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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
132/149

第二十九話 わがまま

「悪いけど、これはもう読ませてもらったわ」


 そう告げて、ユーリアは軽く手の中の便箋びんせんを振ってみせる。廉太郎れんたろうが書いて、後に残してきたつもりだったもの。釈明しゃくめいと謝罪の、別れの手紙。

 読ませてもらったとは言うものの、ユーリアの表情は淡々としている。そこから何かを読み取ることはできなかった。

 とはいえ、まるで怒られているような、糾弾されているような気分になる。

 身に余るほどの自覚がある。

 だが、それよりはむしろ気まずさが優ってしまっていた。

 これでは恥ずかしいほどの肩透かし。先ほどまで思いつめ、これしかないと必死に勇んで飛び出してきたというのに。断腸の思いの決断だった、その気持ちの収めどころが見つからない。


「あぁ、えぇと……」


 何を言ったものかと、悪さが見つかってしまった子供のように口ごもってしまう。嘘か冗談か茶番のように、ふわふわした頭でいっそ現実感にさえ乏しい。

 こうもあっさりと見つかってしまうとは。あまりに出来できすぎているではないか。

 家を出て町を離れた廉太郎とクリスの行動に、無駄なロスは何もなかった。そのわずかな時間でユーリアは二人の逃亡に気づき、書置きを読み、その状況を理解し、そして追ってきた。

 偶然だとするなら間がよすぎる。

 いっそのこと、最初から知っていたのだと言われた方が納得もできよう。


「廉太郎」


 こんなはずでは。

 そんな動揺を隠せない廉太郎を前に、落ち着き払った声をかけてくるユーリア。内心、色々思うところがあるはずだ。ふつふつと煮えたぎっているに違いない。

 だがむしろ平静でないからこそ、逼迫ひっぱくしたこの状況で少しでも実のある会話を進めようとしているのだろう。努めて、そう装っているのだ。

 それが、手に取るように廉太郎には分かる。

 だが、そこから続く彼女の言葉は、少し予想を外れたもので、


「あなたがしたことは……きっと正しい」

「え?」

「立場が同じなら、私もそうしていたでしょうし」


 何気ない、雑談の一つのようにユーリアは話を進めていった。廉太郎の判断を認め、その行動を肯定している。

 脅しに背を向け逃げ出して、無関係な人質の価値を失くす。引き止められたり、巻き込んでしまうことがないように、親しい相手には何も告げずに。

 それしかない状況。そして、ユーリアでも出したであろう答えは変わらない。

 だから、彼女は納得している。

 少なくとも、理屈の上では。

 感情の面ではというと、現にこうして追ってきた事実がその答えを物語ってしまっている。

 静かだった。

 何を考えているのだろう。

 どう思われてしまったのだろう。

 頼ってもらえなかったことを悔しがるのか、あまりに冷たいと不義理に思うのか。無責任だと、廉太郎を責める気持ちだって彼女の中にはきっとあるはず。

 ユーリアはじっと廉太郎を見つめていた。

 穏やかな表情に反する、力強い視線と真面目な雰囲気、その言動に呑まれてしまう。

 だがやがて、彼女はふっとその緊張を解き、


「でも、残念ながらこうして捕まえてしまったもの。もう観念して、私を巻き込むしかないわよ」


 それは、予想通りの反応だった。

 友人に対して、ユーリアはそんなことを決まって言えてしまう人だった。そこにある事情など何もかもを度外視して、少しのためらいも抱かずに。 

 だからこそ、廉太郎は何も言わずに姿を消してしまいたかったのだ。


「……いやだ」


 だからこそ、廉太郎は再びその意思を明確にする。今度は文字でなく、面と向かった言葉で。そこには表情もあるし、口調も、雰囲気もある。余計に言葉を付け足さずとも、主張は十分に伝えられる。

 なのに、ユーリアは少しもひるむ様子を見せようとしない。追いかけたところで廉太郎の考えが変わらないのは分かり切っていたのか、「あらそう」と涼しい顔で受け流してしまっている。

 冷静に思える態度だが、それが逆に彼女のかたくなな意思を示しているようで、


「そういう、気持ちは――」

 

