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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
140/149

第三十七話 旅先 ②

 町報には目を通したか?

 そんな話題が、この町で今持ちきりとなってしまっているらしい。食事を終え、町に繰り出していった廉太郎れんたろうたち三人がまず初めに気づいたことがそれ。

 以下、耳にした会話の一例である。

 

「デマだろぉ、さすがに。悪質な」

「荒唐無稽に思えますものね」

「人が、浮かんで、天に消えてった――災禍の記録じゃないんだから」

「それって、つまり」

「まさか……」

「だって、あの町は最前線だ。いよいよ……といった感じだろう?」

「はッ――津波のようですわね、瘴気とは」

「おいおい、此処と大して離れてもねぇ目と鼻の先の話だぞ?」

「この町も呑まれるって? ……縁起でもない、僕たちが死ぬまでは持っていてほしいね」


 ――とのこと。

 メインストリート。その広さ大きさに比べ、明らかに狭いと感じるような歩道。そこを何気なく歩くだけで、行きかう通行人の関心が次々と集まってきてしまう。聞き耳を立てるでもなく、町の雰囲気はすぐに掴めた。

 大騒ぎや動揺――というよりは、むしろ浮ついたもの。

 現実感がないからだ。文字だけでは感覚的に受け入れがたい内容の上、確かなことが何も断言されていなくて伝わりづらいようなニュース。事実確認など進めようもない。

 書き手からして、どうやって記事をかけばいいのかと途方に暮れているのが目に浮かぶ。

 

「――っ、この分だと、地方新聞に収まってくれそうもないわね」


 思ったよりも大事に、それも誤った視点で捉えられてしまっている。

 いたしかたないとはいえ、ユーリアの表情は浮かない。過度な周囲の盛り上がりを迷惑そうに、うんざりとした横目で薄く睨んでいる。


「困るのよ。あの境界近く、下手に注目されたくないってのに」

「あはは……」

 

 笑い事ではない。が、零れた愚痴をなだめられるような言葉が廉太郎にはなかった。

 話題に上げられているのは、むろん、昨晩起きた戦闘による被害。ウィラーとニコラスの能力が及ぼした影響。

 それと知らずに、無関係な他人が憶測で囃し立てている。

 ウィラーの幻影は三人にのみ知覚できた、つまり照準が定められた攻撃であったが、ニコラスの場合は広範囲すぎた。おそらくあの町の住人、すべてが同じ瞬間に異常性を味わっている。

 結果、誤魔化しようのない大騒ぎが、半日にしてやや離れたこの町にまで伝播してしまうことになったのだ。

 ユーリアの言う通り、即日一大全国ニュースとして世を震撼させるレベルの天変地異だ。いっそ、大半がオカルトとして一笑に付してくれるのなら気が楽なものを。――当事者としては。


「でも良かった。『犯人だ、不審人物だ』って、俺たちが挙げられるようなこともなくってさ」

「あれを人為的なものだなんて、そもそも誰も思ったりしないわ」


 別世界の存在も、廉太郎たち今は無き『故郷』から再現された侵攻者も、この世界では知識として知られているものではない。少なくとも、公には。

 そしてその能力――瘴気、災禍に等しい世を蝕む異能、人の身に余る特殊能力に関しても、誰も警戒するものはいない。

 ただでさえ、あの場では同じく被害者の一人でしかなかった廉太郎たちなのだ。初めから糾弾される覚えなどなかった。――はずなのだが、


「そうねぇ、――あっ」


 そうは言っても、当事者としての後ろめたさはどうしてもある。そのために、少しくらいはそわそわした気分になってしまうのも仕方ないわけで。


「サングラス……」 


 通りに面した装飾を扱うファッション店、そこを通りがるユーリアの足がふと止まった。

 目が留まる。

 店先へ展示するように設置されたラック。そこに彼女の興味を引いたものが、ずらりと綺麗に並びかけられていた。

 

