第二十六話 異世界構造
それから合流したクリスとユーリアの反応は、だいたいが似たようなものであった。
「はぁ――」
「襲われてたぁ?!」
当然の反応。
それに加え、廉太郎が居なくなったことに気づいた段階からすでに思いのほか深刻な空気になっていたらしい。席を外していたのはほんの十数分にも満たないが、巻き込まれている事態が事態だけに、そういう余計な気を揉ませてしまっていた。
悔やむほどには反省する。
無断で一人、ふらふらと。
「……ごめんなさい」
そんな廉太郎としては、――しかも、しっかりと厄介ごとに襲われていたとあっては、洗いざらい打ち明けようにも、どうしても言い訳するような口調でしどろもどろにもなってしまう。
「何やってんですか、不用心な……」
呆れか苛立ちか、クリスの頬はひくついていた。
気をつけろとあれだけ言ったのに――そういう、非難の目つきで廉太郎をなじっている。不用心、敵と同じようなことを言う。
口には出されないまでも、ユーリアにも同じことを言われている気がしてならなかった。目線、表情。クリスとは違い、そこに責めるような気配はない。どことなく、切なそうに見える顔だった。
――何をしていたのか。
さすがに、そこまで本気で誤解されるとは廉太郎も思っていないものの――どうしても、少し気まずくなっていたユーリアへの、当てつけめいた行動だったのだろうと捉えられてもおかしくないような行動ではあった。
『馬鹿な』と頭では思いながら、互いにそういう連想ができてしまう。
バツが悪くて、目を合わせることさえ躊躇われる。
それがまた、別の感じ悪さとして積み重なっていく。
とはいえ、事が事だけに話し合わないわけにもいかずに、そういう微妙な空気を横に置きながらも、こうして三人顔を付き合わせた路上の立ち話を続けているのだが。
「だから、悪かったって」
ひとまず急場を脱して安心したのか、クリスの機嫌は今や最悪なものへと損なわている。初めは心配してくれていたはずだが、あまりに想定外だった行動と結果を前にして消し飛ばされてしまっているらしい。
言い返す余地も廉太郎にはなく、
「ふらふらしてたんだよ、気持ち的にも――」
言いかけ、ふと、ユーリアと目があっていた。
そんな気などなかったのに、つい反射的に、思い切り顔を背けてしまって。
「……ぁ」
何とも言えない、零れた吐息のような声が片方の耳に吸い込まれていく。
すぐに、顔をしかめたくなるほどに後悔した。
今朝にもまして、ずっと感じが悪いままだ。
これではまるで、ばりばりに意識し続けているかのよう。
今朝のことで気まずいのか、それとも機嫌を損ねているのか、怒っているのか――廉太郎は何も口にしていないのだから、ユーリアにはどう思われてしまっていようとも仕方がない。
必要にかられた大事な話をしているのに、それに優るほど強くこじれてしまったのかと。
悠長で、無意味なことに固執している。その自覚はある。
そのくせ言葉では触れようともせずに、曖昧な態度を続け、こうしてわざと見せつけているかのよう。
――なにやってんだ、ほんとに。
今にも謝るべきで、そうしたいと思ってもいるのに。
「あっそですか」
クリスはさほど興味もないのか、読めてる空気を壊すように何の気遣いも示そうとせず、毒を含ませた助け舟を廉太郎に差し向けて、
「しかしまぁ、よく戻ってこれましたね、そんな詰みみたいな状況から」
「そうだな。まぁ、向けられたのが銃だったし……腕に自信がなかったんだろ。意外と」
「ふむ……うっかり撃ち殺してしまうのを嫌われたわけですか」
今になって、ようやくクリスの言うようにだいぶ危うい状況であったことを自覚する。
ただ一目散に走って逃げてきただけなのだが、よくそんな行動ができたものだ。向けられた銃に背を向けるなど、今思い返せば足がすくんで動かなくてもおかしくない。
相当な勇気もいったはず。動転していて考えなしになっていたのか、あるいはやけになっていたのか。
本当に、良く戻ってこれたものだ。
――何の助けもなく。
すると、
「……ね、ねぇねぇ」
それまで借りてきた猫のように黙って二人の会話に耳を傾けていたユーリアも、さすがに会話に混じりたくなったのかそわそわと流れをうかがって、
「その、どうして銃だったのかしら」
「……え?」
「だって、不合理じゃない」
あらゆる点から考えて、だ。
この世、この時代において銃など無用の長物だ。人間相手に飛び道具の類いは効果をなさない。目に見えぬ決まりごとのように、超自然的な作用が働き、世界に守られたようにその身体に当たることはない。
