第二十二話 友人
「お前、どこ行ってたんだよ……」
三人が町に戻ったところで、ばったりとローガンに出くわしていた。車を外壁に格納した後、町中での事だった。彼は廉太郎とユーリアに目もくれず、開口一番ロゼにそう問いかけていた。
無理もない。家で休めと言った相手が、町の外から帰ってきたところを目撃しているのだ。
怒るでもなく、むしろ呆れているようでさえあった。
ロゼは少しだけ気まずそうな顔をしながらも、軽口で返している。
「お前こそ、こんなところで何やっているんだ? サボりか?」
「馬鹿言うなや」
そう肩をすくめてみせる。その足元から、
「先輩には僕がついていますかね、怠けさせませんよ」
「……おっと」
急に足元から声が上がったもので、廉太郎は驚かされてしまった。
視線を落とすと子供がいた。小学生に入りたての男の子のような容姿で、他人の足に隠れてしまうほど背が低い。なまじローガンの背が百九十に迫りそうな勢いであるので、目が錯覚を覚えるほどのコントラストがある。
そんな幼い子供であるのに、まるで機関の職員であるかのように、彼らと同じ制服を着こなしてしまっている。
声には変声も迎えていない幼さがあるのに、妙に落ち着きがある。
「今から少し、行くところがあるのですよ」
「あぁ、帰りは少し遅れるかもな」
揃ってロゼに報告していることを見ても、これはもう大人に混じって働いているのだろうことが疑えなくなる。こんな小さい子に労働を強いるのはいくらなんでも問題だろうと思うのだが、本人からはやる気に溢れた様子しか感じられない。
初めてローガンと関りを持った時、彼の傍にいたのもこの子供であったことを、ふと思い出していた。
「わかった」
そう手を振って二人を送り出そうとしているロゼのことを、ユーリアは面白くなさそうな顔で眺めている。彼女がローガンと特別相性が悪そうにしていたのは、つい数時間前に目にしていたことだ。
ローガンも相手にするのが面倒なのか、一度も目線を合わせようとしなかった。
「……二人の仲が気になるかい? 実はそんなに深刻でもないというか、いっそ面白く見てられるくらいだよ」
「そうですか?」
ロゼはそんな風に笑っている。なんというか、気が長い人だ。
それでいて面倒見がよいので、適当なことを言ってるわけではないことも分かる。
「面白がらないで」
ユーリアはどんな声も聞き逃そうとしないようだった。小声であれ内緒話であれ、とても鋭くとらえてくる。
ぴしゃりと言葉を放つ彼女の気の方は、とても長いようには思うことができない。
「おう、ユーリア!」
ロゼと別れ、二人で通りを歩いていると、不意に声をかけられていた。大きくてよく通る声だ。
「あぁ、帰って来たのね」
声をかけたのは亜人種の男性。比喩ではなく獣のような男だった。服を着て二足歩行をしている以上、獣という印象は薄くなってしまうのだが、それでも頭部が人ではない。ちょうど、被り物をしたらこうなるのだろうといった風貌で、狼に似た頭部がそこにはある。
そこから、人と変わらない声で言葉を発している。驚くほどの長身ではないが、人間離れした力強い肉体からは圧迫感を与えられる。
彼は近づいたユーリアの傍にいる廉太郎を、興味深そうな目で視界に収めていた。
「あぁ! おっ、誰だぁ隣にいるのは……ボーイフレンドか?」
「ん? まぁ、そのようなものよ」
隣で聞いていて恥ずかしくなるようなやり取り。しかし彼女が特に意識しているはずもなく、或いは詳しい説明を省きたかっただけなのは明確だった。
「えっ!? そ、そうか……よかったじゃねぇか」
冗談を肯定されるとは思わなかったのか、彼は隠すこともできないほど驚いているようだった。彼女に友人として紹介されこのように驚かれることに、もはや慣れつつある。
人間だからだ。
「どうも、始めまして。娵府廉太郎です」
「ジェイドだ。よろしくな」
握手を交わすのはこの世界に来て三度目になる。回数を重ねるたびに、慣れない習慣に抵抗がなくなっていくようだった。ジェイドの力は見た目の通り力強く圧迫感すら覚えたが、悪意は感じなかった。単純に腕力が違うだけだ。