「気になるんですか?」

っていたのよ、一時期」

「それはまた……」


 気持ちばかりの変装、というわけではないようだ。

 遠慮なく手に取った商品を品を変え角度を変え吟味していくその様子は、どう見たって楽しんでいるもの。文字通りに発光している彼女の疑似眼が、いつもより輝いて見えた。

 確かに、ユーリアは当初サングラスをかけていた。出会った翌日、二日目のことだからクリスが知らないのも無理はない。しかし、前日に失くした愛用品の代用だとかいうそのサングラス――『気に入らないから』と、謎に廉太郎へと譲渡されてしまってはいる。

 それ以降は気分なのか、ずっと素顔で通していたユーリアだ。

 ――ちなみに、その押し付けられただけの贈り物を、廉太郎はちゃっかりと持ってきてしまっている。いざ別れだと決意したとき、どうしても置いていくことができなかった。後生大事に、纏めた荷物の中にしまってある。

 そのため、サングラスには廉太郎もまた感慨深い思い入れがあり――。


「どう、似合う?」

「可愛いよ」


 間違えた。


「……なぁ、クリス」

「否定しようもありませんね」


 そういう流れに乗せて、うやむやにしてしまおうと適当に振ってみたものの、からかわれるより先に同意が返ってくる。ほっとさせられたものの、釈然とはしない。

 妙に誇らしげだ。

 表面上の態度では『懐かれて困っている』風を装っている感じなのに――これでは慕いすぎである。


「えぇ? 可愛い――かぁ」

 

 一方、言われた本人は照れるどころか、むっとした様子。

 どうやら、ほしい言葉ではなかったようで、怪訝そうにフレームを顔から外し、意匠の細部へと目を光らせている。


「いやいや。デザインの問題ではないでしょう、お顔が強すぎる」

「あ、あぁ……まぁ、そうだね」


 先にレールを敷いた以上、過剰に装飾されてしまったとて乗るしかない。照れ隠しに羞恥を上乗せしていくようで、本末転倒ではあるのだが。

 ――しかし何だ、このクリス。

 褒め殺しておだてるだとか、そんなニュアンスではどうやらない。

 まさか本気で言っているのか――普通引かれるような言葉のチョイスを? 恥かしげもなく? いくら事実とはいえ?


「なによ二人して。可愛い、ね……少しも嬉しくないわ、そんなの」


 ユーリアは大げさな態度で被りを振り、そして楽しそうに笑って言う。


「だって、当たり前のことじゃない。空が青いと言うようなものじゃない」


 おそらく彼女以外、何者の口から発せられようとも決して好感など抱けるはずもないであろう台詞。それが、こともなげに発せられていた。

 絶句――というより、関心すらさせられてしまう。そんな似たような顔を晒した二人へと、さらに悪戯っぽくユーリアの笑みが向けられて、


「まぁ、感想として受け入れましょう。……でもだめよ、やり直して」

「というと……?」

「もっと具体的に言ってちょうだい。可愛い、なんて曖昧な一言に私への評価は収まるの?」


 思わず、廉太郎は目を閉じていた。

 困ってしまったからだ、色んな意味で。

 正直に言えば――あまり似合っていない。

 大人っぽく振る舞おうとして、少々わざとらしく、ぎこちなくなってしまっているのが否めない。しかし、それは普段人前に出そうとしない年相応の子供らしさを浮き彫りにしているようでもあった。

 それを、微笑ましくも可愛らしいと感じてしまう。

 曖昧さを取り払えば、そんなところか。

 言えば確実に怒らせてしまうので、答えに悩んでいる振りをしていると、「参考にしたいのよね」とユーリアからの慈悲が入った。


「私、これ以上に可愛さなんて盛る必要ないし。できるだけ、カッコいいものを選んだつもりだったのに」

 

 それはもう、見る側の視点によるところなのではなかろうか。

 ファッションなど、評価の方向性を一つに絞れるはずがない。一般論的に、女子のサングラス姿にかっこよさを見る者も、可愛さを見る者も、同じくらいの数で存在しているだろうから。

