第二十四話 新しい凶弾
「決めつけるなよ、他人の気持ちを」
『……まぁ、私がとやかく言えたことでもなかったか』
気に食わなさを隠さない廉太郎に、『ロゼ』は口ごもりながらそう零す。その顔は曖昧にはにかんでいて、なぜか直視しているのが無性に苦しい。
視線を外し、廉太郎は足元の先を見つめて歩きを続けた。
意識してみると、思いのほか早足になっていたのがよく分かる。
『――待て』
「ん?」
不意に、鋭く呼び止められる。何のことかと立ち止まり――遅れて、胸騒ぎが身体の表面を舐めるように這っていった。
彼女の口調に、無視できない変化があったからだ。
他愛ない雑談から、緊張をはらんだ警告の色へと。
『……君、いつ外に出た?』
「えっ――」
指摘され、はっとなって顔を上げる廉太郎。
周囲をぐるりと見渡せば、確かにそこは町の敷地の外である。歩いて数分の距離。
それを、それと気づかず移動していた。
壁、門、フェンス。
少なくとも、かたちの上では町の敷地をそれらがぐるりと囲っている。ふらふらとさまよい歩いていただけで、意図せずそれを越えてしまうなどとは考えにくい。
あまりに不自然。
もちろん、数か所ある正規の出入口以外にも、少し無理さえすれば出入りできてしまう隙間、粗など、気になってしまう程度には存在する。
だが、その少しの無理――僅かな手間をかけた覚えが、当然のごとく廉太郎にはなかったのだ。
『バカ、早く戻れよ。面倒だな――』
焦った調子で吐かれた『ロゼ』の声。
しかしそれは、彼女が危惧した通りの面倒ごとを前に、煙のようにかき消されてしまっていた。
「不用心だな」
すでに、例の男。
さしあたっての障害になりえる相手――ウィラーはそこに立っていた。
当たり前のように、真後ろに。声が届き、伸ばせば手が触れてしまう距離に。
周囲を見渡して、開けた人気のない景色を、数秒前に確認していたはずなのに。
「……あぁ、あんたか」
内心の警戒を、いらない虚勢で塗り隠す。何てこともない調子で、廉太郎は突如降って湧いた相手の視線につきあってやった。
何か用かと、白々しい問いは喉元で止まった。
どう考えても孤立したタイミングを狙って話しかけられているのだ。意図が、悪意があるのは疑いようもない。
「あー。……あれからまだほんの数時間だったな。話を進めちまいたいのは山々だが……もう少し、時間をおいてやったほうがいいか?」
「いいや、別に」
迷惑そうにそう答えた。
気を遣われているのが分かったからだ。
かえって、神経を逆なでされているような気分になる。
昨晩以降、一人で散々呪っているように、今の廉太郎は他人が思うほどの動揺の中にいない。失ったものへの情が、あるべきものよりずっと低い。本来世間話すら困難なほど、精神的な不安定を抱えているべきものなのに。
だから、気を遣われるような立場にはなかったのだ。その資格がないと言ってもいい。
そして、同じことはユーリアに対しても言えてしまう。君の心遣いは実のところ不必要で、的外れでしかないのだと。
それを思うと、自分自身が許しがたくなる。
自然と、やけを起こしたような態度になるほどには。
「あぁ、そう」
ウィラーは廉太郎の見せる態度や警戒に対し、察しの悪さを演じるように空とぼけていた。そうやって、緊張感のない気安い調子を続けている。
これまでと同様にだ。
表面上の雰囲気は、無害なものにしか感じられない。
「ならよ――」
「だけど」
要らない手間を省いてやるべく、廉太郎は進み始めた話の出鼻をくじいていた。
「仲間になれという話なら、多分、しても意味ない」
「あぁ?」
「あんたらの話はもう、すでに聞かされているから」
クリスによって。
一時間ほど前のこと。朝食に家を出る直前、簡潔に重要な事だけを――と、詰め込まれるようにまくし立てられていたのだ。
