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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第一章 越境のアジャスト
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第十七話 倫理観

「あぁ、そう。……別の問題が現れたわね」


 そう言ってユーリアはカップに口を付けた。目を閉じて会話を中断し、ゆっくりとその中身を飲み込もうとしていく。それも、恐らくたった一口ほど。

 食事と同様に、水を飲み込むことにすら時間がかかってしまうようだ。


「人形、人形ねぇ……確かに、それ以外に魂に穴を開ける手段はないようだけど」


 夢の中での会話を打ち明けると、彼女はは黙ってそれを聞き入れてくれた。信用してもらえるだろうかと疑ってしまうくらいには怪しい話だったのだが、彼女は少しも疑おうとしなかった。


「少し、気が重い」


 代わりに、少しだけ表情が暗くなってしまっていた。


「気軽に勝手な事言ってくれるわね、ロゼも。……まぁ、あなたが危険なのであれば私は手を貸すんだけど」


 人形を手に入れる。聞いたときはそこまで難しいとも思わなかったのだが、彼女の反応を見るにそうはいかないらしい。可能ではあるが容易ではなく、気も重くなるようなこと。

 ロゼから与えられた情報は、人形を手に入れて魂に穴をあけ、魔力を逃がす術を得ることだけだった。だからどうやって入手するのか、どういった物なのかは聞いていない。


「……ものすごく高価だったり?」


 惜しげもなくお金を払ってくれた彼女が渋るとなると、相当高いのだろうと思ってしまう。

 しかし、そうではないらしい。


「お金では手に入らないわ。持っている誰かを殺して、それで奪うしかないの」

「……物騒な話だけど、なんで?」


 耳を疑うような話だったが、冗談を言っている様子もない。

 仮に非売品だとしても、持っている人がいるのなら金銭でのやり取りが可能なはずだ。彼女がそれを無視して強盗に手を染めるような人だとは思えなかったし、仮にそうだとしても力づくで奪った後に殺してしまう必要はない。

 どう考えたところで、殺すという発想に第一にたどり着くのが不自然に思える。


「そもそも、なんで人形が魂に穴をあける道具になるかも分からないんだよな」


 魂が実体を持たない以上、物理的に穴を開けるわけではないのだろう。しかし、どんなに霊的なピアッサーが存在したとして、それを人形と呼ぶのは不可解。

 想像力を働かせてみても、呪いの人形くらいしか思い浮かばなかった。

 ユーリアは人形の説明をしてくれるようだったが、まず聞かせてくれた言葉はうまく呑み込むことが出来ないものだった。


「人形って別の体なのよね」

「……はい?」


 さすがにこれでは伝わらないと思ったのか、彼女は言葉を選ぶように説明を進めていった。


「だから……もう一つ自分の体があれば何かと便利でしょう?」

「そうだね」


 作業効率も上がるし、一人ではできないことも可能になる。


「魔力で操れる等身大の人形なの。で、動かすためにはあなたの魂を人形と繋げなければならなくて、その過程で穴が開いてくれるのよ。……こう、糸電話繋ぐみたいに。……紐が魔力で、魔力って魂なんだけど」


 聞いている方も理解が難しかったのだが、それを一から説明する彼女も難しそうにしていた。魔力に関する前提知識が違いすぎるので、互いに噛み合わせが悪いのだろう。

 それでも彼女はその差を想像し、埋めようと努力してくれているようだった。なんとか伝えようと、両手で身振り手振りを交えながら。心なしか口調も雑になっているし、例えも分かる用で分かりにくかった。

 それでもその健気な姿勢のおかげで、廉太郎は徐々にその正体を正確に掴むことが出来かけていた。


「その魔力の繋がりは本人にも他人にも絶対に切れないのよ。それが切れるのは、持ち主が死んで魂自体が消滅したときだけ」


 だからこそ、人から奪うのであれば持ち主を殺すしかなくなる。


「じゃあ、人から奪う以外の入手方法は?」


 と言うより、正規の入手方法が必ずあるはずだ。

 専門店や製造元から誰の手にも渡っていない新品を購入するのが自然。自然すぎて、それが逆に不可能だということも明白だった。彼女は、それを考慮する素振り一つ見せていないのだから。


