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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
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第十六話 少女たちの誤算

 その男を知る者はいなかった。少なくとも、今日の日が昇った時点において、男とこの町との間には、表立った関係性が何もなかった。

 町の住人にとって、顔も名前も、今しがた直に対面して知ったばかりの赤の他人。

 元からの知り合いなどもおらず、男は一人でこのラックブリックへと移住してきた。

 そんな男が町に入ったのは今朝のことで、滞在時間は半日にも満たない。現在の時刻は昼下がり。町に溶け込むには、あまりに時間が足りていない。

 だからこそおかしい。

 奇妙――とは言わないまでも、違和感がある。

 男の言動、たたずまいには通常見られるべきものがない。

 緊張。あるいは、ぎこちなさが。

 勝手の知らない、ただでさえ危うい事情の上に成り立つ特殊な町。そんな町と、男がこれまで属していた外界との間にあるのは断絶だ。その対立構造を思えば、いまだ部外者の枠から抜け出たとはいえない新人が気を緩めるのも、気を許すのも早計で、気が早かろう。同じように、町もまた男に気など許せるわけがない。


 問題はその点、端的に――

 そんな男が、すでにこの町に溶け込んでいて、人と打ち解け、受け入れられているというのだ。


 社交的、楽観的などという言葉で済まされるものではない。それが人の社会から弾かれる所以ゆえんとなった精神異常なのだと説明されようものなら、いっそ納得さえできてしまう。

 男の表情、言動からは何の気後れも感じ取れなかった。今まで属してきた人の社会を追われたという、悲壮感のようなものさえも。

 負の雰囲気は微塵みじんもなく、ただ、ふらりと立ち寄ってきた旅行者のような気楽さがあるだけ。


「あー、……手詰まりだな」


 さして落胆する様子もなく、男は往来おうらいを歩くままに薄ら笑いで一人ごちた。

 白昼堂々、人目もはばからない独り言。

 不審の目で見られてもおかしくない姿ではあったが、新入りに向ける特有の視線と、男のまとう独特の空気がそれを周囲に許容させてしまう。

 男の口調、表情や仕草はどこか芝居がかかっていて、あえて周囲に見せつけているのだという意思さえも隠そうとしていない。

 陶酔か演出。何者かに向けたパフォーマンス。

 背広せびろの内胸に手を差し込むと、男は取り出した一枚の写真をあらためるよう指ではじき、


「いくら聞きまわったって何も分からねぇや……あるかよ、こんな無茶苦茶な引きつぎがよ」


 独断で動き、結果勝手に死んでいった同胞への文句、愚痴、注文。

 男は目的を持ってこの町を訪れてはいたが、最初から乗り気になるような仕事ではなかった。なにせ男がことを把握したのは前任者――メインデルトが死んだ後だ。

 遺すつもりもなかったであろう彼の残した痕跡から、汲み取れた情報は極端に少ない。

 確かなのは一つ。残された写真に映る子供が、彼らの探し集める存在に連なる『何か』であるということだけ。

 メインデルトは血縁者だと確信していた。

 娘、あるいは孫。

 ならば目標は親、祖父母のうちにいる誰か。

 年数で逆算しても、それ以上にまでさかのぼることはありえない。五十年以上前には存在し得ない者たちだ。いずれにせよ、写真の子供の年齢は判断材料にならなかった。

 だがこの子供の両親が共に死んでいることも、男はすでに知っている。十日ほど前に揃って姿を消した家族。公表されていなくとも、住民はみな機関に消されたものだと理解していた。

 メインデルトが確保したのは、その際死んだものとされた一人の子供だったのだ。


「なんでこのガキの親の素性、どっちも誰も知らねぇんだよ」


 彼らの捜索対象であれば、そうそう安く死ぬはずもない。

 そう確信する以上、必然的に写真の子供の親、クラポット夫妻の身元を探ることになる。だが、その夫妻の親元に関する情報を知る者はこの町のどこにもいなかった。

 少なくとも、男が接触した千人弱の内には、だ。


「……帰りてぇな」


 仮に。

 手段を選ばず好きに行動できたなら、男のやる気がそれほどまでがれることはなかったろう。

 正攻法での調査に行き詰まり、どうしたものかと途方にくれている。 

 すると、不意に。


「――いくつか、私の質問に答えてもらうわ」

 

 そんな男の背に、聞き覚えのない声がかけられる。

 振り向く男の背後には、いつしか一人の少女が立っていた。噛みつくような眼で、鋭い視線を向けているユーリアがそこに居た。


「あぁ、キミは……」


 と、じろじろ顔を眺め出す男の不躾ぶしつけさなど意に介することもなく、ユーリアから間髪入れずに問いが男へ向けられる。


「あなた、トリカのことを聞きまわっていたそうじゃない。それは、もう終わったのかしら」


 それは、初めから問いかけにもなっていなかった。口調は詰問のそれであり、ぶつけている態度はそれ以上に険悪なもの。友好的なやり取りなどはなからするつもりもなく、望む答えを引き出すためなら手段をいとわない意思が前面に押し出されている。

