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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
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第十三話 時の気流

「びっくりしたわ、本当にね」


 アイヴィの小さな喫茶店。そこに馴染なじみとなってもう長い。運動を終えた廉太郎とユーリア、それにつきそったクリスの三人は、一度家に帰り着替えを済ませた後、朝食をとりにいったのと同じ足取りで彼女の店に向かったのである。

 むろん、昼食を求めてだ。

 驚かれたのはそのため。なにせ廉太郎れんたろうの知る限りでも、ユーリアが朝と夜の二度以外に空腹を訴えたことはない。


「てっきり、体調でも悪いのかと思っちゃったわ」


 他の客の相手をさして忙しくもなくこなしつつ、アイヴィは手が空けば廉太郎たちのテーブルに居座いすわろうとしてくる。店主の収まる定位置が、厨房でもカウンターでもなく、まさにここだと言わんばかりに。


「なに言ってるの。ただ、ご飯食べにきただけじゃない」

 

 不満そうに顔を傾けながらも、ユーリアの手元はパスタの麺を巻いていた。傍目はためには素の麺に見えるような、シンプルな塩だけのパスタ。

 目を細めた娘の抗議を、さも微笑ましそうな笑みで受け流したアイヴィは、


「だって、初めてのことじゃない」


 同意を得るように、朗らかに廉太郎の方へと視線をよこしてくる。

 その喜びようのいくらかに共感してやることは難しくない。親でなくとも、あまりに小食な人間が食事に迷わず手を伸ばしているというのは、何となく嬉しい気持ちにさせてくれる。

 ちょうど口が塞がっていたところで、いつものようにクリスと並んで席についていた廉太郎は首だけを揺らし、肯定してみせる。

 

「まさか、『遊び疲れてお腹すいた』だなんて――」

「だから。いいでしょ、もう」


 輝いた目をあしらうように横へ流し、ユーリアは並んだ自分の小鉢こばちへとフォークを伸ばす。本来メインに混ぜられているべき、茹で、炒められた野菜等の具材。それらは、調理前に小分けにされた調味料や具材のようにユーリアの前に並べられることになる。

 食材が混じるのが嫌――というリクエストも、料理を作る側としては非情に頭を悩ませていそうなものだ。

 

「ほんっとに、廉太郎くんの言う通りなの」

「ですよね」

「この子の食事量で満足に体力なんてつくはずないし、そもそも運動すら――」


 小言のようでありながら、アイヴィの声は弾んでいる。その内容にも興奮具合にも疲れてしまったのか、ただでさえ気だるげにしていたユーリアは、


「わ、分かったわよ。もう、二人して……」 


 体力の無さとその危険性は本人も自覚している通り、逆らうことには諦めが入っている様子。投げやりに不貞腐れているようでありながら、手の進み具合はいつもよりずっと早い。それでいて、目元は眠そうに落ち込んでいる。

 運動して、お腹が空いて、それが満たされるやいなや眠くなる。普段の彼女からはあまりに想像できないほど子供らしいその仕草に、小動物に向けるような一種の可愛らしさを覚えずにはいられなかった。


「せっかく誘ってくれてるんだし、毎日一緒に走らせてもらいなさい」

「だから、嫌だって――」


 しかし当然のように聞き入れず、


「――よろしくね、廉太郎くん。一生でいいわ」


 と話をこちらへ向けるアイヴィのにこやかな顔は、冗談なのか本気なのかも読み取らせてくれない。

 『一生』という言葉を使うのには、廉太郎に向けた意図的なものがあるのは明らか。恒例だが、当然それに乗ってしまうつもりはない。

 何となく、一度乗っかてしまえば逃げ道を塞がれてしまいそうで。


「いや、そこまで走らなくても……それに、一生を背負えるほどここに長居するつもりは――」

「んー、それにしても――っ」


 あからさまな態度で阻止される、生涯アスリートコーチの辞退宣言。この調子で長居が続いてしまうと、本当に誰の意思とも関係なく行きつくところまで行きついてしまうかもしれない。

 それほどまでの意地がアイヴィにはある。


「それにしても……良いわねぇ、この感じ」

 

