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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
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第十一話 答えへの助走

「まったく、こんな……よくやってくれたものだわ」


 試合の後にユーリアは球を拾い、確かめるように指先二つで押しつぶして見せた。溶けそうなほどの弾力。空気もほとんど入っていない、柔いゴムボール。

 自らをくだした盤外の球を手の中で遊ばせ、少しだけなじるような目を廉太郎へ向ける。


「まさか、あなたがここまでせこいことを――なんて、どこかで甘く捉えていたのが敗因ね」


 すり替え。ユーリアの目をもってすれば、打ち返す前に気づける余地は充分にあった。気づいたなら、もう少し慎重な対応がとれていただろう。

 静かな溜息が耳に届く。それでも、そこにある表情に悔いはないように見えた。


「総合的にみても、完敗って感じかしら」

「いや。運だったよ、最後は」


 彼女のすがすがしさに水を差すようだが、思わず口が滑ってしまう。

 何回打っても成功するか分からないような球が上手いこと有効打にばけ、しかもそれが一発目で実現できたのは本当にたまたまのこと。

 もし打ち損じていれば、球が変わったことなど二打目を打つ前にバレてしまっていただろう。


「うーん、そこで謙遜するようではいただけないけれど……まぁいいわ」


 不服そうに眼を細めながらも、ユーリアは笑みを浮かべていた。そして満足そうな、含みをもたせた声で、


「思ったより、効果はあったみたいだし」

「分かってるよ」


 言わなくていい。目線だけでそれを伝えた。

 お互い言葉にしてしまうのは野暮である気もするし、それ以上に照れがある。

 ただ一つ廉太郎にとって確かなことは――立場上、これからも世話になっているユーリアに頭があがらないのは変わらないけれど――そこから生まれてしまう遠慮を、態度に出すことは避けられるだろうということだ。

 彼女が特別なのは明らかで、きっと特別視してしまうのは変えられない。 

 それでも続けていく人間関係の上で、もう対等に接するのを恐れるようなことはない。


「楽しかったね」

「またやりましょう。今日はもう無理だけれど」


 そう言い残し、撤収しようと身支度に向かうべく背を向けたユーリア。

 そんな彼女に、廉太郎は一つの迷いを向けていた。まだ、終わっていないことがあったのだ。うやむやにしてしまえないことがあったのだ。

 それを言うか言うまいか、結局しばらく迷ったのち、


「……ところで、罰ゲームがあるって言ったよね」


 釘を刺されたようにユーリアの背がぴくりと反応し、無言でその足が止められた。

 言い放っておいて、廉太郎はいまだに躊躇いの中に悩んでいる。せっかく気持ちよく終わった時間に、水を差すようで気など進むわけがない。

 だが、一度二人でそう取り決めた以上、ここで言及しなければむしろ不自然。忘れたことにして流してしまうのは簡単だし、別に構うことではない。彼女に要求することだって何もない。

 だが、それでは『要求できることを要求しなかった』という事実が残ってしまう。

 手心や優しさや配慮と言うことも可能だが、それは遠慮に他ならず、それを払拭するべく始めたこの場の締めくくりとしてはふさわしくない。

 再度くすぶらせることになるし、ひいては『要求できなかった』という対等性の否定に繋がりかねない。心のどこかで、どうしてもそこへ結び付いてしまうだろう。


「……あら」

「俺にさせるつもりだったことをそのまま要求する、っていうのが……自然、かな」


 言っていて、徐々に不安が募ってしまった。

 そもそも何をさせるつもりだったのか――そこまで無理なことを要求してくるユーリアではないが、廉太郎にとっては容易であっても彼女本人にとってはそうではない、ということもあり得るだろう。

 性格的にも、負けなど想定していたとは思えない。

 そうこうしている内に、総合的に頭が動き、


「――嫌なら、別にいいんだけど」


 つい、口が勝手にそう付け加えていた。


『惜しいな』

「惜しいですね」


 外野、別々の場所からまったく同じ感想が聴こえてくる。

 『ロゼ』とクリス、言わんとすることは痛いほど伝わってくるのだが、妙に息が合っていて気が気でない。このところ、両者の間には緊張感が見え隠れしていたというのに、考えることは結局似通っているのだ。

 そんな廉太郎に対し、ユーリアは気まずそうな顔を浮かべ、


「そ、その……実は決めてないのよね。特に」

「そっか」


 その言葉に少なからず、がっかりとした物足りなさを覚えていた。

 悪意がある場合を別にして、罰ゲームだなどと、実際には相当親しく思っていなければ気軽に要求できるものではない。そこでの強引さは、気を許している証拠でもある。『こんなことをさせても、許してくれるだろう』と、信頼を向けているということだ。