ウィラーの背後にいる者たち。廉太郎と同様の立場にある、今は亡き旧世界に由来する者たちの集い。
興味を引かれないわけではない。同郷の相手に感じるような、親近感さえわいてくるのを否定しない。
しかし、決して『関わるべきでない集団』だとクリスは言った。。
カルト、テロ。危険視すべき度合いとしてはそれらに劣ることもないと。
思想はとても理解しがたく、目的のために手段を選ぶ理性もない。
狂人の集団。
そして、クリスは異様にそれらを忌み嫌っているようで――。
「……ほう、どんな風に?」
「会話もするべきでさえないと」
「誰から?」
「さぁね」
目を細め尋ねくるウィラーを冷たくあしらうことにも、さして恐怖を感じない。
すでに廉太郎の心の中で、目の前の男との関係は破綻している。反社会的勢力に与する気など毛頭ない。その害悪さ、そして自分の身の安全を思えば危機感しか覚えない。
その上、明確に示されているクリスの拒絶をはねのけて、わざわざ止められた方へ歩いていくような真似をする理由もない。
「何がしたいのかも大体は。……だけど、俺にいっさいその気はないよ」
「ふーん。じゃ、キミに未練はないってのか」
「……未練?」
「今の立場、立ち位置。それに思うところはねぇのかって話」
その場で言い返せず、廉太郎は口をつぐんで黙りこんでしまっていた。
何を言いたいのか、クリスのおかげでおおよそ理解できている。
――過去を、『故郷』のことを忘れていられるのか。
――それを丸ごと殺されたことに、怒り、恨みはないのか。それを忘れてしまえるのか。抱えたまま、見て見ぬふりで生きていられるのか。
そういうことだ。
なるほど、人が狂うに十分な理由。立場、立ち位置であるのだろう。
だが生憎と、今の廉太郎は狂ってはいない。
狂っていないからこそ、何も感じていないからこそ――こうして己の人間性を嘆いているのだから。
「ないわけないだろ、でも……」
あるいは、狂えてしまえばよかったのかもしれない。
「変なことだけはする気がない」
「なら、これから何していくってんだ?」
「人の勝手だろ。……とりあえず、生きていくだけだよ」
生きて――と、ウィラーは言葉の端に反応し、
「分からねぇんだぞ、それだって」
「え?」
「生き返ったなんて思うなよ」
釘をさすような視線が廉太郎を襲う。一転したその態度に、思わずたじろいでしまっていた。
圧力をかけるように、ウィラーはその身を乗り出し僅かながらの距離を詰め、
「俺たちは『故郷』と共に一度死んだ。それがこうして、生前のものとほぼ同一の肉体、人格、記憶を与えられてここにいる」
それを生と捉えるかどうかは、考え方次第と言えるのだろう。
「俺たちの正体なんて未知も未知よ。世界構造、その仕組みが確かめようのないのと同じ、分かったものじゃねえ……極端な話、今この瞬間かき消えたっておかしくないんだ」
その言い分は、ある程度の納得がいくものではあった。
結局、『彼ら』もほとんどの現状を理解できていないのだ。分かっていることと、分かっていないことがある。
死後の自分たちが、復元されたデータのようにしてこの世界に送り込まれた、その理由までは本能的なもので自覚できていたとしても。
それが、どういう理屈で成立しているのかまでは分かっていない。
ゆえに、確証がないのだ。
まるで蘇ったかのような状態を、ただ幸運な奇跡として享受していられるのかどうか。
「そういう不安をずっと無視できるのか? 現状把握も諦めて、同類との情報交換もいらないと?」
同じ亡郷のシンパシー、懐かしさにも似た情。目的を同じくする同志。
それらだけでなく、同じ共通理解を持つもの者として集まるだけでも意味があるのだ。自己の存在さえ保証されていない者にとって、同じような仲間がそこに居続けているという事実は不安や恐怖を薄れさせてくれる。
それに頭脳やデータを集めれば、見えてくるものも変わるだろう。