銃で殺せるのは、人間以外の人種族。
例外は、守りを持たない廉太郎くらいのもの。
仮に、ピンポイントでその廉太郎を狙うためだったとしても、わざわざ銃を持つ必要性はどこにもない。なにしろ人間の扱える魔法の方が、殺傷には格段に向いているのだから。
「もしかして――」
廉太郎は考える。
この世界の人間、そして彼らが持つ魂――魔力と、魔法の存在を。
それから、自分たちの世界――今は無き『故郷』の人間を。
すなわち、その相違点について。
「俺と同じで……あの『故郷』出身の――出身っていうか、そこに由来する人間は、だけど」
出身という言葉は、およそ適当ではない。
なにせ死人。残りはした魂などという不確かなものから再現された存在だ。
生前と同一人物であるかのように考えていては、間違ってはいないにせよ語弊が生じかねない。
「この世界では当たり前の魔法でも、普通に使えないってだけじゃないのか?」
「使えないのではなく、使わないんですけどね。奴らの場合」
廉太郎の推論を切り捨てるようにクリスは一言注釈し、「そんなことより」と強い口調で断って、
「もう、気を付けてくださいよ。マジで」
「わ、分かってる。分かったから」
「……まだ緊張感と緊迫感に欠けた顔してますけど、寝ぼけてるんですか? それとも浮ついてるんですかね」
しばらくむくれて収まらないであろうクリス。実際は口数の少なくなったユーリアの方にずっと気が向いている廉太郎は、それを上の空で宥めながら、これだけ気を荒げているクリスからされた今朝の話を思い起こしていた。
――――
「やつらの目的?」
今より一時間ほど前のこと、朝食を食べに家を出る直前の話である。
ユーリアが身支度をしている間に、クリスとは昨晩中途半端に止めておいた情報共有を済ませておいたのだ。さしあたって早急に頭に入れておくべき重要事項。それを、いくつかかいつまんでクリスが手短に明かしてくれている。
その中で、すでに危険な集団だという話は聞かされていた。よってその目的など、どうせろくでもない何かであろうという予感は避けようがなかった。
「えぇ。やたら大層なものにはなりますが、元になる感情は単純なものです」
よほど知っているのか、関わりでもあったのか。クリスはそこまでのことを知っている理由については一切触れずに、それでも明らかな私怨を滲ませながら口を動かし、
「彼らの属した世界の死、終焉。……喪失感ですよ。自身は元より、家族や友人の命や人生。社会的身分や生活、文化に至るまでのね」
別の世界の存在、干渉による到底受け入れがたい規模の大異変。
戦争の規模で考えれば、国土を何の前兆もなく一瞬で一息に消し飛ばされたようなもの。
怒り。憎悪。悲嘆。
ものごとの前提をすべてひっくり返されたのだ。自意識を再び得た彼らの心情は、到底そんな言葉に収まるようなものではない。廉太郎にしても同じこと。
そこからどんな思想、行動に至ろうとも、動機としては想像に難くない。
廉太郎は「あとは未知に対する好奇心、ですかね……」と嘯くクリスに、それら感情のすべて、共感できるものであることを示した後、
「だけど、そこから生まれてくる目的なんて言ったって……何かできるってのか?」
自分たちを襲った事象に憤ったり、憎悪を燃やしたとしても、それで何がどうなるわけでもない。殺人や侵略ではないのだから、犯人や黒幕なども存在しない。
誰かを――何かを糾弾することも、責任をとらせることもできはしない。
そんな廉太郎の自然な疑問に対し、クリスは「ですね」と片目を閉じ、顔をしかめるように話を続けていた。
「結局、やつらもまた何も分かっていないのですよ」
「分かってない?」
「えぇ。自分たちの陥っている状況、世界構造の仕組みって奴を」
世界、宇宙。それは複数存在し、少なくとも観測する限りにおいてその内三つが確認されている。
廉太郎たちの『故郷』は一つの宇宙に滅ぼされた。
分かっているのはそれだけで、それ以上のことは確認できない。
つまり、そのできごとが持つ意味について。
分からないのだから、いくらでも可能性は挙げられる。
星と星がぶつかったように、ただ宇宙と宇宙がぶつかってしまった事故なのかもしれない。
あるいはウィラーがものの例えと嘯いたように、宇宙という生物の生存競争だったのかもしれない。
