第十五話 禁忌、虐待
「そのさ、クリス」
ユーリアを見送り食事を終えたのち、廉太郎はクリスと共に家へと戻っていた。トリカを引き取りに向かった家主の帰りを、そこで待っている。ユーリアがどれくらいで用を済ませてくるのかも分からず、あのまま店内で待ちつづけている気にもなれなかったからだ。混んでこそなかったが、手持ちぶさたで居座るのも迷惑なようで、気が引けてしまった。
他人の家をずいぶんと勝手知った風に扱っているが、もはやそんなことでどうこう思われることもないだろう。それだけの気を許してくれていると、そう思えるだけの信用が十二分にある。
「なんですか?」
そんなユーリアとは対極に、そっ気のない返事が廉太郎の真下のあたりから視線もよこさず投げられてしまう。
一階の居間、ソファに横になったクリスは仰向けになったまま本を開き、寝そべる顔をその背表紙で隠している。あせたソフトカバーは無遠慮に折り曲げられていて、それ以上に姿勢がだらしない。
なにせ先に腰かけていたはずの廉太郎の膝に、勝手に足を乗っけるかたちで寛いでいるのだ。じゃまで仕方ない。
だが、どけようとするとなぜか抵抗されてしまい、されるがまま立ち上がることもできずにいた。
「どっか行きたいんだけど」
「えぇー」退屈そうに本のページをめくり進め「待ってましょうよ、ユーリアさんが帰ってくるの」
「いや――」
そういう訳にはいかないと、そう気をはやらせることもできない。
元の世界に帰る手段を探す、とは言ったものの――そのために何をすべきなのか、できることが果たしてあるのかそれらが、何も明確にできていないのだから。
今後の見通しは、まるで立っていない。
少しくらい悠長に休んでいたとしても、何も変わらないほどに。
とはいえ、廉太郎の気持ちの上では話が別だ。午前中のような息抜きは別としても、何かをしていなければ。行動に移して、前に進んでいるという実感を常に得ていないようでは、心の不安に押しつぶされてしまう。
「……戻ってこないな、ユーリア」
「ですね」
静かな部屋に、またページのめくれる音が響く。その音のペースは先ほどからずっと一定で、読書というにはどこか機械的でさえあった。妙に思い、クリスの目を気にして見ていても、少しも動いている気配がない。眺めているだけ、目を置いているだけ。
ページが白紙でも変わらないような、何がしたいのかも聞きにくい行為。
どこで見つけてきたのか。向けられた表紙から窺えるタイトルも、およそ子どもが興味を持つようなものではなかった。
どうにも、本を読んでいるという格好だけが欲しいように思えてならない。暇を潰すだけなら、いつものように頭の裏で映画の記録でも眺めていればいいのだから。
「ちょっと、様子でも見てこようか」
「行ってどうするんですか。何にごたついてるにしても、邪魔になるだけですよ」
「……確かに」
クリスの言うことはもっともで、特におかしい点は感じられない。ただ、わざとらしいほど感じ取れてしまう意思が一つある。
どうにも、外に出かけたくないらしい。
「お前、体調でも悪い?」
「別に」
「じゃあ機嫌が悪かったり?」
「いやぁ……」
まともに答えられている気はしなかった。
それならそれで構わなかった。答えたくないことを無理に聞き出すつもりもなく、気乗りしない相手を無理強いしてまでさせたいことは何もない。
やるべきことも、やらなければならないことも、やはり何もないのだから。
だが、
「なら、そうだな……ちょっと俺は、一人で――」
「だめです」
散歩でも――と腰を浮かせかけた廉太郎に抗議すべく、クリスは身をよじらせてきた。当然抵抗にもならないささやかな力ではあるが、こちらの外出さえ制止しようとしてくる理由が分からず、
「え、なんで?」
従いつつ、興味を惹かれて問いただす。
