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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
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第二十話 暴露

「声を荒げたりなんてしないわよ」


 そう口にしながらも、ユーリアは明らかに気を害していた。その傍らで、廉太郎も似たような気分でそれに同調。

 歓迎されていないと、ウィラーは言った。

 事実として――確かに廉太郎れんたろうとユーリア、それぞれの世界の一個人にとっては、別世界など存在自体が荒唐無稽こうとうむけい与太話よたばなし。その一線を超えた現象と当事者を、厄介事として、あるいは認めたくないものとして、疎ましがる動きがあっても不思議はない。

 だが、それは大勢たいせいとしての姿勢であって、それこそ個人的な人間関係の上で問題になるようなことはなかったのだ。


「……俺の事情なんて、知ってもみんな歓迎してくれたよ」


 少なくとも、この町の人たちは。

 話せているのはせいぜい数人。この場の顔ぶれを除けば、アイヴィと現実に居る方のロゼくらいなものではあるのだが。


「私たちのことなんて、あなたが知らなくて当然なのだから」

 

 感情を抑えてそう続ける、ユーリアの譲歩はもっともだ。ウィラーが何を勝手に断定しようとも、いちいち咎める気にもならない。こちらの人間関係など、把握されている方が不気味である。

 それでも、やはり不快感は顔に出る。ユーリアと廉太郎。歓迎する側、される側。その関係は真逆でも、培ってきた関係への思い入れに違いはない。

 友情。それにケチをつけられたということ。


「そんな、つまらないことが言いたいわけでもないだろうし」


 話を促し、わざと礼を欠くような仕草で廉太郎は腕を組む。ユーリアもまた、似たような顔つきで自然とそれに倣っていた。

 二人、揃って発言の真意を察せられていないはずもなく、 


「何か、問題があるって言いたいのでしょう?」


 本題に入れとユーリアが告げる。

 問題――それは耳にすると、嫌に肩へのしかかってくるような重みを孕んだ言葉だった。

 歓迎されない理由、それに値する問題。そんなもの身に覚えはなく、心当たりも何もない。

 とはいえ、まったく想像さえできないなどとうそぶくつもりも当然なかった。

 思いつく内の一つは――いわゆる外国への不法入国。及び不法滞在だ。今の廉太郎の立ち位置を、馴染みのある概念に置き換えてみればまさしくそれ。

 だが、それが問題になるようであるなら。

 逆説的に、表向きには認知されていないはずの別世界の存在を認知し、出入りを管理している機関か何かが存在するという事実にも繋がる。

 むろん、仮定の一つでしかない。仮にその通りだとしても、廉太郎にとって希望と呼べるかどうかは、その実かなり怪しいものだ。

 歓迎されていないのなら。

 生きていくことすら、危うい状況だというのなら。


「問題かぁ」二人の反応に、ウィラーは困った顔で戸惑ってみせ「歓迎されてねぇ、ってのは比喩じゃないんだが――」

「となると……やっぱり、人の出入りは管理されているのか」


 何者か。

 国か、あるいは超法規的な何か。 


「まさか、そんな……」


 隣で、ユーリアが小声で呟いた。愕然としているのも無理はない。この世界の住人である彼女にしてみれば、それは晴天の霹靂に違いなかろう。政府が、宇宙人の存在でも隠蔽していたようなものなのだ。

 しばし言葉に詰まりながら、ユーリアはやがてはっとした顔で横を向き、


「で、でも。それが確かなら――」


 期待の込められた視線で、じっと廉太郎を見つめている。

 だがウィラーの発言が尾を引くせいで、素直にその気持ちにのっかることができない。はぐらかすように目を外し、廉太郎は前を向くと、


「それで、そうしたがるのはどこの誰なんだ」

「誰か、ねぇ……」僅かにウィラーは顔を曇らせ、「いいや、人の意思はそこにねぇんだ」

 

 すると、「はぁ?」と苛立ち混じりのユーリアはその身を不意に乗り出し、目の前の机に腕を立て、


「なら、どこの誰が歓迎しないっていうのよ」

「……まぁ、言っちまうなら世界の意思だな」

  