 隣の娘と、対面に座るクリスの仕草を交互に目に収め、アイヴィは満足そうに頷いてみせ、


「あれだけ、全然食べてくれなかった子たちが、二人とも黙々と食べてくれてるんだもん」

「……う」


 ぴたりと、動きが止められてしまったクリスにその場の視線が集まっていく。

 そう言われてみれば――クリスは少し前まで経口摂取が不可能で、またそれを不満にも思っていない様子でいた。構わないし、むしろ食べたくないとさえ言っていたのを覚えている。

 その口が、今や。

 指摘されるまで、誰よりも早く動くまでに変わっていた。


「無自覚、でしたね」


 苦々しい顔で、口の中にしまわれたものをしぶしぶとかみ砕いていくクリス。きまりの悪い顔を隠すように、テーブルナプキンを手に取り口元を拭う。


「あぁあぁ……覚えなおすべきではなかったですね、依存性が――」

「……依存って」

「食の快楽ってやつです」

 

 酒や、煙草にでも手を出しているかのような言い草。 

 奇妙でしかないし、アイヴィもユーリアも怪訝けげんそうな目を向けている。しかし、クリス本人が主張するところによると、無理からぬ発言となる――らしい。

 自分を人――生き物と、クリスは定義はしない。無機質なだけの人形とあまりに乖離していて、もはや誰の目にも人以外には映りようがないというのに。それでも彼女はそこにこだわる。

 だから、これまで食に触れずとも平気でいた。

 初めは、本当に関心が薄く、欲求自体がないのかもしれないと思った。だが、元よりそうではないらしく、


 ――気持ち悪いじゃないですか、人っぽくて。


 以前問いただした際に、返されてしまった台詞である。

 結局のところ、人でありたくない――ということなのだろう。せっかく自我、自意識を得た存在だというのに、何故それを否定したがるのか。

 それに関しては、共感してやるどころか、心の内を推し量ってやることすらもできそうにはなかった。ただ、訳の分からない切なさと、ちくりと刺すような気味悪さを感じるだけ。

 人間嫌い、という節もないだろうに。

 くじに当たったというのに、受け取りもせず喜ぼうともしない当選者を横目に見ている気分だった。

   

「えぇと、ともかく――美味しい?」

「……おそらくは」


 不安がしたり顔に変わったアイヴィをやり過ごし、話を終わらせたがるようにクリスはグラスの水を煽った。

 もはやクリスの扱いに慣れ始めたのか、袖にされてもアイヴィがめげる様子はない。作り手にとっては食べてくれるだけで充分、ということだろう。

 『ロゼ』の魔力操作補助を得るまで固形物を受け付けなかったクリスの喉を思えば、見ているだけの廉太郎でさえ微笑ましく思う。

 本人の心情は、この際無視するとして。

 他人がものを食べている姿は、意外なほどに見ていて飽きない。


「複雑ですがね」

 

 聞こえるか聞こえないか、吐息との境にあるような声。周囲の雑音の合間を縫って、やけに廉太郎の耳にそれは残った。


「別に、頼んでるわけではないですし」

 

 そう続けて、クリスの視線は足元に落ちた。何を見ているはずもないその目。何となしに、影の奥でも覗かれているような気分になる。

 理由は分からずとも、『ロゼ』に因縁をつけているであろうことだけは確かなのだろう。下から、土竜のように這い出てくるわけでもあるまいに。

 仮に聞こえていたとしても、わけを知らないアイヴィやユーリアにぴんとくるような話ではない。


「最初は落ち込んだんだから。『え、この子も食べてくれない子なの?』って。その点、廉太郎くんはずっとわたしの癒しだったわね」

「癒し、は……照れますけど」


 そこまで言われてしまえば、何でも嫌な顔一つせず平らげてきた甲斐がある。慣れてしまった今となっては、もうあちらの世界のどこにホームステイしたとしても好感を持ってもらえるに違いない。


