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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
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第二十三話 男女の関係について

「……あぁ、また」

 

 翌朝。

 この世界で迎える朝としては十回目だが、気分的には初めて迎えたものかのよう。別物に思える。

 目が覚めると同時に、廉太郎れんたろうは身体を起こし一晩借りたベッドの縁に腰かけた。どこか身体は強張っていた。身を縮こませるようにして眠っていたせいだ。

 頭痛がするわけでもないのに、自然と額を手が抑える。


 ――また。


 たかが夢。意味はない。

 そう割り切ろうとしたところで、やはり自分の脳の働きで生み出したものには違いがなかった。

 娵府廉太郎。

 失われた世界の、失われた個人。

 一度死んで、再現されて。そしてこの世界に根付いている。

 果たして以前の自分と別物なのか、それと同一と呼べるのか。――そんな議論に興味はなかった。アイデンティティは揺らがない。どうでもいいことでさえある。

 ただ、笑えてくる。

 生前との連続性は確かにないというのに、脳の細やかな部分、夢に作用する深層の部分までも、あまりに精巧に過ぎていて。

 こうして、見慣れた夢まで見る始末。

 ――丁寧なことだ。

 どんな仕組みになっているのかは知らないが――魂、肉体、人格、記憶に関して、思い当る限り抜けているものが一つもない。おまけのように、所持品や着ていたものまでも。おそらく世界の終わった瞬間、身に着けていたものもまた、同時に個人の一部として再現されたということだろう。

 上着とインナーのシャツ、デニム。

 ここに来てから壊した携帯端末と、家の鍵。

 手元に残されたものは、それですべてだった。

 今廉太郎が持つそれ以外のもの、環境、人間関係に至るまで。それらはすべて、ユーリアによって与えられたものでしかない。


「……ん」


 揺らしたベッドが起こしてしまったのか、寝ぼけたままにユーリアが隣で身じろいでいた。

 いつもより遥かに目覚めがいい。包まれるように一人毛布に隠れる彼女に、「おはよう」と疲れた声で呼びかけてみる。


「……えぇ」


 ユーリアは眠そうにそう返し、毛布から顔と手だけを覗かせてその目元を擦っていた。


「おはよう廉太郎。……その、ちゃんと眠れたかしら」

「おかげさまで」


 すると安心したのか、横になったまま微笑を浮かべてくれていた。

 気が緩んでいるのか、それとも寝ぼけているのか。目元を擦る指の隙間から、中途半端に彼女の裸眼が見えていた。

 それがもの珍しくて、自然と目をとられてしまう。


「――えっと」


 ユーリアは目をぱちぱちと繰り返して眠気を飛ばし、やがて思い出したかのように疑似眼球を形成する。

 身体は起きずに廉太郎を見上げると、思いついた話題で間を埋めようとするように、


「うん……私、やっぱり筋肉痛みたい」

「あー」


 害どころか有益な痛みで悪いことではないのだが、ウォームアップが足りてなかったのかと見込みの甘さを少し反省。

 同時に、物寂しく思う。

 あのテニス。楽しい試合はつい先日のことだったはずなのに、それがたった一晩で、まるで遠い過去であるかのように色褪せたものに変わってしまったようで。

「気にしないで」と、ユーリアは困りながらも照れたように笑っていた。


「ちなみに、どこが痛いの?」

「えぇと、右腕とお腹と腰と足」

「全身じゃん……」


 思いのほか満身創痍な物言いに、自然と頬が綻んでしまう。

 それにつられて、おどけるように肩を回しほぐしてみせるユーリア。

 その仕草を目にした廉太郎は、察してしまっていた。


「ごめん」

「――え」


 突然の謝罪に、ユーリアはきょとんとした顔を向けてくる。

 それから目を逸らすと、廉太郎は彼女に背を向け立ち上がり、そのまま、そそくさと部屋を出ようと動き出す。


「どうかしたの?」


 不安そうな声が耳に聞こえるも、それに答えることができない。ベッドから起き上がるユーリアの気配と、「急ぐことないでしょう? もう少し――」とのかけられた声を背に留めた。

