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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
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第十四話 単純な話

「はぁ? なんでよ」 


 思わず耳を疑った。

 母親の口から告げられた思いもよらない情報を前に、ユーリアの表情は一気に不審な色に染まっていく。

 トリカに関する情報を集めているという、よそ者。

 この町に来て間もない、言わば得たいの知れないような存在。

 この町に初めて顔を出し、皆が知らない顔だと言うのなら、それはこの町の周囲に点々とする集落的に暮らす人間ですらない。外の世界から、人間の社会から抜け出て来た人間に他ならない。

 そんな男が、ユーリアの大事な幼い友人について知りたがっている。――などと、彼女の立場からはとても看過かんかできるものではなかった。

 ただでさえ、今はあの子にとって色んなことが起きすぎていて、これ以上ないほどの大変な時期を過ごしている。

 トリカは、未だ目を覚ましてくれていない。


「……きな臭いわ、その男。だって意味が分からないもの」


 話に聞く限り、二十代そこそこの人間の男だ。トリカとは当然、縁もゆかりも何もない。そうでなくてはならない。

 それでも、仮に何かがあるのなら。 


 それは一体何で、興味を向ける理由は何なのだ。

 どこで存在を、あるいは名前を知られたのだ。


「そうなのよねぇ」


 押し寄せる疑念と不審に眉を寄せるユーリアに、言い出したアイヴィも少し考え込む素振りを見せて、


「トリカちゃんはこの町で生まれて育った子よ。外との繋がりなんて絶対ないし、知り合いっていうのはおかしいわ」

「えぇ……つい、この間まではね」


 諜報員たる父親と共に町を追われ、ユーリアの過失によって負傷し、ベリルに連れられ――ここを去るまでは。

 ここより西方の、人間の社会との境界線。その向こう側にほど近い町、オーテロマ。

 ここを出てからのトリカの詳しい足取りはまだ本人から聞けていないが、少なくとも数日間はあの町で滞在していたことだろう。

 もし本当にその男が知り合いであるのなら、その間にそうなったとしか考えられない。

 だが、そうなれば新たな疑問が自然と生じることになり――


「妙な話ですね」


 横から口を挟むクリスを、意外な思いで軽く見つめた。

 きっと、同じような考えに頭が動いているのだろう。クリスは渋い顔で視線をこちらに返し、不安が共感できているかのような手つきで手元のカップに手を伸ばしている。


「まるで、追っかけてきたみたいじゃないですか。タイミング的に」 

「……そうよね、やっぱり」


 そんな、不穏な考えがどうしても拭えない。

 外から人間が越してくること自体は、何ら悪い事でもない。同じ立場の人間は大勢いるし、元はユーリアもその一人だ。共に人間の社会で生きられない者同士、共生することがここの理念。

 向こう側、欠落のない人間だけが許される社会。異形化による心身の歪みや他の理由で、例え人間であっても他種族と同様に排除されてしまう。

 トリカがそういう対象の人間と偶然出会っていて、この町の存在を伝え、移住を勧めていたのだとすれば、辻褄はあう。


 だから薄気味悪いのだ。

 妙にでき過ぎている。


 当時のトリカに、そこまで利他的な行動がとれるだけの理性があったとは思えない。何より、両親を奪ったこの町には深い憎悪を向けていたのだ。特攻じみた襲撃まで考えていた町へ、わざわざ人を行かせるような無意味で悪趣味な真似はしまい。