 何を言い出したものかと。

 一瞬、理解が追い付かず、言葉が止まった廉太郎は、


「世界の定義は?」などと、思わず素朴な疑問が口をついて。

「宇宙の果てまで」

「ただの空間でしょう?」


 何が意思よ、じれったい――とばかりの怪訝な顔を見せるユーリア。 

 だんだんと、話の全体像に霞がかかり始めたような気配があった。煙にでも巻かれているのではないか――揃ってそう危惧しかけた二人に対し、ウィラーは更に要領を得ない言葉で畳みかけ、


「それでもこの世界にとって、俺たちは取り除くべき異分子で、明確な敵。――外宇宙の外敵だ」

「……えぇと」

 

 加速度的に飛躍をみせる話を前に、ついに許容値を超えたのか。今度こそ面食らったユーリアは、静かに頭を抱え俯いて、


「――だめね、話の規模が大きすぎる。理解がついていかないわ」

「それでも、想像はできる」


 同じ卓に付かされたものとして、励ますように声をかけた。

 規模が大きすぎる話なら、理解の追いつく範囲に縮めてしまえばいい。

 外敵。取り除くべき、害のあるもの。

 想像力を働かせて、それらの言葉を身近な概念に置き換えてやる。最も理解が簡単な、考えやすい物事に当てはめてみるのであれば――


「たとえるなら――水質汚染?」

「まぁ、そうだな」


 ――侵略的外来種。

 自然環境に影響を与え、自然のバランスを脅かすもの。異なる宇宙に、異なる湖に。放り込まれた、本来そこに存在しない魚か何か。たかが一匹であろうとも、それは環境を一変させる可能性をどうしても孕みかねないような存在。

