第二十五話 猥談
「罪滅ぼし?」
「うん」
心当たりのない言葉に小首を傾げる廉太郎に、ラヴィは変わらぬ調子で話を進め、
「君には悪いと思ってる」
罪滅ぼし、埋め合わせ。
そう言うからには、何かしらの事情があるはず。その何かは、自分が気づけていないだけのか、はたまた彼女の勘違いか。
判断のつかない廉太郎は、変にそわそわした気分にさせられる。
「えぇと……」口は開けたものの、どうしたものかと返答に困っていると、
「だから、さっきの男だよ」
「ウィラーのことか」
ラヴィは問いかけに「うん」と頷き、つんとした目を廉太郎に向けていた。
「アレに君が目をつけられちゃったのも、あんな物騒な状況になったのも。原因は、私たち家族にあるから」
「君の家族……っていうと」
思い浮かぶのは一人しかないない。ラヴィの家族構成に詳しいわけではなかった。
廉太郎が知っているのは、彼女に妹がいることだけ。
――トリカ。
ユーリアの友達でもあり、つい数日前までずっと死んだものと思われていた子供。十にも満たない女の子。先の一件で、ユーリアとラヴィはその子を町へ連れ帰ることに成功し、今は衰弱した身体を休めていると聞いている。
直接会ったことは一度もなく、顔だって知らない子供だった。
「あれ、そういえば……昨日はユーリアがその子を――」
探そうとしていたような気がする、何かの行き違いでその居所を見失っていて。
それは傍から見ても一大事で、むろんユーリアはかなり焦っていたはずで――。
しかしそれが、よくよく考えてみれば一日経った今現在、結局うやむやになってしまっている。解決したという話は聞いていない。
どうにも、記憶が曖昧になっているようだった。いざこうして意識を向けてみれば、スルーしていた何がしかが、唐突にそこに現れたように浮かび上がってくるようで、気持ちが悪い。
あり得ない――そう寒気を覚え始めた廉太郎の思考に、「でさ」とラヴィは割り込んで、
「アレが初め目をつけて探してたのは、あの子……トリカの親族で、つまり私のお父さんだったわけ」
「え、君のお父さん?」
誰だ――と、見も知らない人物の浮上に廉太郎がとまどう隙も与えず、ラヴィは淡々と、しかしまくしたてるような調子で話を続け、
「つまり君はとばっちり。ほんとは巻き込まれることもなかったの。私たちが入念に身を隠しているせいで、代わりに見つかっちゃんたんだね」
「代わりに、って……えっ!? てことは――」
まさか、彼女の父親もそうなのか。
廉太郎と同じ立場、同じように『彼ら』に誘われる身。同じ世界――あの、『故郷』に由来する同類だと。
だとすれば驚くほかない。あまりに世界が狭すぎる、どれだけ身近に潜んでいたのだ。
話が違う。
そもそもこの世界に送り込まれた同類――『故郷』と共に失われた魂の数、この五十年間に渡る累計総数なんて一握りも一握り、数百万程度だと聞いていたのに。しかも、その中での生存者数など万分の一以下。
数値はいずれも推定のようだが、ある程度の根拠のもと出た数値のはず。
「そうでもあるし、そうでもない」
しかし、廉太郎の想像を汲み取ったラヴィの返答は、そんな答えになっていないような曖昧なものでしかなくて、
「お父さんの場合は少し込み入っててね。ややこしいから、また今度」
「そ、そっか……」
「今日は手短でいいや。どうせ覚えてられないことだし」
妙な言い回しに、廉太郎は思わず意図を尋ねるように目をしばたいていた。それに、やはり彼女の父親の話もスルーしきるのは容易ではない。
ラヴィは廉太郎の示すそんな疑問や興味など、どこ吹く風とばかりに軽くあしらい、
「ともかく。そんなわけで、君を放っておくのも良心が痛い。とくに、今はね」
「今って?」
「知らない方が良かったこと、知っちゃった後でしょ。みんなで隠していたのにね」
「……あぁ。そうか、君も」
クリスと同じように。はなっから帰ることなどできない廉太郎の境遇を、元々知っていた人なのか。
だとすれば、同様にこれまで気を遣わせてしまったことを謝るべき――感謝すべきなのだろう。
もっとも、それは例の『父親』の事情に関わる話でもある。それを明かされていない今、不確かな推測で言葉を紡ぐべきでもない。
