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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
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第二十八話 ミス

「ちょっと、落ち着いてくださいよ!」

「無理だ――」


 その後、廉太郎れんたろうは自室に戻るなり、慌ただしく手を動かし私物の吟味ぎんみを進めていた。後ろから聞こえるクリスの制止も、ろくに耳には入っていない。平静を失った心臓の音が、気持ち悪いほどに焦燥感をきつけてくる。

 空き巣のごとく、金品でも漁っているかのような気分だった。

 家の主が居ないから、彼女に無断でしていることだから。そういう、後ろめたい思いが抑えきれなくなってしまうのだろう。


「本気なんですか!?」


 と、そんな廉太郎の背にクリスがついに語気を荒げ、


「この町から、離れてしまうだなんて」

「……あぁ」


 自ら宣言しておいて、それは耳を塞ぎたくなるような響きの言葉だった。あいにくと両手は使用中で、目を逸らすように背を向けてやるのが精一杯。

 町を離れる。

 せっかく用意してもらった生活基盤を丸ごと捨てる。

 この世界、この町との繋がり以外に廉太郎が頼れるものは何もない。そんな廉太郎にとって、その決断は断腸の思い。生命線を、見えている人生を白紙に戻すようなものである。

 ここを去って、一日過ごすだけでも大変なこと。何者にも頼らず、社会にも属さず生きていくことなどできはしない。自然の中での自給自足などと、技術も経験もない廉太郎には到底不可能な発想である。

 したがって、廉太郎が行きつける場所など決まっている。

 こことは別の、ここではない人間の社会だ。

 つい数日前にも訪れ町、西のオーテロマのような場所だ。

 この町に逃れ、外の世界から隠れていなければならない必要性は廉太郎にはない。この世の人間でさえないという、バレれば真っ先に処分されてしまいかねない異常性を抱えているとはいえ、そういう世の外側の理屈や事情に精通している者などそうそう居るとも思えない。

 まず、問題になることはない。


「全部言っただろう、クリス。もうそれしかない」


 三人で立っていたあの路上で、廉太郎にだけ突き付けられたウィラーからの脅し。

 ――仲間になるのを拒むなら、この町は丸ごと消し飛ぶことになる。跡一つ残さず、誰一人として生き残らない。

 そういう脅迫を受けていた。言葉に出されずとも、疑いようもないほど、この上なく明白なヴィジョンを見せつけられてしまっている。

 その直後、廉太郎はクリスと『ロゼ』へそのすべてを打ち明けている。そこでの二人の見解は、ある程度一致したものだった。


 『彼らならやりかねない。気取られず防がれもせず、その程度の破壊現象なら容易く引き起こせる戦力もある』


 ならばもう、要求を呑む以外の選択肢などあり得ない。

 しかし、一度はそう覚悟を決めたものの、クリスがあまりに強い口調で『それだけは許されない』と止めてきたために、その考えを見直す羽目になってしまっていた。

 曰く、最も後悔することになる決断だと。廉太郎にとってもクリスにとっても、他のみなにとってもこの上ない不幸を招くことになる。奴らの仲間になるくらいなら死んだ方がずっとマシ、今ここで考えを変えないのであればあなたを殺して私も死ぬ――と。

 どこまで本気で、信じられる話なのかも分からないが、ともかくあの手この手で言葉を凝らし引き止めようとしていることだけは理解できた。そこに個人的な事情や感情がだいぶ混ざっているのは明らかだったが、廉太郎はそれを忠告として検討することに決めたのだ。

 要求は呑めない。

 この町にも手を出させたくない。

 ならばもう、後は逃げ出してしまうしか道はない。現状取るべき行動として、他に思いつけるものは何一つなかった。

 なにせ、期限は明日まで。

 冷静に策を練れるような、時間の猶予さえもなかった。


「そ、それにしたって……わざわざ黙って出ていくこともないでしょうに……ユーリアさんにだって――」

「ダメだ」


 ユーリアにだけは、何も打ち明けることができなかった。

 理由は、いくつかある。いくつもあるような気がするが、あまりにその感情が大きすぎるあまり、どういう心の動きなのか全体像が見えてこない。言葉にするとなると、途端に頭の回転が鈍くなる。

