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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第一章 越境のアジャスト
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第十六話 フィルター

 目の前に、一枚のフィルターがあるとする。

 視野角を全て覆うそのフィルターは、目に飛び込んでくる刺激の内、目で見ることを許可する対象を脳内で選択し、それ以外の情報を目に映らないように弾き飛ばしてく。

 例えば、目の前に会話相手がいるとする。

 人混みの中であればその他の人間は、相手との会話には必要のない邪魔な情報。意識の外に追い出したとしても、不都合がない。それ以外にも、背景や派手な装飾など、不要な情報を片っ端から意識の外へ追い出していく。

 しかし、それら排除したものを脳が認知していない訳では無い。正確には、それがそこにあるという事実をフィルターが隠している……ということを認知している。脳は捉えているが、眼球への刺激になってはいない。視覚器官を通して脳は百パーセントの情報を得ているのに、眼球自体はわずかな刺激しか受け取っていない。

 そうして自分を騙している。

 そのような制御を視覚のみならず五感全て同時に行う。

 ユーリアは、そのような制御無くしてはまともに生きていくことができない。

 誰もが直視できる光源を、無視できるような雑音を、しかし彼女だけが耐えられない。目がくらんでしまう光源があれば、いくら眺めていても平気なように刺激をフィルターが排除する。感覚としては、それこそサングラスに近い。

 そのフィルターに吸われた情報を、脳自体は読み取っている。だから、光を見ても眩しいと思わないのに、そこに光があることを知っているという矛盾した瞬間を作り出すことができる。

 


 

 ユーリアは眠るのが好きだった。三大欲求の内食欲と性欲がまともに機能していない彼女にとって、睡眠は数少ない快楽であるとも言える。

 睡眠への欲求も強い。夜はすぐに眠くなってしまうし、朝も自力では起きれないほど眠り続けてしまう。

 今朝は誰にも起こされなかったために、日が昇り切るまで熟睡している。

 

 ――……んっ。


 毎朝のことながら、覚醒は唐突だった。

 寝室に仕掛けられていた起床を促す魔法が起動し、微弱な魔力の波が室内を一巡。魂が振動し、単純な反射反応によって強制的に意識を取り戻していた。

 とはいえ、その覚醒感は通常の起床と何も変わらない。別に電気を流されたような痛みや不快感があるわけでもなく、瞬時に意識が明瞭になるわけでもない。

 当然のように気だるく、眠たい。

 それでもユーリアは、二度寝だけはしようとしない。

 眠るのに不必要、かつ僅かでもあれば睡眠を妨げるような五感を徐々に回復させていく。触覚だけは安全に横になるために僅かに残さざるを得なかったが、他の感覚は完全に排除しているのだ。ベッドに入った瞬間、彼女は音や光を味わうことを拒否する。 

 もちろん、脳内では周囲の状況を把握できているので安全性は確保している。それでも、眼球の事情から視覚以外の情報に限られてはいる。

 それらの五感を徐々に回復させていくのは、毎朝のルーティーンワークだ。高度な魔力制御を、目覚まし時計を叩くように気安く行っていく。

 周囲に存在する雑多な情報の中から必要最低限のものを選ぶ。そしてフィルターを通った脳内情報でしかなかったものを、体が味わう実感へと変換。そして、その過程で生じる不都合をすべて微調整していく。

 まずは、聴覚の再生。


「おはよう……アイヴィ」


 そう呟いた情報としての事実が、無事に耳で感じ取れることを確認する。正常な声が耳を通り抜け、脳内の情報と耳が味わった音が完全に同調する。


 「――ん、あれ?」


 返事だけが聞こえなかった。いつもは必ず返事をしてくれるのにと、不安になってしまう。

 ルーティンとはいえ、僅かに誤差はでる。

 制御を間違えたのだろうかと考えて、すぐにそれを否定していた。脳が仮想世界のように捉えている周囲の情報の中に、アイヴィの返事など初めからなかったからだ。


「あれ、いないの……?」


 慌てて視力を回復に移行する。

 脳内の仮想世界に、視覚情報は今適応されていない。視覚器官がないからである。

 失った眼球の機能を代替する、疑似眼球を形成していく。それが視力を得る前に、目に入るすべてをフィルターで弾いておく。脳が視覚情報を新たに加えて仮想世界を再構成する。その世界に現れたのは、扉を開けて立ち尽くしている廉太郎の姿だった。