さらには単なる物理現象。水が蒸発するように、経年劣化した容器から漏れだしたように、水滴同士がくっつき合うように――避けようのない、法則や決まり事に近いものであるという仮説もも、立てるだけなら可能なのだ。
「お前も分からないのか、クリス」
「当然。人の身に知れるようなものとも思いませんし」
確かめる方法のない、初めからどうしようもない物事。
意思や精神、魂が、死後にどうなってしまうのかなど誰にも分かりようがないようなもの。
「あなた以外の同類、つまり奴らの大半には、いくらかの自覚が本能のように刻まれているようですが」
『故郷』の崩壊と自分たちの正体。死後いいように動かされているという立場。そういう自覚、知識。そこから推測し、たどり着いているいくつかの真実。
しかし、それらを総合的に捉えてみてもなお、真実の全体像には見当もついていないのだ。
――だが。
だからこそ彼らは突拍子もない、馬鹿げた思想に走るのだとクリスは言った。
「どんな可能性も否定できない。捨てきれないというわけです」
ウィラーたち同類の『集団』のモチベーション、根源となる感情は国ごと滅ぼされた死者の泣き言に等しい。
そんな存在が願うものなど知れている。
蘇生、復興――それら悲劇の巻き戻しが不可能であるとするならば、残るのは手を下してきた存在へ向ける負の感情だけだ。
否定できない、捨てきれない可能性。
それは復讐しうるということ。
意味、利益の有無に関わらず、そういう存在が居るのだと、盲信せずにはいられない。
「すなわち、神の存在を」
「神ねぇ……」
「ここ、笑うところですよ」
入れてくる茶々の通り、クリスは心底小馬鹿にするように口の端を押し上げて、
「ですが仮に、そういう……一個の世界を統括する上位の存在を認めるのであれば。さらにそいつが、人に近しい精神構造を持ち、明確な意思の元に他の世界を滅ぼしているのだとすれば――」
「間違いなくそいつが悪いと。なるほど、そういう風に思ってられるってわけか」
つまるところ、侵略戦争と定義できてしまうのだから。
戦争における責任を各国の為政者に求めるのと同じこと。さらに一つ上の階層、世界の為政者に位置する存在。
それでこそ、亡国の被害者である彼らは、明確な敵、仇の輪郭を思い浮かべることができるのだ。
何のために、何ものに滅ぼされた世界なのかと――未知への不安、憎悪に不必要に苛まれることもなくなる。
「だからこそ神、あるいはそれに近いものが存在していてほしいと、そう思ってるんですよ。都合がいいですからね」
復讐。憎い仇の敵国を攻めるように、『故郷』を滅ぼした敵世界を無くしてしまいたいと願うのだ。
――神殺しね。
敵を定義するならば、発想としてはそういう話になってくる。
どうにも神話じみている。絵空事だと笑うクリスに引っ張れるようだが、現実感に欠けている感は否めなかった。
「いやまてよ……」
しかし、廉太郎ははたと気づく。
「神が居る居ないは、まぁ置いといて……でも、彼らがその望む復讐を果たしてくれるなら。……救われてしまうんじゃないのか、この世界は」
廉太郎たちの『故郷』と異なり、この世界はまだ完全に滅ぼされてしまったわけではない。人も絶滅しておらず、生きられる環境も激減したとはいえ残されている。
ならばその仮想敵。
それをどういう形であれ、復讐の名のもとに消滅せしめ、侵略的影響力を完全に失わせることができたなら。
――なんてこった。
何十年後、百数年後あたりに推定される、最悪の運命から逃れる道が。
「いやいや。残念ながら、そんなヒロイックな展開は起こりえないですって」
そういう話なら――と、気持ちが揺らぎかけた廉太郎に、クリスは冷めた目で『乗り気になってるんじゃない』とばかりに釘を差し、
「無理に決まってるでしょ」
「そ、そうか……そうだよな」
「星一個消すだけならまだしも、宇宙ですよ? しかも、こちらからは観測もできない別宇宙。そんなもの相手に、何を、どうするっていうんです?」
至極真っ当な話を子供に言い聞かせるように、クリスは溜息混じりに結論づけ、
「ともかく、奴らは馬鹿げた話に夢を見てるような狂人ですので」
「それは分かったけど。それだけなら、まだ――」
「危険とまでは言えない、と?」
クリスの視線に無言で頷く。
彼らの突飛な思想について行く気にはならないが、そこにある気持ちの部分は廉太郎にも理解できる。共感できるとさえ言えよう。
神の想定さえも個人に許された自由の内。
それだけならば、多少迷惑がられる活動をしようとも危険視するには至らない。
問題は、その思想の元とられる、具体的な活動にこそ発生する。
