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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
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第四十六話 否応なし

 カウントダウンは差し迫っていた。

 二日前から目に見え始めた死の予告、思わせぶりな人の姿をとる幻影。常に背後をつきまとい、刻一刻と近づいてくる。

 当初、それは遠目に見える点ほどの人影で、予感でしかなかった。今ではもう、背後数歩に迫っている。

 接触されるまで、体感で一時間弱といったところか。

 確実に取り殺されることになる。これ以上ない、分かりやすいまでの呪いの形。

 わずかに触れただけで、一度は気絶までしかけたのだ。背にぴったりと憑りつかれてしまえば、ただでは済まない。性質上振り払うことも、逃れることさえもできなくなる。

 正気ではいられまい。思考も判断も何もできない。

 その後の展開を思えば最悪のケースだ。その後に接触してくるであろう敵に対し、交渉を持ちかける余裕もなくなってしまうのだから。

 しかし、その最悪は免れた。


「……なんだ、その目つきはよ」


 敵の姿を、なんとか捉えることに成功したのだ。

 学団への事情、知識を抱えた『ロゼ』の不自然な反応を利用して。敵の顔は知っていても協力できないでいた彼女に、それと気づかせないまま。

 二日間に渡って苦しめられた、その敵の正体は女だった。

 それも比較的若い、東洋系の顔立ち――観察して分かったのはそれくらいだ。あとは挑戦的なことと、人格に問題があるようなことくらい。


「別に。緊張してるんだろ」

「威勢が良ぃなあ、――このガキが」


 なにせ、会話が成り立たない。

 これまで交流の意思の一切が見られず、素性を確かめるどころの話ではなかった。彼女の名前、立場、目的、状況――聞かれて答えて当然といった項目にも、返されたのは罵倒と支離滅裂な理屈だけ。

 想定していないケースだった。

 会えさえすれば、後は話は交渉に進む。そればかり考えていた廉太郎は、困り果てた。

 何故、敵であるこの女にとっても、そう不都合な行動ではなかったはずなのに――先を歩かせた女をまじまじと観察しながら頭を悩ませるのが精一杯で、上手く言い返す言葉も浮かんでこない。


「……オイ、聞いてんのかよ」

「着いたのか、なら早く入ってくれ」

 

 威圧的なその態度にも、短時間で慣れつつあった。困惑や焦り、背負った責任の重さが、それどころではないと廉太郎の感情を麻痺させる。

 気を大きくさせている。他人クリスの命に関わる以上、あらゆる制限を今は外す。

 案内させた部屋へと女を急かし、戸を開け、中へと押し込んだ。あえて強引に、強気な姿勢を示すように。せめて態度の上でだけは、この場の主導権を曖昧なままにしておきたい。

 廉太郎も部屋に続くと、人目を避けるよう素早く後ろ手に戸を閉めた。

 施錠。

 これで捕らえたも同じ、妙な話だが。

 少なくとも、形の上ではそうなった。


「偉そうだな。他人の部屋にまで連れてこさせてといてよ」

「他に適当な場所でもあったのか?」


 敵対的な視線が交わる。そこに緊張を見せるのは廉太郎だけだ。

 案内させた――とはいえ、優位関係は別に逆転していない。ただ廉太郎は、自分を追い詰め切った敵の前へとたどり着けただけなのだ。 

 のこのこと、無警戒に。

 依然として状況カウントは続いている。女は素手でも、常に刃物を突き付けられているのと変わらない。


「――っ、あぁ……糞ッ!!」


 ならば何故、この圧倒的優位に立っているはずの彼女が、逆に廉太郎に自室にまで追い立てられ、その上余裕を失くし激昂しているのか――といえば、


「台無しだ、てめぇ……ずいぶん余裕そうじゃねぇか」

「な、なんだよそれが――」

「余計なっ…………あぁ、萎えちまうよ。なぜ待てなかった、なあ?」


 それは、彼女が普通まともではなかったからであろう。

 面と向かって対峙してみて、何一つ理解できる点が見出せずにいる。思考、言動、その基準――人格までも。常人のそれとはかけ離れていると見える。

 意図を読み取れずに、ただ反応に困らされる無駄な時間が続いていた。何がしたいのか分からないから、どう接すればいいのかも分からない。

 合理的ではない、少なくともそれは確か。

 そもそも、学団の目的は廉太郎の確保だったはず。この二日に渡って無力化してきたのも、そのための干渉、攻撃だ。

 そして現状、廉太郎はすでに彼女の能力の支配下に置かれていて、自ら降伏の意思を示し、さらに仲間の邪魔も入らぬ二人きり。

 まさに理想的、任務完了である。

 なのに、彼女は大いに不服を示している。


「あんた、学団の人間なんだろ?」


 不安になって確認するも、やはり反応は返さない。

 黙秘ではなく、一切の関心がないかのよう。

 矛盾。廉太郎を狙いつつも、そのゴールへの最短をまったく進もうとしていない。

 つまり、彼女は学団の都合、指示で動いてはいるものの、それとは別の意思を持っているということになる。個人的に優先する、何かが。

 まったく異なる何かの目的、関心

 ――あるいは、趣味が。

 

「……何か言えよ、気味悪い」


 そんな不穏な『何か』のためだけに、展開が、互いにとってもコントロール不可能な、予測できない方向へと転じてしまっているのだった。

 定めた刻限リミットの前に『見つけられてしまった』、という事実。どうやらそんなことが、女にとってはかなりの不都合であったらしい。

 場所はとあるホテル一室。ひと悶着起こしたカフェのテラスからほど近い、女が借りているという部屋。


「ともかく……やっと落ちつけたって感じなんだから、お互い」


 これで人の目は気にならない。余計な気苦労を背負わずに済む。

 ようやくと、深い一息をつき、無造作に引き寄せた椅子に廉太郎が座る。うんざりするような疲れが膝を襲う。それでも新鮮な空気を取り入れたように、気分は一区切りをついてくれた。


