第十二話 素顔
「しかし、この町の人たちってほとんど……」
人間だ。
「……そうね、比率で言うと七割くらいは人間よ」
「えっ?」
思わず聞き返してしまった廉太郎に対し、ユーリアは何とも言えないような顔で困ったように笑っている。
「多いでしょう?」
「う、うん……そうだね」
少ないと思ってしまっていた。
町で見かけた者はほぼ人間のようだったから、三割も人外がいるとは思わなかったのだ。それは人間意外に人の居ない世界で生きていた廉太郎の先入観によるのかもしれない。
一目でそれとわかる特徴をもつ他種族の者も居れば、アイヴィのようにそれと言われなければ気づけない者もいるので、単に見落としていたのだろうと結論づけた。
服や日用品などを雑に買い揃えてもらい、両手に荷物を抱えながら帰路を歩いている。当然、金を出したのもユーリアで、会計まで代行させてしまっていた。
傍目には非常になさけない姿をさらしていたのだが、そんなことが気にならない程に世話になり続けていることが申し訳ない。
「あれ? ユーリア、今日は連れがいるの?」
「そうよ」
そうやって人の居る店などを周っていると、少なくない頻度で彼女は声をかけられていた。その内容は、ほとんどが隣を歩いている廉太郎に関するもの。
――へぇ、悪くないじゃん。
――お前苦労するだろうなぁ、この子とうまくやるのはさぁ。
――え、何であなたが……?
反応は多種多様、それでも皆好意的に接してくれていた。ユーリアとも親しくしていたようであるため、その知り合いという効果があったのだろう。
そして、その全員が人間ではなかった。
初日、彼女は顔を合わせた人に対し愛想が悪かった。その割には正確に難があるようにも感じなかったし、こうして現に交流があるとなると友達が居ないと言われることすら不可解。
しかし、その理由は単純――要するに、彼女は人間が嫌いで、人間に対する当たりが強いのだ。
聞かされた事情を考えると、廉太郎にさえそれは無理もないことに思えてしまう。しかし、一応は平和的であるこの町の人間に対する態度としては、いささか過剰ではないかとも思ってしまうのだ。
「そろそろ帰りましょうか……というより、最初はただ家に帰るだけのつもりだったのにね」
日が落ちかけると、彼女は思い出したようにそう言った。立ち話が進んだせいで、二人とも何かから逃れるように足を動かしていたのだ。
昼食すらとるのを忘れていたほどに。
彼女は自宅へと足を向け、宣言した通り廉太郎を連れて行こうとしてくれている。いかに多くのことが起ころうとも、やはり気軽に家に誘われてしまうと、やはりそわそわした気分にさせられてしまう。
当たり前だ。
それで、つい余計なことを考えてしまう。
細身であるのに加え、先日は顔を隠したいのか目を伏せていたためについつい小柄だと思っていたのだが、決して背は低くないのだな……とか、そんなことを。
廉太郎が自分の背から比較してみても十センチほどしか変わらない。
百六十と、少し。
同年代と仮定しても平均よりは少し高いはずだ。日本の高校三年生の平均身長など、人種も世界も違う相手に当てはめたところで何の意味もないのだが、他に尺度を持たない廉太郎にとってはむしろ大事な事である。
後ろをついて歩いていると自然と目で背を追ってしまう。
他には、足の長さとその細さがなどが目に付いていた。病的なほど細いわけでは決してない。むしろ健康的な、すらりとした印象。
細身の黒いズボンが、とても似合っていると思った。
――男装とかたぶん似合う、映画とかで。
「何?」
「……なんでもない」
別に悪口ではないのだが、急に足を止めた彼女に気付かづ挙動が不審になってしまっていたのもあり、思わず弁解するような口調になってしまう。
「いや、すごい家だな」
たどり着いた彼女の家は、かなり立派なものだった。外見では何階建てか分からぬほどの、民家と言うより集合住宅に近いような家屋だ。
「ありがとう」
そう中へ入っていったユーリアに合わせてドアをくぐると、玄関に直接面した居間が目に飛び込んでくる。その間取りも見慣れなないものだったが、初めて女性の家に招かれているという衝撃の方が強い。それで緊張するなという方が無理難題。
感嘆すらしてしまう。
そんな様子をよそに、視界の端ではユーリアがおもむろに屈みだしていた。
「――え?」
彼女は靴を脱ぐどころか、そのまま迷わず靴下まで脱いでしまっていた。そして、無造作に置かれていたかごの中へと放り込んでいく。そしてややサイズの合っていない、大きめの部屋履きに素足を通す。