もっとも、ただ傷を舐め合おうと言われているようにも思えてしまう。
『耳を貸すなよ。君の恐怖を煽りたいだけだ』
「……心配ないって」
その助言があまりに過保護に思えて、廉太郎は思わずほくそ笑みそうになっていた。
いくら恐怖や危機感を、さながら悪質な詐欺のように煽り立て、仲間に引き込もうとしているのだとしても。
今の廉太郎に響くことはない。
ウィラーにとっては時期が悪かったとも言える。
別件。話に上がっている問題とはまったく別の、極めて個人的な問題だけが胸の内に渦巻いている。そのせいで、どんな可能性をちらつかされようとも動揺するには至らなかった。
「あぁ、そう」
『ロゼ』が見えないウィラーにとって、廉太郎の言動は一人芝居でもなく自身へ向けられたものでしかない。
にべもなく断られた勧誘。一度納得したように、ウィラーは目を閉じ口の端を上げていた。
そして、おもむろに右手が懐へ。
「なら仕方ねぇな」
「……ッ」
さすがに、恐怖を覚えずにはいられなかった。
銃。
向けられた黒い銃口の先を、廉太郎は吸い込まれるように凝視してしまう。
覚えのある光景ではあった。クリスにも似たような真似をされている。
だが、危険度はそれより遥かに優る。
単に人が違うだけでなく、武器の質が違うのだ。素人目にも、それは明らかに進んだ先の技術によって生成された代物。
この世界で造られた物ではない。それを造れるまでの段階に、未だこの世界はない。
持ち込まれたのか、あるいは模造してみせたのか。
装弾数、命中精度、威力。どれをとっても標的の殺傷を逃すものではなかった。
「撃たねぇよ。ついてくるならな」
「……ど、どこへ?」
「良いとこだよ。いくらかこういう、懐かしい思いもさせてやれる」
すでに勧誘ではなくなっていた。
拉致。こちらの言動は強要されたものになる。
人気はなく、誰も見ていない、助けなど期待できない場所。クリスとも離れ、武器など何も持ってはいない。周囲には遮蔽物もない。一か八か、銃を持つ腕を取り押さえようと賭けに出られる距離でもない。
抵抗などできるはずもなかった。
――予想できたはずだ。クリスの話を聞いたときから、こんなこと。
あまりに迂闊。
確かに、いくらかの油断はさせらてしまっていた。
これまで、少なくとも表面上のウィラーの態度は、話に聞くよりずっと友好的であったものだから。
いきなり豹変し強硬策に出られるという意識が、どうしても薄くなっていたのだ。
『逃げろ!』
思考の停止した廉太郎を、焚きつけるような声が上がる。
『一発でも銃声が鳴れば、警備でも何でも顔を出す! まだマシだ、今ここで連れ去られてしまうよりは――』
――少しくらい鉛弾を撃ち込まれるようとも、従うよりはずっといい。
殺されはしないだろうとの望みが前提の、身がすくむような『ロゼ』の指示。それは暗に、ついて行った先に待つ処遇がろくでもないことを示唆している。
だが当然、どちらを選ぶべきなのか、確証のない廉太郎には即決できる判断ではない。ふんぎりんなどとてもつかず、足はどっちつかずに一足分だけ後ずさる。
間髪入れず。
引き金にかけられた指が動きだすのを、スローモーションのように廉太郎には見えていて。
――撃たれる。
負傷、あるいは直接の死。
少なくともどちらかが、それで確定してしまったかに思えた。
その矢先――。
「――あ、あ゛ぁ……ッ!?」
突如、身を守るように顔を覆い畳まれるウィラーの両腕。
次の瞬間には、彼の周辺に飛来した半透明の杭が突き立っていた。
人の身の丈を僅かに超える大きさの、数本からなる無骨な杭。それが、ウィラーを中に囲うように中心を避けて並び立っている。
混乱と予想もつかない事態への驚愕の中、廉太郎はその杭の正体に思い当っていた。
氷。それも疑似の。
魔力が形を与えられたもの、人間の扱う殺傷の魔法。
――クリスか!?