「座れって」


 不自然に手持ち無沙汰で、女は明後日の壁を睨みつけ始めた。あれだけ悪態をついた後で、あたかも一人で帰ってきたかのように振る舞おうとしている。

 無視、だがそれは態度だけでだ。

 完全に無視して廉太郎から注意も外せてしまえるほど、彼女に余裕があるはずがない。それなら苛立つこともないのだ。

 互いに、虚勢を張り合っている。

 

「そろそろいいか、始めても? ……さっきの話の続きだよ」

「あ゛ァ、話だと――ッ!?」


 甘かった。

 早々に挫けそうになる。誰でもいいから相談くらいさせてほしい。

 頼りになる『ロゼ』も今は居ない。本人の知らぬ内にセンサーとして役立ってくれた彼女は、この女と接触した時点ですん、と引っ込んでしまっていた。

 廉太郎の他には認識もさせない一連の異変、この女はその元凶だ。相手をしている事実も良いように改竄されて伝わらない。


「したかよ、んな約束」

「いや、だからさ…………」


 困る。

 これほどコミュニケーションに難のある相手を他に知らない。いったい何が悪いのか、これでは交渉の余地どころではない。

 接触してから今の今までこの調子で、進展と呼べるものは何一つ得られていなかった。


「オレはただ、一人帰ってきただけだ。面倒な騒ぎを起こされたもんだからなぁ」


 十数分前。

 廉太郎は敵の正体を目にするや否や、交渉のため、必死で降伏の意思を示そうとした。

 だが女は、それを耳にすることすら拒むのか、廉太郎の言葉も態度も遮るように喚き始めたのだ。それは独り言に近い、理解不能な彼女の理屈。

 まだ時間じゃない――説明もないまま、その一点張りだった。

 

「一人って、案内してくれただろ」

「勝手について来てんだよ。失せな」


 さすがに気に障っている。

 顔を合わせてすぐ、かっとなった口論に発展してしまったのも無理はない。廉太郎には二日間、溜まりに溜められた鬱憤もあった。

 それで周りの注目を浴びてしまい、移動せざるを得なくなった。渋々ではあるが、女もそれに乗ってきた。

 騒ぎになって困るのは、彼女も同じであるらしい。

 

「いや、何だよそれ。俺が消える理由も、あんたが俺を遠ざける理由も何もないはずだろ」


 その前提が崩れれば、何が何やら分からなくなる。ならば誤解か、思い違いがあるに違いかろう。廉太郎の方にか、あるいはこの女の方に。


「それに……歓迎しないと言う割に、ここに来るまでは拒まなかったじゃないかよ」

「っ、――せぇな」

「なあ?」

「…………癪、だったからな。逃げるのも追い払うのも。取るに足らねぇ、シカトしてやってんだ」


 苦しい言い分だ。

 ブラフとしても破綻している。状況証拠との矛盾が激しい。何より、すでに取り繕えないほどムキになってしまっている。

 人格はともかく、その程度には廉太郎も気づける。

 同時に、その発言の意図をも理解していた。

 要は、逃げるのも追い払うのも、彼女には不可能だったということだ。この展開が不服で不都合であるのなら、そうしなかった理由はない。

 少なくとも今、彼女に使える手札は何もない。廉太郎への攻撃は、二日前に一度『異常』の中へと落としたこと、それのみで既に完結している。それ以上の新たな干渉は、この通りできずにいるようだ。

 互いに魔法もなければ異能もない、武器もない。単純な体格差だけが物を言う場面。

 それが悟られるのを、女は嫌ったのだ。

 悟られないままに、都合よく廉太郎をあしらおうとしている。


「分からないな……」


 浮かんだ疑問が、つい口をそのままついてしまう。

 しかし、感情を逆なでしてやるべきではない。この場でいくら優位に立とうと、廉太郎にとっては意味などないのだ。

 こちらの目的はあくまで一つ。

 言うことを聞くからその代わり、少し頼みを聞いてくれ――と、頭を下げることである。


「その、そんなにも俺と会話するのが駄目なのか?」

「ダメなんだよ、今は! まだ……終わってねぇんだってッ」

「またそれかよ――」


 もどかしい。

 実態が掴めないまま、進もうともしない話にうんざりする。口を開いてもこの女、分かるように伝える気などさらさらないのだ。会話のつもりが、独り言しか返されてこないのに等しい。

 意思の疎通さえできたなら、見込みはかなり高いのに。

 頼みたいのはたった一つ。それも、学団側としては拒む理由のない、どうでもいい内容のはずである。

 単純でささやかな、切実な要求。

 なのに、それを切り出すことすらままならない。

 

「いい加減にしろよだから、どういうことなんだよ!?」

「あ゛ァ!?」

「今でいいだろ! 引き延ばす意味が何かあるのか?」

「うるせえ。動けや筋書き通りによ――――」


 その交渉、そして後に続く関係性を考慮すれば、心証を悪くすることだけは絶対に避けておくべきだ。

 しかしこれではもう、従順に大人しく振る舞っていられる余裕はない。耳元で怒鳴り散らすくらいでなければ、この女とは会話が始まりさえしないのだ。

 時間もさほど残されてはいない。

 無視されることもなく睨み合いとなり、しばしの無言の後にやがて女は目を細めた。


「殺すか、もう」

「できないはずだ。指示されて俺のとこに来たんだろ?」

「ガキが、死んでなきゃいいんだよ」

「……どうかな」


 能力や腕っぷしだけの問題ではなく、立場的にもそれができるとは考えにくい。それほどの勝手が許されるような組織なら、そもそも仕事などこの女は引き受けて動いていない。

 報酬か、あるいは罰則に縛られているはず。

 だから多少は強気に出れる。

 そう高を括って強がる廉太郎をあざ笑うように、女は挑発的に顎をしゃくり、


「良い代物だなあ、それ」


 廉太郎の背後、そこに居座る『異常』の産物、絶対の優位をちらつかせてきた。

 