 震えていた。

 心だけでなく、口をついたその声色も。

 それで、自覚してしまう。こんなたやすく予想できた場面、避けたかった場面をいざ前にして、自分は感動させられてしまっているのだと。

 胸を熱が打ったようで、いっそ気分が悪いほど。声がそれ以上振るえるのを抑えようとすれば、その熱は骨を伝って体の末端にまで届けられてしまうようだった。

 どうにか、顔に出るのだけはこらえていたい。


「……君の友情はすごく嬉しい」

「えぇ」

「俺がどれだけ厄介な事情を抱えても、迷惑や危険な存在になっても。君が態度を変えることは絶対にないんだろう。前から、それは知ってる」


 よく分かる。そう信頼できてしまう。

 友情、家族愛。

 彼女の情はとても深い。

 単純な言葉だが凄いと思う。とても真似できる気がしない。これだけ他人を無償で思っていられる人間が、他にどれだけ居るというのだろう。

 他人の助けになりたいと思える慈愛ではなく、そこに至るまで他人に思いを向けられること自体を、心の底から尊敬する。

 しかし、


「でもダメだよ」

「どうして?」

「おかしいからだよ。誰が考えても分かることだけど、君がついてくるなんて絶対にダメだ」


 絶対に。

 この先、どれほどの危険があるのかも分からない。それも、既存の常識や知識が通用しないものである。廉太郎たちに行くべき先があるわけでもなく、終わりがあるかも定かではない。期間の定まっていない逃避行。

 廉太郎や、それに伴うクリスには選択肢がない。だが、無関係のユーリアには付き合う必要性がどこにもない。元よりよそ者だった廉太郎とは違い、彼女はこの町に居ついた住人でもある。ここでの生活、役割、人との繋がりがある。仮に、一時的な協力にとどめてもらうにしても、それでも影響は計り知れない。

 すべて、書置きで伝えてある通り。

 あらゆる視点で考慮して、ユーリアが同行するのは間違っている。あまりにも見合っていないのだ。

 ユーリアの生活、時間――いくら彼女が大きな友情を持っていてくれようとも、天秤にかけられることすら恐れ多い。


「俺なんかよりもっと他に、気にかけていたい人たちが居るだろう?」


 他の友人だったり。知り合いだったり、義母アイヴィもそうだ。

 そういう、付き合いの長さも思いがけの強さも、廉太郎より遥かに優るであろう人たち。彼らを押しのけてまで付き合う話ではない。どう考えても間違えている。

 時間も、できることの量も人は有限。ユーリアほどの人になれば、それを必要とする者などあの町に山ほど現れるはず。

 これまでだってそうだった。

 事情のおかげで家にまで泊めさせてしまい、ずっと構わせてしまっていたけれど、それは破格の対応。今にしてみれば、不当にそれらを独占してしまっていたことも自覚できる。


「……友達って言ったって、たった十日そこらの付き合いだ。だから、優先するべき順番を――」


 間違えてはいけない。間違えるべき人じゃない。

 ともすれば勘違いしてしまいそうだったが、本質的にはユーリアにとっての廉太郎は、親しい人間の中から下から数えて一番目。いくら親しくなれたとはいえ、ちょっとだけ仲良くしただけだ。最も新しい層にいる友達の一人にすぎないのだ。