 それはそれとして、


「気持ちがいいよ。君のそういうところ、自信満々ですごくいい」

「そう? 当たり前っていうか、大事なことだと思うけれど」


 ともすればナルシズムと混同され、敬遠されてしまいかねない。いわゆる勘違い野郎、あるいは美貌をいいことに周囲を見下す高飛車性の発露として。

 退屈になるほどよく聞いた話で、世間が当たり前に持っている目線だといつの間にやら思っていた。

 自己愛ではなく自己肯定。

 雲泥の差で、それは触れていて気持ちがいい。

 謙遜の曇りが一つもない、青空を眺めているようなもの。


「自信さえあれば自然と本当にもなってくるし、周りの見方もそれに倣ってくるものよ」

「民俗性ですね、この辺の女はたいがいこんな感じです」さすがに呆れつつも、クリスはやはり誇らしげで「……まぁ、ユーリアさんは顕著ですけど」

「皆、こうあるべきだと思うのに」


 ふと、ユーリアが視界の端に指をさす。

 そこにあったのは試着用の鏡。動きにつられてそれを覗き込まされた二人を、手を振る彼女の挨拶が出迎えていた。

 なかなかお茶目なことをする。 鏡映りに相当の自信でもなければ、気後れしてしまいそうなものを。

 なるほど、自信一つで行動の枷はこうも容易くなくなるのか。

 直に面していたなら赤面させられてしまいそうな笑顔を、ユーリアは自撮りのそれのように湛えて、鏡越しに語りかけてくる。


「あなたたちもね。えぇ、カッコいいし可愛いじゃない!」

「どうも」

「……あら、クリスは嬉しくなさそうね?」 


 淡白な返事に、ユーリアの顔が軽く曇った。 

 しかし聞き捨てならない。それではまるで、クリスでない方、つまり廉太郎は嬉しそうに見えたとでも言いたげで――。

 だが、下手に口も出せそうにない。クリスのテンションが、目に見えて下がっているのに気づいていたからだ。


人形クローンですからね。さして思い入れもない、設計通りに育つ顔です」


 それは、親に似るのとはわけが違う。

 自我を持ち振る舞う人形の固体はこの世界でも他に例を見ないというのだから、クリスのそんな思想は固有のものだ。確かめようのない唯一性、クリス自体が確かめようのない存在であるのと同じように。

 いったい、他の誰がそんな悩みを抱えるというのか。

 クローンが己の出自に何を思うのか。その自我からの視点はどうなるのか。

 この世界でも廉太郎の『故郷』でも、検証不可能だった問い。その一例がここにある。


「アイデンティティ、か……」


 自己同一性。自己認識。

 通常、それらが揺らぐのは内面の話であって、容姿に対して自分の存在に疑いを抱くことはない。客観的事実として、鏡に顔が映るのだから。

 整形や怪我によるものともまた異なる。自分のものだと、初めから認識しようとさえしていない。

 

「ダメよ」言い聞かせるようにユーリアは断言した。

「はぁ」

「ならそうね、お洒落でもしましょうか」

「――へ?」


 不意打ちで、クリスの耳にサングラスがかけられる。別の意味で不釣り合い。やや大きめの黒いレンズに戸惑うクリスの肩を、真面目な顔でユーリアが掴む。がっしりと。


「手始めに、一番可愛い服を買ってあげる」

「いえ、あの……気持ちはありがたいのですが。今持たせてもらっているのも充分、可愛らしいんですけど、その――」


 あなたのお下がりでしたよね――逃げるに逃げられず、頭だけ後ずさりするクリスがそう零す。

 現にクリスが着ているのがそれだ、可愛らしさと子供らしさを追及したかのようなワンピース。貰い物にしては、今のユーリアのファッションスタイルとちょうど対極に位置しているように思うだろう。

 ユーリアの女児期か。

 ――少し、想像するのが難しかった。

 