「凝ってんじゃねえかよ、ハハ」

「あ、えぇ……この、お粗末な亡霊げんえいが?」


 皮肉かなにかか、いまいち上手く汲み取れない。

 気にして視線がつられてしまう。

 だがやはり、『それ』を何度見ようとどう見ようと、彼女の言い含んだものに見当はつかなかった。

 見かけ倒し。ただの視覚効果だ、こんなものは。

 近づいて殺すぞと、恐怖を煽りたいがためもの。いわば用意された悪意、単なる演出に過ぎない。さも『不気味で気が滅入るだろう』と虚仮にする意図が透けるようで、それが酷く鼻につく。

 幼稚で中途半端。聞きかじった怪談の、上辺だけをなぞったようなでしかない。

 趣味が悪い上に、センスまで低い。


「ってか、自画自賛じゃないのかよ。どういう言い回しだ」

「いやマジで良いぜ、お前。好みなんだ、それ自体は――――」

「自分で振っといてもしないんだな、会話」


 背後霊の如くつき纏うその影を、女はやけに妙な視点から持ち上げたがる。いっそ、その様子の方がよほど不気味に思えてしまう。

 粗が目立つのは、徐々に迫ろうとするこの影だけではない。この二日間に渡る異常、それそのものも同じ。

 精神攻撃のように散りばめられた悪意の要素、その一つ一つが効果だけ思えば微妙だった。無駄が多く非合理的で、無意味なものも少なくない。

 客を意識して過剰に取り入れられた、映画の恐怖演出のようなもの。気分が冷まされてしかたない。

 廉太郎が敵として値踏みするなら、最低評価だ。

 あれだけの支配力を持ちながら、ひたすら回りくどいだけ。こんな時間も手間も要らなかった、ものの数分でついてしまえた決着だったろうに。


「稀少な体験だった。見どころはやっぱあるんだな」

「なんだよそれ、全部あんたの都合だったのか?」


 すると、何かに付き合わされただけか。実験台にされたのか。

 だがそれこそ腑に落ちない。あんな嫌がらせのような干渉の、どこに手ごたえを感じるというのだ、この女は。 

 不服なのは結果だけで、さも働きぶりには満足できたと言いたげであった。


「おぉ、ちょうどいいな」


 うんざりと理解を諦めつつある廉太郎に、女はわざとらしく横目を流した。


「そいつに今から襲わせてやろう」

「やってみな」

 

 やはり状況的に、この女の創った幻影とはいえ自由に操れるとは思わない。でなければとっくにそうされていた。

 恐れる気にはならないし、そんな余裕は廉太郎にない。

 ゆえに、必要以上に強気な態度を取らざるを得なくなっている。挑発的だ、リスクがある。この場の身の安全も、今後への影響をも考えない、立場を無視したような言動。


「てめぇ……」


 一種の賭け。

 この場、このタイミングで話が通じないままでいるなら、どうせすべてが終わりなのだ。読み違えた女に逆上して殺されるのと、結末としてはそう変わったものでもない。

 ゆえに、自分の身の安全など考えていても意味がない。

 背負っているのはただ一つ、クリスの命だけなのだ。

 今廉太郎に求められるののは、話を一歩でも先に進めること。時間まであしらわれ続けて終わるのは、なんとしてでも避けなければ。


「わざわざ痛い思いがしてぇのか……、オレから離れろっつってんだ!」

「なら脅す前にやればいいだろ。簡単に逃げ出すぞ、俺は――――」


 自嘲をもって廉太郎は断言する。

 確証がない。

 頭で思って口で言うほど、他人を想っていられている人間だという確証が。

 極限状態――そうでなくとも追い詰められれば、きっとすべてを放り出すに違いない。たとえ誰であろうとも、他人のことなど顧みない。知人恩人、親兄弟だろうと。ユーリアたちであろうとも。

 そんな自己嫌悪と恐怖が常にあった。一秒先の自分すら信用できないのなら、手を打つべきなのは自制ができている内の今しかない。 


「――――、クソがよ」


 とたんに悪態をついた女が、分かりやすく表情を崩した。


「楽でいいよなぁ!? 殺さねぇのが分かってんなら!」

「あぁ、どうも」

「最悪、一気につまらねぇ……今のてめえぇ」


 女の声は震えていた。

 怒りからか。どうもそうではない。気に障るでもなく、何か失望を招くようなことを言ったらしい。

 初めての経験だった。面と向かって感情的になられて、その輪郭にすら見当がつけられないでいるというのも。

 異質なのを抜きにしても、生涯相手にしたことのないタイプの人間。感覚としてはもう、ほとんど未知の生物を前にしているのに近い。


「あ゛あぁ台無しだ!! 物珍しさだけはあったのに……、あ?」

「…………その、何にこだわってるか知らないけど」


 期待した以上の反応。

 それを見て、廉太郎もすっと態度を変えていく。

 駆け引きの必要も意味もなくなって、ようやく話し合いに進めるしかないだけの空気が整った。無理やりにでも流れは変えてしまい始める。

 ようやく隙を見せてきた

 あれこれと涼し気にかわされるより、いっそ取り乱してくれていたほうがいい。口論のような形でも、ずっと対話の余地がある。それに激昂するあまり、小出しに情報も落としてきている。