 

「おいおい、初対面だろう?」


 男は怯むでもなく、不快に思うでもなくただ笑ってそれを受け流していた。まるで相手にしようともしないその態度に、さらなる苛立ちがユーリアを襲う。

 しかめ面を見せたユーリアへ、男はさらに茶化しを入れ、


「先に挨拶くらいしてくれよ、お嬢ちゃん」

「あら、新顔らしい反応ね」


 体を強張らせたユーリアの片足が、コツコツと靴の音をならしていた。


「この町で私を子供扱いする人はいないのに。……死ぬのが怖いらしいわよ」


 不思議ねと、ユーリアは初めから抜いていたナイフに日を当てる。だが強調するように光らせた刃物を前にしようとも、男は態度を変えなかった。

 「らしいな、殺意がたけぇ」と、軽い調子で受け流してしまう。


「――今の私は平静じゃない。大人しく答えてくれないのなら、あなたに非がなくとも血が流れてしまうかもしれないわ」

  

 焦りが言動をはやし立てていた。

 言葉を吐き出しながら、ユーリアの表情には徐々に押し留めていた悲痛な思いが滲み、浮かび上がりそうになっていく。男から見えない角度で唇を噛み、声が震えそうになるのをとっさに堪え、 


「……あの子がいないのよ、どこにも」

「あぁ?」

「確かにあそこに居たはずなのに、トリカはいなくなっていた……誰に聞いても、何も知らないって――」


 誰に言っているのかさえ自覚できない。そんな混乱の中にユーリアはいる。

 あれだけ大事に思っていた友人を、大事の末に取り戻した直後。だというのに、その後の対応があまりに雑だった。居場所さえも定かではなく、不適切だった。

 そして――遅ればせながらもそれに気づけた矢先、顔を見に立ち寄った本部の客室はもぬけの殻だった。確かにそこに寝かされていた、使用されていたという記録はあったのに、その痕跡も残っておらず、誰も世話を担当していた覚えがないという始末。

 頭がおかしくなりそうだった。

 何者かにいじくられているのではないかと、そう疑わずにはいられないほどに。

 そしてそれ以上に、トリカが今どこにいるのか気が気ではなく、気ばかりがはやってしかたなかった。


「……私はなかば、あなたが隠してしまったのだろうと、そう決めつけてしまっている」

「酷い誤解だ」


 曖昧あいまいな笑みでそらとぼけながらも、男は確かな手ごたえを感じつつあった。

 そのユーリアの口ぶりが与える情報は少なくない。他の住民は、みなトリカがこの町に戻っていることすら知らなかったのだ。誰よりも深く対象の事情に踏み込んでいるという情報を、知らず男へ与えていた。

 そんな重要参考人である少女を前に、男はどう話を切りこんだらいいものかと思案して、


「このガキに会いたいのは俺も同じだってのに」


 からかい半分で、手にした写真を見せびらかしてやる。

 この町で同じことをされた全員がそうであったように、ユーリアは一瞬驚いた顔を見せつつも、すぐに気を取り直して男の顔を見返していた。


「悪いとは思うけれど、信用できない」


 言葉の勢いのままに真っすぐとナイフを突き付けて、ユーリアはまばたき一つせずに男の目を睨み続ける。頭一つ高い男の目線は、いつもの気の合わないどこかの男性と背丈から似ていて凄みやすかった。

 ユーリアからのものでなく、客観的な目で見たとしても、その男には怪しい点しか見当たらない。


「あなたの素性すじょう、目的、あの子との関係をすべて話しなさい。納得できたら手を引いてあげるし、頭もちゃんと下げるつもりよ」

「おっかねぇなぁ。秘密の自由はねぇのかよ」

「あるわけないでしょ」


 一向に相手をする様子のない男に、ユーリアはいよいよ眉をひそめ、無意識にサバイバルナイフを握った片手が力みだしてしまう。


「その人を舐めた態度、気に障るわね。なにぶん新顔なもので、私が何者か分かってないようだけれど――」

「いいや、知ってるぜお嬢さん」

 

 もしやただの小娘だと思われ、脅しになっていないのか。そう危惧し始めたユーリアに対し、男は仰々しい仕草で両手を広げてそう言い放っていた。

 そのまま、いぶかしむ彼女を茶化すような口調で歩幅一つ近づいて、


「写真で見るよりずっと綺麗だ」

「……何で、ですって?」

「あぁ、さっきは幼く見えたがよ、顔立ちが可愛らしいせいかなぁ。よく見りゃそこそこ背も高い」

 