しかし、みんなとは。
彼女と、――おそらく彼女の父親と、それからクリスか。
思わぬところからこうして繋がりが見えたことを考えれば。他にも事情に精通していながら、良かれと思って空とぼけている知人がいないとも限らない。それを思うと、やはり不思議な気分になる。
「力になってあげたいんだけど。あいにく、私にできることなんてほとんどないから」
「いやいや、さっき助けてくれたじゃん」
魔法を使って。
この世、この時代の人間にはみな備わっている能力ではあれど、からきし扱えない廉太郎にとってはそれだけで十分頼もしい。
「牽制と自衛くらいだよ。マジになれって言われたら、何もできなくなると思う」
持ち上げられるのがくすぐったいのか、ラヴィは目を背けるように顔を伏した。そして珍しいことに、その表情をややかげらせ、
「……本当は、お父さんさえ動いてくれれば、君を守るのなんてわけないんだ。でもあの人、トリカが起きるまで何もする気ないみたいで」
「そ、そうか。何者なんだ、君のお父さんは――」
「時期がきたら、必ず責任取らせてみせるから。どうかそれまで頑張って」
ラヴィはそれだけ言い終えると、「じゃあね」と背を向けどこかへ去りかけ、
「……あっ、そうだ」
と、思い直したかのように足を止めた。
ちょうど、呼び止めようとしていた廉太郎と再度向き合うかたちになる。
「ついでに少し、雑談でもしてこうかな」
「雑談ねぇ」
「君と私の関係って、別に友達って感じゃないよね」
「ま、まぁそうだね」
思わず、少しだけたじろいでしまった。
そんなことは一言も言われていないのに、面と向かって『馴れ馴れしくするな』と言われたような気がして。
確かにラヴィの言う通り、二人の間にそれほどの交流があったわけではない。少し遠くにドライブに行って、食事をして現地で解散しただけだ。
一般的にも『親しい仲』とまでは呼べないだろうし、廉太郎の基準でももちろん違う。
「あんまり話もしてないし、べつに思い入れもないことだし」
「……いや、俺は今けっこうグッときてるんだけど」
助けてもらったわけだから。
それに父親の話とか。こちらの事情に精通している素振りへの親近感とか。気になるところが一気に増えているわけで。
「友達の友達だ。やっぱりどこかよそよそしいね」
そう言うとラヴィは目を薄め、口の端からくすくすと息が零れていた。何かが面白いのか――あるいは何も面白くなくて、言うところのよそよそしさに居心地が悪く、ただ場を誤魔化すようにそうしたのか。
いずれにせよ、彼女の固そうに思えた表情が動くのを目にした廉太郎は、何となく得したような気分になる。
「そこで一つ聞いてみたい」
「なに?」
「私のことを、えっちな目で見れるかどうか」
急速に、損した気分に落ち込んでいく。
「なにをいきなり――」
「いやほら、友達じゃなければ平気なのかと」
「あーっ」
場違いなほど真面目な顔で続けられて、それで廉太郎は納得させられてしまった。
さては聞いていたな――と。
でなければ、そんな言い方は出てこない。
思えばウィラーと接触する前、『ロゼ』とはずいぶん恥かしい問答をしたものだ。愚痴まじりの、議論の余地のないどうしようもない話を。
廉太郎の自意識にしかない『ロゼ』をクリス以外は知覚できない。
そのため、仮にラヴィに聞き耳を立てられていたのだとしたら、それは独りごととして受け取られたことになる。
「なんか、変に難しく悩んでるみたいだったから」
「……ま、まぁ」
――壮大で、かなり痛々しい独りごとにだ。
からかわれるのかと思いきや、どうにも気を遣われている様子。
否、心配されているのかもしれない。頭を。
「友達をそういう目で見るのが嫌なんだってね。じゃ、それ以外ならセーフなのかな」
「それ以外ね、……赤の他人や知り合い程度ってことなら、まぁ、セーフも何もないだろうけど」
そもそもの前提として、人は内心で何を思おうとも許される。
自分自身が不義理に感じるからこその問題なのだ。つまるところ、どうでもいい相手であれば己を咎める気持ちも湧いてこない。