 その影響は多岐にわたる。それこそ、湖であるならそこを利用する陸の生物、すなわち人間の生活にまでも。たった一つの要因が、澄んだ湖を汚泥に変え得る。

 それは、まさに外敵。

 取り除かなければならない、異分子と言えるだろう。


「……歓迎されるはずもないな」

「あぁ」


 とウィラーは頷き同意して、


「俺たちはこの世という海を台無しにする害で、毒。……つっても、だから取り除かれちまうんだけどな。浄化作用ってやつだ」


 沈殿、希薄。自然現象。

 そんなたとえ話を前に、「それが意思、ねぇ……」とユーリアは未だ釈然とした様子にない。それは廉太郎も同じだった。

 なぜなら、人間は水に溶けるわけでもないし、大気に飛んで散ることもない。生きている限り、体が分解されて無くなってしまうこともない。

 だからウィラーの話は不十分。

 成立さえしておらず、何の説明にもなっていない。


「俺たちは常に自然消滅しかねない存在だ。無自覚で、無策でここまでいられた廉太郎は強運でしかなかったろうよ」

「――ちょっと待て」


 さすがに、廉太郎はそこで口を挟んだ。 

 たとえ話で装飾されたまま、話が最後まで進みかねない。そんな雰囲気を前にどうしても、違和感を覚えずにはいられなかった。


「毒だの浄化だの、たとえ話が先行しすぎて……事実の方が、さっぱり見えてこないんだけど」

「言葉通りに捉えればいい」

「……なに?」

「俺たちは毒、そのものだよ」


 思わず、ユーリアと顔を見合わせていた。互いにまったくその真意を汲み取れずにいる。それが確認できてしまう。

 そんな二人に何の口も挟ませず、ウィラーは一呼吸をおいたのちに話を再開。

 その口調は淡々と、文章でも読み上げているようなものだった。


「この世界という海、肉体――宇宙。それを蝕む毒の一種、滅ぼすための毒」

「だから本当に、何を言っているのか……」

「つまるところ、侵略者だな」

「――ッ、な……何を!」


 知れず、拳で机を叩いていた。動転したように無自覚で。大きく、鈍い音が席に響いたものの、痛みなどは少しも感じられない。

 あまりに、酷い冗談を聞かされたものだから。

 ――やめろ。

 逃げるように上の空になりながら、こんな話などするつもりではなかった――そんなことを思い出していた。

 話の流れは、まったく想定したものと合致してくれない。何もかも予定と違う。 

 したくもない話に、してほしくない話。

 特にこんな場所で――よりによって、この人の前で。


「俺は……知らない」


 後ろめたいことなど何もないはずなのに、不思議とユーリアの顔を見ることもできなかった。

 何とか口から吐き出した声はあまりにか細く、自分でも、まるで言い訳でも聞いているような気がしてきて、


「してないよ、何も――」

「もちろんよ」


 そっと、机の上で握る手に彼女の手のひらが添えられる。不確かだった痛覚とは裏腹に、それは現実と取違かけるほどに鮮明で、心は我に返るように落ち着いていった。

 そして、同時に刺さった棘のような心の痛みが増していく。

 ユーリアの慰めに保証などない。廉太郎にも彼女にもそれを確かめる術がない以上、ただの否定でしかなかった。

 信頼にさえ、至らないだろう。


「らしいな」


 曖昧で、適当な相槌。それを打ったのち、ウィラーは「まぁ聞け」と二人を落ち着かせるように手で制し、「そんな役割、担う気なんざもちろんねぇよ。俺たちもな」

 ――だが。と断り話は続き、


「俺たちは元々それを強いられ、今こうして此処にいる」

「……どこの誰にだよ」

「俺たちをここに送り込んだ、世界そのものの意思にだな」 

「お、送り込んだ――?」


 話は不穏さを増していた。毒、外敵、侵略者。それらの話をすべて信じてしまうのであれば、その先に何へ結びつくのか嫌でも察せられてしまう。

 もはや感情が揺さぶられる段階をとっくに通り過ぎていて、言葉を頭で組み立てることで、心は精一杯になっているほどで。


「そんなの、もう……」 

「この世界って枠組み自体に敵対し、攻撃しているってことだ」


 絶句する、いよいよと。

 頭は動くかすことさえ難しく、思考は渋滞したようにまとまらない。

 ――思えば。

 自分の身に起きていることなんて、せいぜい神隠しくらいに思っていた。自分が犯した、ほんのちょっとの手違いに。あるいは、不運な事故程度に。

 それが、真偽はともかく蓋を開けてみれば、この有様。

 あまりに大仰で、理解を越えていて。

 とても手に負えるような話ではなかった。


「……戦争、みたいなものなの?」


 言葉も発せず呆然とする廉太郎を見かねたのか、代わりにユーリアがその考えを口にする。

 

「たとえば、国と国のように」

「間違っちゃねぇが、その表現だと誤解になる」


 あろうことか、彼女との会話を面白がるようにウィラーは口元をにやりと上げ、 


「世界ってのはただの枠組みで、国じゃねぇし、集団でもねぇからな。そこに人の意思は絡まない」

「よく分からないわ」


 指導者が居て、軍隊があり。政治的、文化的、感情的な対立がある。――それが国家戦争であるならば、人の意思が絡まない世界間の対立は戦争と呼ぶには至らない。

 そう成り立つ理論、解釈とは別のところに首を降るユーリアの問いはある。

 戦争でないなら、いったい何だと言いたいのか――と。


「より近いのは……そうだな、動物同士の殺し合いだ」

「――えっ、動物ですって?」

「たとえ話だ。世界という枠組みを、でけぇクジラの肉体だとでも考えてみろ」

 

