第二十話 品定め
慣れた手つきで車を飛ばすロゼにつれられて、数十分ほどで目的地に着いた。ラックブリックは港町、その海沿いのまっすぐ先の施設に、目的の人物が在籍している。
末期患者の収容施設。通称、隔離病棟。
末期患者とはその名の通り、魂の歪みである異形化が限界近くまで進んだ人間のことを指している。彼らを放置するのはあらゆる理由で危険、いつ自我と肉体が暴走するかわからないのだ。
そこまで至ってしまったものは、本人がまだ苦しまない内に安楽死させることになっている。それを否定するものは、この町にはいない。
できるだけ長く人として生きられるように、それでいて何ものも害させることのないように収容している。
病棟とは名ばかりの終了施設。
「……」
そのような説明を受けた廉太郎の表情を、言葉で形容することは難しい。何しろ本人自体がどういう顔でその場に向かえばいいか迷っているのだ。
反対に、前の席に座る二人の様子は明るかった。
「今日もいい天気だ。暑いくらいだが気分はいいな」
「私は曇り空が好き」
「暗いなぁ」
「落ち着かない? 世界に蓋でもしたみたいで」
蓋。
手の付けられないものを閉じ込めている。
その終了処置は最適解で、他に打てる手は何もない。そしてその選択は、どんな世界でも下されるべき普遍的なものだ。
思いつく限り人道的なのだろう。しかし、それでも廉太郎の気分は重かった。別に、特別な主張があるわけではない。ただあまりいい気分ではいられないというだけ。
元の世界にしたところで、例えば安楽死を待つ人たちの近くに廉太郎は近づかなかっただろう。極限の状況にいる相手にどう接し、どういう思想を向ければいいのかなど想像ができない。
できるなら関わりたくないという意識が、確かにあるのだ。
――なのに、これから遺産を貰おうだとか……。
そして、それが万全にサポートされている。倫理的に正当化され、権力を持って支援され、導かれている。
廉太郎はそれが嫌だった。
町の外にも、人々の拠点が点々としている。農耕地など町の外で働く人は別個に住まいを持っているし、町には住まずともその機能を利用する者たちも付近に住み着いている。
病棟はそれらからも離れた、海沿いに面して孤立した建造物だった。白く簡素な外見はまさに病院の様、一見すると普通の建物に見える。
しかし、やはり異質。一階部分は異なるようだが、より上の階には窓が付いていないようだった。周囲は有刺鉄線と鉄柵が囲っており堅牢。容易に侵入することも、外に逃げることもできない監獄のように見える。それはあくまで魔法の存在を度外視した話であるが、当然考慮されているはずだ。
十分に人を収容できる。
ロゼが正門に備えられた呼び鈴を鳴らすと、すぐに中から現れた職員が応じてくれた。その男性はロゼの顔を一目見ただけで、にこやかに三人を招き入れていく。彼は一言二言会話を交えただけで、すんなりと要件を承諾したようだった。彼女の欠けた右腕には気づかぬまま気軽に鍵を渡すと、それきりどこかへと消えてしまった。
人の働く気配はするものの、周囲には誰の影も見えない。
聞く限りにおいて重要な施設だというのに、あまりに自由すぎる。
「こっちだよ」
引率するロゼは通いなれた職場でも歩くように足取りが軽い。先ほどの顔パスに近い様子からも、あながち間違ってもいないのだろうと思う。
彼女の仕事は、魂に触れる能力に連なる。多岐にわたるようだが、主なのは心理的ケアだとも言っていた。この世界の問題を前にして、その需要は高いのだろうと思われる。
どうにもその力には唯一性があるように、諸々の情報から思えていた。少なくとも、あのときユーリアもアイヴィもそれをしようとせず、真っ先にロゼを頼ったのだ。
そんな彼女だからこそ、この終了施設に馴染みがあるのかもしれない。ここに収容されている者たちの心境を思えば、最もカウンセリングめいたものが必要だろうと思うから。
「もしかして……」
――いつか、この人も……ここに?