一人が嫌で構ってほしい、などと言い出す柄でもあるまい。離れることで起こる問題はなにもない。クリスとの間に繋がる魔力に関してもそうだ。今では、この町中程度であればいくら行動を別にしても不都合は起きないことになっている。
「なんでって、それはですね――」
クリスは本をたたみ、ちらりとその顔を覗かせる。かと思えば、再度ページを開いてしまう。
「ちょっと、説明ができな……面倒で――」話をそこで中断し、不自然に間をおいたのちに「……あれです」
「なんだよあれって」
「そういう日なんですよ」
「――えっ? あ、……そう」
曖昧な発言ながら一瞬で当たりがつけられてしまう。まさかと、考えもしなかった答えを前に、軽く頭を殴られたほどの衝撃を受けていた。無縁でいた世界の話に急に直面し、ただ動揺した声を漏らすことしかできていない。
しかし一瞬の間がおかれると「ばっ……違いますよ」と、クリスは逆に察したように丸くした目を返してくる。
「っていうか、くるわけないでしょ。私に」
妙な言い方だと思った。
単に年齢的に、発達的にそれが済んでいないにしては。
よせばいいのに、廉太郎の口はその問題を掘り下げようとしつつあった。好奇心とするには下世話がすぎる。むしろ、起こした事故の直後でありながらも、ブレーキを踏めずにいるような心理状態に近かった。
「こないって、その――」
「我々、人形に生殖機能なんてありませんよ。当然でしょうが」
そんなふうに軽々しく言ってほしい事実ではなかった。それを言わせてしまったことに息苦しさを覚え、軽率に深入りしてしまったことを後悔した。
「……なんで、それが当然って話に?」
「気持ち悪いからですよ」
そう、またしても何てことのないように話されてしまう。
クリスの顔は笑っていたし、それは普段冗談を言うときのそれと変わらないものでさえあった。
「何が?」
「禁忌的でしょ。人形は生き物じゃないってのに、その腹の中で生き物が作れてしまうようでは」
この世界では――
「……あぁ」
人は、人工的な命を創造していないことになっている。
だから人形は人でもなく、生き物ですらない。そう定義されている。
とはいえ、廉太郎が元居た世界の価値観に当てはめてしまえば、そんな理屈は通らない。クローン技術に、錬金術さながらの胎外培養――人工生命体以外の何ものでもないのは明らかだ。
それを否定するものだから、ここの技術者はそこに遺伝子操作まで加えるのだ。そうして、生殖機能は排除される。
『構造が、人と同一であるだけ』の道具から、間違っても生命なんて産まれてしまうことのないように。
「禁忌か」
クリスがそう口にしたように、きっとこの世の技術者にもそういう倫理的なためらいが少なからずあったのだろう。自然に反する生命の創造行為だ。大多数が眉をひそめる問題であることは分かり切っている。
だから、そういう処置が必要になったのだ。
あくまで、人に限りなく近いものを再現しただけ。構造が肉と血であるだけで、機械人形と変わらない。自然に逆らうかたちで、生命を造り上げたりはしていない――と、そう思いたいための処置。
だとすれば、本来の人形に自我の意識が存在しないという点に関しても、嫌な想像がついてしまう。しかも、きっとそれは思い過ごしですらないのだ。精巧な人の複製体から人間性を否定してしまうための、最も有効な処置となるのだから。
「……」
「なんです?」
「えっ、いや……」
――そっか、こいつ……子ども作れないのか。
別に、それだけで他人を不幸だなんて言うつもりはない。それなくしては人の幸せは得られないだとか、人生において最上の価値をもつできごとだとか――言葉の上では素敵だけれど、他人に押し付けてしまうにはあまりに一面的なものの見方でもある。