 ユーリアには家に帰る直前、トリカの名前を出している。それで、意識をそちらの方へと逸らしてやってしまったのだ。

 トリカ。 

 ユーリアが昨日探していた、居所の分からなくなっている、昏睡したままの子供。

 しかし。――なぜか、その問題はつい先ほどまで棚上げにされてしまっていたようである。廉太郎もふとした拍子に脳裏によぎったにすぎず、完全に忘れてしまっていた。ユーリアもそれに同じく、言われて初めて大事な使命を思い出したようであった。

 奇妙なことに。

 この場の三人とも、先日の記憶、昼下がりから就寝に至るまでの記憶が綺麗に抜け落ちてしまっているのだった。

 忘れようのないことを忘れていたのもそのためだ。

 色々と納得のいかない、気持ちの悪い状況ではある。何らかの影響を、妨害工作のように受けているのは間違いがない。

 だが、ユーリアはそんな謎になど目もくれず、居ても立っても居られない様子で駆けだしていってしまった。廉太郎には申し訳なさそうに頭を下げ、護衛を一人手配し自宅に待機させた後――のことである。


「ユーリアになんて伝えたら、絶対ついて行くって言い出すだろ」


 だから彼女のいない今、さっさと支度を終えてこの町を抜けてしまう必要がある。

 必要だとはいえ、この家、この部屋の物を、何もかも持ちだしてしまうわけにはいかない。

 許されるは、せいぜいが買ってもらった服。薬や石鹸。鉛筆など、簡単な筆記具ぐらいのもの。

 ユーリアからは、いくらかの金も持たせてもらっている。だが、どうせこの町の外ではほとんどが使えないような独自貨幣。紙の紙幣と安い金属で、もちろん換金価値もない。

 ならば移動の手段、車を借りるためにすべて使ってしまって構わないだろう。


「他に何か、考えでもあるっていうのか?」

「い、いいえ……正直かなり手詰まりで、それが正解なんだと私も思います。でも――」


 言いにくそうに顔をしかめ、クリスは言葉を濁している。そちらに目を向けずとも、廉太郎には何を言いたがっているのか痛いほどよく分かっていた。

 やがて我慢に耐えかねたのか、クリスは諭すような口調で廉太郎に語りかけ、


「ちょっとは考えてみてください。あなたが消えたところで、この町への破壊行為がなくなる保証はどこにもないんですからね」


 その通り。

 今の廉太郎は、人質に銃を突き付けられ、首を縦に振ることを強要されている対峙者だ。

 犯人に背を向けてのその場からの逃走は、人質を見捨てる行為に他ならない。

 だからクリスが正解と言ったのは、奴らの手から廉太郎が逃れる上ではという意味だ。要求を呑めない以上、人質を救うことを考えるべきであり、そのためにはユーリアへの情報提供は当然なすべき義務にも思える。