「何だかいい感じだわ。こう、いいように周りが回りだしたっていうか。……これも、ひょっとして廉太郎くんの御利益だったりするのかなぁ」

「まさか」


 思わぬ発言に驚いて、慌ててありもしない称賛を否定していく。


「そんな……影響力みたいなもの、俺には何もありませんって」


 事実、クリスの食への関心は『ロゼ』の手助けが産んだようなものだし、ユーリアが今回空腹となったのも彼女自身が熱心に打ち込んでいたからだ。

 『いいように』、というアイヴィの言葉が他の変化にもかかるとしても、ユーリアが過去に折り合いをつけたのだって、まさしく廉太郎は一切関与していない。

 影響力。

 それを言うのなら、


「そういうのなら、ユーリアの方がずっとあります」


 ごく自然な言葉が口をつく。

 具体的に、何がとも頭に浮かんだわけではない。


「影響力、ねぇ……」


 話題に上げられて、ユーリアはそれを吟味するように手を止めた。

 次いで、ちらりと視線を横に流す。他の座席へだ。その先で、そそくさと顔を背ける面識のない客の姿を廉太郎にも見つけることができた。

 その客――彼が何を見ていたのかと言えば、今この場にいるユーリア。

 珍しいのだろう。

 昼食を取っているのもそうだが、それ以上に――こうして人前で食事を取っているのが珍しいのだ。

 この町の人間に対し、ユーリアはずっと距離を置いていたから。極力、接触することさえ避けたがっていた。母親の店だろうと、決して開店時間に立ち入ろうとはしなかったほど。

 今しがた廉太郎が口にした通り――そして本人が否定しない通り、この町におけるユーリアには何者にも優る影響力、権力がある

 廉太郎が言わんとした意味合いとはまったく異なる方向ではあるが――ともかく、そういう立ち位置に、最高戦力としてのユーリアがいる。


「――確かにそう。で、私はこれまで、それを都合のいい面でしか考えてこなかった……わけだけど」


 いつしか、ユーリアの話は独り言へうつろい、視線も明後日の方へと流れていった。店の中でもなく、店の外の方へ。通りを丸見えにするガラス越しにそちらに目をやるユーリアは、そこに知り合いか何かの姿でも見つけたようであった。

 続いて店のドアが開かれ、備え付けのベルが小気味いい音色を響かせた。顔を見せたのは、五人からなる成人した女性の集団。

 いずれも、おそらく人間の女だった。


「おっと、いらっしゃーい」


 立ち上がらないままに、アイヴィは軽い調子で対応を済ませようとする。常連、気安い仲なのか、彼女らは何を言うでもなく手をこちらへと振り、


「こんちわ――って、あれ……?」


 うち一人――先頭を切っていた女が、アイヴィの席を見るなり目を丸め、


「レアな子いる」


 と、思い切りユーリアを指してそう言った。

 続いて、取り巻きも驚いたように反応を示していく。


「何かしてる……って、まさかご飯?」

「うわ、ほんと」

「あー。……あれが例の男の子ね」


 陰口、ではないのだろう。表情からも口調からも、悪意的な気配はない。

 先の男と同様に、それだけ物珍しがられているということ。

 前哨基地で出会った、あの顔ぶれと同じ。

 ユーリアがこの町の人間に対し、険しい態度をとってきたことで、その関係がぎくしゃくとしているのは事実。だが、それでユーリアが嫌われているのかといえば、必ずしもそうでもない――ということだ。

 体感的には、ほとんどの者はそこまで反感を覚えてはいないように思う。

 なまじ権力があるだけ厄介がられたり、面倒に思われる機会は多かったのだろうけれど。

「……あー、おつかれ」


 そういう背景のせいか、ユーリアの投げた挨拶はかなりぎこちない。気まずさと躊躇が、傍から見ているだけでも伝わってくる。 

 だが、それでも気のいい言葉をかけたのだ。

 これまでの態度は改めたという、これ以上ない明確な意思表示。面と向かって、歩み寄る姿勢を示していた。

 それでも、


「――え゛っ、わたしですか?」


 事情を知らない向こうからしてみれば、いきなり予想外の対応が飛んできたようなもの。

後から他に知り合いでも来たのかと、振り返り確かめようとする始末。


「そうよ。ただの挨拶、それだけ」


 そんな対応にも――少なくとも表面上は――めげることなく、ユーリアは短くそう切り上げた。過剰に言葉を浪費することはしなかった。

 そんな、見る者が見れば殊勝だと分かるユーリアの様子に、彼女らは、


「めずらしー」

「機嫌がいいんでしょうか」

「余裕が出始めたんだぁ、やっとだね」


 そんな、割と淡白な反応を見せるのだった。

 無関心というよりは、元より、さして気を害していなかったということだろう。どころか、気にかけていた節すらも感じられる口ぶり。そういう面も、あの基地の同僚たちと似たようなものであった。