それを目にしていた廉太郎は、自分がどう振る舞うのが適切か混乱してしまっていた。
「え、えっと……」
どうすればいいのだ。
とりあえずと靴だけは脱いだものの、このまま素足になるのも、部屋履きを借りるのも躊躇ってしまう。ここで相応しい作法が分からないためそのまま彼女に倣ってしまうのが間違いないのだが、どうしても抵抗があるのだ。
昨日知り合ったばかりの女性の家で素足になって履物に足を通せるかと言われれば、例えそうしろと言われたとしても気後れしてしまうものだろう。
かといって靴下のままでも床を汚すだろうし、履物を借りても履物を汚すことになってしまう。
靴下など、別にたいして汚れている訳はない。これまで友人の家に上がったときなど、いかに気を遣う廉太郎と言えどそうは気にしない。普通は靴下で上がっても許される。というか、誰もがそうしている。
――しかし……
自分が気にしないからといって誰もが気にしないわけではない。やはり女性の家と私物を前にすると、振る舞い一つにすら躊躇を覚えてしまう。
特に、男女間の衛生観念はそれだけデリケートなのだ。
歳の近い妹など、潔癖症なのかと疑うぐらいに気にしている。
ユーリアは帰宅して即靴下まで脱いでいたことから、何かしらのこだわりがあるに違いない。であるならば一言二言言って欲しいと強く思ったが、彼女はなにもかも任せると言うように奥へ行ってしまった。
土足は有り得ない、かといって素足というのも、不衛生と言うより無礼なのでは……そんな風に思考が混乱する中でしばらく玄関に固まってしまっていると、
「何をしているの?」
いつまでたっても上がってこない廉太郎を不審に思ったのか、玄関にまでわざわざ戻って怪訝な顔を覗かせてくれた。
「え、いやその……どうすればいい? これ……」
口にするのも野暮……というより気恥ずかしいような問い。
「――は? 好きにしていいわよ、普通で。靴さえ脱いでくれれば」
普通とはいったい何か……知りたかったのはそれなのだが、二度三度聞き直すのもあまりに格好がつかない。
自分で選択することを決意する。
十数秒ほど迷ったあげく、靴下のまま部屋へとあがっていった。床は日常的に掃除するだろうが、部屋履きの履物をそうは洗わないだろうと思ったからだ。彼女が素足で触れるものを、僅かでも汚す気にはならなかった。
それでも数歩踏み込んだところで、やはり失敗だったのではないかと後悔する。一番いい答えを選んだつもりで、突拍子もないことをしてしまっている気がしてならないのだ。大人しく合わせておけば、少なくとも言い訳はたったというのに……。
――こんな機会があると知ってれば前もって……。
そんな風に無駄に思い悩んでいるところに、軽快な声が飛び込んできた。
「おかえりー。……あぁよかった、廉太郎くんがまだ一緒で」
まだ耳に新しいアイヴィの声だった。どうやら奥の台所で食事を作っているらしい。料理の音や食べ物の匂いが、澄んだ声と共に居間へと運ばれてくる。
一緒に暮らしているのだろうかとユーリアに尋ねると、単に夕食を作りに来ているだけだと答えられた。それも、毎日のことだと言う。
「私はアイヴィの作った物しか食べないから」
「あぁ、道理で昼は食べなかったんだ」
「……ごめんなさい、変につき合わせてしまったわ。昼食はとらないのよ、私」
他人の食事事情に気が回らなかったことを失敗したと感じているようだった。しかし、日中は心労もあり碌に空腹など感じなかったため、要らぬ気づかいだとやんわりと伝えておいた。
「ねぇ、これを機にあなたも三食食べてくれない?」
すると、台所の方にいたアイヴィがいつの間にか居間へと顔を見せていた。話を聞いていたようで、困ったようにそうユーリアへと問いかけている。
部屋履きは履いていなかった。
「だから、小食だと言っているでしょう?」
「それにしたって、食べることに拒絶的すぎない? わたしがいないと、倒れるまで食べないんじゃないかしら」
「……そんなわけないでしょうが」
そんな二人のやり取りは、これまでの様子も合わせてまるで親子のような関係のように見えた。子の体調や食生活を気に掛けて口を尖がらせる母親と、それをうっとおしく思う年頃の娘だ。
似たようなやり取りを自分の家でなんども見ていたからか余計にそう感じられる。妹の七見は絶食的ではなかったにせよ好き嫌いが激しく、それに小言を言う母にいつも反発していたものだ。
しかしこの二人は背丈も年齢も、ユーリアの方が高そうに見えるというのが面白い。
食事が運ばれた食卓につきながらそれとなくその印象を伝えてみると、思いがけず肯定される。