 そこにはメインデルトとかいう謎の男の影響があったとはいえ、あまりに一貫性に欠けた想像だ。違和感しかない。


「何か、あるのかしら。悪意とか――」

「あるいは目的、が……です」


 それこそ、メインデルトと同じように。

 トリカは何かを求められていた。期待されて、関わられたのだ。そんな何かの強い意志が、続いているように思えて仕方なかった。

 それが何なのかは分からない。

 あの子は、()()()()()()()()()()()()()()()()なのだから。

 そんな幼い子供によってたかるなどと――最悪、その二人が仲間だという線さえもが浮かんでくるようで。


「うーん、考えすぎじゃない? 二人とも」


 深刻そうな顔で唸りはじめてしまった二人に、アイヴィは心配性だとばかりに呆れ顔を送ってくる。

 それに少しむっとなって、ユーリアは同意を求めるような目を廉太郎れんたろうに送る。


「えっと、どうだろう……俺はその子とも面識ないし、うかつなことは言えないかな」

「そう……」


 そんな反応に、勇みそうになった気持ちが少しだけ萎えるように収まっていった。

 飲みかけのグラスを強く傾け、唇を少し水で濡らす。透明な空洞に視界を埋め、一人自分を少しだけ省みる。神経質になり過ぎているのだろうか、と。

 だが、それも無理からぬこと。

 今のトリカに関わろうとされるだけで、単純に不快に思うのだから。できることなら、そっとしておいてほしい。


「……まずい、かもしれませんね」


 ぽつりと、消え入りそうに呟く声が耳に届く。それにユーリアは苦笑して、席を挟んでさえいなければ頭を撫でまわしてやりたいような衝動に駆られてしまう。

 トリカと面識がないのは、廉太郎だけでなくクリスだって同じなのに。人がいいのか心配性なのか、あの子の事情に深く関わっている自分となぜか不安の一部を共有してくれているようだった。

 それが、わけもなく嬉しかった。


「さてと。なんにせよ……とにかく一度、本人と話してくるわ」


 それでも即座に動きたい気持ちは止められず、ユーリアは静かに席を立つ。食事は半分以上終わっていたので、残しても怒られないだけの基準はクリアしているはずである。多くよそる方が悪いのだ――とまではさすがに言えないが、自分の中の優先順位に嘘はつけない。

 あの子に関して、少しの妥協もしたくはない。


「もし、ただ普通にあの子の知り合いで、気にかけていて、『本当に移住してきただけ』なのだとしたら――」


 あの子は異形化の症状も脱して、無事でいると――それを教えてやらねばならない。

 今は混乱を避けるため、寝込んでいるトリカの帰還は伏せている。両親と共に十日前に姿を消した、死んだものだと町の住民には思われているからだ。

 それでは噂の男も話が噛み合わず、気を揉ませてしまっているだろう。

 と、

 

 ――あれ?

 

 そこまで考えて。

 記憶を確かめるように、最後に目にしたトリカの様子を思い浮かべる。寝込んでいて、それでいて安らかな寝顔を浮かべていた、大事な友人の顔を。

 そして、

 

「……う、嘘」


 徐々に、血の気が引いていった。


「ど、どうしたの?」

「ユーリア?」


 突然動揺を見せたユーリアに、廉太郎もアイヴィも心配そうに覗き込んでいた。腰を上げそうになった二人を手で制止し、ユーリアはなんとか口をこじ開けると、


「そ、その……。あの子、今どこに居るのかしら」


 そう、あり得ないはずの問いを吐いていた。

 声が震えるのも抑えられない。他にどんなことを言おうとも、それだけは口にするはずのない言葉。

 ――だって、知らないなんてことはあり得ないのだから。

 そんな無責任なことをするはずがない。あの子を抱えて連れてきたのは他でもない自分で、誰よりも大事に思っているのがこの自分であるはずなのに。

 

「えっ……えぇ?」


 怪訝けげんに声を曇らせるアイヴィの顔が、とてもではなく直視できない。今の自分の顔ですら、誰にも見せられたものではないだろう。

「ユーリア?」と同じような視線が二つ増え、いよいよ顔を背けることも難しくなる。

 ところが、アイヴィはなんて事のない声色で言葉を紡いできて、


「あなた、自分で機関だって言ってたじゃない」

「――あっ、そうだったわ!」


 それで、一気に記憶も蘇る。

 当時か、あるいは先ほど――疲れていたのか寝ぼけていたのか、どうにも頭がぼやけてしまっていたらしい。

 危うく自分を嫌いになりかけていたところを、及第点で何とか持ち直すことができた。心の底からそれに安堵する。

 しかし、


「なんだぁ、それなら安心ね……って、そんなわけないでしょ!!」

「え、えぇ……ユーリア。あなた、さっきから情緒がおかしいわよ?」


 無視した。

 先ほどから、この頭と心に一番振り回されているのは他の誰でもなく自分なのだ。


「機関のなによ、どこ系? 特院、病棟――」

「ふつーに本部塔じゃないの? 症状は治まってるんだから」

 