 ふと、自分の身に置き換えてみる。そこまで目を向ける必要があるとは、どうしても思うことができない。

 そしてそれ以前に、付き合いの長さなどに関わらず、そこまでされる価値が自分にあるとも廉太郎は思えなかった。

 助けられるべき、気にかけられるべき価値ではなく。

 ユーリアほどの友達思いの人間に、友達として思ってもらえるような価値が。

 対等などではあり得ないと、つくづく思う。

 これほどまでに薄情な、友情一つに理屈を求めてしまうような自分とは。


「――確かに」


 廉太郎の言いたいことも、その理屈も理解しているのだろう。ユーリアはそれらを噛みめるように頷くと、そこでしばしの間を置いた。

 何をどう言うべきか、考え込んでいるようであった。

 だが、迷い自体ははなからなく、


「確かに、私にはあなたより親しく思える相手がたくさんいる」


 考えるまでもない当たり前のことなのに、思いのほかちくりと胸を刺す言葉だった。嫉妬ではなく落胆。あるいは、怯え。

 それが自然と顔に出てしまったのか、それを見つけたユーリアは意地悪をするように「ふふっ」と笑い、からかう口調でそれに続け、


「付き合いの長さとか、思い出の数とか……まぁ、当然なんだけれど」


 身振り手振りを交えながら、彼女はそうやっておどけてみせた。場をなごませようとしているのか、互いの気持ちを落ち着かせようとしているのか。恥をかかせたくなかったのかもしれない。

 いずれにせよ、それを見ていると嫌でも頭に思い浮かぶ。確かに短い付き合いではあったものの、そこまで卑下するほど薄くはなかった時間の数々が。


「でも、それが何だっていうの?」

「な、何って……」

「優先順位? そんなの、気分次第でどうとでも変わるものじゃない」


 直近に顔を合わせただとか、会話をしただとか。

 ふとした拍子に思い浮かべただとか、噂話を聞いただとか。

 ほんの些細な、日々の中のきっかけで、絶えず変動する。目を向けていたい相手、気にかけてしまう相手、その順番など。

 

「今の私は、あなたのために尽力したくて仕方ない……。これはもう性分しょうぶんなの」


 事情を知ってしまったから。

 ほんのちょっとの時間でも、親しく接してしまった後だから。

 書置き。普通はためらって言わないでおくような、心からの言葉を読んでしまった後だから。

 そういう性格に育って、生きてきてしまったものだから。


「放っておけるわけがないのよ。私がそうできると思ったの?」

「……いいや、まったく」

「『そばに居るわ』とも言ったけれど、それも私がそうしたかっただけ。やっぱり……どうしようもない、そういう気持ちは無視できない」

 

 詰め寄ってくるユーリアの中で、もう結論は決まっていて、少しも譲るつもりはないようだった。彼女は自分でも割に合わない、わがままにさえ近い押しかけであることが分かっていて、それでも我慢ができずにここに来ている。 

「馬鹿なことを――」と、思い浮かべるより先に口をついてしまっていて、


「……どうするんだよ、トリカちゃんのことは」

「ん、それについては大丈夫よ」

「え――?」


 予想だにしない返答。

 ユーリアにとって、最も後ろ髪を引かれるであろう問題を持ち出してやったつもりなのに。意外なほどにあっさりとした態度を前に、逆に廉太郎の方が狼狽うろたえさせられてしまう。

 行方不明という大問題を前にして、あれだけ慌てた様子で飛び出していったユーリアが、だ。

 まさか、解決したのか。ちょっと目を離した隙に、あの短時間で。猶予など、数十分ほどしかなかったというのに。

 だが――。


「えぇと……妙な確信があるのよね。どうやら、今の私には――」


 どうやら、解決した、発見できたわけでもない様子。 

 状況が変わっていないのなら、決して大丈夫などと言えないはずなのに。その口ぶりからは、どうにも深刻さが伝わってこない。

 奇妙な悪寒が背中を走る。

 問題が、もはや問題ではなくなってしまったかのよう。

 ユーリアの言い方も、ある種矛盾したような考えも――どちらも廉太郎にとっては納得しがたい違和感だ。

 ――あの子はうちが預かってる。

 だが、不思議なことに、次第に廉太郎にもまた、ユーリアの言う『確信』とやらが次第に生まれ、やがて気にも止まらないほどに育ち切ってしまっていた。

 ほんの一瞬の間に、廉太郎もまた、トリカのことを問題視することができなくなってしまっていた。

 ――話を続けて。

 空耳が。


「あぁ、そういえば――」


 ぼうっとしかけた廉太郎に、不意のユーリアの声が届く。もはや議論は終わったとでも言いたげに、彼女はゆっくりとその足をクリスの待つ車内へと向け、ドアの取っ手に手をかけて、