 想定していない姿に、返事がなかったのにも納得できた。ゆっくりと眼球の使用を許可し、視力を再定義する。

眩しい日の光に眠気が緩和され、思考が定まり、そして、


「――はぁ……」


 彼女は、自分が裸眼を晒していたことに気付いたのだった。



――――――――――――――――――



「ごめん、ほんとに……」

「だから、いいって言っているのに。別に気にしないから」


 廉太郎は彼女が部屋を出てから、平謝りを繰り返していた。

 彼女の寝室を開けたのは、アイヴィに起こせと言われたからである。いくらノックしても声をかけても反応一つ返ってこなかったので、仕方なしにドアをあけてしまったのだ。

 決して、気軽に開けたわけではない。

 女性の寝室に無断で入るなど許されることではないし、そこまで気安く接せられる間柄ではないのだ。

 それでもアイヴィと一度約束してしまった以上、約束を反故にすれば今度は彼女の心障を悪くしてしまう。どちらにも嫌われたくないと悩んだ末に、母親が許可したのだから良いだろうと言い訳をすることにした。

 アイヴィは廉太郎を彼女にけしかけようとしている節があるが、彼女の異性と同性を同列に見ているという特異性を考えてもそこまで騒がれることはないだろうとも思ったのだ。

 しかし、ドアを開けてすぐに後悔することになった。

 なぜなら、彼女が服を何も身につけていなかったからだ。


「私の配慮が足りなかったわ。一言言っておけば良かったのよね……ごめんなさい」

「……なぜ、俺が謝られているんだろう」


 ユーリアは異性と同性を区別せず、そういった羞恥心もないと聞いていた。だから、感覚としては同性に見られたくらいのアクシデントでしかないのだろう。それにしても少しくらいは怒ってほしいとも思ったが、逆に申し訳なさそうに謝ってさえいる彼女の様子に目が丸くされる。


「だって、異性の体なんて見たら色々大変でしょう? それくらい分かるのよ」

 

 ――気遣いがだいぶズレてる……。


 つまり、それによる廉太郎の気苦労を気に掛けてくれている……らしい。意識してしまったり欲情してしまったり、そういった発展性のない余計な負荷を与えたことを悔いているのだ。

 彼女は恋することもなく、触れることすら拒む人だから。

 

「一応弁解しておくけどそんなに見てない。肩くらいしか見てない。嘘じゃない」

「そんな顔しないでいいのに。私にとってはつまらないことよ」


 迷惑そうにすらしている様子を見て、それを思わず謝ってしまいそうになる。しかし謝罪を続けていくのも逆に不誠実なような気がして我慢することができた。意思のない謝罪はしたくなかったし、彼女にとってはそれこそつまらないだろうから。

 

「……な、なんで服着てなかったの?」


 代わりに、当然の疑問を口にしてしまう。冷静であったのなら、再度掘り返すことで気まずさを増すと気づいていただろう余計な問いだ。


「だって、服なんて着て寝られないのよ」

「なるほど?」

「起きてるときは誤魔化してるけど、服が肌に当たってるだけで気分が悪くなるもの」


 少し衝撃的な言葉だった。

 彼女の五感があまりに特殊なのは分かっていたが、服を着ることすら苦痛であるとまでは想像することができなかったのだ。

 そんな廉太郎の視線が気に障ったのか、彼女は少しだけ口をとがらせてしまった。


「なに? 変だって言いたいの?」

「い、いや……そういう人も少なくないと思う。これは個人差の問題だろうから」

「ふーん」


 服の感触が好きではないこと自体は、そんなに珍しいことでもない。人によって苦手な材質があったり、ゴムなどの締め付けを嫌ったり、オーバーサイズを好むなどの特徴が僅かながらにある。