 投げやりなのか八つ当たりなのか、誰ともなしに投げつけた問いに、またしてもなんてこともなく答えられてしまう。

 再度うんざりした心持ちで、ユーリアは視線を強く細めた。


「……最悪、それ」


 さすがに客室くらいあてがっているだろうが、それでも気が休まりそうにない。眠り続けているとはいえ、慌ただしく人が上や下の階で動き続けているような場所だ。

 誰がわざわざそんな場所に――などと問えば、それも自分以外にないのだが。

 本当に馬鹿なことをした。

 どうやら、自分を嫌いになることは避けられない宿命であるらしい。

 言い訳がましいことに、記憶が酷く曖昧になっている。確かに安全な場所に運んで、心から安心したことだけは覚えているのだが――。

 そんな場所が他にあるとも思えない。

 一仕事終えて、気でも抜けていたのだろう。過去の馬鹿な自分は。


「大丈夫よ。住民管理のチームは面倒見もいいし」

「だめだめ、信用できない――なんて、もう無暗に言うつもりもないけれど、でも……」

 

 なにせ、事情が事情である。 

 異形化した上、町に敵意まで見せている。終了処置が取られる基準は余裕で超えてしまっている。それに、機関の代表たるルートヴィヒからはあの子の死体処理などという命令までも下されている。

 今となってはいずれも解決したはずの問題ではあるが、何がどう転んで間違いに発展しないとも限らない。責任なんて持てないのだ。

 ユーリアの目の届く範囲で常に管理していないことには、とても気なんて休まらない。

 本当に、そのはずなのに――。

 誰かが頭の中でもいじくりまわしてしまったのではないかと、そんな荒唐無稽な逃げ道にすがってしまいそうになる。


「ほら、あそこローガンくんもいるじゃない」

「だめよ。あいつ、今ロゼの看病で仕事なんか休んでるもの」


 仕事に関してだけは信頼がおける相手だが、そもそも彼が居た所で結論は変わらなかった。

 それでも、頼りたいときだけ見計らったように当てにならないとあっては、もはや運命からして相性が悪いとしか思えない。

 ため息一つ、これ見よがしなのは自分宛にだった。


「こうしてはいられないわ、今すぐ引き取りに行ってくる。……そうよ、どう考えても面倒見るのは私じゃない――ったく」


 予定変更。

 謎の男とやらも気になるが、とにかく今はトリカの顔が見たくて他に何もできそうにない。

 

「いってらっしゃい」

「ごめんなさいね、廉太郎。すぐ戻るわ」


 早く帰る手段を探して周りたい廉太郎は、おそらく自分以上に居ても立っても居られない心境だろうに、それでも文句ひとつ言わずに見送ろうとしてくれている。申し訳ない気持ちで小さく笑みを返しておいた。

 午前中も無理に付き合わせたのだし、早いところ用事をこなしてしまわなければならない。

 

 ――まったく、本当に忙しいわ。


 同時に、それが嬉しかった。

 何かをしてあげたい相手に何かができるということが、これ以上ないほどに幸せだということを知っているから。

 ユーリアは出口に向かい、戸を開けかけて、それから一度振り返った。


「今日一人、家族が増えるわよ。アイヴィ」


 そう宣言して、意見は許さないとばかりに反応も見ずに戸を閉める。それから、ほとんど小走りみたいな足取りで本部棟への道を歩き出していった。

 勢いあまって口をついた言葉だったが、それはあまりにもしっくりとくる。

 家族を失ったあの子は、今は一人で孤独の身。そんなトリカの気持ちが誰よりも――と言えるほど幸せな町ではないけれど――分かるものの一人として、とにかく傍にいてあげたい。

 だから、一緒になることは議論の余地なく決定事項。  

 それは考えるまでもないことであって、今浮かんだだけの思いつきなどでは決してない。

 どういうわけか、この町に戻って二日ばかりあの子の処遇に疑問を抱けなかった自分だけど、せめてそれだけは信じたかった。




 