 首を下げ互いの頭の上を手で比べやる男の言動からは、どうにもユーリアのことが正確に伝わっているようには思えなかった。

 その上、彼女には伝わらないことを言い出している。その口から吐かれる言葉など、褒められているのか、けなされているのかさえ微妙に判断を困らせる。

 綺麗なのと可愛らしいのは当然としても、そこから幼さを見出されるのはユーリアにとって腹立たしいことこの上ない。身長に関してもそうだ。ロゼより高い背丈の男から評価されようとも下に見られているようでしゃくでしかない。

 平均は超えている自分の身長に不満こそなかったが、身長なんて高ければ高いほど格好がいいに決まっている。できれば背伸びしたくらいの――ちょうど、廉太郎くらいの背丈までは育ってやりたいのが本心だった。


「……あぁー、分かったよ。謝る」


 黙り込んだユーリアを見て気が変わったのか、あるいは何かを誤解したのか、男は体を引いて気まずそうに頬をかいた。


「女に嫌われる趣味はねぇ」

「……えぇ、私も頭から喧嘩腰だったわ」


 一転して見せられる大人の対応を前に対抗心が刺激され、ユーリアは苦虫を噛みつぶす思いで抜身のナイフを鞘に納めた。


「ウィラー・リーだ」


 そして名乗りと共に差し出された握手を――少しだけ悪いような気がしつつも、極力視界に入らないように無視をする。

 ついで、問いを投げるのを再開し、


「歳は?」

「どう見えるよ」

「移住する羽目はめになった原因――理由と、経緯けいいは?」

「さあねぇ、成り行きだ」

「……どこから来たのよ、出身は?」

「んー、すげぇ遠いところさ」

 

 中断。

 仮に焦っていなかろうとも、素の性格がもっとずっと気長なものであったとしても、これ以上の問答を続ける気にはなれなかっただろう。


「ちょっと、一つくらいまともに――」


 自然と手が再びナイフへ伸びかけたユーリアをよそに、男――ウィラーはあくまで自分の調子を崩すことなく、


「キミには想像もつかないだろうが、本当に遠い……遠いのかどうかも分からねぇような所がな、俺の故郷だったんだ」


 しみじみと呟かれた言葉は、思いのほかウィラーの心情を吐露とろしていた。これまでの飄々《ひょうひょう》とした薄い態度とはうって変わったもの。真に迫る奥底の声。郷愁きょうしゅうの念。

 それを受けて、ユーリアにはどうしても脳裏をよぎってしまうものが一つある。


「……それって」

「別世界」


 核心をついたその答えに、ユーリアの息がわずかに止まる。目を丸くし、思わず足が一歩引いてしまっていた。突然の告白に頭を回すこともできず、心配すべき他の友人の問題との間でどうしたらいいものかと、混乱に襲われていた。

 言葉も出ない。

 何も言えない。


「――おっと」


 そんなユーリアの様子を目にしたウィラーもまた、思いがけない反応だとばかりに目を見開いていた。そのまま、それまでのものとは意味の異なる、強い視線を彼女へ向ける。


「その反応……キミ、元から心当たりがあったろう」

「そ、そうだとしたら……?」


 興味、関心。 

 強い意思がそこにある。おそらく、初めに声をかけたときのユーリアのそれに匹敵するだけのものが。

 その証拠に、間近で対面し続けていたユーリアは、そこで初めてこの男に対する恐怖を覚えていた。

 元より不審者、ことによっては危険人物に違いないと決めつけて臨んだ相手ではあったが、その実態は想定より遥かに得体の知れない相手であったという事実を、ぼんやりとした頭で確信しつつあったのだ。


「すると、俺の方からもキミに聞きたいことがでてくるわけだ。――なぁ、聞きたいことは全部答えてやるからさ、俺の質問にだって付き合ってくれてもいいだろう?」


 その提案を前にして、ユーリアは返事もできずに迷っていた。 

 今すぐ確保しなければならないのはトリカの安全と、その居所に関する情報だ。  

 同時に、ウィラーの口にした『別世界』に関する情報も見過ごすことはできない。ようやく見つけた手がかりを前に、この機を逃してはならないという予感は確かにある。だが、同時に易々《やすやす》と廉太郎のことを教えてはいけないという悪寒も覚えつつあったのだ。


「……えぇ」

「よしっ」


 同時に、ウィラーもまたようやく訪れた好機にその心を躍らせていた。

 なにせ、一切手ごたえのなかった調査である。

 黒髪でやけに細身の少女など、姿も声も見知っていない。



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