困難であったり、望まなかったり――あるいは理由などなくとも、人にはそれを選択する自由がある。多数側からの圧力は少なくないだろうけれど、何より本人が幸せに生きるための人生なのだから。
だが、それは本人の選択によるものでなければならないはずだ。先天的にその選択肢がないとなると、話はまったく変わってきて――。
否。
たとえ先天的にそれが叶わない条件の下で産まれたのだとしても、それだけで幸だの不幸だのと断じられる筋合いにはない。生まれついての、本人にとっては自然なかたちなのだから。
あれだけの特別性を持ったユーリアの傍にずっと居たものだから、それがよく分かる。
だが人形の――クリスの場合は、やはり話は違うだろう。
他人の意思が関わっている。不都合だからと、そういうかたちに歪められている。本人の選択の余地も、自然なままのかたちも、鼻からまとめて奪われている。
禁忌を語るのであれば、それこそが一番恐ろしい。
親が腹の子に、手も足も耳も目もない方がより良い存在だと、勝手に信じて加工を施してしまうようなもの。
「――ちょ……今の流れで、なんでお腹なでてくるんですか。……意味深で怖いんですけど」
知りたくもない事実を前に、胸に湧いた感情は哀れみでもない。ただ、やるせなさに似た憤りだった。親に虐待を受けていたと、昔話みたいな顔で聞かされているような気分だった。
「聞いてます? その行動、マッドサイエンティストのそれですよ」
「ん……」
クリスの苦情に何かを返せるほどの意図は何もなかった。釘をさされ、あやうく変な誤解を与えかけたことに気づく。
足元にすりよる子犬か何かにそうするように、自然と腕が動いていた。
「……先に足どけてくれよ。やめるから」
「ぐぅ……」
「って、なにに固執してるんだか」
意地でも姿勢を変えようとしないクリスはやはりおかしい。
しかし、もう今さら理由を問いただそうとする気にもなれなかった。持て余した暇のついでとばかりに、腹よりはましかなとクリスの頭の方へと腕を伸ばしてやる。
が、「え、それは普通にイヤ――」と真顔で拒絶され、普通にへこまされてしまった。
――――
同時刻。
図書館の地下に埋まる住居の静かな食卓に、いつもと変わらないはずの時計の針が嫌にくっきりと響いていた。それが耳鳴りのようで、帰宅を果たしたばかりのラヴィの気がつい立ってしまいそうになる。
「憂鬱。ほんとに」
それを体現するような表情で、ラヴィは遅めになってしまった昼食に一人ありついていた。大変な目に合わされたばかりであまりに余裕を失い、やる気にもなれず、適当に用意した昼食は買い置きのものをそのまま運んできただけだ。温めてもいないパンはただ固いだけで、ただでさえ貧弱な顎を疲れさせてくる。
そのうち、いっそ咀嚼すら億劫になって、色々諦めた気分で頬を詰まらせるままに任せていた。
ふてくされた態度を続けるそんなラヴィに対し、食事をとるでもなくただ同席していたアニムスは一言、
「いつまでむくれているつもりだ」
と、いまいち親としての愛を感じられない言葉をかけてくるだけ。
いいように使われた上、まさしく危険な目に会いかけたラヴィとしては声を大に文句の一つや二つを吹っかけてやりたい。そんな心情ではあるのだが、
「……」
監視対象に見つかってしまうどころか、うっかり余計な情報を与えてしまったという落ち度があるせいで、何も言えない。睨むこともできず、中途半端な視線を送るささやかな抗議で親をなじる。
少し冷たくはないかと。ついこの間まで争いごととは無縁でいたか弱い娘としては、父親に訴えたいことが山ほどあるのだ。
なのに。
「そう気にするなよ。お前の存在を隠しきれなかったのは俺にとっても想定外だ」
「あぁ、そうですか……」
嫌味も不満も、何一つ通じそうになく、ラヴィは乾いた笑みと共にどうにかこうにか口の中を空にすることに成功する。手に取ったカップには欲しい量の半分くらいしか水が入ってなくて、それでどっと疲れが襲ってきた。