「わ、悪かったわよ……もう」


 そういう反応がむしろ逆にこたえてしまうのか、ユーリアはそこで初めて身を縮め口を横にむすんでいた。

「あはは……」と、困ったように笑いながらも、アイヴィは浮足立つように席を立ち、手招きされるままに注文をとるべく彼女たちの元へ近づいていく。

 廉太郎はその背を見送り、ふとなんとなしに目配せを送る。


「ん、機関の人たちよ。研究関係の」


 見れば、その全員がそこの職員が揃える制服に身を包んでいる。デザインには違いがあれど、ユーリアとロゼを除く全員に義務付けられたものであるようだ。

 向こうはアイヴィに注文を任せた後、人目もはばからない雑談を始めていた。それでも、やはりいつにないユーリアの様子が気になってしまうようで、ちらちらと断続的な視線を送ってくる。そのうちのいくらかが自分にも向いていることに気づき、ユーリアともども落ち着けなくなる。


「楽しそうね」


 必然的に目が合うと、無視することもできずにユーリアは席越しにそう声を振った。

 何気ない一言であるはずだが、これまでの態度が態度である。自然と誤解を与えてしまったのか、


「……ゴメン、うるさい?」

「えっ、皮肉じゃないのよ――」


 慌てて首を振ったユーリアの顔が、徐々に気落ちしたものに変わっていく。目を伏せると、人知れず自虐的な笑みを浮かべつつ、

 

「……ど、どれだけ感じ悪かったのよ、私」と一人ごちた。


 廉太郎の知りうる限りでも、最悪に近いものであったのは確かである。初日など目を疑ったものだ。事情を知ってしまっている手前何も言えないが、彼女たちの反応はごく自然なものでもある。


「えぇと、意図するものは本当にないわ。ただ、本当に気になっただけで」

「へぇ――」


 それを気に、向こうの席に集まる面々の顔色が変わる。自分たちの話題に思わぬ相手から興味を向けられて嬉しいのか、近づくようにと内の一人が手招きをし、


「あのね、新しく男の人越してきたんだって」

 

 どこか興奮気味にそう答えた。他の顔ぶれもそれに続き、各々の言葉を吐き出していく。

「めっちゃ顔が良かったの」

「口も回るし、感じもいい」


 それらその卓に巻き起こる一種の熱。それを受け、ユーリアは拍子抜けしたように「ふーん」と生返事を返すことしかできていない。

 巣をつつかれた虫のように、その集団は反応の薄さなどお構いなしに話題を広げようと、


「で。一人でこの町に来たってことは、フリーってことですよね?」

「だから、一部で浮足立ってるんだよね」


 この調子だとかなり長引くことになる。その上、これ以上関わって誰が得する話題でもない。そう判断したのだろう。


「――なるほど、理解したわ」


 宥めるようにかざされたユーリアの手が終了を訴えるも、それで許されるはずもない。押し寄せる波には、もはや歯止めも効かなくなっていた。


「つっても、どっからか相手連れてきたあんたには、関心ないんだろうけど」

「相手……?」


 ユーリアの返しが空とぼけたように見えたのか、女は廉太郎へと目線を動かし意図を示す。すると周りの視線が一気に集まってきたようで――事実無根で、自分の都合でユーリアにそういう立場を強いてしまっている廉太郎としては居心地が悪い事この上ない。