 だからこそ、拍子抜けしてしまった。

 それに、こういう場面でユーリアがどういう発想に及ぶのか、純粋に気になっていたという面も少なからずある。


「だから、いいわ。あなたが決めて」

「いや、えっと……」


 何も、意趣返しがしたかったわけではない。

 ユーリアの考えていたものをそのまま返そうとしたのは、単に、自分から何か発案し要求することを躊躇っただけだ。

 やはり罰ゲーム。互いの距離感を考慮するとなると、加減が難しい。

 何を言っても怒らないだろうし、そう思うほどには彼女に対する信頼がある。とはいえ――そもそもそこまでいってしまうと、究極的に何かを無理に要求することの無意味さにたどり着いてしまうのだった。


「何よ。ここにきて遠慮するつもり?」

「……うーん」

 

 これを遠慮に含んでしまうには、少しばかり性質が異なっているのではないだろうか。

 思考が固まった廉太郎をどこか不服そうに眺めながら、ユーリアは体をほぐすように肩を回し「うっ……これ、絶対筋肉痛になるわ」と夢のないことをぼやきだす。

 そんな様子を前に、天啓のような思考が。


「――いや、一つ思いつけるな」

「ん、なになに?」


 面白がって興味深そうに耳を傾けてくるユーリア。そんな彼女へ、廉太郎ははっきりと、容赦のない客観的事実を一つ告げた。


「ユーリア……君はもう少し、体を鍛えたほうがいい」 

「――え?」


 予想だにしない言葉だったのか、目を丸くしたまま小さく口が開けられる。

 そんな自覚のなさそうな反応に、ついつい廉太郎の口調の熱も上げられてしまうようで、


「試合して分かったことだけど、思ったより君には体力がないね」

「そ、それは……」


 常に動き走り続けるこのゲームの性質上、短い時間であろうと過度な負担に襲われ息が上がってしまうのは仕方のないことであるし、当然のことでもある。勝つために疲労を促す消耗戦に持ち込んだのだから、疲れ果てているのは狙い通りでもある。

 だが、それを加味した上で、あまりに根を上げるのが早すぎる。

 ユーリアの歳や背格好から考えてみても、その体力のほどは平均のそれから大きく劣る――ような気がしてならなかった。


「本来なら、他人がどうこう言うことじゃないんだけど……」


 体力が比較的なかろうと、無理に改めてしまうほど悪いことではない。他人に言われる筋合いはないだろうし、ありがた迷惑なだけだ。

 ユーリアより動けない人間なんてごまんといるし、学生生活の中でそんな相手はいくらでも目にしてきた。

 当然、わざわざ口を挟もうなどと思ったことは一度もない。自由だからだ。そういう手合いはそもそも運動自体が好きではなく、体力が欲しいとさえ思っていない。

 より良いとされる在り方だろうが、思想だろうが、望まないものを押し付けることに正当性は何もない。

 だが、


「君の場合、身の安全に直結する問題だから」


 魔術師として、危険な場所に立つのだから。 

 そんなユーリアがその調子で大丈夫なのかと、どうしても心配になってしまうのだ。

 能力的に、勝負は一瞬でつけれられる。だから、持久力は特別必要ではないのかもしれない。それでも何の保険もなく身一つで戦うことを思えば、口を挟まずにはいられないほどの大問題に思えてくる。

 廉太郎は体が温まってきただけで、ほとんど汗もかいていない。三ゲーム先取の短い試合しかしていないのだから、身近に想像し得る限り――別に運動部に所属していないような女子でもそう変わるものではないだろう。

 なのに、ユーリアはまるで三セットをフルで戦い続けたかのような疲労度合。どころか、思えば準備運動の段階で上がってしまうような息だったもので――、


「運動不足だよ」

「魔術師なのに!?」

 

 ショックを受けたような顔にさえ、どうしても懐疑的な視線を送ってしまう。

 確かに立場上、何かしらの訓練を受けたりしていそうなものなのだが――しかし、体は嘘を言わない。

 同じように、不摂生とは無縁でいるのも物語っている体だが、発揮されるパフォーマンスがそれに伴っていないのだから、言い訳のしようはどこにもない。


「日常的にトレーニングをしているなら、もう少し持久力があるはずだよ」

「た、確かに……私はもう魔術師としては完成してしまって、身体訓練なんて長いことしていないけれど――」


 納得がいかない様子だが、仮に過去に動けていたとしても、運動を辞めたとたん信じられないほどの落ち込みを見せてしまうのが体力だ。

 何より他ならぬ自分自身、自覚は充分あることだろう。


「せめて少し走ろう。毎日、じゅ……」


 危うく口がすべりかけ、


「えっと、五――いや、三キロくらい」

「『キロ』……って、どれくらい?」

「たぶん、君が動けなくなるくらいかな」

「い、嫌よ」


 罰ゲームとして提案したつもりが、当然の権利のように拒絶されてしまう。先ほどまでの負けを認め、大人しく罰を受け入れそうに思えた空気は、初めからなかったように霧散しているようだった。