何事もなく帰ってこれたという、安堵感と共に。
――あの男。
命からがら、と言えるほど深刻な状況にはならなかったものの、気持ちの上ではほとんどそれを覚悟させられてうた。接触を許し、こちらの素性にも当たりをつけられてからはろくに頭も働かず、そのまま背をむけて一目散に跳んで帰ってきたのが現状だ。
失態。
監視に気づかれ、それをごまかすこともできなかった。それは直接、ここに隠れるアニムスとトリカを危険に晒してしまったということ。
その事実は動かないもので、一応は謝っておくべきかと殊勝にもラヴィの頭は下がってしまう。
「……ごめんなさい」
「気にするな、お前は上手くやった方だ」
言葉だけはやや優しく、アニムスは考え込むように組んだ両手で口元を覆い、
「与えた情報は、存在し得ない外来技術の知識だけ……どうとでもなる」
「えぇ……」
絶対にならない。
見せびらかされたのは色付きの写真だった。それをどうにかごまかしてしまえる手段など、ラヴィにはちょっと思いつけない。とんでもない大事になるが、数日のうちに、世界を揺るがすほどの大発明をこの町で誕生させてしまう――なんていう手段くらいしか。
あまりにも滅茶苦茶で、逆に気乗りはするけれど。
「奴がここまで追ってくることはない。それだけ分かれば充分だ」
「一応、転移して逃げるところは見せなかったよ?」
もう言い逃れられない――そう悟った瞬間、ラヴィはすぐさま屋根から飛び降りていた。
男の視界から消えた直後に跳んで見せたものだから、上手くいけば真下の窓から塔の中へと逃れられた、とでもこちらの身体能力を買いかぶってもられる――かもしれない。
恐ろしく薄い望みではあるが、それならまだぎりぎり、言動と挙動が不審だっただけの女の子ということで飲み込んでもらえないとも限らない。
「そうか、よくやったな」
「へへ……」
萎えかけた食欲が嘘のように戻り、手ごろな果物を求めてラヴィの腕が籠に伸びた。片手で雑に皮を剥きながら、その実まったく空腹が満たされていないままだったということを思い出す。
しばし無言で手を進めたのち、
「で、これからは?」と、黙ったままでいる父に今後の方針をたずね「こうして、ずっと引きこもるしかない?」
「あぁ」
「……でも、もう諦めてくれないと思う」
あそこまで確信を持たれたとあっては。
トリカがこの町に居た以上、その血縁者が同じく居ると考えるのは必然。あの子の両親ともども死んでいる事実はすでに知られているだろうから、次に探られるのはその両親を産んだ祖父母になる。
諜報員でもあったトリカの父は単独での移住者であるため、親族は初めからおらず除外される。
トリカの母親――ラヴィの母親でもあり、そしてアニムスの娘でもあるマリナ。彼女の親族に関する素性もまた、決して明るみになることはない。こうして図書館が世界からその存在を隠匿する前から、元より極秘の関係だったのだから。
普通であれば、早々に打ち止めてくれるはずの調査。
だがあの男を含めた例の連中が、『普通』などという常識の範囲に収まってくれるはずがない。決めつけが先行するだろうし、なによりラヴィの方からその口実になるような違和感を与えてしまっている。
「そんなことは元から期待もしていない。時間さえ稼げればそれでいい」
「そっか」
眠りから覚めないトリカが、起きて落ち着いてくれるまでの時間。
トリカという弱みがあるからこそ、アニムスは何もしたがらず、うっとおしい干渉者との接触を嫌うのだ。
もっとも、寝ている子供を一人くらい抱えていたとして、それが何らかの不都合を生んでしまうとはとてもラヴィには思えない。これから先、たとえ物騒な展開になるようなことがあろうとも、外にうろつく外敵の一人や二人、この父親が手を煩わせることだってありはしまい。