「昨日のゲーム、負けた私の罰があやふやになっていたのよね」

「ちょ、ちょっと――」

「だから、まぁ。そういうことにしましょ」


 ドアを開けられないように、廉太郎は手の平でそれを押さえていた。

 押さえただけ、ポーズだけだ。

 そんな真似などしておいて、さんざん説得する素振りを見せておいて――ユーリアを言い負かし家に帰してやるなんてつもりは、とっくに廉太郎の中には残っていなかった。少しもである。

 正直なところ、追いつかれてしまった時点において、すでに心は負けていた。

 未練や心残りはすべて書いておいてきたつもりだったのに、それを丸ごと持ってこられてしまったようなもの。

 過ちであるのが分かっていても、もはや――。

『説得なんてできる人じゃない』などと、言い訳でしかないのだろう。

 

「……罰なんて、負けた側が自分で決めるものじゃない」

「なら、『力になって』と言ってくれる?」

「うん。でも――」


 もはや避けられない、他ならぬ自分が抗えない甘い誘いであるならば。

 罰という形で強要するのは、むしろ別のものがいい。


「命までは張らないこと」

「分かったわ」

「嘘つき」

「ごめんね」 


 ユーリアは笑って言いのけた。少しも悪びれる素振りはなかった。

 危険な目にあわせてしまうと確信しているのに、そんな彼女を招き入れるように自らドアを開けてしまう。やはり、心が薄情だからだろうか。

 ユーリアも自分も間違っている。それでも分からないことが廉太郎にはある。彼女を危険な目にあわせたくないという思いと、すべてを友情ごと包んで受け入れてしまいたいという欲望の、どちらが正しい本心であるのかを。

 ユーリアはこれで、堂々と嘘をつく人だ。約束だって平気で破られてしまうのだろう。

 そうしたいという気持ちに対して、彼女はとてもわがままなようだから。


「本当にいいの?」

「もちろんよ」

「……ありがとう」

「えぇ」


 だが、同時に、それが彼女の最も大きな美点であるのは疑いようもない。人としての魅力だと、本人にさえ言ってしまえる自信がある。

 その言動、他人への思いの向け方、一挙手一投足に至るまで。

 やはり、とても真似できる気がしない。

 否定することもできなければ、目を背ける気にもなりはしない。

 引け目、ともすれば友情さえ疑問視しそうになるほどの劣等感。

 家族を世界ごと失っても涙一つ流せなかった、そんな自分の情の低さを、どうしてもユーリアのそれと比べてしまっている。

 だがそこにあるのは、決して後ろめたさだけではなかったのだ。

 真似などできない、そうはなれないと分かっていても。

 そういう、自分とはかけ離れた存在、姿勢、姿に――憧れてしまわないはずがない。




――――――――




「――よし」


 走り去るその車を、やや離れた場所から監視するように眺める男が二人。そのうちの片方、ウィラーは満足そうに笑みを浮かべ、傍らに立つもう一人の男へと声をかける。


「想定通りだ。あの子ら、ここを抜けてってくれたぜ」

「だが、まだ手はだせん」


 男の素性は分からない。ラックブリックの町の中に――少なくとも一市民の中に、その男を知る者は一人もいない。

 男は誰が見ても暑苦しい、季節というものを半年は無視している上着を着込んでいた。そんなコートでその体躯を、ハットの陰で顔すらも隠している。

 だが変わらずジャケットを纏うウィラーと並ぶと、それは自然と収まりのいい姿のようにも見える。


「敷地の外に出たとはいえ、奴の目の届く位置ではまずかろうな」

「協定ねぇ」

「そうだ。我々『学団サークル』と奴の『町』、互いに領分を侵すことは許されていない」

「なんつぅか、曖昧な話だな」


 だが、その関係を崩してしまえるような立場に二人はなかった。

 ラックブリックの町――正確には、そこを実質的に治めるルートヴィヒ。

 そして、今は亡き『故郷』に由来する魂の残り香、この世の枠組みにない者たちで構成された学団。

 その双方の間には、一定の協力関係が存在している。むろん、町の住民には預かり知らぬところで。学団どころか、別世界の存在すらもユーリアが知らなかったように、誰も何も知らずにいる。