 廉太郎――と、息を呑む気配。


「……もしかして、怒ってる?」

「えっ?!」


 与えてしまった思わぬ誤解を耳に動転し、思わず振り返りかけてしまう。寸でのところでそれを踏みとどまり、背中越しに声をかけ、


「いや、まさか。どうして……そんなわけないよ」

「だ、だって……」

「――あえて言うなら」


 勢いのままに言ってしまおうかと考え、やはり思いとどまってしまう。


「あ、いや。……ただ、昨晩はやっぱり俺がどうかしてたね」


 言おうか言うまいか迷っているうちに、直面した問題点から、いかに自分の行動もまた考えなしであったのかはっきりと自覚させられてしまっていた。

 血の気が引いていくように、気分が冷めていってしまうのを感じる。

 

「君の部屋で、それも同じベッドで寝るなんて。ほんと、どうかしてたとしか……ごめん」

「えっ、そんな――! 気にしなくていいのよ、全然!」


 慌てたその反応を鑑みるに、言いたいことは伝わっているようだった。

 ただし、どうにも半分だけと見える。


「私がそうしろって言ったのよ? ただ、一緒に居たくて――」

「ユーリア」


 怒っているのかと指摘されて、変に意識してしまったのか。廉太郎は自分でも驚くほど強い口調で彼女の名前を呼んでいた。

 強く言う必要はどこにもないが、言ってやる必要はどうしてもあった。

 だから、勢いのままに釘をさす。


「そういう気はもう使わないで」

「えっ? そ、その……」

「分かるよね」


 気づいてないはずがないのだ。

 鈍く、ここまで廉太郎に問題視されるとは思っていなかったのだろう。だが、そもそもそれ自体に問題があるということは知っている。

 通常、普段から意識しているはずなのだから。


「自分を大事にして。――俺に構い過ぎないで」

「……うん」


 ごめんなさい――。

 自分で引き出したそんな言葉が、粗悪な刃物のように酷く心に刺さってたまらなかった。

 逃げ出すように扉を開き、後ろ手にそれを閉め、廉太郎は一人その場を後にしていった。










――――









「……え、なんで気まずくなってんですか?」 


 朝食の席。営業前のアイヴィの店。

 クリスは一人訳が分からないといった顔で、横で落ち込む相手の様子を覗き込んでいた。


「ううん、私が悪いのよ」


 自嘲のように、ユーリアは疲れた笑みを浮かべて見せる。その食事の手は、いつにもまして進みが遅くなっていた。

 馴染みの丸いテーブルに、廉太郎の姿がはなかった。とはいえ顔も見せていないわけではなく。手洗いへと席を立っているだけだ。

 ユーリアは戻りの遅い廉太郎を気にするように、小声でクリスへと事情を打ち明けていく。


「できるだけ、自然体で接しようと思ったんだけどね。それで……」

「あ、あぁ……自然体って、そういう――」


 ――二重の意味で?


 途端に事情を察したのか、少しくらいは心配そうにしていたクリスの目に一気に呆れの色が浮かんでしまう。

 何をやっているのか、何を過剰に反応しているのか――双方、五分五分の落ち度と欠点が易々と思い浮かべられてしまう。そして、そのクリス予想は寸分たがわず当たっていた。


「そういうところ、やけに繊細ですからね。しかも昨日の今日ですし」


 昨晩目にした廉太郎の様子を思い返す。

 衝撃と混乱、それと無用な自己嫌悪。

 無理もないことだが、どうにも不安定になってしまっている。

 そんな彼に対しては、確かに変に意識せず普段通りに接してやるくらいで丁度いい。

 しかし。


 ――災難でしたね、それはそれは。


 いくらなんでも、寝るときに服を着ないなんて『普段通り』を堂々と横で決行してしまうのは不味かろう。

 そもそも同衾した時点でラインを一つは超えてしまっているのだが、それは一時の感傷的な流れの中で二人とも思考が麻痺してしまっていただけのこと。同意した以上、廉太郎もそれについては何も言うまい。悪い気はしないはずである。

 だがそこで脱がれてしまっては、たまったものではなかったろう。

 昨晩のあのやけにしち面倒臭かった様子を見るに、何だかもう色々と逆効果にしかなっていないのだ。

 

「分かってる。分かってたけど……自分の部屋だし、遠慮するのも違うかなって――」


 並べようとした言葉を途中で投げ出してしまうと、ユーリアは深く息を吐いた。顔を伏し、食器を腕で押しやるようにしてテーブルの上に突っ伏してしまう。

 意外と大胆なことをするものだ。

 人目を意識するときと、しないときの差が激しい。 


「……なんて、そんなの言い訳だわ。下心があったのよ。ここまで気を許しているのだと暗にアピールしてしまえば、ほんの僅かでも心の孤独を埋めてあげられるかもしれない――なんて」