「無いわ。製造元は外の国の研究機関。それも軍用兵器だしね、これ」


 この町はどこの国にも属しておらず、どこの国とも対立しているとも言える。

 それで、とても取引きなどできるはずがない。単なる国産品なら話は別だろうが、兵器ともなればその扱いには最上級の厳格さがあるに違いない。


「それにしても兵器か……」

 

 操る肉体が別にあるのなら、兵士が死ぬリスクがなくなる。共に戦えば戦力が増すことにもなる。

 もう一つの肉体があれば便利なのは、つまり戦闘においても同じことなのだ。


「単純に戦力が倍になるほど使い勝手はよくないみたいだけど……それでも色々使い道があるわ。知覚情報も共有できるしね」

「俺には、持て余しそうな話だけどね……」

「それでも魔力の逃げ道が確保できるのだから、手に入れない理由はないでしょ」


 廉太郎から人形へ魔力を送り、その人形が魔法を使えば溜まり切ってしまった魔力を外に逃がすことが出来る。

 ユーリアは手に入れる方向で話が進むと思っているようだ。戸惑ってしまうが確かに、廉太郎はまだ否定の言葉を口にしていなかった。


「で、でも……それって国の軍から奪ってくるってこと? ……軍人と戦う?」


 廉太郎に戦う術がなくユーリア以外には頼れない以上、彼女に戦ってもらうしかなくなる。女の子であろうが軍人であろうが、人に戦ってくれなどと気軽に頼むことはできない。

さらにそこに殺人まで含ませるとなると、もう考えるに値しない程ありえない。

 もうこの話は、廉太郎の中で半ば風化しつつあった。

 

「個人でそんな軽率なことはできないわ。それでなくとも、民間にだってだいぶ流れているから。この町にだって、少しくらい人形持ちはいるしね」


 人形が軍の管理を離れ民間に流れる経緯は単純だ。

 それは戦闘中に持ち主である軍人が死ぬこと。所有者を失った人形は無力化し、それが何処の誰の手に渡るかはその時の状況次第。流出を防ぐために、人形にはそのような状況下で国の管理下に自動で帰還するようなプログラムと、それを可能にするだけの緊急用予備魔力が供えられている。他者の手に渡るリスクを、当然軍も危惧している。無理やり奪取されそうにもなれば、自衛自壊するだけの機能も備わっている。

 それでも、例外はどうしても生まれる。最初から人形という兵器の奪取を狙った者たちであれば、持ち主を殺した後自壊を防ぐ手段も用意する。それに、ある程度強力な魔力の持ち主、それこそ魔術師ほど魔力運用に長けた者ならば強引に人形の機能を支配してしまえるいう話だ。

 他に、正規品として僅かに横行した個体や不正に流された個体も考えるならば、相当数の人形個体が軍の手を離れて出回っているはずであった。

 そのような現状はだいぶ混沌としているように思われるが、実際にそれほどの価値がある物でもないと言う。戦力としての重要度は魔術師より遥かに劣る上に、それが発揮できる戦闘力は所有者に大きく依存する。満足に操りこなすには、国で長期間の教育と訓練課程を修了させた魔術師ほどの実力が求められるのだ。その他の素人にとっては、せいぜいが便利な武器。杖にも荷物持ちにもなる銃でしかない。

 廉太郎が当初想定したような、雑用人材の代用品として扱われるのが関の山でしかない。


「この町には手をだせないけど……それでも心当たりは他にあるわ。少し遠出になるけど、今から探しに行きましょう……口実もあることだし」

「は、早くなってる!? ……話が!」


 廉太郎はこの展開に心当たりがあった。先日の朝彼女と腰を据えて今後のことを話した時、廉太郎の意思に反して矢継ぎ早に対応を進めてしまったのだ。

 あの時は、廉太郎が口ごもったせいで彼女に要らぬ不安を与えてしまったのだった。その時の反省を生かし、端的で明確に自分の意思を宣言していく。


「ちょ、ちょっと待って! ……人を殺すなんてことは論外だ、大前提として」

「他に……手はないと言っているのに」


 ユーリアは少し驚いた顔で廉太郎の言葉を受け止めていた。

 彼女の態度は、先ほどから殺人を躊躇おうとしていないように見える。まず最初に気が重いと言ったことからも、決して無関心であるわけではない。それでも、他に手がないとなればその選択肢に迷いはないようである。