「自分で選びましょうよ。そういう拘りが大事なんだと思うの、きっとね」

「足りてますって。荷物を増やすこともないでしょうに」

「でもほら、私は着替えとか買い揃えないといけないし。ついでに、一着くらい――」

「え、えぇと」


 どうしたものかと目の泳ぐクリス。

 かと思えば、にやりとした笑みが貼り付けられ、


「……あぁ、それに付き合ってくれるならいいですよ」

「ん?」

「らしくない、要らないものをあなたも買ってくれるのであれば」

「なるほど」

「履いてくださいよ、スカートとか」

「む、それは……難しいわね」

「おや即答」つまらなさそうに口元を結ぶ。「抵抗あるんです? やっぱり」


 痛いところを突かれたとばかりに、ユーリアは「えぇ」と深刻そうに口元に手を当てた。小難しい顔を浮かべている。

 そうやってしばし考え込み始めた様子だが、半ば、落ちが見えているような話だった。廉太郎としては。


「私があんまり性をアピールしすぎても、いたずらに周りを惑わせてしまうだけから。……場合によっては、人間関係までこじらせてしまうかも知れないし」


 本気で、困った顔でそう言うのだ。

 魔性すぎる、何者だろう。傾国の美女――とまではいかずとも、町くらいなら落としてしまえる自信、自負が本人にはあるのだ。

 いくらなんでも心配しすぎだろう、とは思うものの、杞憂とまでは言えない。『確かにそうかも……』と思わせられるだけの説得力が、自信と事実、双方から滲み出ている。

 性差、性感情への過大評価ぶりが、相も変わらずとんでもない。彼女自身が持ち合わせていないものだからこそ、その人の輪を邪魔してかき乱すような真似はしたくないと、そういう方向でリスペクトしている。

 異性として意識されたら困るのだ。

 恋や性欲。その感情や欲求の熱量も、それが叶わないことへの辛さも不明瞭。知識でしか知らず、実感がわかない。

 誠意を返してやることもできないから、それでは相手が可哀そうだと、自分に対する枷を負う。

 そんなもの、いちいち気にしているようでは、生きづらくてしかたないだろうに。


 ――そ、そこまで徹底して気を遣ってるなら……俺に対してももうちょっと、距離感を抑えてくれたって?


 確かにあの夜、互いに冷静さを失っていた上、感極まってどうしようもない状態ではあった。とはいえ、客観的にも彼女的にも、セーフなのは同じ部屋で、傍で眠りについたとこまでだろうに。

 なぜに脱がれたのか、いっそ怖い。

 スカートで渋るくせに、毛布一枚に迷いがなかった。

 他意がなさすぎて意味が分からない。性格上、傍に寄り添っていたくてしかたなかったのだろうことは分かっているが、それにしても張り切り過ぎである。気合いの入り過ぎた、一種の空回りだったのだろうか――あの『らしくなさ』は。


「……ねぇ」

「え?」

「廉太郎はどう思ってるの?」

「は、履いてほしいとか思ってないけど」


 途中から意図的に聞き流していたせいで、不意に話を振られて咄嗟に余計なことを口走っていた。失言。本心ですらない――いや、本心か。

 やはりというか、文脈を外していたようでユーリアの顔には疑問符が浮かぶ。

 するとクリスから「自己肯定感の話ですよ」と呆れた注釈が入れられて、


「あぁ、そこまで戻ったわけか……自信ね、あるよ。少しくらい」


 うわぁ、とクリスから素直な気持ちの声があがる。ユーリアとはだいぶ対応が違う。容姿でも内面でもなく態度を評価するのであれば、毛ほども可愛くないと思わせてくる子供だった。

 対照的に満足そうに笑みを浮かべたユーリアは、やはり、見た目よりも内面の方にずっと光るものがある。それをただ『可愛い』とだけ評するようでは、彼女の言ったように、言葉足らずが過ぎるというものだろう。


「それは何より。この流れで謙遜されてたら、怒っていたわ」

「でも、自信持つのなんて外面だけが精一杯だ」


 内面に、誇れるところは何もない。

 ユーリアの在り方が眩しすぎると思うほどには。

 他人の視線や鏡を嫌がる醜形恐怖に似た感情。腹の内が暴かれるのも、自分でそれを直視するのもおぞましい。

 本当の自分を知られたら、彼女にはきっと嫌われる――思い過ごしだと理解しながら、そんな妄想が収まらない。


「奇遇ねぇ、実は私もそうなのよ」

「はは……それこそ、謙遜しすぎだって」


 表面上、親しげな談笑を重ねていながらも、彼女に対する負の感情は瓦礫のように積まれたままだ。

 引け目と、負い目と、罪悪感。


 ――家族、知り合い。それら一人残らず失っておきながら涙一つ流せなかった、他人への情が希薄な薄情すぎる人間だったという、ユーリアの友愛の大きさに対する引け目がある。