「礼儀正しい奴だな。気に入ったぜ」
初対面で気に入ったと言われるのはいっそ気持ちがいい。なかなか無い経験なのではないだろうか。
親しい仲なのか、ユーリアの機嫌はだいぶよくなっているようだった。
「あなたたちが狩りから帰ってくるたびに、私は愉快な気分になるのよね」
「狩り?」
彼女の言葉を聞き返し、その答えはジェイドが口にした。
「あぁ、遠征だ」
この町での物資に大きな偏りはない。不足している物も、そこまで無いように思う。
しかし、それには例外が一つ。
極端に流通量の少ない食材があり、それが食肉だった。
このあたり一帯の瘴気に犯された土地では、野生の獣などまともに生き残れない。僅かに存在する個体も肉が変質していて、好んで食べられるものではない。
同じく、家畜の飼育も難しい。
それでも肉食が中心である種族はそれらの粗悪な肉を常食としているが、それでも食に拘るのはどの種族にも共通。人間言えば口にするものがすべて美味しくないようなものだ。
だから彼らは、働いて資金が溜まるたびに新鮮な獣の肉を求めて遠征に赴く。必要な人材を雇い加えた大規模な狩猟団を編成し、長期間に渡る狩りを行う。まとまった肉を確保、保存して町に帰還する。
市場に流せば破格の値段が付くだろうに、彼らはそれを決して同族以外には流さない。ユーリアにはそれが、普段彼ら獣人を下に見ているこの町への意趣返しに思えて、いつも痛快な気分にさせられるのであった。
ユーリアとジェイドは、そのような事情を楽しそうに語ってくれた。
「今夜は宴会だよ。お前も来るかい? 皆歓迎するだろうぜ」
「ふふっ、それは遠慮するわ」
彼女は朗らかに誘いを断った。廉太郎には、そのやり取りがどうにも意外なものに思えてならなかった。ユーリアの好意的で社交的な態度と、彼女を歓迎するというジェイドの言葉の両方だ。
「おっと、そっちの兄ちゃんに気が回らなかったな。もちろんお前の友人なら誰も文句は言わないだろうさ」
まただ。
外部の者に食料を回さないという説明通りなら、ユーリアは特別視されていることになる。その理由を、廉太郎はまだ知らない。
彼女が人間を嫌っているということは既に知っていたし、なんとなく理解することもできる。問答無用で純粋な人間以外を迫害するこの世界の人間など、廉太郎にだって好きになれそうにない。
しかし、彼女はこの町の人間に対しても敵意を見せているように見えてならない。この町はその事情故に、共生ができているというのに。
例外は、廉太郎とロゼくらいなものだ。
「あー……気遣いはありがたいのだけど、肉は食べないのよね」
「そうか。そういや、騒がしいのも苦手だったな」
ジェイドとはそこで別れた。
ユーリアの機嫌は、さらによくなっているようだった。
彼女は隣で伺っていた視線に気付き、
「どうしたの?」
そう問うてきた。思えばこんな風に真意を確かめようとする仕草を、彼女はよくしてくる。
だからではないが、
「友達多いんだろう? 実は」
「実はね」
彼女はそこで、あてつけるように笑った。図らずも悪口に捉えられかねない言葉だったので、口走った言葉を僅かに悔いてしまう。
彼女も気に障ったわけではないようで、そう詰まってしまった廉太郎の反応を面白がっている節がある。意外にも寛容なところがあるのだ。
「やっぱり。だって君の性格で友達が少ないなんて、そんなはずないと思ったしね」
見た目もいい。
周りが口々に交友関係の希薄さを仄めかしていたことを、ずっとおかしな話だと思っていたのだ。
「え、えぇ……? 自分でもそんな風には思わない……というか、私と居て疲れたりしない?」
「全然」
むしろ、落ち着くというのに。
「あぁ……そうなの?」
半信半疑なのか、あまり気のいい返事は帰してくれなかった。割と調子のいいことを言ったのは、いい気分になってくれるだろうかという下心が確かにあったのだが。
「私の性格って、結構人を選ぶと思うのだけど」