 宇宙を己の肉体とし、腹の内に無数の銀河を内包する、クジラ。

 あまりに規格外の存在。通常の感性とかけ離れすぎていて、思い浮かべることすら困難を極めるような、奇をてらったたとえ話。


「そのクジラは複数……少なくとも三頭以上存在している。で、そのうちの一頭がこの世界だ」


 複数のクジラ――複数の世界。 

 宇宙の果てを誰も知らない。たどり着くことも観測することもできないのだから、すべては想像でしかない。

 たとえ話を成立させる仮定として、宇宙の果てには外宇宙が広がるものとする。その外宇宙の空間に、複数の宇宙が存在するのだ。

 互いの宇宙は隔絶していて、一惑星に留まる一知性体風情にはその存在など到底認識できはしない。


「ここの世界クジラは別の個体に食い殺されつつあるってことだ。俺たちは、突き立てられた牙から送りこまれた毒の一種に過ぎないよ」


 それが攻撃。戦争とは異なるものの見方。

 それを受け入れたのかいないのか、ユーリアもさすがに投げ出したように脱力し、


「……ますますわけが分からないわ。そもそもなんで攻撃されているのよ、私たちの世界ってやつは」


 ウィラーは僅かに笑みを浮かべつつ、「さぁな」と言ってかぶりを振り、


「始まりは、この世の暦で五十年前」

「――ッ!?」


 瞬間、ユーリアの目が勢いよく見開かれ、明確な思い当る節に食いついていた。まるで雷に打たれたように、彼女は背を正し、


「――災禍」


 と、噛み締めるような一言を、ぽつりと零れ落としていた。

 あぁ、そうか――と、それで廉太郎も得心がいった。

 ユーリアからまず初めに聞かされた、この世が抱え続ける解決不能の大問題。災禍、五十年前。

 この世の終わりが始まった日。

 

「あぁ。それ以降、この世をありとあらゆる災いが襲い続けてきただろう」

「……そうね」


 断片的に聞いただけの廉太郎にも、その凄惨さは理解できる。

 突如襲った天変地異。荒れた環境の気まぐれに、人類は耐えることも状況を理解することもできずにいた。

 それが収まってからも苦難は続き、今度は世界のあちらこちらから環境を汚染する瘴気が湧きだすことになる。動植物はそれに負け、人の居住可能領域は今なお減少の一途をたどっている。

 さらに、人間の魂はそれによって歪み、魔力を得て。それが直接的な要因か、あるいは二次的な被害なのかはさておき――多様性を敵視するように変わってしまった。

 人間種を除くの人種族と、欠陥を抱えた人間種はこの世から排除される。

 そういう世界に変わってしまった。

 

「……ユーリア」

「い、いえ……あなたが気にすることはないわ」気丈に振る舞い、ユーリアは笑みまで浮かべてみせ「大丈夫よ」


 その資格がないことが分かっていても、廉太郎は声をかけずにいられなかった。

 可能ならば否定してほしい。

 ユーリアの世界、人生を――あらゆるかたちで、自分たちの世界が攻撃していた、などというふざけた事実を。

 自分の物ですらない罪悪感。それを抱いているだけで生きた心地がしなかった。ユーリアの受けている衝撃に比べれば、毛ほどのこともないだろうに。

 先ほどから、もうずっとユーリアの顔をまともに見れていない。そのまま、ずっと目を合わせることもできなくなってしまうような気がして、


「……だけど、分からない」


 無意識に振り絞った声はあまりに弱々しく、震えていて、口に出したのが自分であることさえ疑ってしまいそうになり、


「なんで世界同士の争いに、ただの一生命体でしかない俺たちが……こうして矢面やおもてに立たされてるんだ」


 そんな宇宙クジラ同士の殺し合い、勝手にやっていてくれればいいのに。

 預かり知らぬところで始まり、そして終わってくれたらいい。

 そうしたら自然の流れの一つとして――それこそ、星と星の衝突のように。

 仕方ないものとして受け入れてしまうことができるのに。受け入れざるを得ないのに。

 

「……知らないうちに、徴兵でもされたみたいだ」


 廉太郎とウィラー、その世界から送られてきた者たちが世界を揺るがす害ならば。

 他の災害と明確に異なる点は、この世界の――少なくともこの星の――人間とまったく同じ容姿、頭脳、精神構造があるという点だ。

 なるほど、文明に対する攻撃としては、他にないそれなりのアプローチが見込めることだろう。

 そんな予想が立てられる。

 ならば、もはや戦争と何が違うというのだろう。

 それを思うと、自然と乾いた笑いがこみあげてしまうようだった。


「徴兵ね。そう遠くもない表現だ」


 感慨深そうに、そうだとウィラーは認めていた。

 攻撃期間は最大にして五十年。その間、どれだけの人間が毒として送り込まれたのかは知らないが、ウィラーのように仲間を集めている集団がある以上、そこまで少ないはずもない。