「まずは話してくれよ、それ。要求か何か……あるならいくらでもつき合うんだから」

「……なら終わりまでちゃんと見せろ」

「だから、何を?」

「あと小一時間で済んでいた」

 

 一瞬、噛み合っているようで合っていない反応なのかと思ってしまった。

 だが――よくよくその意味を考えて、それまでの言動と重ね合わせて咀嚼していき、


「――――えっ、……は?」


 そして仕舞いには絶句していた。


「まさかその、つまりこれを……って?」

 

 終わりまで見せろとは――。

 恐る恐る、背後を親指で指し示してみる廉太郎。それに対する女の反応は、恐ろしいことにどうやら肯定であるらしい。

 ただただ、恨めしそうな視線が投げられていた。常軌を逸した感性、それがふとした錯覚を誘う。何か、悪いことでもしたかと――そんなはずがないのに、混乱させられている。

 彼女はただ、見たかっただけなのだ。


「な、何のために……?」

「そりゃあてめえ興味本位、いや知的好奇心よ」


 二日間に渡ったこの異常、それに喘ぐ廉太郎を。仲間との意思疎通が断たれた緊張の中、迫る死の姿に追われ、独り苦悩しながら右往左往していたその様を。

 それを、途中で切り上げることなく「終わりまで見せろ」と抜かしていた。

 彼女の定めた時間切れ、幻影が迫りどうしようもなくなった最後の瞬間そのときまで。


「この本物が――」


 好んで観察していたようなやつだ。

 おおかた、命乞いでもさせて締めくくりたかったのだろう。

 なのに終了直前で見つかって、あげく降伏され、本筋の仕事の手間が省けてしまって――道理で不満そうだったわけだ。

 目的と手段が完全に入れ替わってしまっている。

 むしろ、女にとっては学団の目的、つまり廉太郎の確保などどうでも良かった。命令で動いてはいたものの、属する組織への利益にも貢献にも興味がない。

 あるのはただ、個人的な欲求だけ。

 初めから見え透いていたような、悪趣味だけがすべてであった。


「くそッ……本当に、人を苦しめたかっただけだって? あれも、これも――」

「要はそうだな、ちと違うが」


 特に、言い返すような言葉は何もでてない。

 だがその一方、妙に納得させられてしまってもいる。

 過剰に慎重手を打たれている、そう誤解していたが、敵の実態がこうだったのだ。

 効率的に拉致できる条件を早々に整えておきながら、大仰かつ効果の薄い無駄な要素を散りばめてきた。その度し難い関心とやらを満たすために。


「お前に書き下ろされた拷問劇だ」

 