 どうあれ自分の都合で人の命を奪うという姿勢は、当然廉太郎にとって好ましく見えるものではない。しかし、そのことで彼女を非難する気にはとてもなれなかった。

 生きてきた世界や立場が違えば、価値観や倫理観は大きく異なるのだろう。それが正しいか正しくないかなど考えたところで、意味は何も無い。

 彼女の立場はとてもシンプルで、自分の命を第一に優先するという当たり前のものに過ぎない。


「それでも、誰かを殺すなんて俺には無理だよ」

「……大丈夫よ、私にまかせて」


 彼女の言葉には、やはり迷いがない。自分の命ではなく、他人の命のためであるというのにも関わらず。


「そうじゃない。ただ手を汚したくないってわけじゃなくて……なんていうか、駄目なんだよ。俺のせいで誰かが死んでたら」


 今度は、廉太郎が彼女に合わせて自分の考えを伝えられる言葉を探す番だった。当然うまく見つからず、選んで口にした瞬間からそれが正しいのかという自信すら無くなってしまうようだった。


「そうね、あなたの葛藤自体は理解できるわ。誰にだって気分のいいことじゃないし、私だってできればしたくないと思う。でも、あなたの命には代えられないでしょう?」

 

 廉太郎の迷いを耳にして、彼女が口にしたのはそんなことだった。自分の命を大事に受け止めてくれているという事実は、きっと親しい間柄であれば少なからずあることだ。それでも面と向かって言われると、どうにも嬉しく思わされてしまう。

 しかし、最も重要なことは他にあった。

 彼女が、できれば人など殺したくないと口にした事実。


「でも、君の気分にだって代えられない。もちろん、俺の気分にも代えられないけど」

「え、何……私のこと気にしてるの?」


 彼女は、そこで少し困ったように笑ってしまっていた。少し緩和した空気の中、冗談でも言うように彼女は口を開いていた。


「あなたが死ぬくらいなら、この町の人間を皆殺しにするくらいの覚悟はあるんだけど……」

「そこまで重く捉えないでいい!?」


 さすがに冗談だという確信はあるが、どうにもそこまで言わせてしまう理由が分からない。

 彼女が親身になってくれるのは、この世界の人間とは異なる態度を示せることへの好印象と、その境遇への同情心くらいのはずであるのに。


「そんな覚悟だってさせられるわけないだろ」


 廉太郎は真面目な顔でそう言っていた。自分が誰を殺すのも、ユーリアに誰かを殺させるのも選べないという明確な意思はそれで伝わったはずである。


「あのね、それじゃ――」


 彼女はすぐさま言葉を返そうと口火を切っていたが、不意に言葉を切って俯いてしまっていた。立ち上がろうとまでしていたのか、中途半端な姿勢で固まっている。そのまま一人でぶつぶつと呟いていたかと思うと、やがて静かに姿勢を戻した。