 同時に、ことさら不自然な失踪が社会問題になっていないことから、徴兵の規模委はその程度であろうことが窺えてしまう。

 だとすれば、これは宝くじにあたったようなもの。

 貧乏くじだ。確立の分母は途方もない。

 なぜ自分が――と、そう嘆かずにはいられないほどの。


「少し、休憩でも挟むか?」

「……いや、いいよ。どうも」


 それらの話が真実であれ虚言であれ、とても受け止めきれるものではない。休憩など挟んだところでものの足しにもなりはしない。

 今、胸中を占めるもっとも大きな感情。

 ――それは、ただ悲しいと思うだけだ。

 大事を強いられた自分の身の上が、ではなく。

 こうしてユーリアの傍に座っている。それだけのことで、どうしようもなく心苦しくさせられてしまうことが。


「ここまできたら、全部知ってしまいたい」


 鼓動は夢見ごちでぼんやりしているのに、それでも張り裂けてしまいそう。だからこそ、早くこの時間を終わらせてしまいたかったのかもしれない。

 廉太郎には本音がある。

 ユーリアの前では、口が裂けても言えない本音が。 

 

 ――言ってしまえば、これまでの話は廉太郎にとって、すべてそこまで重要な話でもない。関心などない、知りたくもなかった事実でしかない。

 知れずにいられたならそれでよかった。望んでいた話とは全然違う。

 考えることさえ放棄して、目を閉じ忘れてしまいような話。


「俺が知りたいのは……だから、どうすれば元の世界に帰れるのかって――」


 ただ、それだけの話で良かったのに。

 自分で切り出しておいて、気分は後悔するほど酷くなっていった。直前にいだいたユーリアたちへの罪悪感より、さらに悪い方向に落ち込んでしまえる自分が、あまりに身勝手なものに思えて。

 

「……まぁ、そうなるよな」

「焦らさないでほしい、はっきり言ってくれればいい」


 帰れない――たとえそんな最悪の回答だろうとも、まったく覚悟していないわけではないのだから。

 何より、侵略行為に関心がないと告げたこの男が、こうしていつまでもこの世界に留まり続け、なにゆえか同類を集めようとしている。

 それが、何よりも雄弁ゆうべんに物語っているのだろう。

 だが――。


「悪いな。俺はわざと、そう誤解するように話してた」

「……誤解?」

「状況をまず理解してほしくて、落ち着いていてもらいたくてな」


 この状況で、何を――。

 そう訝しむ二人へ、ウィラーは多少悪びれた様子で話を続け、


「この世界は確かに攻撃されているが、その敵は俺たちのいた世界じゃない」

「――え?」


 話が違う。

 だとすれば、これ以上に嬉しい誤解はない。ユーリアたちの世界へ対し、負い目を感じる必要がなくなるのだから。

 しかし。

 ならば、なぜ話は変わるのか。


「それなら、どこなの?」


 と、気づけばユーリアが問いを投げ、

 

「第三の世界クジラだ。俺たちのものとも、キミのものとも違う宇宙」

「……でも、それなら俺たちは無関係じゃないのか」


 逸る気持ちを抑えきれず、詰問するようにウィラーを睨む。

 それでは話が合わなくなる。

 国でたとえるなら、遠く離れた地方での、詳細も知らない戦争だ。対岸の火事でしかない。廉太郎が関与するはずのない争いだ。

 今こうして渦中に放り込まれている道理が、まったく見当たりそうなくて。

 

「――事実を伝える必要が?」

 

 それまで沈黙を保ち、何の干渉もしてこなかったクリスが、不意に言葉を発していた。

 背後に立つクリスに振り返ることはなかったが、あまりに静かな語り口で、そこに表情などないであろうことが手に取るように伝わってくる。

 ためらいがちな声でも、並々ならぬ熱が込められているような声だった。


「何も知らずに居られるなら、そのままで居るのが幸せだとは思いませんか?」

「思うね。羨ましいくらいだ」

 

 それに対し零されたウィラーの言葉は、どこか本心に聞こえるものだった。


「だが、それじゃあ俺たちは困るんだよ」


 歯噛みしたようなクリスの気配。

 そのまま、口が挟まれることは二度となかった。

 