 その引きつった顔を見るに、想定し得る案の中でも極端に勘弁して欲しい点を突いてしまったらしい。

 おそらく、他の何を要求しようとも、こうもユーリアが不平をこぼすことはなかったであろう。


「なら、距離や時間は少しずつならしていけばいいから」

「やだわ」

「そんなに?!」


 意外なほどに頑な。自分の意思を曲げないところは普段通りではあるが、こうも潔くない面を見せられるとは思ってもおらず、


「好きじゃないのよ、楽しくもないのに疲れるのも汗をかくのも――」


 本音。

 そこまで嫌だと言うのなら、それを強いるのはもう酷なのかもしれない。体力が必要だと廉太郎が勝手に思うのもお節介で、本人が必要ないというのだから。

 ここらで引き下がるのが正解で、本来はそうしたはずではあるけれど。


「罰ゲームなら変えないよ」


 それをさせたいという要求――望み、欲求。

 それらの強さが、廉太郎の中で彼女の事情に優っていた。


()()()()()走ること」


 ユーリアの身を案じてというのも嘘ではない。大部分がそれに基づいた、お節介な感情であるのは事実である。

 だが同時に、廉太郎自身がそれをしたいとも思うのだ。

 先の試合が、自分の置かれた状況や不安を忘れ去るほど楽しいものであったように、彼女とただ走り続けるのもきっと楽しい。

 だから、ユーリアが今口にしたように、ただ苦痛なだけの時間になることはないだろう。

 一度体を動かしてみれば、案外彼女もそう思ってくれる――かもしれない。


「え? あなたもって、もの好きね……なら、まぁ。いい、けれど――」


 あまりにも()()()()()()()()()()()()()()と思っていたが、どうやら一人で走らされるのかと勘違いさせてしまったらしい。罰則じゃないんだから――そんな風に考えて、文字通り罰ゲームだったということを思い出す。

 思えば不思議なものだ。勝者が敗者に罰を与えたところで、誰も得をしないのだから。 

 勝者が得をする仕組みに変えるのであれば、与えるべきなのは『罰』ではなく『褒賞』だろう。無意識にそんなことを考えていたのかもしれない。ユーリアにはどうにかして体力をつけてもらいたいし、そして廉太郎には――


「……初めてちょっと嫌いになったわ、あなたのこと」


 何とか同意した上で、それでも非難がましいユーリアの視線。

 それに射抜かれる廉太郎は、すぐさま考えるまでもなく口が動き回っていた。


「なかったことにしよう」


 どことなく逃げるように視線が泳ぎ、何も言わず笑っているだけの『ロゼ』を素通りし、その先から近づいてくるクリスの目とすれ違うように行き会った。

 

「ん、まぁいい試合でしたよ。途中からは退屈しませんでしたし……」


 頼んでもないのに告げられる感想。だが、それがどこか誇らしかった。

 しまいにクリスはふっと笑い、ネットを挟んだ二人の顔を見比べからかうように口を開いた。


「しかしあれですね。この調子だと、私が何かを言う必要がなくなるのもそう遠くはなさそうです」


「どういうこと?」と、ユーリアが問う。

 それを「廉太郎に聞いてください」と茶化し返し、それに従う視線から廉太郎はやはり苦笑いで逃げるのだった。

 意味は分かる、いつも通り。


 ――まったく。


 友達を目指すように確かめ合った友情を前にして、本当に無粋なことを言う。ときおり思うのだが、この子供は男女間の友情を否定する手合いなのではなかろうか。

 だとすれば、その浅はかさは見た目相応。

 百歩譲って他のあらゆる関係がその定説に当てはまろうとも、誰より特別であるユーリアにだけは当てはまることはない。

 それが、何より嬉しかった。



 しかし、クリスの先ほどの発言は、ほどなくしてすぐに否定されることになる。

 それはこの場で意図されたような、平和で、微笑ましく、元から不要なお節介としての文脈とはまったく異なる、別のかたちで。





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