先日の彼女を思い出して、唐突にそんな発想をしてしまう。
怖ろしく変貌した肉体に引きずられながら意識を失っていた姿。あれはもう末期を超えていたし、人間をやめていた。
彼女自身も、上司であるルートヴィヒも、彼女の異形化は進んでいると言っていた。暴走は初めてだが、肉体の変化は珍しくないと。どうやら彼女には特異性があるようで、あの状態からの回復は果たせてみせた。
しかし、それが常態であれば、この先もどうなるのかはわからない。ここでの収容基準に実は近いのではないかと思うと、まるで自分のことのように恐ろしく感じてしまう。
幾度目かの鉄格子のセキュリティを超え、三階の一室の前にまでたどり着いた。さすがにそこまで顔パスではなかったが、皆ロゼを見るなり気を良くしながら道を開けていった。ここまでくると顔なじみと言うより、慕われているとと言う方がしっくりくると確信させられる。驚くほど親切で気安い彼女の性格を思うと、それもおかしなことではない。
「人気者」
ぼそりと、ユーリアは呟いていた。
それを受けて、
「顔がいいからね」
当然のようにそう返していた。冗談っぽく言ってはいるが、冗談だと思っているようにはとても見えない。それだけ言っても言葉負けしない綺麗な顔をもっており、しかも全く嫌味に感じさせない。
というか、夢の中の彼女も同じようなことを言っていた。
――どれだけ顔に自信があるのだ、この人は。
下世話な話、その顔に加えて百八十に届きそうな長身と性格まで合わせて考えると、恐ろしくモテたりするのだろうと思わされてしまう。
まぁ、肉体のラインやそのスタイルはコートで一切が隠されてはいるのだが……これまた低俗な話だ。
長い廊下の壁に備え付けられているのは、まるでマンションのように立ち並んだドア。しかしその風貌は重厚であった。確実に閉じ込めることに特化した独房のドアのように。それでも、扉だけ見ても人道的な配慮が感じられる。扉の脇には病室のようにホワイトボードがかかっていたし、そこにはたわいもないメモが残されていた。
ここは病院ではなく、監房でもない。収容されているのは罪人ではない。外に出してはならないとみなされただけの善良な人たちだ。
それでもロゼが足を止めた扉のボードには、ただ名前が書かれているのみだった。
名は、グライフ・ロード。
ロゼは静かに鍵を差し込み錠を空ると、強めにドアをノックして声をかけていく。
「失礼」
そうドアを開けて目の前に現れた部屋は、本当にただの一室だった。ベッドがあり、椅子があり、机のある、ただの住居の一室だ。間取りも悪くなく、生活様式も整っている。
そこで暮らすことに特に不便が見つからない、そんな印象をうける部屋だった。
男は椅子に座って本を読んでいた。おそらく四十代の、初老に差し掛かった細身の男だ。
「やぁ、グライフ」
ロゼの声に、グライフは顔をあげた。部屋に上がりこもうとしている三人の姿を睨みつけるように捉えると、そのままぞんざいな態度で言葉を投げかけていく。
「誰だ? ここの職員ではないな」
「――えっ? それは……寂しいな。忘れたのか、私のことも」
親し気に声をかけた彼女は、それで本当に気落ちしてしまったようだった。夢の中でもそうだったのだが、軽い性格に見えて意外なほど気の浮き沈みを見せることがある。
「お前らのことなど俺は知らん。世話でも焼いてやった気か? こんな部屋に閉じ込めておいて」
彼の目は虚ろだった。その体の異常は病衣越しに確認出来なかったが、どこか違和感を覚えるものだった。肩幅のバランスが左右非対称に見えるのだ。
鋭く、端的に声を発していく。
「何の用だ?」
「要件は……そいつのことだよ」
ロゼが顎でしゃくって見せた先にある物に、廉太郎は扉が開いたときから注意を引かれていた。
男の傍にはもう一つの人影があった。寛いでいる男と反対に、給仕のように立ち尽くしている。
それが人間ではなく、例の人形であるということは状況的に理解していた。隔離されている男の傍に、別の人間がいるはずがない。
小柄な体に作り物のように整えられた顔を備え、綺麗な髪と服に包まれた直立不動のそれが模しているのは、人間の少女だった。
それはあまりに人に近く、一目で人形だと見破れる者はいないだろう。距離は十歩以上離れているのに、その鼓動や息遣いさえ聞こえてきそうな生のリアリティーを備えていたからだ。
瞬き。
「……動いた?」
また、瞬き。
――これは……生きているのか? 単に、物ってわけでは……。
身長も顔の造形も、人の子どもと見分けられない。背丈はアイヴィより少し低い程度で、目測で百五十センチ無い。知らずに紹介されれば、間違いなく小学生だと思っただろう。
着せられている服は素肌にあたる部位を完全に隠していたし、その下がどれだけ精巧なのかは分からない。
不意に、視線が合っていた。それは眼球を動かして視線を合わせたのだ。そんな無意味な操作をわざわざ男がするとも思えないので、自律して動いていることがわかる。
廉太郎は人形に関する説明を受けてから、その正体を漠然と掴んだきり疑わなかった。便利な追加の肉体と言ったように等身大の、それも精巧なマネキンの類いを想定していた。魔力で操作するロボット程度の認識でしかなかった。
誰もが、それを物としてしか説明しなかったからだ。
だがこうして目の前にすると、話がまるで違うようにしか思えない。
生きているようにしか見えないのだ。
ロゼは会話から本題につなげようとしているのか、そんな人形の様子をみて冗談でも言うように笑いかけていった。
「それさぁ、前も思ったんだが……着せている服が暑苦しいな。見ていて気疲れするだろう?」
その人形には真冬に着こむような重たい外套が着こまされており、襟まできっちりと閉じられている。サイズが合っていないのか、それで口元が深々と覆われてしまっていた。
そのため、表情が分からなかった。
外気はとても冬だとは思わないほど暖かい。半袖でもいいくらいだ。
「お前がそれを言えるか? 覚えている限り、常に同じ恰好だったと思うがな」
男はそこで表情を崩し、弛緩した空気が流れていく。
ロゼの服装も負けず劣らず暑苦しいものだ。肌も体つきも総て覆い隠し、顔意外晒そうとしていない。冬服と言うには異質。まさしく魔法使いや聖職者でも着ていそうな、それだけで特別な人間だと主張するような恰好。
思えば昨日その上着は大きく破れてしまったはずなのに、まったく変わらない服を再び纏っている。
「ん、まぁ……うん。というか、なんだ。忘れてないだろう、私のこと」
「……それで? まぁ言いたいことは察するがな」
そこで、ロゼは廉太郎の背に手を触れた。要件は自分で伝えろとでも言うように、背を押してくれているようだった。その気遣いがあまりに嬉しいものに感じられて、廉太郎は臆することなく自分の意思を発していた。
「始めまして、グライフさん。実は、あなたの人形をどうしても譲ってほしいんです。急だし、不躾だとは思いますが……」
彼は廉太郎に目をむけると、しばらくそのまま眺めていた。やがて静かに目を閉じ、
「駄目だ」
「――え?」