第十五話 狂える才能
わたしのお父さんは動物のお肉をつるすためのフックを口に引っかけられて、それを馬車に結ばれながら森の中をひきずり回されました。森にかくれていたわたしたちに見せつけて、悲鳴を聞かせようとしたのだと思います。
人間たちは最後にお父さんの首を切断すると、その首を柵に串刺しにして、体のほうは川に捨ててしまいました。
今から四十九年前のことです。
わたしはあれから、少しも大人になることができませんでした。
――――――――――――――――――――
――――――――――――――――――――
廉太郎は与えられた部屋で目を覚ました。気持ちよく休むことが出来たのか、体の疲れも寝起きの倦怠感もまるでない。やはり、人が住まいとしている寝室というのは心身共にリラックすさせてくれるようだった。
こうして人の生活空間に厄介になっていると、元の世界との差異がはっきりと見て取れる。例えば未発達な技術や、あまりに未来的な技術はあまり見られなかった。普通に生活する分において、廉太郎はあらゆる不自由を覚えずに澄んでいる。
決定的に違うのは、電力が使われていないこと。あらゆる道具のエネルギーが、魔力によって賄われている。それらは充電された電力のように個別に備わっており、魔力を発せられない廉太郎にも扱うことが出来た。
目覚めて、まず洗面台。
教わった手順で蛇口を捻り、顔や歯を新品の石鹸とブラシで洗っていく。鏡に映る自分の顔を見ていると、なんら変わらない毎朝のルーティーンでもこなしているかのよう。
「あとは、テレビでもあればな……」
探せばまだあるのだろうが、はっきり無いと目についてしまうのはテレビや電話機、それとコンピューターくらいのものだ。世界と繋がっているように錯覚させてくれるそれらの安心感は必要不可欠なものだと思っていた。しかし、それほど寂しいとも廉太郎は思わなかった。
言うまでもなく、この世界で縁に恵まれていたからだ。それらの縁は、未知の世界で溺れている廉太郎にとって、漂う藁どころか救助隊の手に等しい。
帰れる目途はまるで立ってくれないが、それでも絶望はせずにいられる。
「しかし……ほんとに立派だよな、この家」
そう言いながら、人の家を悠々と利用しつつ部屋に戻る。
部屋も広いが、家も大きすぎる。ユーリア一人で住んでいることが、疑問にさえ思う程に。
廉太郎には二階の一部屋どころかワンフロアまるごとが貸し出されてしまっていた。過剰だとは思ったものの、使ってないから好きにしていいと家主に言われてしまったのだ。
それまで空き部屋どころか空き階同然。
彼女は四階の一部屋を寝室にしている他は、基本的に一階にある食堂や浴室くらいしか使用しないらしい。
明らかに居住空間を持て余している。
四階建てに地下室まで備えたこの家屋は、冗談ではなく三世帯くらいなら暮らせてしまいそうだ。
「一人なのに、こんな……」
掃除すら大変なはずだ。
それはアイヴィに任せてしまうわけだ……しかし、そうなると親子で別居しているのも妙な話だ。独り立ちさせるというには、家事に対して過干渉に思ってしまう。
実力と地位、金も持っているユーリアであればこのくらいの家に住むのが自然なのだろうか。しかし、それにしては、
「ものすごく他に誰か住んでた痕跡があるんだよな……」
それも複数人。
まるで、大勢が住んでいた家から徐々に人がいなくなり、最後に彼女だけが残ったかのように。
そんな事情など何があったか分からず聞けるわけもないが、与えられた部屋にすら残されたそれらの痕跡にどうしてもそんなことが気になってしまう。
この部屋のかつての住人は女性――おそらく。
机やベッド、それから鞄や腕時計など簡単な日用品しかなく個人のイメージを捉えられない。それでも誰かがここを使っていたことはありありと感じさせられる。
適当に手に取った本にはメモ書きが挟まっていた。引き出しの中には、ひびの入った万年筆が放置されていた。
そんな生活感に、つい写真でも見つからないものかと部屋を物色してしまいたくなるが――
「……関係ないし、迷惑か。快く貸してくれてるのに」
そう思い直し余計な詮索を打ち切ってしまった。変に踏み込んだ姿勢を見せて、ユーリアの気を害するようなことはしないほうが良いと思ったのだ。
彼女は、一言もそこには触れなかった。
きっと何か、あまりよくない事情がある。
――余計なことで嫌われたくない、間違っても。
そうなれば、世界で孤立してしまいそうだったから。
廉太郎は未だ、この世界を恐れている。この世界の現実や、身の危険を感じているからではない。
それとはまた別の、正体が掴めない恐怖や気持ち悪さがある。そしてそれは、この世界の住人に対しても当て嵌まってしまうのだ。町ですれ違ったり、一言二言交わした相手から……アイヴィに至るまで。
ユーリアを除く全員に対して、理性や感情を度外視した苦手意識を持ってしまっているのだ。自分にも他種族 への妙な意識があるのかとも恐怖したが、どうやらそうではない。人種など関係なかった。
異郷の地なのだから、ある程度は仕方ないと割り切ってしまいたい。しかしあれほど気さくに接してくれることを思うとアイヴィに対して申し訳ない。罪悪感すら覚え始めてしまう。
廉太郎はアイヴィに対して、間違いなく好感を持っていた。とても親切にしてくれているし、人と成りにも魅力がある。これからも親しく居たいとも、心から思う。
だというのに、一歩引いたような隔絶が確かにあった。
「いや、駄目だ……顔があまりにも綺麗だから、それで緊張しているということにしよう。そうしよう――した」