 呆然とする廉太郎にいくらか溜飲が下がったのか、得意気に女がそう告げていた。

 言われずとも、そんなことには気づいている。反応に困る。問題は、それ自体が主目的になっているという事実の方。

 書き下ろした、か――どうりで手が込んでいるわけだ。雑で非合理なものに思えたこの『異常』における要素が、やけに都合よく精神に切り込んできたのにも頷ける。

 人間関係への横やり。

 偶然の効果ではなかった。ピンポイントに廉太郎の精神の急所を突かれていたらしい。

 であれば相当、パーソナルな部分が暴かれてしまっていることになる。ちょっと頭の中を覗かれた、程度で済むような段階ではない。

 ずけずけと、人の心の奥にまで。

 思えば、そんな目にばかり合っている気がする。誰も彼も気軽に精神接触を図ってきて、腹の内のプライバシーがまるで保証されてくれない。

 身内ですらたまらないのだ。今回ばかりは、忌々しさに胃が焼けただれてしまいそう。


「それを途中で切り上げられたらたまらねぇよ、映画と同じでな」

「するなよ、同列に」


 不思議と、この女に対して恐れはない。同じように、廉太郎は怒りも感じてはいなかった。

 ただ、気に入らなさが残るだけ。

 女から向けられている感情が、悪意や敵意のように迎え撃てるものでもなかったせいだ。

 まともに向かい合う気にもなれない。


「――分かった、分かった」


 淡々と対処するしかない。

 そう冷静になってしまえば、気はこれまでよりずっと楽。女の言い分は滅茶苦茶ではあったが、それほど複雑なものでもない。

 単純なのだ、この女は。

 幼稚でどうかしているだけ。あの拙さにも納得がいく。

 したいとも思えないが、しようと思えばまだ理解が可能な部類。狂人というより凶悪人、その範疇ではむしろありきたりな方か。

 となれば交渉の余地も、いくらかは残されているはずで、


「もう好きにしてくれ。望むだけつき合ってやる」

「違ぇんだよなあ、ちょっと。そういうんじゃなくて――」 

「なら合わせる」

 拷問か――。

 自分の中に『ロゼ』という、クリスと同じく一連托生の個人を抱えていることを自覚してしまった以上、安々と命を張れる権利は廉太郎にない。

 だが殺されれないとも分かっている上、その後には学団にとっての利用価値が残る程度に快復できることまで約束されている。

 覚悟さえ不要だ。

 問題はやはりその後。

 何をされるにしても自分を保ってはいられまい。何処ぞに連れていかれて、気づいたときには全てが手遅れということになりかねない。

 よって、するべきことは変わらない。


「ただし、先に一つ言わせてくれ」

「ダメだ」


 全面降伏、その代わりに要求を――ささやかな頼みごとをしておくこと。

 すかさず拒絶が返ってくる。

 予想を裏切らない、この反応は一貫している。


「なんでだ、こっちは全てに従うって――」 

「だからぁ……今それ言われちまったら、成り立たねぇっつってんだ!」

「何が、拷問が? もう成り立ってないだろ」


 拷問に意味がなくなるを嫌がる前に、それ自体を目的化していることを思いだしてほしい。リンチを望むくせにその形式にこだわろうとは、馬鹿馬鹿しいとしか表現できない。

 すでに落としどころを探すような段階だ。


「……いや、初めから成り立ってないようなものだったけどな」


 無駄に苦しめたかっただけ、にしては些か詰めが甘い。相当頭にきておいてなんだが、それも怒れるだけの余裕が残ったということ。

 目的のために追い詰めるにせよ、苦痛を与えたいにせよ、他に効果的な手段はいくらでもあった。その道に執着する者の仕事だとは、とても――、


「特に幻影こいつだ」


 効果的でないばかりか、仕事まで甘い。

 人の趣味を演出に反映しておいて、関心はまるでないかのようにその再現度が薄っぺらい。こんなもので恐れ慄くと軽んじられていたとするのなら、馬鹿にされているとしか思わない。自分自身か、あるいは趣味が

 この女、悪ぶっていても人を怖がらせる術さえろくに知らないのか。


「どこを気に入ったのか知らないが」

「まぁな」

 

 それら言い含めたものを、やけにあっさりと女は認めた。そしていくらか冷静になり、肩を落とすように目線を逸らす。


「仕方ねぇんだ不格好なのは。期限とか条件とか、あくまで仕事だったからなぁ」

「……仕事か、それが聞けて良かった」


 何も喋らないものだから、確証がなかった女の素性。

 実は学団とも無関係の別件だとか、あるいは命令など無視して趣味に暴走しかけているだとか――印象としてはむしろありそうだった、そんな酷い可能性がようやく潰れたことになる。

 

「悪いな、もっと凝ってやれたのに」

「煽ってないのか、どうかしてるよ」

「ハンパな依頼でな、最初は気乗りもしなかった。標的も、せっかくの同類だってのに退屈そうな奴でさぁ」


 何か知らないがため息をつかれる。つきたいのはこちらの方だと廉太郎は思った。

 対話は拒むわりに、女はいざ開くとなるとやたら軽くなる口のようで、


「だが意外に相当そそられてよ。やっぱあれだな、オレらは揃って――――」

「なぁ、こっちは余裕がないんだよ」


 これ以上はつき合えない。

 廉太郎が背負っているのはクリスの命だ。魔力供給に依存しているクリスの身体は、廉太郎が一人遠方へ連れられてしまうだけで活動の維持が困難になる。呼吸さえ自力ではできなくなる。 

 元々、敵を探し出してまでしたかった交渉はそれ一つだ。負けを認めて従うから、子供を一人連れて行かせてほしいのだと。

 そう難しい要求じゃない。

 だが今のうち、口が利けるうちにその確約をとっておかなければ、ほぼ確実にクリスを置きざりにして殺してしまう。

 形式を気にするだけの理由で、女はその確約から目を逸らし続けているのだ。


「いくら耳を貸さなくても、俺がなに焦ってるかくらいは分かってるだろ?」

「……はッ」


 拷問、などと喜々として口にするような女だ。心情に訴えても効果は期待できそうにない。子供だろうと人形だろうと、どんな事情や現状も気にかけられるとは思えない。

 だが裏を返せば、子供一人など『どうでもいい』はずなのだ。強いて断る理由など特にあるまい。恐らく学団、組織単位にとってもそれは同じ。 

 ならばこそ、交渉のラインに立てさえすれば。

 

「――なんだ、その目はよ」


 それさえ叶わない最大の不運は、交渉どころか会話にもならないこの女が相手だったということ。

 静かに見下ろす廉太郎の意図に気づいたのか、女は軽く身構えた。強がりか抵抗か、弱みは見せまいと挑発のような笑みを浮かべて。

 

「言っとくが、オレを今になって殺そうと無駄だぞ。言うなら火を放っただけだ、むしろ止めてやれなくなる」

「なら、今消してもらおうか」

「あぁ?」


 二つ、廉太郎には選択肢がある。

 従順に媚を売り取り入るか、この場この先の心証を悪くしてでも強硬策を取ってしまうか。

 クリスを守りたいのなら、後者はそれを危うくするだけ。こちらは懇願する立場なのだ、本当は一言一句に気をつかってしまうのが絶対に正しい。


「……どういうつもりだ?」

「拷問がどうの、さんざん言ってたみたいだが――」


 だが、選択肢はもう他にない。

 この女が自分の都合で頑なにクリスの存在に触れたがらない以上、事が終わった後の展開を委ねてしまうわけにはいかない。たとえ内心では要求を呑んでいるとしも、その確証が得られないようでは話にならない。

 信用以前の問題だった。


「今それをやるのは俺の方だろ」


 まずは無理やりにでも火を、干渉された廉太郎の『異常』を解除させる。そして女に案内させるか、あるいは新手の接触を待ち、クリスを連れて『学団』とやらへ自ら赴き決着とする。

 ともかく対応を他の誰か、この女に指令を出した上の立場の人間へと取り次がせてしまいたい。女よりマシな人間が出てくる保証はどこにもないが――現状がハズレすぎて、次に賭けざるを得ないのだ。


「てめえ、なに言い出すのかと思えば……」


 女は一瞬で、その立場を理解したようだった。

 はったりではなかった。それが伝わるだけ本気になれていることに、口にしてまずは安堵する。

 身内の命を預かっているのだ。殺せと言われても躊躇うような状況ではない。

 何より、ユーリアならきっとそう動いている。

 それを思うと、綺麗に迷いも消えていった。事の善悪など、大した問題にもならない。

 問題は死なせてしまうリスクだけだ。先の発言がブラフでないなら、廉太郎もクリスも共倒れだ。取り返しがつかない。

 いっそ殺して解決になるなら、どれだけ楽であったろう。

 拷問など当然したこともない。方法も手順も手探りな上、時間も限られてしまっている。失敗もできず、手も抜けない。

 緊張を隠したまま牽制するように視線を下ろす廉太郎を、女は静かに睨み上げていた。


「このオレを逆に、嬲ってやろうってのか?」

「そうだ」

「その発想はなかった」

「うん……、は?」


 面食らった一瞬、侮られているのだと思った。

 できるはずがない、それほど大した人間か――と。


「――良ぃ!」 


 が、違った。


「いやお前の立場なら、むしろ当然って感じの選択なんだが……要は状況がだよ――――!」

「な、何を……急に……」

「待て、降りてくる」

 