それは否定しない。
しかしそれにしたところで、こうして僅かに傍にいるだけで胸を打たれるほど好意的に見える点が分かってくるのだ。
本人がそんな風に自虐してしまうような必要は感じない。
「人間相手には、あたりが強いようだけど――」
それは仕方がないことで、だから同種の友人が居ないのはおかしなことではない。
「だけど……それを除けば人に好かれるだろう、君は」
彼女の交友関係は、人間相手であればロゼを除き壊滅的。
だからそれ以外の種族相手に限ったとき、彼女の性格は難点こそあれど問題などなさそうに思えるのに。
少し理解力があって、人と成りを知る時間さえあえば。
「あなたも少し変わっているから気づかないのでしょうけど……私は性格良くないわよ。自分でも、どうかと思うくらいには」
そんなことはないと否定したかった。それは、意外だと驚くほどに卑屈な言葉だったから。
しかし、相手がそう確信している以上、それを否定するようなことを言う気にはなれなかった。
意見を言うならまだしも、否定るするということは対立。それは、互いに相手を疎ましく思うことに繋がるからだ。
言い争うことは避けたい。傷つけたくなく、傷つきたくはない。
「少なくとも、俺はそう思わないけど」
口にできたのは、曖昧な意見。
「だから変わっていると言ったのよ。私と同じで、どこかおかしいのかもね」
「おかしい?」
「誰かといて疲れたりはしない?」
そこでわかった。
単に性格というより、個性の問題なのだ。
彼女の感性は世界と隔絶している。一体どんな目でこの世を見ているのか、さっぱりわからない。ざっと思い返しただけでも、五感を制御下に置かなければ生きられないこと、性差を意識できないこと、食事に苦労を見せていること、視力、戦闘……いくらでも挙げられる。
他人の言う普通に、共感できないとも言っていた。
それら世界とのギャップは、彼女にとって対人関係をより難しいものにしているはずだ。
そこで生まれる軋轢に、彼女の方が耐えられないのだ。
好かれないのではなく、彼女が周囲を遠ざけている。
呟いていた。
「俺も……」
共感したからだ。
「俺も、人付き合いは少ない」
そして、友達と呼ぶ気の残った相手は一人も居ない。
「ふふ……少し意外だけど、やっぱり変わり者だからでしょう?」
「そうかな、疲れるんだよ。気を遣って付き合うのは」
交流上生まれる軋轢や気苦労を恐れて自分から線を引きたくなるのは、廉太郎も同じだったから。
周りは皆気軽に人を友人と呼ぶが、廉太郎にとって友人として人を捉えるのは重いことだった。
お前に友達は一人も居ないと宣言され、その言葉に納得してしまったあの日。廉太郎の中で友達という存在の定義は捻じ曲がった。
心をまるごと曝け出せて、命を軽く預けられること。
そんな相手は一人もおらず、そしてこれからも得ることはない。
別に人からどんな気安い思いで友人と呼ばれてもかまわないし、それは素直に嬉しく思う。それでもどれだけ思ってくれているのか気にせずにはいられないし、どうせ大したことはないのだろうと見定めてしまうのが常。
本当に性格が良くない奴だと、自分でも思う。
――――――――――――――――――――
私に友達がどれだけいるのか、自分でも分からなかった。
自分ではそう思っていても、相手にそう思われていないこともあるからだ。反対に私の方が、せっかく親しくしてくれる相手を疎ましく思ってしまうこともある。
自他共に、相性が合うことは稀。
人間は嫌いで、友人になる気などさらさらない……例外であるロゼを除いて。
彼女は誰にでも優しく、相手によって態度を変えることは決してない。
私が十歳、この町に来た時から親しくしていたし、八年来の友人だと言うことが出来る。
彼女の年は六つも上なのだけれど、そんなことなど忘れさせるような気さくさがある。昔からずっと。
そして誰にでも優しく、皆に好かれている。
ちょうど私と正反対にいるような相手だ。そう思うと、引け目を感じずにはいられなくなる。