――――――――






「――あれ?」


 ユーリアが一人店を出たのと間を置かず、ふとした疑問が廉太郎の脳裏をかすめていった。


「その子、確か図書館で休んでるんじゃなかったっけ?」

「くどいですね。ここにそんな施設はないんですってば」


 クリスに断言されて初めて、先ほどから似たような質問を繰り返していたということに気づく。それを不思議に思いつつ、あったら自分自身も助かっただろうにな――と、情報収集における不便をなげかずにはいられなかった。


「家族かぁ……」 


 言い残されていった娘の言葉を感慨深そうに咀嚼して、アイヴィはまんざらでもなさそうに頬に片手を添えていた。


「いいわね、あっという間に三人も増えちゃった」

「……あの」


 深く考えたくもない発言に、思わず廉太郎の表情は困惑に歪んでしまっていた。ふと横を見ればクリスも似たような顔を作っており、見合わせるようなかたちになってしまう。

 気が早いどころか、アイヴィの願望は期待になって、もはや妄想にまで片足をつっこんでいる。一人で勝手に平行世界を生きているのではないかと疑いたくなるほど、彼女の娘と廉太郎を見る目は依然として暴走傾向にあるようだった。


「……というか、私までカウントされるんですね」


 クリスの苦笑いも煮え切らない。

 確かにその場合、どういう立ち位置で迎えられてしまうのか、強い疑問として残りそうなものだ。


「それにしても、勢いよくとんでいったな」


 居なくなった背中をそこに見るようにドアを眺め、廉太郎は誰ともなしにそう呟く。 


「さっきまで、気だるそうだったのに」

「ホントよねぇ」


 アイヴィの口からすうっと、気持ちの換気でもするように息が吐かれた。彼女は体を前に倒し、机に寝かせた両腕に顔を乗せたかと思えば、上目遣いで対面に座る二人へ上目使いで口を開き語りかける。


「今のあの子、ここ数年で一番明るい気がするもの」

「そう、ですか――」


 その意図するもの、この親子の抱える事情をこっそり知ってしまっている廉太郎としては、果たしてどこまで理解を示したらいいものかと困るしかなく、


「なによりですね」


 と。

 無難で、かつ心からの答え。

 ここ数年。つまり、ユーリアがこの町で得た家族の大半を奪われる目に合ってから今日までの間のこと。

 その中でも、特にこの数日の間は重ねて精神的に参っていただろう。トリカへ与えた過失による自責、本人はそれを悟られぬよう気丈に振る舞い顔に出さぬよう努めていたらしいが、要所要所でぼろが出ていたくらいである。

 それも解決した今と比べては、だいぶ違って見える。

 憑き物がおちたようにすっきりとした様子を見るに、本人が言うよりもずっと過去との折り合いは上手くつけられているのかもしれない。


「あなたのおかげよ」

「いやいや……さっきも言いましたけど、俺はただ間の悪い時期にのこのこつけこんでしまっただけですよ」


 別の世界から来た人間が、そこに帰るに帰れない――などという厄介ごとを持ち込んで、トリカを死なせた自責からほんの僅かでも逃げこめる場所を用意できた。

 それだけのことで『良くやった』などと持ち上げられても、逆にこちらの気持ちは冷めていってしまう。不相応な酒を、頭から注がれているようで。


「そうやって謙遜けんそんするけれど、事実はそうなの。わたしにとってはそうなのよ」


 アイヴィはそう言って、少しも譲る気がないようだった。


「……」


 真面目に射抜いてくる視線が、廉太郎の目にはやけに異質なものとして映る。アイヴィのその意固地さ、決めつけてかかるような態度。それらが、どこか狂気的なものであるかのように感じられてしまうのだ。