「でも知り合いなら、いつかは仲良くなって友達になるかもしれないよ」
「確かにね」
「じゃあ、そのとき、元々持ってた気持ちは撤回しなくちゃダメってこと?」
「……いや、それは別に」
「だよね。だって、それまで上手く回ってた関係なんだから」
そう言って、ラヴィはどこか得意気な目で廉太郎を見た。かといって、特段悪い気にさせられるわけでもない。
雑談などと言ってはいたが、初めからラヴィが善意で相談に乗ってやろうとしてくれているのが伝わってくる。
むろん、頼んでもいない余計なお世話ではあった。
が、邪険に扱うつもりも廉太郎にはなかった。
「つまり私が言いたいのは、別に、劣情混じりの友情もアリなんじゃないかなって」
「あのその、心遣い自体は嬉しいんだけど――」
おそらく、相当誤解されている。
廉太郎はただ、ユーリアとの間の友情関係を色んな角度で疑問視していただけなのに。
まず、彼女に見られたくないような、自分がもつ他人への情の薄さを自覚した。それを彼女の性格と比較して、とても対等などと呼べないことに失望した。
それでも友情を諦めてしまうことはできなくて、今残された数少ない人間関係にしがみついていたいと思うのだ。
だからこれはただ――ちょうど、そんなところに友情の有無を揺らがすようなファクターが余計に一つ現れてきて、「頼むから煩わせないでくれ」と、多方面からの『重力』に対し愚痴っていただけだ。
なのに、これでは。
――ラヴィの中では。
まるで廉太郎が、欲求と友情のはざまで悶々としているみたいではないか。
しかしあらゆる理由から訂正するのが難しく、苦し紛れで廉太郎が視線の抗議を送っていると、
「……まぁ、半分は本気なんだけどね」
しれっとラヴィに打ち明けられる。
からかい混じりの説教――というか、アドバイスのようなお節介。それとは別に、最初の問いの答え自体にも、ちゃんと興味があったということで、
「そ、そうなんだ」
廉太郎としては初めに戻り、答えに窮するほかはない。
「『興味本気なんだけどね』」
「いや、なんで急に日本語で……っていうか、そうとう精通してなきゃできないだろ。そんな意図的な言い間違え方」
あまりにも自然と、流れで口にされたもので、廉太郎は唐突に耳にした母国語にもろくに驚いて見せることができなかった。
それにしても何者だろう。
彼女たち――彼女の父親か。
話しぶりでは同類、あるいはそれに近いものであるようだが――つまるところ、ここにきて、日本人である可能性さえも浮上してくることになる。
だとすれば、世界が狭いどころではすまされない。
そうすると何だかもう、ラヴィのその黒髪でさえもがそういう主張をしていようにしか見えなくなってきて、
「……ちなみに、お父さんの名前は?」
「アニムス」
――ハズレか。
初めて聞いた名前だった。少なくとも日本人ではない。
じゃあ、どういう経緯で何を知っているんだ君は――という廉太郎の視線をまる無視に、ラヴィは話を蒸し返す。
「で、どうなの。私をそういう目で見れる? ちゃんと見てる?」
「あっ、いやその……」
まさか、気があるわけでもあるまい。かといって、からかっているわけでもない様子。
ならば、どういう気持ちで問われているのか――その記者のような無機質な表情からは、何も読み取ることができそうにない。相変わらず。
当然、廉太郎はたじろいでしまう。それも奇妙な感覚でだ。
第一、そんなことを面と向かってなど、友達云々ではなく普通に言えるものではないだろうに。
かといって、否定するのも失礼な話。
お互いに意識している関係性でもなしに、こんな問いを投げてくる方がより失礼でルール違反な気もするが。
「――っと、意地悪なことを言ったかな」
「分かってくれると嬉しいよ」
心底ほっとしながら、詰みの悩みから開放された廉太郎。
だが。
「だよね。『そもそもお前に性的魅力があるのかよ』って言いたいわけだ」
「えぇ……」
「別に責めないよ。拗ねてはいるけど責めないよ」
「あのね……ちなみに、俺はまだ何も言ってないからな」
「こんな身体で、身の丈に合わない質問だったかな。ごめんなさいね」