 その強力関係を成り立たせるための、不可侵の契り。 

 学団に属する人間は、その町に害を成す行為の一切が固く禁じられている。

 あらゆる角度から、手をだすことができない。

 丸ごと爆破してしまうなど、初めからできない話だったのだ。

 ウィラーが廉太郎に見せた光景は、あくまで脅し。できもしない、ありもしないはったりだ。

 その脅しに屈して、廉太郎が仲間に加わるというなら、それで良し。

 だが、こうして逃げ出してくれるというのもまた、ウィラーたちにとっては都合が良かった。

 なにせ、町の中に居られてしまっては手が出せない。

 それが今では――あと少しの距離をとってしまってからは、あらゆる一切の縛りが二人からは喪失する。


「でも、まぁ……弱ったなぁ」

「あぁ。まさか余計な、それも最も厄介な連れを乗せてしまうとは」


 言うまでもなく、二人が問題にしているのはユーリアのことだ。

 なにせ彼女は、同盟相手であるルートヴィヒによって明確に名指しされ、顔写真まで手渡されてしまっているような存在の一人。

 曰く、最も価値のある手札。間違っても関わることなどないように――と。


「一度伺いを立てねばな。本来、口を聞くことさえ拙い女だったのかもしれん」 

「マジかよ……」


 仲間に釘をさされたことで、これまで気軽にやってきてしまった軽率さを思い返すウィラー。そこまで重く考えられるほど事情に精通していなかった彼は、一人頭を抱えてしまうよりほかになかった。




――――――――――




「あの、ユーリアさん?」

「なぁに」


 引き返すことなく西を目指す車の中、快適とまでは呼べない後部座席でかろうじてくつろいでいるクリスとユーリア。

 今朝のすれ違いから、何も告げずに決行した逃避。からのあっさりとした合流。

 一つ一つとってみても流れとして見ても、気まずいどころではない。そんなわだかまりが残りそうなものであったが、車内の空気は何事もなかったかのように通常通りに戻っている。

 努めてそういう空気に変えてしまうのは、おそらくユーリアのふるまいや言動。すべてがちゃらにしてしまえる、終わった何かでしかないのだと、そう錯覚させてくれているようだった。


「お別れせずにすんだのは私もちゃんと嬉しいんですけど……」

「ふふっ、私もよ」

「重いです、どいてください」


 自分の膝に乗せられた頭を持て余すように見下ろして、クリスはためらいがちに何度目かになる台詞を吐く。

 が、行儀も悪く寝転んだユーリアに起き上がる気配は少しもなかった。他人の嫌がることをする彼女ではないので、当然口にされるほど嫌がられていないことにも気づいているはずだ。

 生き物に触れないユーリアにどういう判定が働いているのか、人形であるクリスは貴重なスキンシップの相手として、かなり――やや強引なまでに、気に入られてしまっている。

 そんなクリスはといえば、はたから見ている廉太郎の目にも明らかなほど、まんざらでもないのが隠せてはいない。

 表情、口調。ちゃんと嫌がれていないのだ。


「重くないけど重いんです。なにか、こう……すごい贅沢をさせられてるような」

「私、乗り物嫌いなのよ」


 答えになっていない返しと共に、ユーリアはからかうようにクリスの頬へと指を伸ばす。とうに諦めていたのかクリスは何も言い返さず、例えづらい表情でつつかれるのに任せていた。


「というか、酷いわ廉太郎。私から友達を二人も取り上げてしまおうだなんて」

「うぅ……痛いな、ほんとう、それを言われたら」


 ――俺はともかく、クリスまで。

 そう言いかけた口をとっさに閉ざす。謙遜けんそんじみた言い方は気持ちを裏切る行為でしかない。故郷の生活で染みついた習性というものか、それとも単に卑屈なだけなのか、半ば癖になってしまっている。