「はぁ」

「多分、それが廉太郎を傷つけた」

「でしょうねぇ」


 笑えばいいのか、それとも同調しておけばいいか分からず、クリスは適当に相槌を打つに抑えておいた。素人目にはむしろ、ここで頭を抱えているユーリアの方が傷ついているようにも見える。


「思えば私がしたのって、そういうことよね……あぁ、こんな至らないばっかりに」


 思いのほか深く後悔しているのか、頭を抱える手の指は深く髪をかき分けていて、


「浅はかだったわ。弁えているつもりだったのに……性別を、人の感性をないがしろにして――」


 超えてはいけない男女のライン。それをユーリアは分かったつもりで理解していた。 

 だが、いざとなれば――少しくらい超えたところで構わないと、少なからず高をくくっていた部分がどうしてもある。

 だが、この場合の廉太郎はというと。


「――いや、ちょっと違うと思いますよ」


 大方、ただびっくりしただけなのだろうし。

 予想できなくもなかった事態を前に『やってしまった』と、向こうも勝手に思っているだけだろう。

 いくらなんでも、たかが隣で服を脱がれただけでショックを受けてしまうほど繊細ではなかろう。別に、初めて見たわけでもあるまいし。


「……言い訳させてもらうけど、毛布は被っておいたのよ」

「それでも結構あれですね」

「……身体も痛くて、寝つきも悪くて。自然と楽になりたくて――」

「どっちなんですか」

 