 だが、それに関して、廉太郎には一つの考えがあったのだ。


「ウィラーは……俺のことなんてろくに知らないだろ」

「はい?」

「でも耳にくらいはしたはずだ。俺はまだ、この町に来て十日足らずの人間だと」


 元々、彼もまたトリカについて聞きまわり、町の調査を進めていたのだ。興味の矛先が廉太郎にも向いた今、ある程度の情報は集められていてると考えるのが自然である。


「だから今、脅しなんて無視して俺がさっさとこの町を抜けてしまえば――」

「あぁ、行動で示すわけですか。最初から人質の価値はなかったぞ、と?」

「そうだよ。簡単に見限れるようなものだったと……そう、奴に思わせることができるはずだ」


 時間の勝負だ。

 逃走までのタイムラグが短いほど、そういう印象を強く持たせることができる。それに、意表をつけるはずだという見込みもある。

 逃げたところですぐ追いつかれてしまうようでは、何の意味もないからだ。


「そんなの……推測でしかありませんよ」

「でも確信してる」


 消え入りそうなほど弱々しいクリスの呟きが気に触ったのか、廉太郎は思ったよりも強い口調でそう断言してしまっていた。


「な、何をですか……」


 引き気味にそう聞き返すクリスに、明確に示してやれるような根拠は何もない。

 あるのは単純で甘い考え。そういう風に思考を簡略化して、楽観的な可能性に縋ってしまいたかったのかもしれない。

 事態はとっくに一個人の手に負える規模を超えていて、それを一人抱え込まされている今の廉太郎の思考や感情に合理性などとても求められたものではない。

 それでも何か行動を決めて実行しなけれなならないから、一度思いついたもっともらしい考えを、どうしても正当化せずにはいられなかったのだ。


「お前はあいつらを、狂人の集まりだと言ったな」

「え、えぇ……それは確かです」

「でもあいつ、ウィラーからは、お前が言うほどの……何というか、狂気性? 理解を越えてぶっとんでる――みたいな印象、受けないんだよ」


 世迷言をと、頭ごなしに否定されるだろうかと思った。これだけ感情的に躍起になるほど、過去に何か因縁めいたものを抱えているクリスのことだ。

 しかし、意外にもクリスは「確かに……」と口元に指を当ててその顔をしきりに歪めていた。思い当る節があるのだろうか、やはりクリスの話とウィラーのイメージは本人から見ても一致していないようである。

 彼ら集団にも、個人差があるのか。

 少なくともウィラーには社交性がある。表面上は、ではあるが。しかしもう、そう振る舞えてしまうだけで十分クリスの話とは食い違うことになる。

 そこに廉太郎は、救いがあると思いたかった。


「あいつは……多分やらないよ」


 一つの町を、人口一万人弱の安息地を、躊躇いなく踏みつぶすような人間だとまでは思えない。


「――はぁ?」


 不愉快そうに寄越されたクリスの視線に、「あ、いや目的のためならヤるだろうけど……」と言い訳のように付け加え、


「ただ、意味もなく……要求に背を向けられた腹いせにとか、俺を苦しめるためだけにとか。……そういう、無意味な殺戮はしないと思う」


 これまでのウィラーとの会話で、廉太郎が感じたもっとも大きな印象。

 それは、こちらに対する哀れみだった。

 同じく『故郷』を、すべてを失った境遇の仲間として、混じり気のない同情を寄せていたように思う。

 さらに言えば、廉太郎を仲間に引きこもうとすること自体、どこか気が進んでいなかったようにさえ思えてくる。

 必要があって、仕方なく。無視することはどうしてもできない。

 ――そういうニュアンスで、彼は話を進めていた。

 廉太郎が町を離れたことに気づけば、彼はおそらく町へ何もせず、ただ後を追ってくるだろう。その先で接触することがあったなら、改めて同じ脅しをかけてくる。脅しを成立させるために、人質を壊してしまうはずがない。 

 そうでなければならない。その方が合理的なのだから。

 合理性、つまりは人間味のようなもの。それが、どうしてもウィラーからは抜け落ちているように感じ取れない。

 

「それこそ、希望的観測でしょうが」

「……だけど、今だってそうなんだ。おかしいんだよ」

「え?」

「なりふり構わないやつが、一日の猶予なんて俺にくれると思うのか?」

 

 返事を聞くのは明日になるとウィラーは言った。

 有無を言わせない脅しなのだから、考える時間を与えるメリットも義理も彼にはない。それどころか、こうして逃亡を図られている以上デメリットでしかなかったのだ。

 ならば何のための一日なのかといえば、それは廉太郎がいろいろ準備するための一日だ。身支度であったり、挨拶であったり。身の振り方に対する、心の準備のための一日だ。

 だからこそ妙に信じられる。

 脅すだけ脅して言葉にしなかったのは、つまりは言いたくなかったのではないのか、『言わせるな』ということではないのか――と。

 