そういう廉太郎に、何も知らない廉太郎に、クリスはじっと視線を送り、やがて目を閉じ語りだした。
「……奴らは便宜上、三つの世界に名前をつけて呼んでいます」
「へえ――」
「かつて存在したあなた方の世界を『故郷』と。で、憎くて仕方ない敵と定めた例の世界は、『仇敵』……とでも」
「分かりやすいな、シンプルで」
本当に便宜上だ。世界世界と、ただでさえ全体像の捉えにくい概念。それが呼び名一つつけただけで、途端にとっつきやすい感覚へと変わるような感じがした。
「じゃあ、この世界は?」
「『舞台』と」
一瞬、得体の知れない感覚にぎょっとさせられた廉太郎に、クリスは「引っかかる呼び方でしょう?」と忌々《いまいま》しげな笑みで同調してみせ、
「つまりですね。奴ら、ここで何やってもいいと思ってるんですよ」
死後行きついた場所。
その自覚が強いほど、自らの正体や立場を分かっているほどに、そこでの現実感は希薄化する。
つい先日まで何も知らなかった廉太郎とは状況が異なる。この世界を、『ちょっと遠い隠れた場所』
程度に思っていた廉太郎とは、認識するもの、見えている景色がまるで違う。
いわゆる死後の世界のように。
夢の世界のように、仮想世界のように。
それまで生きていた『現実の世界』と、地続きになっている感覚など端からないということ。
「何をしてもって……じゃあ、その『何』って?」
「それまで、当たり前に持ち合わせていたであろう倫理の一切に欠けた行動……その、想像しうる全部ですかね」
目的のために、手段を迷う気がないということ。
神の打倒などという、達成不可能が明らかであるような目的のために、だ。
何をするかも想像がつかない。
だがクリスの口ぶりから察するに、非人道的的な行為さえも限りないほど実行していることだろう。
その行為は『仇敵』などでなく、いっそこの『舞台』にとっての外敵そのもの。
憎むべき敵と同じ侵略行為に興じている。そればかりでなく、期せずして『仇敵』の意に沿ってしまっている。
何をもって世界の崩壊を定義するのか不明だが、結果的にこの世界へのダメージで利するのは『仇敵』だけなのだから。
「仲間、同類の勧誘なんて、それこそなりふり構ってきません」
「……だろうな」
彼ら集団の規模は、クリスでさえも把握していない。
とはいえ、現存する個体は希少である。彼らが身内に抱える人数に関わらず、せっかく目についた同類を見逃してくれるとは考えにくい。
「確かめる必要もないとは思いますが……私はあなたに、間違っても、奴らとつるんでほしくないんですよ」
あちらにつくなら死んでもらいます――と、冗談に聞こえない空気でクリスは脅しをかけてくる。冷やりとさせられながらも当然のごとく首を振ると、クリスは物々しい口調で助言に繋げ、
「――あの男、間違いなく今日中に再び接触を図ってきます。そこで拒絶を示したなら、間違いなく強硬手段に移ってくることでしょう」
「つまり、脅されて無理やり仲間に……って?」
「えぇ、命さえ危ないと思った方がいい」
これまでのウィラーの言動は、常識に欠けたものであったり、夢に介入されたりと、不信感を募らせるのに十分なものであった。それは間違いないのだが――しかし、少なくとも表面上の態度は穏便そのもの。
強く迫られたことは一度もない。
そのため、どうしても差し迫った状況の危険度がイメージできずにぼやけてしまう。
だがそんな廉太郎の気を引き締めるのは、その彼らに対し、並々ならぬ敵意を示すクリスの仕草や言動であり、
「現に、私のあの人だって――」
顔を伏せ、クリスは言葉を噛み締めるように呟いていた。
それを境に会話が途切れた。ちょうど、タイミングよくユーリアが姿を見せ、おずおずとしたらしからぬ調子で身支度の完了を二人へと告げる。
そのときのクリスの様子が、やけに印象強く、今も廉太郎の目に残っている。
――――――
「――っていう話をしましたよね、私たち。ちょっと前に、真剣に」
「確かにしてたな。言う通りだった」
「じゃ、なんでそれ全無視で無防備晒してきたんですか?」
迂闊だった、本当に。
そこまでの危機感を忘れてしまうほど、うわの空になっていたつもりはなかった。だがこうしてキレられるのも納得せざるを得ない愚行。廉太郎はたじたじになりながら、その剣幕に内心ビビってしまってもいた。子供相手ながらに。
なぜなら――そこにクリスの、人間として抱えたもっとも大きい本気の部分を感じつつあるため。