 ――その彼女の友情に甘えて、危険な状況に巻き込むことを良しとしてしまっている負い目がある。

 ――そんな本心を打ち明けられず、心を許しきれず、結果として良い友人としての自分を偽ってしまっているような、そんな罪悪感がある。


 だから心からは楽しめていない。

 こんな、一時状況を忘れた旅行めいているシーンでさえ、居心地の悪さが絶えることはない。

 彼女の傍を数歩離れるのにも抵抗を覚えるほど、心が救われているのは確かだけれど。劇薬を兼ねた精神安定剤のようなもので、その投与が良い方に作用するのか否か、結果がでるまで誰にも分かったりはしない。


 



――――――





「何見てんですか?」

「あ、いや……」


 服屋に入っていった二人を店先で待っていた廉太郎へ、中から先に出てくるなりクリスが怪訝な声をかけていた。

 手持ち無沙汰で時間を潰していたのだから、どこかへぼんやりと目をやっているのは自然ともいえる。

 だが、不審がられてもしかたないなという自覚は確かにあった。

 廉太郎が顔を向けていたのは、何の変哲もない歩道。見どころどころか、ちょうど通行人もいないその路地を、目を凝らすようにして見つめていたのだから。


「別に?」

「そわそわし過ぎでしょ……」

 

 ――気にしすぎか。

 幸い、変に思われることもなく、足取り軽く近づいてくるクリス。支払いごと買ったものを任せてきたのか、変わり映えもなく手ぶらであった。


「無理もありませんか。ユーリアさん、部屋の中でなら何でも好きなものを着てくれるって言うんですから」

「だから、はしゃぎすぎだろ二人して……あぁいや、女子なら普通か。無理もない」


 からかうというより、なかば嫌がらせじみてきている軽口に思いっきり嫌味で応えてやる。

 その体たらくで何が人形なんだ、と。

 一般論的に考えても、個人を人間扱いしようとする姿勢が悪口に含まれるはずもない。よって、決して意地悪ではない。文句は受け付けないつもりだった。

 しかし、今のクリスの関心は元より一方向に囚われていたようで、さして反抗するでもなく、ちらりと店内を覗き込み、


「これ何て言うんですかね? その、言いにくいんですけど、むしろ――」

「聞きたくない」すでに察していた。

「いかがわしいですよね」

「……本人に言ってこいよ、それ」


 なんだかもう、何を言っても許される立ち位置に収まりつつあるクリスだが、たまには本気で怒られてみてほしい。たぶん、いい感じに教育されて返されてくることだろう。素直に聞きそうな分、普通に反省するだろうから。


「まぁ期待していいですよ、選ばせてもらった私のセンスを。一度言った手前、逃げたりできるような人でもないでしょうしね」

「押し付けるな、そんな疚しさ……」

「いいでしょ。別に嫌がってないんですから、避けてるだけで」

 

 そこまではセーフでも、疚しさを絡めようとしている時点でアウトである。それも、ありもしない疚しさをだ。そもそも廉太郎の参加を前提にしているのはクリスだけ、のはずである。


「お前、着飾る前に内面を見つめ直した方がよくないか?」

「私に内面なんてものはないので」

  

 などと雑談を交わしていたちょうどその時、「お待たせ」と紙袋を抱えたユーリアが店の中から戻ってくる。衣類にしてはかさばり過ぎだと感じてしまうが、ユーリアの場合はしかたない。あらかじめ着替えを持ちだした廉太郎たちと違い、彼女は着の身着のままだったのだから。


「チェックが混んでいたのよ」


 違う――これは、単純に時間がかかっていただけだ。

 二軒目だから、さすがに気づく。


「あら、ありがとう」


 手荷物が嫌いだと聞いていたため、廉太郎が両手も塞がる紙袋をすべて纏めて受け取っておく。

 そして、三人はそのまま、さしたる目的も持たぬままに道を歩き出していた。

 買った荷物ふくを置きに、宿の部屋へ戻ってもいいのだが、昨晩とは違い、引きこもってやり過ごすようなプランではない。その上、何となく気分は遊びの方へ寄ってしまっていて、わざわざ一度部屋に戻って、また外に出るのも面倒だと、自然と三人の足は散策に動いていた。