その恐怖は異常で、不合理だった。あまりに感情や理性と乖離している。
気を紛らわすように服を着替えると、そのまま外へ朝日でも浴びに行こうと部屋をでた。窓からちらりと外を覗くと、すでに日は登り切っているように見えた。
通りから通行人の話声が聞こえてくる。
空腹を覚えた。
「――えぇ、寝すぎた……? もしかして」
時計から時刻を読み取ることができない。
夢の中で人と会話するなどという経験をしたせいか、深い睡眠にでも落ちていたのだろうか。
どうりで寝起きなのに眠気一つ感じないわけだ。
「そうだ、ロゼさんに会いに行かないと……」
そう思いだしたところで、そういえば彼女に対しても苦手意識は感じなくなっていたことに気付いていた。喜ばしいことなのだが、それでも少し納得のいかない思いで窓から差し込む日差しを浴びていると、ふと見知った顔を見つけていた。
「アイヴィさん? 何してるんだ、あの人」
彼女は家の正面に立ち尽くしていた。何をするわけでもなく、そのまま動こうとしない。覗いて様子でも伺っているというより、外観を眺めるようにぼうっとしている。
不審に思いつつも用事でもあるのだろうと、窓を開けて声でもかけようかとしばらく迷っていた。
すると、彼女は不意にそっぽを向いてしまった。かと思えば道なりに移動し去ってしまいそうになる。慌てて階段を駆け下り玄関を開け、その華奢な背に声をかけていく。
「おはようございまーす……あ、あれ?」
返事はなかった。足を止める様子さえない。
気づかれないような声と距離ではなかった。まさか無視されたとも思えないが、仮にそうだったのなら立ち直れない程のショックを受けてしまう。
ちくりと、嫌われてしまったのかという根拠のない疑念に襲われ、重ねて呼びかけるのに気後れしてしまっていた。
そのまま流してしまおうかとも考えたがあまりに後味が悪い。
「ま、待って……ください」
追いかけて正面に回り、面と向かって声をかけることができた。
「おはようございます、その……家を見ていたようでしたが?」
絶対におかしい事なのだが、それでも反応はなかった。
目の前の廉太郎を、彼女の目は捉えている。話しかけられているのも分かるはずだ。
足は止めてくれたものの、それは目の前に壁が現れたから進むことが出来ないとでも言いたいように空虚な停止だった。廉太郎を見てはいるものの、目線すら合わせようとしてくれない。
明らかに上の空、意識があるのかどうかさえ怪しいうつろな顔をしていた。
「ど、どうしたんですか!? ――あ、アイヴィさん!」
心配になるどころではない。ただならぬ様子が怖くて見てもいられず、思わず名を呼びながら肩を揺さぶっていた。
「――え、……きゃっ!?」
「おっと……っ」
すると、彼女はうたた寝からでも目覚めたかのように体をびくつかせて驚いていて見せた。不意に物陰から脅かされでもしたかのような反応に、廉太郎の方も驚かされてしまう。
「あ、あれ……廉太郎くん? どうしたの、急に……」
その様子は、もうすっかり見知った彼女のものに戻っていた。とりあえず安心させられたものの、無かったことにできるはずもない。
「どうしたのって、それはあなたの方ですよ。……ぼうっとしてましたけど、大丈夫ですか?」
「え……そ、そう? えーっと、何してたんだっけ?」
自覚がないのか、困ったように首をかしげてしまっている。
「あ、そうだ……あなたたちが全然朝ごはん食べに来てくれないから、それで呼びに来たんだったわ」
「……もう、お昼が近いみたいですけどね」
思わず確認してしまい、すぐに後悔した。
「――え? そうね」
そう笑って流している顔が、えも言えない程不気味なものに感じてしまったからだ。会話も不自然であるし、その笑顔には何かをごまかそうとする意図が見え隠れする。
なまじ顔が綺麗だと、笑顔さえ怖ろしいものに化けるのかと戦慄してしまう。
「じゃあ、あの子にお昼前に来るように言っておいてくれない? 私のお店、お昼からなんだけど……あの子客が入ると嫌がるのよね。多分まだ寝てるだろうから」
「は、はは……」
そう言ってにこやかに笑うアイヴィは、言葉も様子も普通のものに戻っていた。だからこそ違和感が強烈に頭に残ってしまったようで、笑ってごまかすことしかできなかった。
「朝が弱いのよ。誰かが起こさないと起きれないの」
「……言ってましたね、そういえば」
普段の様子と反対に、何やら子どもらしい意外さに安心させられてしまう。
「今朝はなんだか調子が悪いみたいで……起こしに行くのも忘れていたわ」
「そうですか……」
あそこまでぼうっとしているとなれば相当体調が悪いはずだ。熱さえあるのかもしれない。
しかし、それほど体調が悪いようにはまるで見えなかった。顔つきもはっきりしているし、喋りだした言葉はどれもしっかりしている。
「じゃあ、後はよろしくね?」
「――えっ!? それって……俺が起こすってことですか?」
それまでの余計な心配が一言で吹き飛ばされてしまうようだった。思わず確認した廉太郎のその言葉は、彼女のいたずらのような笑みで返されてしまう。
「そうよ、頑張ってね」
そう言って踵を返してしまった。
人を起こすくらいのことに頑張るも何もない。しかし、色々と気の重くなる指示であることは確かだった。
人間関係を一段くらいすっとばしている。
そして去り際に一度だけ振り返ると、何も言えなくなってしまった廉太郎に向けて、彼女は口を開いた。
「それと、今のことはあの子に言わないでね」
その表情はなぜか――今まで見せた中で、最も魅力的に見えていた。