 友情なんて定義の曖昧なものを信じるには、気持ちの上で対等であると思えていなければならない。

 昨日のテニスを経て一時は確信しかけたそれ。だがそこから紆余曲折を経て、おこがましく感じてしまったり、委ねてしまいたくなったりと、廉太郎のユーリア

に対する友情観は二転三転をし続けている。

 とはいえ、自分のことを考えているだけでは疲れてしまう。今は、後ろの二人が何の壁もなく仲良くやっているだけのことが、他人事でなく喜ばしかったのだ。


「この子の言葉は残していってくれなかったしね。いやよ私、大事な友達と何のやり取りもなく離れ離れになるなんて」


 ぺらりと紙の裏返る音。ユーリアが早々に見つけて握りしめてきた廉太郎の書置き。

 すでに読んだと言ったのに、何を思ったか再度広げられた気配を背中に感じる。わけもなく、ぞわぞわとしたこそばゆい気持に襲われてしまった廉太郎は、


「ユーリア、それ……捨ててくれない?」

「あら、どうして?」

「だって、要らないだろ。要らなくなっただろ」

「いやよ、もったいないじゃない」


 熟読されている。

 運転席の廉太郎からはその顔なんて見えないのに、細やかに伝わる息遣いでそんな風に感じてしまう。感じてしまうだけで、つまりは自意識過剰になっているだけ。

 しかし、書いた手紙を目の前で読まれるという経験など、そうそうあるものではなかろう。

 ましてや、当分会えないだろうという思いのもと書いでしまったもの。

 自然と、落ち着かないくらいに気恥ずかしさが募っていく。できることなら奪い取って破り捨て、窓から捨ててしまいたいくらいだ。


「正直、あなたに対してはまだかなり怒っているんだけど――」

「それは、ごめん……」

「でもねえ、これだけ嬉しいことを書いてくれたわけだし。それで手打ちにしてあげるわ」


 不思議なものだ。書いた本人にはそんなつもりなどなく、むしろ重苦しく辛い感情しか込めることができなかったはずなのに。

 すべて茶番に終わってしまった今、そういう必死さもゆっくり味わえてしまうだけの味にしかなっていないのか。


「渡されたときは慌てて読み飛ばしちゃったけど、いざ落ち着いて見てみると……こう、じーんとくるの。あぁ、やだ――泣けてきちゃいそう」 

「えっ!?」


 どこの部分を指してそう言うのだ、いったい。

 ――というより、何を書いたのか今となってはもはや廉太郎は覚えてもいない。急いで書きなぐった上、あまりに早々にごたついてしまったせい。頭から綺麗に飛んでしまっている。

 余計に捨ててほしさが上昇する。そわそわして運転にすら乱れがでてしまう廉太郎に、笑いをこらえたようなクリスの息遣いが次に襲い、


「次、私にも読ませてくださいよ……って、あれ?」


 口を尖らせたくなる言葉だったが、途中で口調を変え怪訝そうに言い淀んでしまったクリスに首を傾げる。どうしたのかと聞くまでもなく、クリスの抱いた問いはそのままユーリアへと投げられた。


「渡されたって言いました、それ?」

「えぇ、そうよ」


 そこでようやくと、廉太郎も一つの違和感に気づき口を挟み、


「あれ、部屋で見つけたんじゃないの?」

「私、家にも戻っていないのよ」

「……んっと」


 書置きは、確かにユーリアの自室に残してきた。

 そのはずである。

 それを、その場で見つけていないと主張するユーリア本人が持っている。

 渡された、ということは――つまり、発見し彼女に届けた誰かがいるということだ。そしてその人物が何者かにせよ、確実にあの家に上がっている。タイミング的に、廉太郎とほとんど入れ違いとなるかたちで、だ。無人の家、鍵はちゃんとかけていた。

 誰だ。玄関先ならばまだ分かるが、プライベートな自室にまで。

 ユーリアが、それを問題にしていないのも奇妙だった。

 アイヴィだったからか、はたまた護衛に立てた男だったからだろうか。

 