「ど、どうも……」


 値踏みするような五人分の視線に愛想笑いで耐えながら、ただひたすらユーリアの立ち位置が不憫に思えてしかたなかった。


「悪くないけど――」

「さすがに手は出せないよ」

「後がめちゃくちゃ怖いですし」


 いろんな意味で距離を置かれているようで、直接廉太郎へ話しかけようとする気配はない。ケージに囚われる珍獣にされたような気分だった。


「……だから、何もしないのに」


 話せば話すほど落ち込んでいくユーリアが、いっそ可哀そうですらある。言葉を選ばないのであれば、自業自得ではあるのだが。

 そんな、対岸でのやりとりを眺めていると、


『――はぁ』


 不意に。

 背後から、声。

 不審がられないよう、自然な仕草で振り向いてみる。すると、そこにはやはり『ロゼ』が出ていた。

 彼女はこちらに背を向け、顔を見せない。空いていたテーブルの席に、行儀悪く足を組みながら腰かけている。


『ほんと、女ってやつは色恋の話が好きだよな』 


 気に入ったのか、服装はコート上で着ていたものから戻っていない。もっとも、廉太郎の意識の上にしか存在しないのが今の彼女の状態だ。服装どころか、姿かたちすらも形作られたイメージでしかないのだが。


『どいつもこいつも、どこもかしこもだ。……たまらない』


 そんな言葉を吐き捨てている彼女は、卓の上に肘を立てている。その口調、仕草。コートの上での対応に引き続き、機嫌がよろしくないという事実がありありと伝わって来てしまう。

 いったい今朝から何に苛ついているというのか、それは見当がつかない。

 だが、こうしてわざわざ意識上に上って聞かせてきているのだ。とりあえず、反応を欲しているのは間違いない。


「『ロゼ』は違うのか?」

『憂鬱だよ、今は』


 口にする言葉に違わず、声色がそれを物語っていた。

 それにしても、『今は』――とは妙な話だ。これまでの付き合いの中で感じていた印象としては、彼女自身その例に漏れない女性だったように感じていたのだが。


『愚痴を吐きたくもなる』


 それだけのことを言い残すと、瞬きの合間にも『ロゼ』の姿は消えていた。

 こうして唐突に居なくなられてしまうと、幻か白昼夢でも見ていたような錯覚を覚えてしまう。残されたチェアの背中に雰囲気の良い品だけが張り付いていて、それがどこか物悲しかった。


「ん?」


 廉太郎が視線を前に戻す過程で、ふとクリスの横顔が目に留まる。

 クリスもまた、廉太郎と同じように背後へ顔を向けていた様子。その姿勢のまま、一言。


「……皮肉でしょうが」


 無人となった席へ吐かれる、感情の読み取れないか細い呟き。そんな言葉が、あまりに小さく聞き取ることができなかった。

 そうこうしている内に、やがて、

「おまたせ」

 と、食後の飲み物を手土産に仕事を終えたアイヴィが戻ってくる。

 彼女は戻るなり、直前交わされていた話題を蒸し返すように口を開き、

 

「ねぇねぇ。わたし、その男の人とちょっとだけ話したわ」

「あら、そうなの」と、引き続き気のないユーリア。

「うーん、確かに顔は美形だったかも。廉太郎とは違うタイプね」

「……え゛」


 ちらりとした視線で急に矛先を向けられ、普段零さないような声が廉太郎から発せられる。

 予想だにしない駄目出しに動揺してしまう廉太郎へ、アイヴィは茶化すように笑いかけ、


「あなたはまだ男の人っていうより、男の子って感じだもの」

「子供っぽいってことですか?」

「可愛い気があるってこと」


 悪気はないようだがいまいち喜べない言葉である。微妙な顔を浮かべていると、見かねようなユーリアが鋭く釘をさしてくれるのだった。


「だめよアイヴィ。ちょうど私たちくらいの歳だとね、子供扱いされるのが一番気に障るんだから」

「あぁ、あなたが言うとすごい説得力が――」

「なによ?」


 眉を寄せたユーリアにも、アイヴィは笑みを浮かべるだけで楽しそうにたたずんでいる。 それが微笑ましく、無自覚の内に口元が緩む。それをふと二人に見つけられて、バツが悪い感じになってしまった。

 既視感。以前にも、こんなことがあったのを覚えている。

 

「……ユーリアってさ」


 場を持たせるように開けただけの口。そのはずが、自然と言葉が口元へ集まってくるようで、


「ん、なに?」


 止まるべきだろうか。

 あまりにユーリアの懐に踏み込み過ぎている疑問、興味関心。

 聞かれたくないことかもしれないし、気に障ってしまうかもしれない。あるいは、なぜそんなことをと変に思われてしまうかも。


 ――いや、それ自体遠慮でなくてなんだっていうんだ。


 勝ち負けを本気で競ってみてもなお、消し去ることは不可能である。

 それでも、彼女に対して聞いてみたいと、知ってしまいたいと思ったことならば。そのすべてとは言わずとも、いくらかは聞けるような関係でありたいと廉太郎は思う。

 それに。


「他人が――っていうか、女の人がするような色恋についての話って、どういう風に感じてるの?」

 