思えば最初から、こと彼らの関わる状況に限りクリスには少しの余裕もない。雰囲気さえも張り詰めて、思わず別人かと見紛うほど。
そんな熱くなったクリスによって、この場で行われた立ち話の流れは『立場分かってるんですか?』という今朝の会話内容の確認でさえなくなっていた。何だかもう。同じ話をもう一度頭から繰り返すように、言い聞かせるような長話へといつしか変わってしまっている。
それで、何となしに気を利かして詳細を伏せられていたユーリアも、正確なところを把握することになってしまい、
「……とりあえず、あなたには警備をつけさせておくわ」
力強い視線で廉太郎を見る。切り替えるべきところを弁えているのか、互いの間に流れる気まずい空気を華麗に無視してみせるユーリア。
だが、他人を頼ることは本意でないのか、「もちろん、私がいるのだけど……」と悔しそうに眉を寄せ、
「一日中、気を張り続けることはできないわ。……実際、昨晩は寝込みを襲われているのよね」
「襲うって感じじゃなかったけどね、あれは」
昨晩の事象を簡潔に整理するなら。
寝静まったこの場の三名の意識が、夢に酷似した長空間に集められた――というものだ。
その場は、拍子抜けするほど穏便に終了し、振り返ってみればただ話をしただけである。話の内容は劇薬のような真実であったが、あの時点でのウィラーに敵対の意思はおそらくない。
だが、仮にそれがあったなら。
果たして、あの場の廉太郎たちに現実でとれるような抵抗が可能だったかどうかはかなり怪しい。
確かな実感として。
あの場、あの空間における主導権は、あの男に握られていたはずだから。
「少なくとも、得体の知れない相手だわ。そういう能力を持っているってことだもの」
この世の人間には決して持ち得ない類いの、特殊な力。
ユーリアの想定をも越えたものとなると、この町で他の誰に聞きまわったところで情報は何一つ得られまい。
外来種。この世の常識、ルールの外にある異常。
ならば、ウィラーは――おそらく彼ら集団は――なにゆえ、それほどの能力を持ちうるというのか。
その疑問、詳細についての一切は、クリスでも預かりしらぬようであり、
「……えぇ、対策を考えなければなりません」
難しく、強張った表情と共に両腕を固く組んでいた。
飄々と、何事でも軽くあしらい小馬鹿にするような笑みが常であった、そんなかつての面影はそこにない。
そんなクリスに対しても――やはりユーリアに対しても、廉太郎は居心地が悪く感じてしまい、ふとどこか他所を目指して顔を背ける。
すると、そこに『ロゼ』の姿を見た。
彼女は廉太郎の傍らで、じっと三人の様子を眺めていた。口を挟まず、長い間そうしていたのだろう。
――『ロゼ』……どうした?
彼女は廉太郎の魂に居座る別の魂、別人格のようなものなのだから、廉太郎が姿イメージとして知覚する彼女の一切に意味はない。『ロゼ』が気分で、廉太郎の自意識に己の存在を投影しているようなものだ。
だが。
意味はないが、気分はある。
コミュニケーションであったり、助言であったり、何らかの訴えであったりと――そこには必ず意図がある。
だからこそ、廉太郎は不思議に思ったのだ。
そこに映し出された、『ロゼ』の表情に対して。
どういう感情の込められた顔なのかと、ほんの少しも見当がつけられなかったためである。
「――ッ」
それが無性に恐ろしく、不気味に思えてしまい、思わず廉太郎は目を伏していた。
時間にして、ものの数秒。
意味もなく閉じた目を、億劫な気分で薄く開ける。
そして、驚愕と共に見開いた。
「……え?」
目に飛び込んでくる景色が、ほんの一瞬前のものと異なっている。
そこは、馴染みつつあるあの町、ラックブリックではなくなっていた。周囲には建物も舗装された路地もなく、何もない。文字通りに、地平線の先まで開けてしまっているのだ。何より人が居なかった。ユーリアもクリスも、『ロゼ』も見えない。
異常。
異界。
だが、幸いにも廉太郎はその場、その光景に見覚えがあった。そのせいか取り乱すこともなく、いっそ場違いなほどの冷静さで事態の進行を待つことができている。
待ち人は、時間を取らせなかった。
「――よお」
「またあんたか」
すなわち、ウィラーの招いたあの空間。
昨晩も囚われた、夢にも似た例の砂の異世界。あの世と嘯かれるのも様になる、恐怖さえ抱かせる夜の砂漠。
「逃げられねぇよ」
振り返らない、振り返れずにいる廉太郎の背後から、気安くも有無を言わせない男の声がかけられていた。