「結論から言えば、俺たちに帰る場所はねぇ」

 

 その言い方が、あまりに引っかかるものだったせいで。

 それが気になって、告げられた言葉にろくな衝撃を受けることもできなかった。


「そんな――!」


 代わりに、ユーリアが跳ねるように立ち上がり、


「確かなの? どうあっても帰る方法はないって――」

「だから、帰る方法じゃねぇって」

 

 逸る彼女を和やかになだめ、ウィラーはその『気にさせる点』に、


「なぜなら、とっくに食い殺されたあとだからだよ」


 ――触れた。


「ここの世界は攻められている最中だが、俺たちの世界はとっくの昔に落とされてる」


 ――え、ちょっと……。

 呆然としたユーリアの声が聞こえた。反応もできない自分の代わりに、すべてを代弁してくれているような思いだった。 


「俺たち侵略者どくは、世界こきょうごとクジラの腹に吸われて消えた魂の名残り。仕事を強いるために再現された、肉付きの亡霊みてぇな何かだな」


 嫌に冷静な頭の中で、廉太郎はこの空間でウィラーが最初に口にした言葉をふと思い返していた。

 あの世。

 今にしてみれば、その言葉はやけに抵抗なく胸の内へ染み込んでくる。あるいは、初めからそうだったのかもしれない。


「……実はもう死んでるなんて、考えなかったわけじゃない」


 言い聞かせるように、廉太郎の口からそんな言葉が飛び出していた。

 それはかつて、一人でいる寝床と闇の中で襲われた空想、恐怖。その一端。

 属する世界が変わる原因なんて、現実的に思い当るものはそう多くなかったから。非現実を前に、そのくらいの説得力がある原因も他にあるまい。

 死の先に行きつく場所があるのなら、これがその答えなのではないか――と。

 だが、現につきつけられた話は。


「でも、それは――」

「廉太郎……」


 その最悪を、優に超えているもので。

 恐る恐るかけられるユーリアからの気遣う心も、まったく目に入ろうとはしない。


「それは……それは帰れないな。だって、世界っていうか……地球も宇宙ごと、何もないって言うなら――」

「あぁ」


 しないでほしい、そんな神妙な顔での相槌なんて。

 ユーリアもそうだ。今彼女にして欲しいのは、そんな風に手を握ってくれるようなことじゃない。ただ、『冗談が過ぎる』と激昂してくれるだけでいいものを。

 クリスも、知っていることがあるなら正しい事実の方へ訂正してくれたっていいだろうに。


「あぁ、……分かったよ。その、つまり――」


 誰も、話を続けてくれないものだから。 

 仕方なく、自分で口を開けるしかなくて。


「もう、誰も生きてない?」

「そうだな」

「はは……」


 もう、どう反応していいかも分からない。

 ただ、居たたまれなくて。すぐにでもこんな話を切り上げてしまいという思いだけが、脳裏を慌ただしく渦巻いていた。

 徹夜でもしたように、頭も心も疲れ切っていて。

 

「――嘘だろ」

「おっと……」

 

 惰性でする会話のように、とりあえず吐き出してみた否定の言葉。

 すると、それを皮切りに周囲の空間がぼやけだす。ガラス窓に映る景色が曇るように、目玉が濡れて霞むように。


「起きちまうか。まだ三時前だが……刺激の強い話だったな」


 ウィラーの言葉だけが耳に届く。

 何事かと慌てて立ち上がるも、足には思うように力が入らず、怪我人のように受け身も取れず地に倒れてしまう。

 廉太郎が顔を上げると、すでにそこには目にできるものは何もなく、暗闇の空だけが広がっていた。

 それが、本当に死後の世界の光景の如くを想起させてくる。初めて、心の底から言いようのない恐怖感が湧いてくるようだった。

 その最中、必死で見知った姿を見つけようとする廉太郎に、


「そういう反応ができるなら、俺たちは上手くやっていけることだろうよ」


 もはやどういう感情を向けたらいいかもわからない、唯一出会えた同類の声がうるさいほど鮮明に降り注いでいた。





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