それでも、アニムスは慎重を期している。
過保護になっていると、そう言い換えてもいい。
「あと、どのくらいで起きてくれるかな」
「今この瞬間に戸を叩かれてもいいはずだ。数日の内に、嫌でも体が動きだすだろう」
「数日、か……」
人知れず、ラヴィの顔が重く曇った。
それだけの時間が経ってしまえば、あの男はこの町のすべての住民との接触を済ませてしまう。その調査で、ラヴィたち図書館に纏わる情報が暴かれることはない。この図書館に関するトリカを除いたあらゆる事実は、今は完全に世界から消えて認識されることもない。
その例に漏れないはずのラヴィが、男に接触を許してしまったという謎は不安材料として残るが、少なくともこの空間へまで手を伸ばされることはない。
だから、自分たちに関することでラヴィが気を揉むことは何もない。
ただ、問題は――
「おい」
ふいに考え事から引き戻され、渋い顔でこちらを見てくる父親の顔が目に留まった。
「……なぁに」
「食い過ぎだ」
「は――?」
一瞬、言われていることが理解できず、次第に手元へと視線を落とした。どう見ても適量にしか思えない光景を前に、何を誤解されているのだろうかと首を捻る。
続いて告げられた真意に、今度は耳を疑ってしまった。
「食料の備蓄をしていない」
「え、無計画過ぎない?」
呆れて口も開いてしまう。
自ら籠城のごとく引きこもっておいて、鼻からそれを成立させようとする気がないのか。そんなプランに家族を、娘と孫を巻きまないでもらいたい。
ひょっとしてこの父親、精神性が理解の届かない段階に飛んでいったわけですらなく、単に頭が足りてないだけではないのか――と、父子にしても失礼な想像が頭をよぎるのも仕方ないというものだ。
「節制すれば数日は持つ。……だいたい、お前の体に量はいるまい」
物を言いたげな娘の視線が気に障ったのか、アニムスも言い返すように視線を落とし、発言をなぞるように口を開き、
「どれだけその腹に入れようと、栄養にも肉にもならないのだからな」
「おい」
「まったく色気のない。……ふとした拍子に、性別まで忘れそうになる」
「……」
これでも、悪意まではないらしい。そう誰かに言ってみたところで、いったいどれだけの相手に信じてもらえることだろう。
怒る気すらもとうの昔に諦めのそれに変えられていて、ただやつれた口元でようやくの言葉を絞り出す。
「……それ、外来思想だから」
肉付きの良さがステータス、なんてのは。
なのに、ラヴィ自身が親の影響で中途半端にそれに染まっている。そのせいで、背負わなくていい余計な劣等感に苛まれる羽目になっているのだ。
ただでさえ、このあたりの文化圏では女性の美的自己肯定感が普遍的にとても高い気風。
この町において、自分の容姿を誇れずにいるような者はそういないだろうに。
はぁ――と、枯れたような溜息がこぼれ、
「ぜーんぶお父さんのせいだからね」
あらゆる含みをその一言に込め、ラヴィは脱力するままに膝を抱えて顔を伏す。
アニムスが実の娘との間に子をもうけ、そこから生まれてきたのがラヴィである。
近親交配、おかげで先天的にあちこちがおかしい。痩せ細るばかりで肉がつかない。どころか、そもそも骨格自体が他人と違ってとても薄い。
見ようによっては繊細で、なんとか素敵だと思えないこともないけれど。――やはり、そう思い続けるのにも限界があるのだ。毎日目にする自分の体とあっては、どうしても思う所がみつかってしまう。
父に似て引きこもりがちな性質だが、そうなった原因は間違いなく他人にない色んな劣等感が尾を引いているせいだと、最近ラヴィは思うようになった。
「……私のコンプレックスだけで、ちょっとした小説がかけるレベル」
「ほう、お前の処女作か」
――乗ってきやがった。
まさかそこに、臆面もなく。