 良かれと思ってやったのか、それとも単にそうしたかっただけなのか。

 ――どっちもか。

 いい加減、不毛なだけの泣き事を聞いているのが苦しくなっていた。かといって『あっちに言ってくださいよ』とも言えず、クリスはどうしたものかと頭を傾げ、


「その、こんなの大したことじゃないですよ」


 誰が損したわけでも、悪気があったわけでもないのだから。


「謝ることでさえ――いや、謝ることではありますが……まぁ、向こうからそうしてくると思いますけど」

「……ありがとう、クリス。でも私は大丈夫よ」


 頭に抱えるもやもやを言葉にできてすっきりしたのか、顔を腕と一緒に上げたユーリアはやけに念入りに伸びをして、


「少しもめげてないわ。ただ、失敗したなぁと思うだけで」

「そうですか。健気ですね」


 当たり散らされても構わない。何でも受け止めて見せられる。

 昨晩言い放ったそんな宣言を裏切ることなく、ユーリアはこうして体現してみせる。

 彼女の友人は幸せ者だとクリスは思う。ましてや家族なら、なおさらそう。


「――話はだいたい分かったわ」


 頃合いを見計らったタイミングで、あからさまに聞き耳を立てていたアイヴィが二人の前に顔を出す。

 その口調、表情を見たユーリアが、不満そうな顔で一言、


「なんで嬉しそうなのよ」

「えへへ」


 今朝の事情は呑み込めたのだろうが、昨晩明らかになった廉太郎の事情まではアイヴィは知らない。

 だからこその能天気さ、むしろこんな事故はもっと起きてしまえとでも言わんばかり。

 鼻につくとまでは言わないが、こういうところ、廉太郎はさぞかしやりづらいのだろうなとクリスは思う。


「わたしの見たところ、十割くらい廉太郎くんが悪いわね」

「そうなの!?」 

「責任とってもらわないと」


 冗談めかした物言いに、ユーリアはまたかとため息をついた。冷ややかながらも、良かれと思ってそう迫る母親の思いに申し訳ないとも含ませた視線で、


「……ねぇ、そういうの。私には好き勝手言っていいけど、彼を巻き込むのは、もう――」

「またまたぁ」


 アイヴィの態度は置いておいても、その考え自体はクリスも賛同するところ。

 今はそう割り切ることもできないだろうが、ちょうど、元の世界に帰らなければならないなんて義務感からも解放されたわけである。

 恋愛ごとから逃げる理由もなくなった。

 そうやって適当に幸せになってしまえばいい。わざわざあんな連中と関わって、第二の人生を棒に振ることもない。

 だからこんなことで悩んでいる場合ではなく、すぐさま昨晩の話の続きを再開し、今後の体制を整えてしまう必要があるのだが。


「――そういえば、遅いですね」

「廉太郎くん?」


 店の奥を探すように窺うクリスに、「あれ?」といった様子のアイヴィが言う。


「居ないわよ」

「――え?」


 聞いていない話に顔を見合わせるユーリアとクリス。

 そんな二人へ、アイヴィは事もなげに言い放っていた。


「頭を冷やすって、一人で散歩に行っちゃったわ」


 ――まずい。 

 そう感じたクリスが目配せをするその前に、すでにユーリアは立ち上がっていた。








――――







『らしくないことをしたね』


 目的もなく一人歩く廉太郎の頭に、気遣いを含ませた『ロゼ』の声がかけられる。

 食後の散歩というにはテーブルから遠ざかりすぎていて、かたちとしては逃げ出したようなもの近い。そんなつもりはなかったにせよ。

 店先の面する通りから外れ、ふらふらと歩いたことない場所を選ぶように足を運ぶ。土地勘がまだできあがってはいないから、人目を避けられる場所が見つからなかったのだ。

 

『なぁ、何が気に入らなかったんだよ。あの子の裸のさ』

「ないよ何も。気に入らないことなんて」

 

 強いて言うなら、その言い方の方が癪に障る。


「……行動はどうあれ、気持ちは嬉しいんだ。昨日言ってくれたこととか、近くに居ようとしてくれることとか」

『じゃあ、あの今朝の態度はどうしたってのさ』

「それは――」


 足を止め、ふと思う。

 本当に何をしているのか、何をしたかったのかと。

 自分の言動の理由に、はっきりとした理由をつけてやることが難しかった。

 確かに感じが悪かった、その自覚がある。今こうしてふらついていること自体が、すべてを後悔している証拠。

 大したことでもないのに、わざわざ大事にしてしまった。

 何のことはない。

 ユーリアが何も着ていないことに、ただ漠然と嫌だなという気持ちが湧いてしまった。その気持ちをろくに整理もせず、ただ本人へとぶつけてしまった。

 それだけのことである。


『嫌って?』心を読まれて先を促され、

「ユーリアは悪くないけど、あまり良くないことはした。……でも、そうさせてしまったのは、俺のせいだから」


 就寝時のユーリアの好み、そして性別に左右されない彼女の距離感。

 その両方を知りながら、すぐ傍で一夜を過ごしてしまった。簡単に予想できる結果を無視してしまった。

 客観的に見たとしても、廉太郎の行為は褒められたものではなかっただろう。率先して、気を回してやるべきだったのだ。

 ――そして、過ちはもう一つ。

 ユーリアがどういう気持ちで服を脱いだのかは知らない。単に、いつもの癖でそうしてしまった可能性も十分考えられる。

 だが仮に。

 廉太郎を気遣って、あえて普段通りを、あるいは限りなく親しい友人としての自分を振る舞おうとしたのだとしたら。

 それは、同情を誘ってしまった廉太郎の責任。過失である。そんな意図などなく、ただ流れのままにそうなってしまっただけだとしても、事実としてそこは変わらない。

 だから、廉太郎が気に入らないのは自分自身。

 とんでもないことをさせてしてしまったと。血の気の引く思いで、たまらなくなってしまったのだ。


『なぁもしかして君、ちょっと性嫌悪入ってる?』

「何をそんな……俺は健全だよ」


 でなければ、こんなことでは悩まない。 


「――あ、いや。この言い方だと、そっちが健全じゃないみたいだったな……良くなかった」

『うーん、そういう……まぁ、そこは尊重しておくが』


 口を動かしていると、せき込みそうになってしまう。

 喉の奥がつかえていた。確証の持てない自分の考え、誰かに判断してもらいたい決断やら疑問、捨ててしまいたい悩み。普段ならそこに置いておけるそれらの異物感が、今朝はやけに気持ち悪かった。