 こちらの動揺など気にも止めず、目線さえ寄こさず、女は床を睨み続けていた。そうして、しばし考え込んでいたかと思えば、「面白い」と。


「凄いぞ!」


 一人勝手に結論を出される。


「分かんねぇよ!?」

「回ってきたんだよ。オレにもこう、ようやっと楽しい――」


 ひとたび話しだされれば、もう廉太郎に口を挟める隙はなくなる。

 意味不明に口走るでもなく、煙に巻こうというのでもない。受け答えの噛み合いになど無頓着、完全に自分の世界に籠られてしまっている。

 女は興奮していた。

 何かが琴線に触れたのか。推測してみても理解はまるで不能である。

 おかしい、主導権を取りかけたような気でいたのに――それがもう、一瞬で巻き返されてしまったのだ。


「惜しいな時間が、整理するぞ」

「……こっちの台詞だったんだよな、それ」

「相互拷問だ」


 互いに絶対の優位がある。

 半ば拘束されたような女と、手足こそ自由だが逃げ場のない術中にはまったままの廉太郎。どちらも、互いに命を握られているのは変わらない。

 始まるのは、互いに互いを拷問し合う、悪ふざけでしか起こり得ないような状況。

 その不自然な構造自体が面白いのだと、女の表情は語っていた。


「そう身構えるな。こっちから余計に手を出すつもりはねぇ」

「いや……どうだか、無理言うなよ」

「オレはこれまで通り変わらねぇよ。ただ、ラストまで見届けてしまいたいだけで――――」


 女は静かに興奮を抑えつつ、ほとんど困惑で固まったままの廉太郎へと語気を強め、


「で、お前はそんなオレを屈服させ、劇を中断させねばならない」

「あぁ、そのつもりだったよ。教えてもらわなくとも」

「焦るなよ。勝ち負けくらい明確にしとこうや」

「……勝ち負け、って」


 まさか、耐えようというのか。

 彼女にとっては意味もない、する必要さえないこんな勝負で。

『劇』の中断を拒む、その余計なこだわりを捨てさえすれば、話はただ事務的に進んでいくだけだというのに。何より優先するのはその執着心、自らの体を敵の手に差し出すことにも躊躇いがない。

 そこが最も壊れている。

 悪党だなどと、とんでもない。やはり狂人だったのだ、それも度を越えた。

 ――何だそれは。



「いやァ、となるとオレもお前も幸運だったなあ。オレを探し出せたのはどうしてだ?」


 皆こんな感じなのだろうか、学団に属する他の連中も。

 ヤバい人間が集まるのか、集まってヤバい影響を受けるのか。

 いずれにせよ、実情を知るクリスや『ロゼ』があれだけ「関わるな」と言っていたのにも頷ける。これを前にした今、その意味が肌で感じられた。あくまで話し合いが前提にあったウィラーのおかげで、すっかり見誤っていたようだ。

 かつて同じ世界を生きた人間、その生き残りがこれか。

 何ともやるせない話である。

 だがこの女、学団の中でも格別のイレギュラーであるのには違いない。各々がこれほど勝手に暴走するなら、組織形態など形の上でも成り立つまい。


「いい出会いだったな、奇跡的なシチュエーションだ」

「……知らねぇよ」

「感謝するぜ」


 気味が悪い。

 無視しようと突き放そうと、上機嫌に話を進められてしまう。すっかり女の表情からは棘がなくなり、接し方まで馴れ馴れしいものになっている。話をする分ではマシになったかもしれないが、この調子ではプラスに働くとも思えない。ただただ辟易しそうだった。

 女は椅子に座ったまま、ちらちらと忙しなく部屋の周囲へと目を走らせ、


「ん、思えば……いざ自分が何か受けてみるってのも初めてだな」

「なんで余裕なんだよ、それで」

「はははっ。で、お前は人を弄るってのが初めてだろ? 良ぃデスゲームじゃねぇか、これは」 

「っ、……何が言いたい?」


 女はそれには応えなかった。

 それがますます見透かされているように思えて、余計に苛立ちが募ってくる。

 まともに腑に落ちる言葉を始めて吐かれはした。それもまた、背後霊の模造品のように『いかにも』を象徴するような言葉で。

 意図的だとしか思えない。感性を逆なでされている自覚があるから。


「なぁ、どっちが有利だと思うよ?」

「……俺だろ、どう考えても」

「違う」 

  

 条件を整えただけで、積極的には責めようとしてこない女と違って、この場に限っては廉太郎が一方的に責める側だ。考えるでもなく単純に、する側が有利なのが拷問のはず。

 しかし、これは拷問狂いが目を輝かせるほどのレアケースであるらしい。

 制限時間、それが保証されているから。


「あと小一時間、で済むのが分かっちまってるしな。オレでなくとも耐えられんだろ」

「耐える?」

「意外だろうがな」

 