 だから、彼女の性質はその振れ幅が大きいだけであって、別に変だというわけでも、病的であるわけでもないはずだ。


「――そうだ、だから性別を意識しないのも特筆するようなことじゃないはずなんだ……」

「えっ、そうなの?」


 唐突に思い至り呟いていたその言葉に、ユーリアは意外そうな声を上げていた。どこか期待するような彼女の視線に、言葉の責任を取らなければならないと思わされる。


「そうだよ。俺の世界だって、異性を意識するのが当然だとはもう公言できないし」


 この世界の性意識がどうであるのかは知らない。しかし、廉太郎の世界で言えば、ユーリアがそのように生きていったところで誰も何も言わないはずだ。


「私みたいなのも、珍しくない?」

「きっとね。人の数だけ性があると言われてるぐらいだ」


 少し、いやだいぶ大げさに言ってしまったがそこまで見当違いな考えでもないだろう。彼女はその言葉にいくらか満足したようだった。どういった感情なのかは分からないが、口元が可愛らしく緩んでいる。


「あなたはどうなの? 私の体を見て、何か思ったの?」

 

 さらりと、とんでもないことを聞いてくる。意識している駆け引きというわけでも、からかっているわけでもないのは明確だった。

 彼女は、単なる興味で聞いているのだ。

 思わず息を飲んでいた。実感してしまったその感性を凄まじいとすら思う。多様性の一つだとつい先ほど言っておきながら、彼女はやはり異質なのだと確信してしまう。

 人に体を見られても構わないが、触れられたくはない。

 孤立している。

 

「えっ!? あぁ、えーっと。お腹、傷残らなくてよかったね……」


 その実問われたことを何も答えられなかったのは、単に照れくさかったからだけではない。彼女にありふれた人としてての欲望を、言葉にして向けたくなかったのだ。なにやら、ひどく低俗なものに思えてしまう。

 綺麗だとか美しいだとか、ましてや欲情するなどといった言葉は全て彼女に贈るには躊躇われるものだった。


「まぁ、そうだけど」


 彼女はそう言って、一転して苦い顔をしてしまった。期待した答えに添えなかったのだろうかと頑張って思考を巡らせ、やはり人の容姿に関してはぐらかしてしまうのは不誠実だったと後悔した。

 

「い、いや違う! そ、その……恥ずかしいんだ」


 当たり障りのないことを言おうとして、何を言おうとも単に照れ臭いだけなのだと気づかされてしまう。

 廉太郎が羞恥に俯いていると、彼女もそこで何かに気付いたように気まずい顔で反省を口にしていた。


「あっ、ごめん。そういう感性は尊重しているつもりだったのに……」


 真面目だ。

 自分で理解できない以上、他人との余計な摩擦を失くそうと努力しているのだろう。


「でも俺だと分かった時、少し嫌そうにしてなかった? やっぱり、恥ずかしかったってこと?」


 余計なことを口走る。


「あの時、裸眼だったからね。それだけは抵抗があるの」

「まさか……裸眼の方が恥ずかしいとは」


 初めて洞窟であったとき、睡眠時と同じく疑似眼球を形成していなかったとき。彼女はサングラスなどの目を隠せる物を何も持っていなかった。顔を伏せ目を閉じ、素顔を晒そうとしなかった。

 意図せず見てしまったことは、彼女には気づかれていない。

 妹の七見も、同じように裸眼を晒そうとはしなかった。七見は空いた左の眼孔に毎日義眼をつけていたが、その上でそれを物理的に隠そうと躍起になっていた。前髪を伸ばすのは好みでなかったようで、もっぱらサングラスを愛用していた。学校にまで掛けて行きたがっていたが、当然日本の固い公立中学校では許可されず、しぶしぶと眼帯をつけて登校していたものだ。こっちの方が悪目立ちするだろうがと、しきりに文句を言っていたのを覚えている。故に高校には私服校を選んだのだが、そのためだけに必死で受験対策に励んでいた妹の事を、密かに変人だとも思っていた。

 

「で、これは魔力を質量化して形成した疑似眼球よ。よくできてるでしょう?」


 不意に、彼女は自慢の眼球を見せつけるように顔を近づけてきた。そんな不意打ちのような仕草にわけもわからず心臓が高鳴ってしまう。

 突然こういうことをしてくるのだ、この子は。

 寝室を覗いた時より心はかき回されてしまっていたが、目の前で輝く二つの宝石のような魔力光に目を奪われていた。


「――綺麗だ」

 

 そう呟いたことに気付かないほど、自然と声があふれていた。

 彼女の裸眼だって、一度見たら二度と忘れられない程に綺麗だったのだが。


「ありがとう」

 

 そう言って自慢気に微笑んでいる。自然と、それが最も近くで見た彼女の笑顔になっていた。

 

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