 この町、ソルムラを跨ぐ線路の反対側は、繁華街とはうって変わった様相であった。 

 ただひたすらに景色がいい。ただ広い芝の公園が続いていて、建物も外観を損ねない程度の脇役に徹している。何をするでもない家族連れが休んでいたり、子どもたちが広く場所をとって遊び回っていたりしているようだった。

 ほど近いところには平野から続く緩めの山岳が連なり、空に派手な色を浮かべる遊覧の熱気球の姿さえも認めらた。

 普段まったく興味のないような者でも、記念に二、三枚の写真を取りたくなってしまうような。それでいて、どんな素人でも絵になるものが取れてしまうような――そんな所だった。 

 

「観光地ねぇ。ここってなにが有名なんだっけ?」

「温泉」

「まじかよ――!!」


 何気なく零した問いかけが、思いがけない大物を引きつれて返ってきた。堪えきれず声が上がった廉太郎に、さしもの二人も虚を衝かれたような目を向けずにいられなかったようで、


「ちょっ、これまでにない反応なんですけど。さすがにスケベすぎません?」

「違う、民俗性だ」

「はぁ」

「お湯と米だけで生きてたんだよ、俺たちは……」


 テンションが上がらずにはいられない。屈指の温泉大国の一つ、日本で育った身としては。

 借りてきたネコ、ホームステイ。

 これまではそれらの如く、どこかダウナーな気分が委縮した心に張り付いていたものだ。しかし『ここで生きていけ』となったからには無理にでも明るさと、調子のいい感じをも表に出していかなければなるまい。

 真実の開示された夜からこっち、張り詰めた空気が続いていてそんな機会などなかったが――これはもう、仕方がない。それだけの響きで、故郷にいたときですら喝采ものの話なのだ。

 そも非米食もそうだが、シャワースタイルに十日以上も付き合っていて、平気でいられるはずもなかったろう。

 前言を撤回することになる。

 楽しめてしまうのかもしれない、この旅行――旅行だったか?


「ふ、ふぅん……」


 反応に困ったように珍しく言葉を濁すユーリアに気づくも、大げさな反応を前に驚いただけだと思いたかった。 







――――――――――――






「へぇ、楽しそうにやってるのね」


 娘の居るソルムラから離れた自分の町、自分の店にてアイヴィは両肘を席のテーブルにくっつけている。満面の笑みでくつろぐ彼女は、突如自分を訪ねてきた男の話に相槌を打ち、


「ならよかったわ! みんな、慌ただしくどっかに行っちゃうんだもん……」

「お、おう」


 それを受けて、引きつった顔を返す男は、ウィラーだった。

 彼は先ほどまで、アイヴィと直接の面識さえなかった。それが今や、午後のいい時間の喫茶店内を貸し切り同然のように使い、気安く談笑し合っている。

 会話の内容は、ユーリアと、その連れの二人についてである。


「連絡はきたけど、よく分からなかったからねえ。無事だと分かっただけでも一安心なのよ」


 事実を、ありのまま報告しているわけではない。

 昨晩から複数の組織ぐるみで娘を襲っているだとか。自分がまさにその一人で、気持ちよく負けてきたところだとか。事情あって命の保証だけはできるけれども、腹を割ったとしても説明しきれない話になってきているだとか――そんな話をする理由も、メリットも何一つウィラーにはない。


「で、確認するけど……あなたの話だと、廉太郎くんは元の世界に帰れないのよね?」

「あぁ、絶対だ」

「同じ立場で、あなたも帰れない」

「故郷ごと残ってねぇの。俺たちは他所から連れてこられた幽霊みたいなもんなんだ、って」


 ――んで嬉しそうなんだよ。


 その点への食いつきが異様にいい。執拗に念押しするものだから面倒なのもあるが、それ以上に薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。