 ユーリアの持つあらゆる特性、個性を、触れてはならないタブーのように扱ってしまうようなことはしたくなかった。

 やはりというべきか、ユーリアは何でもない様子でそれに答えてくれるようで。


「嫌いじゃないわ」

「へぇ」


 『ロゼ』の言葉を鑑みて、ならば恋愛に心の動かないユーリアの場合はどうなのだろうと湧いた好奇心。それはさして意外でもない答えで満たされ、続くユーリアの話も興味深く脳の奥へ染み込んでいくようだった。


「楽しそうだし、明るい話よ。みんなにとっては凄く大事な話なんでしょうしね。その輪の外にいる自分は、できる限り干渉しないでいてあげたい、とは思うけれど……まぁ、聞いている分には、『微笑ましい』って感じかしら?」

「そっか。ありがとう」

「そうね、あなたはどうなの?」

「俺は――」


 どうだろう。

 はっきりと断言できるほど、好きか嫌いかに転ぶわけではない。だが少なくとも、恋愛ものとだけ銘打たれた作品を、退屈だと避けてしまいがちな程度には、


「正直、ちょっと苦手かな」

「だと思ったわ」

「うっ――」


 そこに理解を示されていることが、思いのほか嬉しくもなかった。

 

「いや、嫌いなわけじゃないんだけど、他人と他人の個人的で深い関係を前にしても、部外者がどういう反応を返すべきか困る……っていうか」


 どうしても、何かに言い訳をしているような胡散うさん臭い語りになってしまう。何に、何故言い訳しているのかは見当もつかないまま。


「あのほら、男同士だとそういう話ってしないし。女の子はそこを住み分けてくる感じで、触れてこなかったから」


 思えば、日常の中で色恋の話になることが極端に少なかったように思う。生まれ持った性格と、育った環境のせいだろうか。付き合う人間との距離感が丁度ちょうど良かったというのもあるだろう。

 それで困ることもないのだから、嘆きたいわけでは特にない。


「どこも同じね」と、アイヴィはくすくす笑っていた。


 そんな母親を横目に、今度はユーリアから問いかけてくる。


「ねぇ。あなたのところも、お母さんって色々口出してくるものなの?」

「うん?」

「恋人作れって。うるさく」

「あぁ……まぁ、少しはね」


 本当に少し――というか、片手の指で数えたりるような回数。アイヴィと比べるとかなり少ないが、性別の違いもあるだろうし、ユーリアの場合は個性も、家族事情も関係しているからだろう。

 親が子にうるさいという本質は、何も変わることはない。

 どこの世界だろうと。


「えぇー、絶対もったいないって思われてるわよ?」


 アイヴィはそう言って譲らない。

 おそらく間違ってはいないのだろう。


「えぇと……」


 ここで『自主性に任されてる』とでも言ってしまえば、ユーリアが強く同調してしまい、余計なことをとアイヴィに目くじらを立てられてしまいそう。予感。というか、それはほとんど予知に近い危機察知。

 急いで話を横道へ。


「妹は特にそうでしたね。兄に恋人がいないなんて、恥かしいとすら思ってるようで――」


 しかしこれではユーリアに、引いては直球で自分に攻撃しているようなものではないか、と――言っている内にそう気づくも、もはや止まれそうにない話題に触れてしまっていた。