 ――何をそんなに。

 頭が固いのではなく、思い込みが激しいのでもなく。どこか、少し変なのではないかと思わずにはいられない。

 娘の交友関係へのお節介、そう捉えるにしては執拗しつようが過ぎる。


「廉太郎くんが来てからすべてがいい方向に転がっていって……何より、それでわたしが助かってる」

「え、……あなたが、ですか?」

「えぇ。ユーリアより、むしろわたしが救われてるの」


 彼女自身も娘と同じ苦しみを共有しているのに。母親として、ユーリアの心さえどうにかなってくれれば、安定していてさえくれればそれで救われてしまうのか。

 所詮、成人もしていない子供の立場で、親という立場は心から理解してやれない。だからこそ、こうして強固な思想や言動を前にぎょっとさせられてしまうのか。


「廉太郎くんは、わたしにとってそこにいてほしい理想的な男の子で……本当に、惚れちゃいそうなくらい都合がいいの」


 やはり――。

 息を飲むことすら忘れてしまう。

 普段は誰もが隠している胸の内の思想や哲学を、小出しに見せびらかされているような困惑を覚えてしまう。強要してくる関係が重大であるがゆえに、それは不気味でもあり、恐ろしくもあった。

 平気な顔で口にする提案が、明らかに無茶を通り越している。それが誰の目にも、それこそ本人の目にも明らかであるはずなのに、アイヴィはそれを考慮しない。

 普段の気のいい様子とはあまりにかけ離れているようで、歪に感じられてしまう。


「――ねぇ。帰れそうなの?」

「え?」

「だから、あなたの世界に」

「……分かりません」

「そう。つらいでしょうね」


 そんな言葉まで恐れはしない。アイヴィは自分の心に正直なだけだ。何だか反応が淡白で、もしかして鼻から興味などないのではないかと――そんな風に疑ってしまいそうなのも、これまでの彼女の言動がそう思いこませてくるだけだ。

 いくら彼女が心の奥底では廉太郎に帰ってほしくないと思っていたとしても、それを露骨に態度に出してくるような人ではない。素直に心配してくれているのだろうし、それを疑うつもりもない。

 そこまで自己中心的な人から、あんな娘は育たないから。


「いくらでもあの子に頼っていいし、甘えていいわ。わたしも、できる限りのことはしてあげられるし、してあげたいって思うもの」

「あ、ありがとうございます。その……今でも、充分――」


 照れが先んじて、直前に覚えた緊張はかすれてどこかへ消えていた。だからこそ口ごもりそうになってしまうが、ここは躊躇うべきでもないと思い直して視線を上げる。


「あなたたち親子には、感謝しきれないほど助けてもらってます。でなければ、いまごろ――」

「でしょ?」


 自慢げな笑みが向けられる。

 続けて、さらなる誇らしげな顔をアイヴィは浮かべ、


「で、そんなあの子なんだけど……ぶっちゃけ今はどう思ってるの? 好き?」

「好きですよ」


 逸りかけた顔を――ついでに隣から向けてくる子供の顔も――無視し、何かを言われる前にと廉太郎は言葉をつけ足そうとして、


「友達になれているのかもしれないと思えるようになりたい気分です」

「んっ、んん……?」


 言い回しが少々くどくなってしまったためか、アイヴィは軽く頭に手を当ててみせる。ついで通訳を求めるような視線をクリスに送っているが、肩をすくめられるだけで無視を決め込まれてしまっていた。


「えと、よく分からないんだけど……つまり、友達として好きってこと?」

「まぁ、そうです」


 一般的な基準、言葉の上では、そう言っていいはずだ。

「ふぅん」と、アイヴィは廉太郎の友達観にはさほど興味も向けてくれずに目を細め、


「満更でもないなら、もらってほしいんだけどなぁ」

「だから、なんでそうなるんですか。……当事者の意思、二人分を無視しないでくださいよ」


 あまりにも悪意なく当然のようなアイヴィに、なんだかひどく冷たい態度を返しているような錯覚を覚える。冷静になればそれが一番恐ろしい。ユーリアさえこの場にいれば結託けったくして笑い話だと切り捨ててしまえるのだが、居ないとなると、とたんに嫌な現実味を帯びた話に化けてしまう。

 手元が落ち着かなく何かを探すが、適当なものは何もない。仕方なく空のカップを手に取った。口にあて飲みかけの紅茶でも片付けている振りをして、言葉を整えるだけの間を要求。