 違う。見知らぬ被害者の、その精神力に驚かされたわけではない。

 拍子抜けしただけだ、単に。

 意外にもこの女、感覚は人並みのものを持つらしい。でなければ、耐える耐えないなどとの言葉は零さない。

 朗報、だろう。

 ――やはり、拍子抜けするほどの。

 その手遅れな人間性と同様、痛覚までもが麻痺しているならお手上げだった。時間の制限がなかろうとも、その場合勝ち目はなかったはずだ。

 とはいえ、


「――さぁ、そろそろ始めちまおうか!?」


 それで、こうも威勢が張れてしまえるのだから、むしろ異常性は際立つとみえる。

 虚勢ではない。明らかに望んで破滅的な状況に身を任せ、与えられる苦痛を心待ちにしている。


「見ものだな。ド素人未満の子供ガキが、手始めに何をやろうってのか」

「狂ってる」

「誉め言葉だ。研究者マニアにはな」

 

 いっそ親しみさえある言葉、それを吐かれていくたび感情の温度は下がっていく。さすがに抱え残していた良心の呵責も、手を汚す嫌悪感も、それにつられて薄まってしまう。

 とはいえ、都合の良い精神状態とはとても呼べない。むしろ、気は進まなくなっていってしまうのだ。

 何にしても、望み通りに振る舞わされているわけだから。

 知れずにコントロールされているようで、癪に障ってしかたなかった。

 

「……慣れてんだろうな、さぞかし」

「ん?」

「とぼけるのか、こういうのだよ」


 無意味と知りつつ、感情のままに口が動いた。

 拷問。考え得る中、もっとも非人道を極めた行為。それを――目的のための否応なしの手段でさえなく、快楽のままに、好奇心で探求したいと望んでいる。

 これほど否定すべき人間が居るとは、まさか夢にも思わなかった。


「いったい何人やったんだ……?」


 強い非難を女へと向けるも、あまりに実感も湧きはしない。そんな慣れない廉太郎の視線に、あろうことか女は「はぁ」と、とぼけた反応を繰り返していた。

 悪びれない。罪の意識さえ少しもないのか。

 ――違うか、この調子では。

 罪だと認識すらしないでいるのだ、度し難いことに。

 よほどタチが悪い。開き直られるよりずっと。


「それもこう、惨い……俺には発想すらまず浮かばないような、あの手この手で――」


 放任しがたい、生かしてはおけないような犯罪者。社会せかいを思えば、いっそこの場で始末すべき相手だった。今後に控える学団とのしがらみさえ無かったなら、義務感に駆られてそうしていたかもしれない。

 一人、そんな葛藤に目を落としていた。

 そんな矢先、


「いいや」

「……あぁ?」

「そうでもねぇって」

 

 一瞬、どこに訂正を入れる余地があったかと、本気で悩まされてしまっていた。

 しかしそんな訝しむ廉太郎をよそに、女から続けて重ねられる言葉は、やはり聞き間違えかと眉を寄せてしまうような内容で、


「いや、知識としては豊富なんだが……実践経験とかは、別に」


 唖然とする、より他になかった。 

 返された手の平があまりに唐突で、頭がその矛盾を指摘できない。何を言われたのかと、止まってしまう。


「――――あ、そう」


 真顔で見つめ合う沈黙が、妙に気まずい。

今さら何を――とも、嘘だ――とも。廉太郎は問いただす気にもなれずにいた。

 なにせ嘘なら清々しすぎる。保身を図っての潔白の主張と判断するには、これまで彼女の示してきた『こだわり』があまりに大きすぎていた。

 あくまで印象だが、その印象が強すぎて引っ張られてしまうのだ。

 あの異常さを自ら引っくり返せるだとは、あまり――、


「なんだったんだよ、じゃあ……」

「別に、おかしくねぇだろ。何も」


 女は澄ました顔で言ってのける。これまで激昂しているか興奮しているか、異常者の面しか見せてこなかったもので根拠もないが、とぼけ始めたようにもやはり見えない。

 となれば、今度はその熱量が矛盾してくる。

 

 ――おかしくねぇことないだろ。

 

 これまでの言動の筋が通らない。

 しかし、女は「何もブレてはいない」とでも言いたげに、気取ることなく真意を明かした。


「オレはただ好きなだけだ、趣味なんだよ」

「ただの、……趣味だと?」

「興味あるんだ、調べて回る。各地各時代の拷問話エピソード、歴史、背景、技術や道具類とその発展――――」

「うわ……」


 その話、自慢話のようなそれを鵜呑みにするのなら、もう廉太郎に言えることは何もない。

 ただの趣味なら。

 潔白。決して自らは参加せず、あくまで興味の対象として、研究対象としてそれを見ているだけだというのなら。そこに善悪や罪や害はない。

 ただ、とびきりの悪趣味があっただけで。

 それも好奇心だけならむしろ平凡。むしろ、大抵の人間が興味本位でチラ見しているような話のタネ、雑学だ。

 結構なことだが、とんだ肩透かしだ。


「好きが高じて、生前はその道で食ってけねぇかと思ってた」

「いや、それってつまり――――」

「本を出させてほしくてなあ」

「真っ当だ……っ!」


 その道一本で食える、と過信できてたこと以外は。

 もっとも、仮にも『本』とまで言えるのだから、それなりの所属か肩書か何かがあってもおかしくないのだが――歴史か刑法か、あるいは宗教か人権あたりの一分野でしかあり得ないはずだ。さすがに。


「『拷問学』がタイトルだ」

「知らねぇよ、創ろうとするな」


 本の内容はともかく、そんな類型は想像するだにろくでもない。おそらく、尋問も刑罰もリンチもすべて混ぜて扱っている。編集のその視点からして、およそ学術的には読まれない娯楽雑学図鑑にしかなれそうにない。

