である。
だから迷わず聞いていた。
「単刀直入に聞くんですけど、別世界について何か知りませんか?」
「……ふぅ」
「知ってるんですか!?」
どう見ても聞かれたくないという露骨な顔をされているが、アニムスは嘘をつくことも知らぬふりをすることもしないようだった。苦手なのかもしれない。嘘をつくことが技術的に難しいのは廉太郎も同じであるので、そういった空気を察することもできる。
「煩いな。これ以上騒ぐなら追い出すぞ」
「あ、すいません。……その、外でなら話せますか?」
「俺は館内からは出ない。何があろうともな」
「えぇ……ここに住んでるんですか?」
「そうだ」
だとしても引きこもりではないか。ラヴィに買出しを頼むにも図書館に何を買いだしてくるのだと思ったが、単に食料や日用品のことを言ったのかもしれない。
「ねぇ、何か知っているなら教えてよ。お願いだから」
「む」
ユーリアにも懇願されたことで、少しは気が迷っているらしい。態度は厳しかったが、やはり女の子に頼まれるというのは、誰であっても多少の断わりづらさを感じるのだ。
あと、金払いがいいのも関係しているに違いない。
「意地悪しないで。お金だって、もっと払ってもいいのよ?」
「……別に、意地悪をしているわけでもないんだが」
アニムスはついに困ったように目をとじてしまっていた。どういった理由から言えないでいるのかは知らないが、どうやら無理を言っているらしい。
少し、申し訳なく思ってしまう。それでも、なりふり構ってはいられないだけの事情が、廉太郎にもあるのだ。
「お前、名前は?」
「娵府廉太郎です……日本人の」
「……クソっ」
つかれたのは悪態。何か知っていたら反応するか余計なことも言ってみたのだが、駆け引きでもしたようで気に触ってしまったのか不安になる。
彼は手にしていた本を開き目を落とした。かと思えばすぐにそれを閉じ、
「俺はお前の敵でも味方でもない。だから、むしろ言えることは少ない」
「この文字は確かにお前の世界のものだ。そして、この図書館の中でお前が得られる手がかりは、このたった二文字だけだ」
その言質がとれただけでも大きい。書籍に書いてあることには、そもそも期待していなかったのだ。二つの世界を結ぶ実例が、廉太郎ただ一つではないとはっきりしただけで楽になれる。
「あなたは……どうやってこれを知ったんですか?」
「かつて、お前のような奴に会っただけだ」
それは、別世界から迷い込んでしまった者。
同じ境遇の仲間がいる。その事実は、どれだけ人々に親切にされようとも埋まることはなかった、手の届かない孤独感を埋めてくれるようで、
「その人は……」
無事に帰れたのか。そうでなくとも、どこかに住んでいるのか。
その痕跡に触れたかった。
しかし、
「――それは別の理由で言いたくない。俺を怒らせるなよ」
その表情は頑なだった。これ以上は何も言わない、そう口にせずとも分からされてしまう。
結局、肝心なことは何も分からないままだ。
そんな廉太郎に、彼は励ますような声をかけてくれる。
「お前が何かを自覚したなら、そのときはもっと力になってやる」
「何か……って」
「それに気づいたとき、もう一度話しかけてこい」
その言葉を境に、図書館から追い出されていた。物理的にではなく、気づいたら外にいたのだ。狐にでもつままれたような気分で、はっと後ろを振り返る。そこには間違いなく図書館の入り口があり、夢まぼろしではないことが分かる。さすがにユーリアもこれは初めてのことらしく、驚いた表情で周りを伺っていた。
ふと手元に視線を落とすと、そこには読みかけだった本が手提げの布に収まっていた。
――――――――――――――――――――
今日、私と同じ境遇の男の子が尋ねて来た。その苦しみの全て、私には痛いほどわかるはずだった。その子の立場に共感して、可哀そうだと憐みもした。
しかし、その子は何も知らないようだった。自分がなぜこの世界にいるのか、何があったのか、何をしなければならないのか……何も、自覚さえしていないようだった。
かつての私と違って、何のしがらみもない。それを克服したわけでも、どうやらない。
それは、きっとあの子にとって幸運なことだったのだろう。アニムスは何も教えようとはしなかったが、それもあの子を思ってのことだ。
それでもやはり可哀そうだと思うけど、この町にいるならきっと大丈夫。いったい何を言って口説いてみせたのか、あの気難しい女の子ともいちゃついていたのだ。かつての自分を思い出すようで微笑ましくもあり、どこか切なくもある。
三十六年前に死んだ私と、一昨日殺された娘の分まで、
どうか幸せに、何にも気づくことなく生きて抜いてほしい。