「し、しかし……良いんですか?」 


 納得はできても、それを呑み込むことを拒否するようにクリスは食い下がってくる。

 子供に駄々をこねられているような気分だった。どうしようもない物事が理解できず、我儘を言われているような気分に廉太郎はなってしまった。


「……何が?」

「ですから、そういう理屈を抜きにして……このまま、ユーリアさんとも黙って別れてしまっても――」


 良いも悪いもあるはずがない。

 仮に、そこに余計なものまで含ませて言っているのだとしたら、なおさらだ。

 

「荷物をまとめろ」


 問いかけには応えず、廉太郎は短くそう言い放っていた。

 言いにくい、言いたくないことは言わなかった。

 俺は別に、要求に屈してしまったって構わないんだぞ――と。


「……それ以上の口出しはできませんね。あなたの人生です」


 言われていることを理解したのか、クリスはそれで大人しく引き下がってしまった。

 それでもなお、他人事であろうにも関わらず、その口調や表情があまりに辛そうで。

 知れず、つられるように、廉太郎も顔が歪んでしまっていた。










 ユーリアを巻き込むわけにはいかない。

 当たり前だ。伝えれば彼女は確実に乗り気になるとはいえ、理由も義理も何もないのだから。

 これから先の展望は何も見えない。逃亡とはいえ、一生彼ら集団の目から逃れられる自信はない。とはいえ、最低でもこの町から意識を逸らすことにさえ成功してしまえたら、後にどうなってしまおうとも最悪とは呼ぶまい。納得することはできるだろう。

 彼らがどれだけ本気で行方を追ってくるかは不明だが、まず間違いなく穏やかな展開にはなり得ないだろう。接触すれば、抵抗すれば。確実に戦闘行為は避けられない。

 敵の強さ、能力の正体はすべてが未知数。しかも、この世の枠組みからは大きく外れた図りようもない存在だ。

 いくらユーリアが対人戦闘能力に長けた魔術師であろうとも、それがアドバンテージ足り得る補償にはならない。

 いずれにせよ、これは廉太郎だけの問題である。廉太郎が偶然にもこの町との接点を持つことさえなければ、あんな理不尽な要求の人質になることもなかったのだ。

 それに、この逃避行は一時的なものではない。期間が定まっていないのだ。

 ほとんどよそ者の廉太郎でさえ辛いことなのに、この町に居ついているユーリアが、家族や友人、仕事も立場もあるユーリアが、関わっていいような話ではない。

 本当であれば、こんな話には誰も乗ってくるはずがないのだが。

 事情を知ってさえしまえば、彼女は決して放っておこうとはしないだろう。

 そういう人だと確信できる。

 ただの友達。それも、ほんの十日程度の付き合いでしかないというのに。 

 