 呑み込むか、吐き出すか。どちらも一人ではできそうにない。


「『ロゼ』はさ……」

『うん?』

「男女の友情って、あると思う?」

『――え、それを私に聞いてくるのか』


 双方の価値観の違いにより、壁は生じてしまうのか――という問いではなく。

 どうしても異性、恋愛対象として見ざるを得ない双方が、そこから生じるあらゆる不純物にも揺るがされない強固な関係を築くことができるのか――という、ありふれた問い。

 顔を見せた『ロゼ』は、やや複雑そうな表情でしばし考え込んでいたものの、


『まぁ、むずかしい問いだけど……完全否定してしまえるほど、つまらない世の中ではないはずさ』

「俺もそう思う」


 突き詰めれば、『友情とは何か』という定義論になる。答えなど、初めから一つに定まりようのない問いだった。

 育てた友情は愛情になり、その愛情は元の友情を内包するのだろうか。

 それとも、その二つは完全に別物なのだろうか。


「性別なんて、本当はどうでもいいんだ」

『はあ』

「だから恋愛感情だとか性欲だとか、必要としてないときには……邪魔なものでしかない」

『あっ、――え?』


 意外そうな反応がわざとらしくて、廉太郎は内心それを冷ややかな気分で受け止めていた。


『なんだよ。君、やっぱりあの子のこと――』

「違うよ」


 こうして否定させられるたびに、少しずつ気に入らない感情がむかむかと蓄積していくのを感じてしまう。それありきでしか語られない、その方向へ誘導されているような居心地の悪さに、辟易していた。


「ただ、そういう前提みたいなものがずっと付きまとってくるんだ」


 それが、嫌だ。 

 まるで重力のように、絶えず背負わされ続けている。

 今朝は、それをありありと気づかされてしまったから。

 廉太郎は今朝の事態も、それを引き起こした自分もユーリアも、そこから生じる心の動きもすべてがダメだと思ったのだ。

 そして、ユーリアはそれをダメだと思っていなかった。

 はっきりと、違う人種なのだと釘を刺されてしまったような気分だった。

 それが、昨晩自覚させられた己の情の薄さ、彼女に対する新たな引け目と重なってしまうようで――嫌な気分というより、どうしようもなく切なくなってしまったのだ。


 ――友達でありたい。


 ただでさえ、自分がユーリアと対等で居られるはずがなかったと――その友情を、内心信じられなくなっていた矢先に起きたこと。それでも未練たらしく彼女との友情に縋っていたかったのに、下らない人間の本能みたいな感性がそこへ水を差してしまう。


「こんなこと、今まで気にしたことなかった。どんな異性と親しくしようが、そんな前提はお互い様のことだったから」

『その言い分、暗にモテたと言ってるようだが』

「俺はモテたよ」

『あぁ、やけくそなんだね』


 先の問いには、『人間は男女ともに異性愛者である』という、世の中の多数派に基づいた前提がある。

 でも、ユーリアの場合はそれがないから。

 せっかく縛られない友情関係を結べる相手だというのに、結局、残念ながら廉太郎は異性愛者でしかない。

 ひどく、俗な存在に思えてくる。

 そういう、考えてもしょうがない多くの悩みと、昨晩の衝撃からくる自己嫌悪感が重なった結果。

 ただ子供が癇癪かんしゃくを起こしたような、八つ当たりの態度をとってしまったのだった。


「謝らなきゃ……」


 今すぐなかったことにしてしまいたいのに、足は逆らうように帰ろうともしない。帰れたとして、謝ることすら嫌だった。ユーリアの性格も、杞憂だということも分かっているのに、謝罪という行為が恐ろしい。

 許されるか否か、白黒はっきりつけられてしまうから。


『……まったく、忙しい奴だな。昨晩といい、今といい、次から次へと悩みを増やして』


 気づけば愚痴、泣き言に付き合わせてしまったかたちの『ロゼ』。彼女は笑うでも慰めるでもなく、歯がゆい口調で廉太郎を急き立てる。


『もっと他に悩むことあるだろ。危機的に、切羽詰まっているんだぞ』

「……うん、『ロゼ』の言う通りだ」


 今後の身の振り方も考えなければならない。ウィラーの行動は読めないが、クリスも必ず今日の内に再度接触してくると断言していた。

 こんなことに悩む時間はない。

 否、悩んでいていいはずがないのだ。

 世界が――家族も知り合いもなくなったのだ。劇的に嘆けない自分はもう諦めるにしても、もっと心のスペースをそのために開けておくべきなのに。

 なのに、今目を閉じると浮かんでくるのはユーリアのことだけ。

 ――なるほど、失ったものによほど未練がないらしい。

 唯一自分に残った関係に、あるかも分からない友情に、そこまで固執せずにはいられないとは。


『だからさぁ、それもう好きなんだって』


 ――重力だ。


 文句を言うのも面倒になって、それでも意思は示しておこうと口うるさい『ロゼ』の顔を見た。

 

『……もう認めたらどうだ。楽になれるからさ』


 それがあまりに憂いを含んでいたもので、廉太郎は呆けたように見入ってしまっていた。


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