降り注いだ弓矢のような支援攻撃に色めき立つ廉太郎の耳に聞こえてきたのは、しかし――
「一日ぶりだね、お二人さん」
「えっ、ラヴィ……?」
思いもよらない、上から降った助っ人の声。それと共に、彼女は廉太郎のそばへと降り立っていた。氷杭に混じって飛んできたような――そういう印象を与えながら。
少なくとも彼女の能力をまともに知らない廉太郎にはそう見えた。
なまじ、今この瞬間、この世に彼女が実体を取り戻すまでその存在すらも忘却していたその直後とあっては、なおさら認知機能は混乱してしまう。
「おい、危ねぇな……テメぇ、いきなり――!」
「当てた覚えはないけど」
「そうかい。……って、誰なんだよキミは。一日ぶりだぁ?」
毒づきながら、ウィラーは困惑したように射線を遮る杭からその身をかき分け這い出していた。
自身の発言を、既知であることを否定されたラヴィは、「……やっぱり」と何かに納得したような表情で頷いて見せ、
「逃げるよ廉太郎。銃弾から守るくらい私にもできる」
「助かる――っ!」
合わせて二人目の同じ指示、感じた死の気配、それに訪れた助力の存在に背をおされ、今度こそ廉太郎は一もにもなく駆けだしていた。敵に背を向け、町の方へと。
最低でも人目に触れればいい。ウィラーの脅威がどれだけのものかは知らないが、複数の目撃者がいるとなってはおいそれと手を出すこともできないはず。
頭の中にはいくつも疑問が残っていたが、それらをすべて後回しに廉太郎はひたすら来た道を駆け戻っていった。
発砲音。
背後に聞こえたそれは、ほぼ同時に鳴り上がった甲高い着弾音に遮られていた。
宣言通りに、ラヴィが力を貸してくれているのが分かる。
彼女は廉太郎の背後、すぐ近くを付いてきているようだったが、不思議なことに足音がしない。あり得ないことだと廉太郎は思った。
撃たれたのはそれが一度きりで、廉太郎とラヴィはあっさりと町へとたどり着くことができた。
フェンスはよじ登るまでもなく、身が滑り込めるような穴が空いていた。そこから敷地に、路地まで抜けてしまった廉太郎は、拍子抜けするようで、人を呼び騒ぎ立てる気もなくなってしまっていた。
「追ってこないね」
「……あぁ、ありがとう」
ラヴィは澄ました顔でいて、息も切らせていないようだった。
緊張か恐怖か、気づけば汗までかいていた廉太郎は、何だか自分だけが必死になってしまっているような気がして、不必要に決まりが悪くなってしまっていて、
「何だか、久しぶりに会ったような気がするな」
「そうだっけ?」
「あぁ、一日ぶりじゃないよ。えぇと、……最後に会ったのは、三日前か」
――あれ、それほど久しぶりでもなかったのか。
遠出から町に帰って、すぐのことだったろう。
思えばそのとき、ラヴィからは図書館の出入り禁止を告げられたのだった。忘れていた。そう言えば、当時片腕もなかったような気がする。大丈夫だという本人の言葉を心配に思ったつもりだったのだが、今の今まで忘れているとは信じがたい。
こんなことでも、思っていたよりずっと他人への情が低い自分を再発見してしまうようで、気が重く沈んでしまうのだ。
同時に、宣言通り復調してみせたラヴィの様子に、ほっとしている。
「あぁ、そうだったね。忘れてたよ、こっちの都合で」
廉太郎の見ている限りでは珍しく、ラヴィは表情を動かし難しそうに口元を曲げていた。
――実はラヴィはラヴィで一人色々と動いていたのだが、つい先ほどまで姿どころか存在すらも認知できずにいた廉太郎には、当然思うところも覚えもない。
それよりも重要なのは、とても大きな恩を感じている事実だった。
ことによっては、命の恩人になっているとしてもおかしくない。
「当然のことをしただけ」
そんな廉太郎の内心、表情を読んだかのように、ラヴィは先んじてそれに応え、
「人助けっていうか、罪滅ぼしだしね」