「……何が書けるってんだ、くそ」


 だからこそ、せめてもの気持ちとして、廉太郎は書置き一つくらいを残しておきたかったのだ。

 この町を発ってしまった後であれば、何を伝えたところでもはや手遅れ。どこに行ったかも分からない相手を探すのは、さすがのユーリアと言えども諦めるしかはない。

 部屋に、ちょうどいい綺麗な便箋を見つけたのだ。

 しかしいざペンを握ると、困ったことに手が止まる。

 書きたいこと、書かねばならないことは山ほどあるのに、上手くまとめることができずにいた。

 すると次第に、このまま白紙の紙を丸めて捨てて、何も残さず逃げ出してしまいたい衝動に駆られていく。

 そして、何も書けないのは恐れているからだということに気づくのだ。

 今の心の内側を、言葉にして残してしまうのが。

 これからの自分の行動を、ユーリアに対してしてしまう仕打ちを思うと、心臓が引き裂かれるような気分になる。今までの恩があって、あれだけ親しく思ってくれて。

 そのすべてに対して何のお返しもできないまま、裏切るように姿を消すのだ。

 それも、ちょっとしたいざこざの後。それを解消もしないままに。

 くれてやった物や金を持っていかれたって、ユーリアにとっては痛くもない程度のものだ。気にも止めはしないだろう。

 だが、やはり心は痛むはずだ。

 これ以上に薄情で、不義理な行為はないと、自分でも思う。 


「いっそ、忘れてくれたなら――」


 絶対にあり得ないだろうなとは思いつつも、それで別れの文句が形になってしまった。

 一つ文を綴れば後は流れで、手が勝手に動くように便箋の余白が埋まっていく。

 上手い文が書けたとは言えない。文法というよりは話の繋がりがめちゃくちゃで、推敲の苦手な小中学生のかく作文のよう。

 筆跡も、見栄えが悪いほどに振るえていた。

 そもそもこの統一言語、読解は当初からマスターしていても書き記すのには慣れていない。

 というより、これが初めてだったのではなかった。

 だからだろう。ぱっと全体を見たところ、あまりに不格好な手紙で仕方なかった。


「どうかした?」


 ふと、廉太郎は隣で自分を見つめる視線に気づき、


「何か言いたいことでも、『ロゼ』?」

『……いいや』


 彼女は目を合わそうとせず、流し目に顔を横に逸らす。これまで口をあまり挟んでこようとしなかった『ロゼ』は、それでも思うところは多々あるのか、


『ただ、他に道はないのかと思ってね』

「……変に迷わせるくらいなら、代案の一つでも出してくれ」


 意地の悪い言い方だったのか、それで『ロゼ』は目に見えて気落ちしたような表情に変わっていく。バツが悪くはなったものの、そんな無責任なことなど言われても困ってしまうどころか決心がいたずらに鈍るだけだ。

 多少の八つ当たりは自然と出る。

 クリスに対してやったように。

 ――その前は、ユーリアに対してもそうしたのだったが。


『ごめんね。君の役に何も立てないよ、私――』


 会話を、鳴らされた玄関の呼び鈴が遮っていた。

 それはクリスからの帰宅の合図。車の手配を頼んでいたクリスが、手続きを終えて戻ってきたのだ。スムーズに進んだのか、予想よりずっと早い時間に思えた。

 書置きの手紙は、まだ書き切れたとはとてもいえない。論述試験で時間いっぱいまで粘るように、焦る気持ちで廉太郎は筆を走らせていった。

 いくら書いても名残り惜しくて、ほとんど何を書いているのか自分でも分からない文章が生まれていく。走り書き、言葉の羅列。部分点さえ怪しいような拙い文。

 だがいざ書き終わってみれば、むしろそれで良かったと思えてくる。

 とり繕うことなく、素直な思いを残してやれたことだろうから。


「……行くか」


 廉太郎はペンを置いた。

 そして、一階に降りてクリスと合流。書置きの便箋を目立つところに置いておこうとして、ここでは先にアイヴィに見られてしまうだろうということに気づき、慌ててユーリアの部屋と直行していた。

 無人の部屋。

 どこでも変わらないだろうに、できるだけ目立つところはどこかと目を走らせる。焦っていたせいか、最終的に置いた場所は彼女のベッドの枕元。

 その語は、できるだけ何も考えないようにしながら家を出た。荷物は、先にクリスに運び込んでもらっているため手ぶらである。

 ユーリアが手配した初対面の護衛に呼び止められたものの、適当な会話でその男を誤魔化し、正門を抜けて外の駐車庫へと足早に移動。

 乗り込み、魔動車を起動。

 ハンドルを握る手は震えていて、いよいよ逃げ出すときが来たのだと覚悟を決める。

 踏み込んだアクセルは、速度を出し過ぎるほどに加速させていた。


 ――異変は、すぐさま二人の車を襲ってきた。

 

「れ、廉太郎後ろです! 続けて走ってくる車が――ッ」

「……ぐっ」

 