「ははは……」笑えないのに笑うしかなくて「そっちの才能のなさ、遺伝してたら笑えるね」
「俺には文才がある」
「でも、話を纏める才能はゼロ」
というか、鼻から纏める気があるのかさえも怪しい。
「だって、お父さんの連載小説、もうまともに読んでくれてるのユーリアだけじゃん」
「……読んでいないのか、お前も」
「当たり前」
小説と呼ぶのもためらわれる。
五十年以上もの間書き続けられた、ほとんど日記に近いような何か。それを区切ることなく書いているものだから、もう物語という体なんてなされていない。
好き好んで手を出す者はまずいない。それどころか、そもそも一から読破できる分量をとうに超えている。
もの好きを超えた酔狂さ、あるいは義理。それと、常人にない速読処理能力。
それらを兼ね備えた者でもない限り、あんな駄文を端から追っていくことなんてできはしないだろう。
「――えっ……あの子がお気に入りな理由って、まさかそれ?」
「あぁ」
「どうりで」
複雑な気持ちで父を見やる。
思えばユーリアだって細いのに、年甲斐も臆面もなく彼女に異性として目をつけているこの父親がその点に苦言を呈しているのを見たことがない。
なぜだ。
まさかとは思うが、特別扱いしているのか。
実の娘相手にはこんなにも不躾であるにも関わらずに。
「――いやいや……あの子、細いのに不健康な感じしないからな……ずるい」
一人頭を抱えぼやくラヴィの気持ちなど知らず、何を言い出すんだとばかりの視線が送られてくる。父親とは血が繋がり言葉だって交わせるのに、精神性が少しも噛み合う気配がない。
「ねぇ、そういう……あの子に配れる気があるならさ――」
だが、どういうかたちであれ、同じ相手を特別に思っていることだけは事実である。
「ちょっと、術解いてよ。私だけでいいから」
「……なぜそうなる」
「分かってるくせに、薄情者」
言葉とは裏腹に、懇願する思いでラヴィは再度頼みこむ。
今現在、図書館とアニムス、それに付随するラヴィに施されている認識の壁。世界と隔絶し守られている自分の状態を、一時的に解除してくれるように。
「ユーリアの友達の、あの男の子。一言くらい、忠告してあげたっていいでしょ?」
おそらく、もうすぐそれも間に合わなくなる。
特別仲がいいわけでもない。話した回数もあまり多くない。そんな他人に等しい相手ではあるが、友人であるユーリアの――良い感じの友人ともなればだいぶ気もかけてやりたくなる。
廉太郎が苦しむことになれば、間違いなく彼女も心を痛めてしまうだろうから。
「駄目だ」
「いいじゃん、何がだめなの?」
自分はすでに顔を見られてしまっている。この空間から一歩でも外に出れば、あの男への迷彩効果は消滅するというが証明されてしまっている。
ならば、もう一時的とも言わずに、ラヴィに関する認知行為の妨害は解除してしまって問題ないはず。
そうしなければ、廉太郎と話すことも、意思を伝えることも何もできない。
もっとも危機を伝えるといったって、『今日は良くない日だから家に居ろ』くらい遠回しなことしか言ってあげられないのだが。
「一度無傷で帰ってこれたとはいえ、次もそうなる保証はない」
「外にも出るなって? けち」
人形の少女とも、この件で父を説得すると約束してしまった事実がある。諦めるわけにはいかず、ラヴィはまけじと食い下がり、
「少しは人の気を知ってよ」
「なら、お前も俺を思いやれ」
「……え?」
「放任主義が災いして娘を死なせ、孫を失いかけたばかりだぞ。反動で、過保護になるのが自然だろう」
マリナ、トリカ。
そのカードを切られてしまっては何も言い返せそうにない。家族を愛する姿勢を急に示されて、いったいどんな顔をするのが正解なのかも自信がなくなる。
「――た、助けてユーリア」
監禁されてて助けにいけない。
それも父親に。笑えない話だった。