「――俺は家に帰りますし、帰らなければならないんです。だから……気持ちとか意思を抜きにしても、そういう繋がりは作れないでしょう?」


 この際だと、はっきりと廉太郎は断言する。

 だが、そんな強いまなざしで訴えた言葉でも思いのほかアイヴィに響くことはなく、しれっとした態度で見つめ返されてしまった。


「じゃあ、もう帰れそうになくなって、いよいよ諦めるしかない……ってなったときは結婚しなさい」

「とんでもないこと言いますね……」


 ついに命令系になってしまった。

 返す言葉もいよいよ見つけられそうにない。強い暴論を前に、使って効果がありそうな武器が何もないのだ。


「悪くはないでしょ? おまけだけど、母親のわたしもついてくるし――」


 ふっ、と口元を緩めたかと思えば、アイヴィは悪戯な顔で横目をこちらに流し、囁くような声で続きを告げる。


「どうしてもあの子が子供を産めないと言うのなら、代わりにわたしが産んでもいいわ」

「ひっぱたきますよ」

「少しも照れてくれないの!?」


 ショックを受けたようなアイヴィを前に、少しも悪びれる気が湧いてこない。

 照れるだとか照れないだとか、そういう冗談で済ませる次元からは大きく差をつけてラインを超えてしまっている。彼女の価値観や立場に対しては、負けじと戦う以外に正解がないのだと実感した。

 好きなものをそう主張するのと同じか、あるいはそれ以上に大切なこととして、止めてほしい話があるならそう主張してしまうべきなのだ。

 

「そ、そんなに怒らなくても――」


 気持ち的に冷え込んでしまった廉太郎の目つきを避けながら、アイヴィはぶつぶつとこぼしうなだれている。彼女はおずおずとこちらを伺いながらも、横のクリスへと話を振り、


「ねぇクリスちゃん。何だか、だんだんわたしへの当たりが強くなってる気がしない?」

「まぁ……廉太郎の中でのあなたの位置づけが、私や妹さんの側に移動しつつあるんでしょうね。言動が一人よがり過ぎて」

「えぇ……、年上なのに」


 そんなやり取りを眺めならながら、廉太郎は思う。

 それにしても、と。

 この世界で、この町で十日ほどの時間を過ごし、傍に居る人たちとは互いのことも少しずつ知り合うようになってきた。上手くやっていて、仲もよくなっているはずだとそう思う。

 なのに。

 ふと気づけば、それぞれが見ているものはまったく違う。そんなことに気づく機会も、また増えたように思うのだ。


 アイヴィはこの通り、基本的に娘のことしか考えていないようだし。

 『ロゼ』は何かを隠していて、その何かを良く思っていないクリスはそんな彼女を非難している。

 それぞれに、抱える思いを深くは語ろうともしない。それでいて、明らかに地雷だと分かる問題がそこには見え隠れしているのだ。すれ違うだけで、懐に忍ばせたものがぶつかってしまいそう。

 それを、なあなあの、見て見ぬふりに似た空気でごまかし合っている。互いに薄々察しているのに、話題にすることすら避けている節がある。

 廉太郎だって、誰の事情にも踏み込めないでいる。

 ――それは元から、どこでも当たり前のことだけれど。

 全員の頭の中が複雑で、心の中身は霧がかかったように不透明だ。


 だが、そんな中で。


 ただ一人、ユーリアだけが鮮明だった。

 彼女の立ち位置は真っすぐで、出会った時から少しも変わることがない。裏表がないのとは訳が違う。考える余地なく、そうだと分かる色がある。

 あれだけ人と違う特徴を抱えているのに、その本質は非情にシンプル。誰よりも、きっと人としては分かりやすい。

 無数に並んで垣間見える他人の心の中という森の中、彼女のそれは一際目立ってしまっている。

 山の頂きのように、それは見上げたくなるほどの特別性だった。


「ちなみに、私もあなたの頭は少々おかしいんだと思ってますけどね」

「ひっどい――」

 

 どこか気安く、打ち解けてもいるような二人のやり取り。

 そのかたわらで苦笑こそしていたものの、廉太郎にはいまいちクリスの発言を否定してやることができそうになかった。

 だが、同時にこうも思うのだ。おかしいのは頭ではなく、ただ精神状態の方なのだと。これまでのユーリアが、ずっとあの調子であったのと同じように。

 娘にならってそう考える方が、ずっと救いがあるだろうから。


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