「ん、まぁ……親代わりよ」
そういって、白いカップに口をつけていた。
親代わり。
両親と故郷を捨ててこの町に移り住んだ以上、アイヴィとの血縁はもちろんない。忘れそうになるが、種族からして違うのだ。
それでも二人にとってそのような事情など些細なことだろうとすでに思う。思えば今朝のやりとりも母子のようであるし、お互いに血縁の有無など気にしてないはずだ。
証拠に、アイヴィはその親の代わりと言う言い回しに対し大きく反応してみせた。
「ちょ、ちょっと……なんで親の代わりなんて言うの?」
本気でショックを受けたかのような顔で詰め寄っている。詰め寄られた方はその視線を横目で捉えながらも、特に受け止める気がないように静かに水を飲み続けていた。
そのまま、会話に不自然な間が空いていく。
ユーリアは自分のペースを崩さないタイプに見えたが、食事の時はそれが顕著に表れているようだ。食事に合わせて会話をすることも、会話に合わせて食事をすることも彼女はしようとしなかった。
かといって他人との関係をないがしろにしているわけではない。一見優雅に食事をとっているようなその様子から、得体のしれぬ必死さのようなものさえ感じ取ることができたからだ。
食事という行為がまるで重労働であり、ひどい苦痛を伴っているかのように。
「言葉を正確に使っただけでしょう? 実親を置いてきたことはもう彼に言ったしね」
水を飲み終えた彼女は、そう言ってアイヴィをなだめすかす。そして面倒そうに、フォローと廉太郎への紹介を兼ねたような言葉を続けて発していく。
「血は繋がっていないけど、大事な家族よ。ちゃんと母親だと思ってる」
その態度もまた、妹を思い起こさせるものだった。母親は過干渉ではなかったが、些細な気遣いでも七見は迷惑そうに、面倒そうな態度をとっていたのだ。それが親に甘えているような、一種のコミュニケーションでさえあることを廉太郎は知っていた。そのような妹の態度に苦言を呈する廉太郎に、母自らそういうことだと教えながら笑っていたからだ。
反抗期すらなかった廉太郎にはわからないことだろうとも、母は言っていた。
「アイヴィとここで出会った時はだいぶ子どもだったから……当時はずいぶんと面倒を見てもらっていたものだわ」
何年連れ添ったのかは分からないが、それにしてはアイヴィの容姿はあまりに若すぎると感じられた。子供の親となれる年齢から一回り年月が絶ったとは思えない。ユーリアと同じくらいの歳にも見えるし、初見で並べられたら絶対にアイヴィのほうが年下だと答えている。
高校生と小学生くらいの差があるのだが、種族が違えば成長度合いも違うというのだろうか。
そんなアイヴィは意地の悪そうな笑みを浮かべながら、目を閉じて幼少期に思いを馳せていたユーリアに横やりを入れていく。
「子どもの頃? わたしは今でも面倒を見てあげてるつもりなんだけどなぁ」
「うっ……」
痛いところを突かれたのか、そう言われた彼女は言葉を詰まらせてた。その様子に味を占めたのか、アイヴィは弱みをつつくような追い打ちをかけていった。
「いくら一人で住んでるとはいえ、掃除も洗濯も食事も、全部わたしがやっているはずよね? それに、朝だって一人じゃ起きられないじゃない」
ついに黙ってしまった。そのまま、ごまかすように水を飲んでいる。
珍しい態度だ。
「この通り、生活能力のない子なの……澄ましてるけど」
そう言って、廉太郎に真顔でに話を振っている。流れで冗談めかして言っているのだろうが、いまいち反応に困らされてしまう。
廉太郎が愛想笑いで流していると、腹に据えかねたかのようにユーリアが反論が始まった。
「その言い方には語弊があるわね。正確にはあなたが全部やってしまうものだから、気づけば私のすることが何もなくなっている……それだけのことよ」
そういって含みを持たせた溜息を吐いて、言う。
「子離れしなさいよ、そろそろ」
それを聞いたアイヴィは席を立つほど大げさに反応してみせた。
「それは嫌! 死ぬまで一緒にいてくれるんでしょう!?」
「言葉が重たいのよ……」
「――ふふっ」
「ん、どうかした?」
不意に視線を向けられた廉太郎は、そこで初めて自分が笑っていたことに気付いていた。
完全に無意識。
自分は機嫌がよく愛想もよい人間であり、あなたとの時間を楽しんでいますよ……などと人の良さをアピールするような社会的な笑いではなかったからだ。どんなに自然な態度をとっていたとしても、そういった色が微塵も混ざらないことなどそうあることではない。