 ウィラーのこの訪問に意味はない。

 情報収集だとかお節介だとか、色々理由はつけられようとも、結局はただの気まぐれだ。渦中に居るユーリアという少女の存在が気になって、ふらりと足が動いただけだ。

 なにも、不憫に思ったわけではない。

 ただ、彼女本人が知ることもない場所で、やたらと他人の意思やら契約関係やらが渦巻いているという現状に、吐き気にも似た具合の悪さを覚えてしまっただけなのだ。

 どうあれ、ユーリアが親にろくな報告もできず町を飛び出した、その原因を作ったのはウィラーである。

 なら、せめて近況報告でもしてやろう。リップサービスであっちに都合の良い嘘を混ぜてやる。その動向はリアルタイムで把握していて、正確なところまで分かっているから。

 何なら今すぐ会いに行ける。というか、実際に行って目にしてきた。

 となると何者だとか、なんでそんな事ができるんだとか――そういうのを取り繕うのも面倒で、ボロのでないようごまかしながら打ち明けている。

 世界だのなんだの。

 その結果が、これだ。


「えへへ、それは良かったわぁ」


 アルコールは分解した――だのなんだの言ってはいたが、たぶん、まだ酔っているのだろう。

 場所を調べて戸を叩いたとき、この遥か年上だとかいう、どう見ても年下にしか見えない美女妖精は目も当てられない酷い有様で飲み潰れていた。

 なんて客だバーだったかよ、此処は――などと思いきや、それで店主だというのだから、圧倒される他はない。危うく引き返しかけたほどだ。

 そんな訳だから、今日は客など寄り付いていない。貸し切りもやむなし。

 要はそれだけ荒れるほど、娘を気にしていたということである。


「で、何がそんなに良いんだよ」

「だって、『元の世界に帰る手がかりがー』なんてほのめかすのよ? だから家に戻ってくるときにね、もしかしてあの子一人だけになってるんじゃないかなって思うと……もう、寂しくて惜しくて」 

「惜しい、ね……」


 深く突っ込むのはやめておこう。

 目的など初めからなかったが、少しは気が晴れたような気がする。

 きっかけを生んでおいて、調子のいい話だが。


「邪魔したな」


 やおらウィラーが席を立つ。

 そろそろ、居心地が悪くなってきたからだ。

 次の一手はもう、どのみち始まってしまう。ここまで陰鬱とした、込み入った展開になるとはまるで思ってもいなかった。だが、すでに彼の一存でどうこう場を整えてやれるような状況にはなくなっている。


「コーヒー旨かったぜ。あぁ、何年かぶりにそう感じた」

「でしょ。採算度外視だからねぇ」  

 

 稼ぐ気はないのか、それは困る。

 味もいい上、酔ってさえいなければマスターも美人ときている。しかも他では目にすることのない人外の女、得体の知れないところが悪くない。年齢と見た目、体つきのギャップも癖になる魅力と物珍しさを備えている。

 思い返したころに、また寄ってしまいたくなることもあっただろうに。

 しかし、潰れる心配はそうないのか。

 娘があれだけ注目のポジションに就いているのだから、趣味経営でも赤字でも気にするところでもないのだろう。良くも悪くも、大活躍というわけだ。


「また来てちょうだい」


 ――と。

 名残り惜しくも、慣れない雰囲気か何かに気圧されるように店を後にしたウィラー。

 そしてその姿を、たまたま人知れず遠巻きに観測している女が居た。


「え、何やってるんだろう。あの私に負けた犬は」


 昨晩、別の町にて、やはり人知れずウィラーを数万人単位で叩き潰した黒髪の少女。

 友達ユーリアの危機はその後も続いていたが、そちらの現実改変まではさすがに見守ることしかできずに、すごすごと実家としょかんに跳んで帰った十五歳。

 異父妹トリカの保護に対する方針の違いと、ついでに価値観の相違によって父親といよいよ喧嘩になりつつある、小柄というより小枝のような白黒姿。

 無口で表情の固い、身内想いのラヴィである。

挿絵リンク

『ユーリア』


ピクシブ

https://www.pixiv.net/artworks/92104326


または

ツイッター

https://twitter.com/takarano_ame/status/1428039855221579782

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