はたしてこれは卑屈になってしまったのか、それともそういう冗談――というかからかっているだけなのか。
相変わらず判断に困る人だった。
印象的にはたぶん両方。
それより、一度意識の隅に日本語がポップアップしてしまっているせいで、どうしても癖で会話の流れを和訳しておきたくなってしまう。もはや思考の際、日本語を使うことすら少なくなったというのに。
おかげで余計なことに気が散ってしまう。
それはもう、わざとやってるんじゃないのかと思うほど、ラヴィの言葉は凝り過ぎている気がして仕方ない。
意図的なものを感じる。心なしか、普段より彼女の口は回っているようだ。
「ラヴィ――」
それでも無言でいる方が不義理かと、何ともいえない声色を絞り出した廉太郎に、「いいよいいよ、無理しなくて」と、ラヴィはあっさりと茶番に幕を下ろし、
「私だって、客観的にも性的魅力が自分にあるとは思ってないし」
ずいぶんなことを、さも当たり前のように口にしていた。
自信がないのか。
――分かるよ。
でも、内面はともかくとして。
外面なんて、卑屈になるほど悩むことはないだろうに。
「馬鹿なことを、鏡見たことないんじゃない?」
「あいにく、生まれたときから嫌いでね」
ラヴィは冗談めかして答えているが、思いのほか抱える闇が根深いことをも覗かせていた。
改めて観察するまでもなく、彼女の身体はとても細い。
それは体系的な話ではなく、もはや病的だとさえ言っていい。はっきり言って、異常だとも。皮の下の肉云々ではなく、骨格の時点で薄すぎる。
もちろん単純に痩せている、痩せすぎているという側面もあるものの、重要な問題はそこではないように思えてくる。
でなければ、あんな言い方はしまい。
生まれたときから。先天的なものの示唆。
「……じゃあちゃんと答えるけど、そもそも、そんなことを聞くこと自体がどうかしてる」
「おや」
「君に異性としての魅力を感じないなんて、そんなことがあるものか」
湿ってしまった気分のまま、換気するように勢いのままに口にしていた。
ラヴィはそれを吟味するように腕を組んでみせ、それから口角を上げて廉太郎を茶化しにかかる。
「ん、上手くお世辞臭さが隠れてたね」
「……素直に聞いてくれよ」
恥かしいというのに。
しかし、それは思いのほか功を奏したのか、ラヴィは機嫌を良くしたようで、
「うーん、これは。背を押すつもりが、逆に励まされちゃったかな」
「あぁそう。一つくらいの思い入れにはなったかな」
「そうだね。君への好感度、四に上がった気がするよ」
――分からねぇ。
「元は二だね。十段階で」
「微妙だ――」
無関心と嫌いはマイナスに向かうと思いたい。
友達未満、友達の友達。それでこれまで二もあったなら、上等だろう。
彼女の基準は知らないが、四まで上げてくれたとなれば、そのうち友達扱いしてくれそうなものである。
こうして一対一で話してみると、思いのほか口があう気もする。
彼女に倣えば、こちらも三くらいには思ってもいても許されるのかもしれない。見え隠れする事情を思えば、そこに親近感も上乗せされて――。
「まぁ、元々ユーリアが好きなんだし、どうせ線の細い女が好みなんだろうけど」
一気に冷めた気分で、半ば睨むように無言を返す廉太郎。
三はあげすぎだったのかと、早々に後悔しつつあった。
「……おや、まだ自覚してなかったとは」
さしてバツの悪そうな顔でもなく、むしろ呆れたような目つきでラヴィは今度こそ踵を返す。
それから「じゃあまた」とだけを残し、返事も聞かず、彼女は文字通りに姿を消していた。
一歩踏み出した足が音を鳴らす前に、廉太郎は彼女の姿を見ることができなくなり。
彼女の存在も、その足取りも意識に留めておくことができず。
それからやがて、記憶からも完全にそれが失われていった。
その状態はまさに――ちょうどウィラーに銃口を向けられ、ラヴィが加勢に現れるそのときまでと、完全に同じ状態であった。
「あれ、今――」
居眠りから目覚めたようにはっとした廉太郎の耳に、どこからか自分の名を呼ぶクリスとユーリアの声が聞こえてきた。
慌てて、廉太郎はその声の方へと駆けだしていた。