「へー。廉太郎くんとは真逆みたいね、どんな子どんな子?」

「性格は……言う通り、正反対ですよ」


 苦笑しつつそう答える。

 いわゆる問題児気質。高一にもなって親に迷惑をかける罪深さに未だ気づけていない、未熟な子ども。それが妹――娵府七見よめくらななみだった。


「……前に」


 少し聞きにくそうに間をおいて、ユーリアは廉太郎を覗き込み、


「仲が良くないって、そう言っていたと思うけれど」

「あぁ……」


 お互いの性格がそんなものだから、元から喧嘩は絶えなかった。

 それが――今となっては喧嘩すらしてくれないほど、仲がこじれてしまっている。


「色々あって」


 どうしてああも長い事、ずっと意地を張られ続けているのだろう。張らせ続けてしまったのだろう。

 今もまだ、許してはくれていないのだろうか。


「でも、今回はさすがに心配させてるだろうし――」


 ――心配で済めば世話はないのだが。


「これがいい機会になって、話くらいはできるようにならないかな……なんて――」


 唐突に、横からの視線を感じる。

 目を落とせば、これまで黙り込んでいたクリスから意図の分からないじと目を浴びせれれていた。

 

「なんだよ、その目は」

「別にぃ?」


 視線もその反応もやたら不躾に思えてならず、つい態度を返すように不審な目で見下ろしてしまっていた。

 その様子を傍から見ていたユーリアは、「ふっ……」と吹きだすように笑みを零し、


「その調子だと、妹への接し方がなんとなく分かってきそうなものね」

「……うっ」


 向けているのは苛立ちとも違う、より良い人の態度に正してしまいたいというお節介。

 それで気づけば、やや上からクリスに接してしまうのが廉太郎にとっての当たり前になりつつあった。

 クリスの性格を思えば、そのくらいで丁度いいはずなのだが。

 ――思えば、七見に似ていたのはユーリアではなく、むしろこいつの方だったのかもしれない。


「正しくても、態度次第では反感を買うのよ」 

「そうよ。年下の子には優しくないとね」


 ぐうの音も出ない、娘と母親からの正論。

 のらりくらりとしているクリスは何を言っても反感を覚えそうにないのだが、内心のところは分からない。微妙によそよそしさが消えないのはそのせいかと、廉太郎が疑いかけたところに、

 

「まぁ、私相手はどうでもいいですが。もう少し考えた方がいいですね」


 と、悪乗りするような顔で加わってくるクリス。


「相手によって、廉太郎はコロコロ態度を変えますから」

「え? いや、それは当然だろ」


 そうせずに、人は生きていられない。

 言葉遣いも、口調も、態度も、雰囲気も相手によって使い分ける。それは特別なことではなく、必要な使い分けでしかない。文字通り、複数の人格をみなが当然のように持っているのだ。

 廉太郎の場合――大まかに分ければ、ロゼやローガン、アイヴィのような年上目上。

 ユーリアのような同世代。

 そして、クリスのような年下――と、なるわけだが。


「いやいや」


 クリスは笑う。これまであまり、楽しそうにしていなかったのが嘘のように。

 内緒話がしたいのか、続いて吐かれる彼女の言葉は秘匿性の高い、日本語によるものだった。


「ほら。同じ友人カテゴリでも、『ロゼ』とユーリアさんでは相当接し方が違うでしょ?」

「――は?」


 離れて久しいとはいえ、仮にも母国語だ。なのに、何を言われているのかがぴんとこない。

 ――ちなみに。

 共に六つも年上であり、同一人物でもあるロゼと『ロゼ』で接し方に差があるのには理由がある。魂の内に居る『ロゼ』を認知して間もないころに、かしこまった態度を寂しがられてしまったからである。

 当然当初は困ったが、言われるがまま親しく接しているうちにすっかり慣れてしまったのだ。

 距離の詰め方が、彼女はとても上手いから。

 で。


「え、違うかな?」

「えぇ。なんて言いますかねぇ、相当甘いですよ? ユーリアさんへのそれは」

「あまい?」

「雰囲気的な意味で」


 どういう意味だと聞き出そうとしたところで、ユーリアによる制止がかかる

 内緒話は不快なの――との一言で、それは中断されてしまった。

 微妙になりかけた空気感の中、例の女性グループから妙な熱が伝播してくる。それでふと思い出したことがあるのか、アイヴィは不思議そうに首を傾げ、


「あ……そういえば、さっきわたしが話したっていう男の人。なんだか、おかしなことを言っていたのよね」

「あら、どんなこと?」

「なんかね――」


 本当に、不意な拍子でそこへ話が及んだのだった。


「トリカちゃんについて、知りたがっていたみたいだわ」


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