 手には取ってしまうかもしれない、見かけたら。


「――って、いや……俺は実害を受けているだろ!? 現に!」

「例外に決まってんだろ、オレたち身内の間のは」


 気を許し、くだけかけていた女の表情が、とたんに思いだしたかのように元へと戻る。

 やはり、純粋な物好きで収まるような性質ではなかった。異様なその熱量を思えば、当然。

 冗談や遊びもない、あきれ果てたその目つきに、『あぁ、また始まのか』とだけ廉太郎は思った。


「オレが手を出さないのは、人道に熱いからじゃない」

「……だろうな」

「後追いに興味がないだけだ」


 一連の打ち明け話は、どうやら予想通り、何のアピールでもなかったらしい。

 無実を主張して情に訴えようだとか、それで手心を期待しようだとか――端から彼女の興味はそこにない。言葉通り、自分の窮地を趣味全開で歓迎している。

 楽観的で破滅的。

 敵の手に堕ちた身の危機に、打てそうな手さえ何も打たない。一貫して、彼女からは合理性というものが抜け落ちている。

 

「あらゆる実現可能な責め苦はもう、どこぞの誰かが開発し尽くした。精神と肉体、人の責められる余地には限度がある」


 技術もそうだな――と、聞くに堪えない彼女の理屈が続けられていく。一人、さも得意気で楽しそうに。聞くにも話すにも、こんな話にはメリットがない。ただ彼女しゅみの異常性と、ある種の潔白が開示されていくだけの、無意味な時間が流れていく。

 時間を稼がれているのだとすれば、狡猾。

 だが、その熱量はあまりにも彼女の真に迫っていた。ゆえに廉太郎の手は止まる。

 気圧されたわけではない、聞こうとしてしまっているだけで。


「頭打ちなんだ。オレが新たに生み出せるモノは何もない……どんだけ奇抜に、残酷に趣向を凝らそうと――」


 図鑑に乗せる価値はない。


 ――そうか。要はこの女、『満足のいく殺し方が見つからないから、何もしてない』だけなのか。


 まず、快楽殺人気サイコキラーに分類されるべきだ。罪状の有無は無視していい。

 掴みかねて、二転三転していた彼女への評価が固定された瞬間だった。

 それでようやく、当初からの彼女の要求、理屈を理解できたような気がしていた。

 また同時に廉太郎には、今彼女が言わんとすることにも察しがつけられるようになってしまい、


「……魔法でもなければ、って?」

「そう、それだ。創作フィクション!」


 話題からは嘘のように、彼女は爛爛らんらんと目を輝かせ、


「世界の先にしかなかった非現実では常に、上限を越える拷問が描かれてきた。SFしかり、ファンタジーしかり」

「……スプラッターとかな」

「ん? まぁ、過度に誇張があんなら非現実って言えちまうか」

「あり得なければ良いのかよ、要は――」


 続けかけて、ふと廉太郎は我に返った。

 揶揄してやろうと思っていた、つもりだった。立場を忘れないように。

 だがこれでは、普通に話を繋げているのと変わらない。雑談だ、うっかり自然体になっている。

 何故――、共感点など無視できるほど微小だったのに。

 

「……だからか。こっちの世界で目覚められて、はしゃいでいるんだろう?」


 人知れず動揺を隠す廉太郎に、女は「そうだな」と一応の同意を示しつつも、

 

「だが、今はここが現実だからな。また同じ話だ」

「あくまでそこかよ、こだわるのは」

「どれほどスゲぇのを見せられてもなあ。実現しちまってたらもう、ありふれた常識いつものと変わらねーだろ」

「……変わってるよ、あんた。どうかしてるだけじゃなくて、ちゃんと変わってる」


 彼女は拷問にオリジナリティ、つまり非現実でしか実現不可能な手段、現象を望んでいた。そしてかつての非現実の中に在る今もなお、その基準には変化がない。

 かつての創作はもう、彼女を満足させるに至らない。人の味わえる範囲を越えた苦痛も。終わりさえ許されない不死身や蘇生、なんてものさえ。


「妄想は現実にできたし、できるんだろう。ならば次はその先だ」

「先って、……なんだよ」 

「人間の発想の規模では、到底追いつかないような責め苦の形」


 彼女は、残酷の概念の先を知りたいのだ。

 人が思い描いた地獄は必ず実現できるという前提を置いてしまったばかりに、それを越える何かを求めるしかなくなった。その何か、現実と非現実の括りに外側があることを信じている。

 宇宙の外を考えるように。

 人が人を苦しめる行為に、上限があることを認めようとしない。

 物事の限度の話だ、普遍的に言える。拷問に限定されているのは趣味だからでしかない。

 哲学のように深化するのではなく、本気で狂信して口にしている言葉なら、まずどうかしている。何かに憑りつかれたような狂い方だ。

 だが、夢想家と笑うことはできない。

 自分たち『故郷』からの復元者は、元々存在しなかったはずの死の先を見てここに居る。宇宙外の仕組みの片鱗を知った。探求と可能性のブレーキはイカれている。


「それを探るために、お前にもオレの能力もうそうを使いたい」

「そうか。聞くんじゃなかった」


 覚悟を固めて、それでどうにかなるスケールではなくなってしまった感じである。時間切れに何されるのか、分かったものではない。

 俄然、この勝負に負けるわけにはいかなくなった。


「実験だよただの。とはいえ、後は余興が残るだけだな」

「始めようか、……時間を取られたな」


 それがなくとも、手を抜けなかったのは変わらなかった。

 下手に敵を知ってしまったせいで、多少やりづらくなってしまったのは否定できない。だが、責任を持つクリスの命と釣り合う物事など存在しない。

 殺すつもりで拷問しよう、殺せないのは足枷でしかない。

 女は自ら椅子に深く座り直し、肘を手すりにかけて足を組んだ。これから拷問を受けようとする者の態度には、あまりに程遠い。

 

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