 そうして、驚くほど穏やかな声で廉太郎に問いかけていく。



「……じゃあどうするの、死ぬと言われたのよ? ……ロゼは、命に関して適当なことは絶対言わないわ」


 本人の弁では猶予はもう幾ばくも無いとのことだった。それが具体的にどの程度の日数なのか想像しようとして、そこで考えるのを中断した。


「それでも、無理なものは無理だ。それだけは選べない」


 譲れない一線。誰がどう言おうとも、頼るなら絶対に他の手段しかないと強く思う。


「……それで、他に打つ手が何もないのだと……仮にそうだとしたら?」


 廉太郎はもう、そうしたら大人しく死ぬしかないと思う。

 葛藤はある。

 死んでしまい帰れなくなってしまえば親を悲しませる。かといって知らない誰かを犠牲にするには、それはその相手にあまりに悪い。

 あらゆるしがらみを天秤にかけて、どれも選べないのだから。そのまま朽ちていくのが自然。

 別に、死にたくないという気持ちが弱いわけではない。


「……ねぇ、本気で黙っているの?」


 彼女のその問いには、複雑に混じり合った多くの感情が込められているようだった。  

 その全てが身に余るほどありがたくて、申し訳なくて……廉太郎は視線をそらしてしまっていた。


「俺にはその……耐えられないから」


 気がかりなのがユーリアの気持ちや倫理観だけだったのなら……例えば、自分の手で誰かを殺すことは選択できたのかもしれない。

 しかし、廉太郎の心を縛っているのはそれだけではなかった。

 その罪の重さを直視して背負い続け、生きていこうと思えるほど廉太郎の心は強くない。


「――あぁ、もう何考えているのよ! ……だめ、苛々してきた」

 

 結局、彼女を怒らせることになってしまった。それが少し悔しくて、もう少し口にする言葉を選ぶべきだった、などとぼんやりとした頭で考えていた。。


「ごめん……」

「あのね、謝らないでよ」


 そう言って、ため息。

 沈黙。

 やがて彼女は議論を諦めたように、気まずい空気を散らすようにぽつりと呟きだした。


「本当に理解できない。理想として語るならまだしも、死に直面してそんなこと言える……? それこそ、別世界では思考回路も別物なの?」


 ――別に、人が良いわけでも特別なわけでもない。……ただ臆病なだけ。


 そして、妹の七見であれば同じ状況下で、どう答えを出すのかとふと思いを馳せる。

 どうだろう。自分が死ぬことなど許さないと容易く覚悟を決めるような気もする。或いは、他人の命を奪うストレスと死のストレスを天秤にかけて、後者がより気安いと死を受け入れるのかもしれない。 

 意外と分からないものだと、廉太郎は人知れず笑ってしまっていた。

 その様子を見たユーリアは、いよいよ気持ち悪そうな顔すら浮かべてしまう。


「な、なによ? ……ま、いいか。柄じゃないし、お手上げ。共感できないのには慣れてるしね」


 ついに、理解しようとすることすら諦めたようだった。 


「それでもあなたの不可解さは、よく考えてみれば別に悪いものでは……」


 彼女はそう呟くと、目を閉じて何事かを考えこんでしまった。そのまま腕も組んでしまうと、絵として様になっている。目を閉じているのをいいことに、思わず眺めてしまっていた。彼女の疑似眼球、瞼を閉じている間は通常通り隠されているだろうから。それでも、もし仮にそういった常識が覆されていたらと思うと、不躾に眺めていたことが急に気恥ずかしくなってつい目を泳がせてしまう。

 まさかそれに合わせたわけではあるまいが、彼女はそれと同時に目を開けると、一つの疑問を口にした。


「……ロゼはあなたの性格を覗いた上で、なんてことを提案をしたのかしらね?」

「え?」

「そういうの、ものすごく敏感に察してくれる人だから。こうなるって予想してくれそうなものなのに……」


 確かにその印象は、ロゼの人物像に当て嵌まる。ものすごく親身になってくれる人だったのだ。もちろん、こうしているとユーリアだって負けていないのだが、彼女のそれはまた種類が別物のように思えてしまう。

 



「駄目もとで本人にも話を聞きに行きましょうよ。事情を忘れていても、魔力運用なら彼女が一番詳しいんだから」

「それはいいな。ちょうど、先日のお詫びも言いに行きたかったところだし――」


 行動が決まったところで、手付かずだった朝食を片付けに入る。彼女は会話しながら食事をとろうとしなかったので、料理はすっかり冷めきってしまっていた。

 彼女はゆっくりと、だが確実に急いで食事を終わらそうとしている。そんな風に食べ物と戦っている姿を見て、廉太郎は妙に落ち着かなくなってしまっていた。


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