 ほんの数分ほどの走行で、二人は同時にその不審な車に気づいていた。町から車が発つ頻度はそう多くない。一日によくて十数台。タイミングとしては確実に黒。それも進行方向が同じとあっては、だ。

 しかし、まだウィラーの追跡だと確定したわけではない。


「クリス――あいつか!?」

「分かりません。逆光で、ちょうど……」


 後部座席に座るクリスが、身を乗り出すように背後の車を凝視する。しかし、目を細め凝らして見てみても確信はできずにいるようであった。

 すなわち敵なのか、まったく無関係の一般市民なのか。


「撃ってみますか、とりあえず」

「ダメだろ、まだ!」


 勘違いであれば大事になる。

 そんなクリスを諫めながらも、廉太郎はハンドルを大きく右に切っていた。一本道を直角に逸れるルート、そこに広がる耕作地を荒らさぬようぎりぎりのところを避け、車を飛ばす。

 突然で、不自然な走行。

 それに続いてくるようなことがあれば、まず間違いなくそれは追手。


「曲がってきます――!」

「ウィラーか、……もう気づかれたのか、じゃあ」

 

 悟られぬよう念を押して、クリスを先んじて手続きに向かわせたのに。小細工は通用しなかった。監視されていたのか、あまりにも対応が素早い。

 ならば、どうする。

 逃げだすことに精一杯で、その先のことを考えてはいなかった。

 車は同じ速度、この先は開けた荒野がしばらく続く。

 目で追われているこの距離、もはや逃げ切ることは絶対に不可能。

 選択肢は二つ、話し合っての交渉か、力づくでの強行突破か。


「先手必勝です……。この条件ならまだ有利かも――」

「ま、待て。クリス!」


 バックミラーを見ていた廉太郎は、そのとき思わず目を疑ってしまっていた。

 後続に続いた追跡者、明らかに怪しいその車が――何と、急ブレーキを踏み、停車し始めたのである。

 当然、走り去る自分たちの車とは遠ざかっていく。 

 だが、安心することはできなかった。

  

「ドアが開いているぞ……! 気をつけろ、何かもう仕掛けてくるのかも――」

「――廉太郎、前をっ!?」


 とっさに飛ばされた、思いがけないクリスの指示。

 言われるがまま反応し、意識を前に戻したときには、すでにタイミングはぎりぎりになっていた。

 ブレーキを、バーが壊れかねない勢いで踏み込んでしまう。

 衝撃で前につんのめり、胸を腕が強打する。続いて、後頭部への痛み。自然な流れとしてクリスが飛んでぶつかってきたのだ。 

 二人して無言で痛みを堪えているものの、幸いにして大した怪我にはなりそうになかった。

 そんな悠長なことを思っていられるのは、少なくとも、さしあたっての警戒が必要なくなってしまったからである。


「……な、なんで」


 目の前すれすれで停車した車体に、彼女はもたれかかるようにして手をつき、疲れた様子で口を開いた。


「こんな、ぎりぎりまで停まってくれなかったのよ……」

「だって、後ろ見てたし……」

「そう。勢いのまま、退かしてしまうつもりなのかと思ったわ」


 急に目の前に、当たり前のように現れていた。その顔に、唖然としながらも自然と会話は進んでいく。

 冷静に考えれば気まずいどころではない対面なのに、あまりに予想を外された展開を前に一時建前のすべてが吹き飛んでしまっていた。

 次第に、嬉しさが。遅れて『まずい』という後悔が追いついてくる。

 そこに居たのは、少なくとも当分――そしておそらくは一生会えないであろうと思っていた相手。

 恩人でもあり、きっと友人でもあれる、ユーリアその人であった。


「……君は、やることなすこと手早てばやすぎるよ」


 そこから走ってきたのであろう、彼女が乗り捨てた後方の車。

 それと、その手に握られた数枚の便箋へと目をやった廉太郎は、もうお手上げだとばかりに自然な笑みを浮かべてしまっていた。


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