「あなた達が急ぐから、着の身着のまま追いかけてくるしかなかったもの」

「うっ……それも言われると――」


 ぐうの音もでないほど心が痛い。

 そのせいで、余計な――それもさして重要でもなさそうな追及など、それ以上する気にはなれなかったのだ。



――




 私だよ。

 心の中でそう呟く。声に出して言わなかったのは、何も息をひそめているからではない。

 どうせ誰にも聞こえないからである。会話ができない状況にあるからである。

 その車内には、廉太郎が運転席に座り、後ろにクリスとユーリアが乗りこむその場には、実のところ――もう一人の搭乗人物が存在している。


「これで良かったか、は……自信ないけど」


 廉太郎の空いたとなり、帰還するタイミングを失ったラヴィが誰ともなしに一人ごちる。

 四人の中では部外者ともいえる彼女ではあるが、その表情は誰にも劣らず暗く、憂鬱に沈んでいた。他の三人は会話ができる分、それと無事に再会できた分、だいぶ緊張感に欠けた雰囲気をまとっているのだから、実質今その瞬間に胃が痛いのはラヴィだけだ。


「はぁ……」


 溜息が零れる。

 相談さえできなくて心もとない。それだけでなく、存在しない幽霊同然に見向きもされない時間が、何やら切なくてしかたない。

 ちょっと前まで一人で居たい派だったのに、そういう奴ほど寂しさに免疫なんてものがなかったりするのだろう。

 自分のしたことに、ラヴィは自信が持てずにいた。

 何を隠そう、ユーリアに例の書置きを渡してしまったのが彼女である。

 廉太郎をウィラーの銃口から守ったように、一時的に認識の迷彩を解除して、目の前で書き置かれた便箋をそのまま拾って届けてしまった。

 あの後、廉太郎の目の前から文字通りに消えて見せた後。

 どうしても気になったラヴィはその後のフォローもかねて、影ながら――すぐ横で廉太郎を監視していた。例の能力により、廉太郎がすぐさま脅しをかけられてしまったことは、クリスとの会話を盗みきくことで察せられた。

 直後ラヴィは、書きだされた書置きの内容と、それを廉太郎の表情を目にすることになる。

 そこで、盛大に迷わされてしまった。

 今も迷っている。どちらかといえば、後悔の方によっている。

 廉太郎のしたことは、ユーリアでさえ言うようにやはり正しい。彼女を巻き込む理由がない、わざわざ危険に晒す人数を増やすだけ。廉太郎がこの先どうなるのかは、一人でも二人でも未知数だ。魔術師としてのユーリアの実力も、この件に関しては参考にならない。


「でも無理。行かれた後、この子どんな顔するか考えると……」


 決め手になったのはそれだけだ。

 気落ちしたユーリアの姿を見るのが嫌だったという、至極わがままな感情論。

 大事な友達の身の安全と、釣り合うようなものでは決してない。

 間違っていることをしているのだ。それも取り返しがつかないことを。それこそ、廉太郎になど真相がばれたら殴られるのではないかと思うほど。


「……ないか」


 知れず笑みを浮かべた。

 優しいだとか無害だとか、そういうのではなく、そこまで強い興味を向けてくるまい。他者への壁、線引きか。他人に対してマジになれない、そういう人としての後ろめたさが、どうやら廉太郎にはあるようで。

 誰しもそうだとは思うけれど。

 それを意識してしまうものだから、要らない悩みとなるのだろう。

 覗かせてもらった書置きからも、そんなことが伝わってきた。

 馬鹿馬鹿しいほどの杞憂きゆうだとは、自分で書いていて気づけなかったものだろうか。矛盾。気持ちに気づけないのとよく似ている。

 

「妬けちゃうね」


 ユーリアに対しても、廉太郎に対しても。

 心地がいいほどに羨ましい。そんなものだから、帰るタイミングを見失ってしまっているのだ。自宅への転移はいつでもできる。だけど一歩通行の能力だから、ついついだし渋ってしまう。

 たとえこのままついて行ったとしてもできることはラヴィにはない。

 存在を回復させるのにもいちいち父親への許可がいる。そう何度も説得できるような材料はない。そもそも、戦力として自己を評価した場合の価値はお守り程度の存在だ。

 成れるのはせいぜい話し相手、それでさえ得意とはいえない。

 それもきっと父親のせいで、何もかも父親のせいだ。この事態を招いたのさえ父親の、ひいては自分たち家族のせい。

 それが負い目か。

 もはや廉太郎との仲は適当に悪くないのに、『友達じゃないよね』などと言えてしまえるような。




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