第十話 享受
廉太郎は会議室のような空き部屋に通されていた。付き添いの男性は優しかったし、廉太郎の言葉にも黙って耳を傾けてくれるように思えた。
二人して腰を下ろしたところで、部屋の入り口から現れた人の気配にその談合は中断されてしまう。
「――いや、話は私が聞こう」
それは金髪の男性だった。顔立ちは綺麗だったが、歳のころはわからない。顔の作りが違うと大まかな年齢までおぼつかなくなってしまうのだ。
それでも、その落ち着いた雰囲気からはるか目上の人間であことが推測できた。
「そう、ですか……わかりました」
職員はその一言で席を外してしまっていた。力関係があり、それは身分の差であるのだろう。
おそらく、この機関でも上位の立場にある人間。そう思わされるだけの格と品がその男にはあった。
「やぁ、娵府廉太郎君。君の事は知っているよ」
「――え?」
男の物腰は柔らかかったが、初対面の相手に認知されているとなると警戒せざるをえなくなってしまう。
ところがその理由は単純で、また当然のものだった。
「昨夜のうちに、ユーリアから報告を受けているからね。ふむ……聞いていたより好青年だな、君は」
昨夜となると、視力を封じられていたユーリアはまだ廉太郎の顔すら目にしていなかったのだし、素性も話そうとしなかった。印象はあまり良くなくて当然だが、一体この男にどう伝えたのだろうかと気になってしまう。印象が改善されているのを心から願う。
第一印象だけには自信がある。
「ようこそ、私たちの町へ。歓迎するよ……君が何者であろうとね」
「あっ……ありがとうございます」
ユーリアは、廉太郎がすでにこの町で生きていけるようにしたと言っていた。あれだけ弱っていそうだった昨夜の内から働きかけてくれていたことはもちろん嬉しかったのだが、それよりも『何者であろうと』という彼の言葉にどきりとさせられてしまっていた。
心当たりが二つあったからだ。
別の世界から来たことと、おそらく自分が原因でロゼを害してしまったこと。
しかし、男には他意はないようだった。
「私はルートヴィヒ・フリード。まぁ簡単に言えば、ロゼの上司だ。彼女の体の事はよく知ってるし、状況は君が思うよりずっと理解している。だから、安心して話すといい」
「――はい」
廉太郎は包み隠さずに話し終えた。
ロゼの安否が気がかりで、伝えられることは全て伝えようと努力した。
それでも、別の世界から来た事だけは言えなかった。自己保身でもしてるのだろうかと自分が嫌になってしまうが、それだけは言うべきでないという予感が喉に張り付いていたのだ。
「どうなってしまったんですか、あの人は」
「結論だけ言えば、明日には普段通りに回復しているだろうね」
「ほ、本当ですか!? ……良かった」
ルートヴィヒと名乗った男性の表情を見ても、嘘を言っているようには思えなかった。
ほっと胸をなでおろす廉太郎に向けて、彼は静かに語りかけていく。
「ロゼの体の異形化は進んでいて、実はあんな変異はよくある事なんだ。しかし彼女はあまりに特殊で、どう変わり果てても人に戻ることが出来る。……自我まで失ったのは初めての事だが、それはもう心配しなくていい」
助けに入ってくれた男も、無事に治療を受けているという。後で礼を言いに行かなければならない。
それと、ユーリアにもだ。二人の助けがなければ、自分は間違いなく殺されていた。
感謝を言葉にしても伝えきれる気がしない。
そして、いくら平気だと言われてもロゼの事は気がかりだった。
「変異とはつまり、あんな風に体がおかしくなってしまうことですか?」
ユーリアやロゼも口にしていた。この世の人間を襲っている原因不明の病のような何かが、人の精神や肉体を醜く歪めていると。
そういった者たちは人の社会からはじき出され、この町は迫害された者たちが集う町となっている。
あれがそうだと言うのなら、聞いて思っていたものより遥かに異常な変化だと言える。町を歩く人間にそんな異様な者は見つからなかったため、やはりあの一軒は特に異常だったのだろう。
「ずいぶん、当たり前のことを聞くんだね?」
「えっと、その……」
「いや、いいんだ。君も混乱しているんだろう、目の前で急激な変化を見せられたのだから」
言葉に詰まってしまった廉太郎に向けて、彼はにこやかに配慮を見せている。
そして、そのままの態度で言った。
「原因はもちろん君だ、残念ながらね」
それは、状況から考えて廉太郎も覚悟していた事実。
しかし、罰せられるわけではないようだった。故意ではなかったと、分かってくれているのだ。
「君は、ロゼにも魔力がないと言われたらしいが……それは違う」
「え?」
「逆だよ、君の魔力は膨大だ。容易に触れてしまえば、精神が破壊されるほどに。しかし、それを出力する機能に障害でもあるのだろう……だから、君からは微弱な魔力も感じられないんだ」
実は魔力があるだとか、それでも魔法は使えないだとか、そんなことはどうでもよかった。
ただ、ロゼに対する謝罪の気持ちが強くなるばかり。
知らないとはいえ、彼女には爆弾を握らせてしまったようなものだ。
「もう彼女に触れてはならないよ。君の魔力運用はどうにもならないし、また同じことになってしまう。彼女の精神を守るために今日の記憶も消去することになる」
「わかり、ました……」
そうして話を終えると、用は済んだと解放される。
男の言葉の全てが重荷に感じてしまう。何の罪にも問われないことが、逆に心苦しかった。
ロゼ本人に後で謝りに行こうとも、もうその記憶は失われていることになるなど。
「――そうだ」
暗い気分で部屋をでようとした廉太郎の背に、ルートヴィヒは思い出したように言葉を投げかけていた。
「なんです?」
「ユーリアを助けてくれてくれたことに対して、礼を言っていなかったな」
廉太郎はそれで少し、居心地が悪くなってしまっていた。今しがた自分がしたことを思えば、誰にも礼の気持ちなんて向けてほしくなかったのだから。
そんな廉太郎の様子を他所に、男はそれまでの捉えどころのない大人びた態度を崩しているようだった。溜息まで吐いて、大げさに嘆いてみせている。
「まさか彼女が怪我を一つでも負うなどと、まるで想定していないことだ。昨晩は肝を冷やしたよ。……我々の最高戦力を、こんなつまらない任務で失うところだった」
「最高戦力……」
それはまた、凄まじい称号だと思った。
そんな大層で雄々しい称号をあんな普通の女の子が持っていようとは……なにやらちぐはぐなことに感じられてしまう。
どうりで、変異したロゼを一瞬で鎮圧してみせたわけだ。
知人の凄さを知ったような、誇らしさに似た感情。それとは別に、言葉にできないような焦燥感に襲われていた。
それならばやはり、あの負傷は異様。
その評価自体が、部外者である廉太郎には危うく思えてしまう。
魔力一つ失えば、どうということはない獣一匹に殺されてしまいそうだったのだから。
「君に謝礼金を渡す用意があるが――」
「いりませんよ、別に」
思わず断っていた。
必要だったからだ。
「その、大したことはしていませんので……」
そう言い残し、廉太郎は逃げるようにその場を後にしていた。
無性に顔を合わせたくて本部棟を探し回っていると、すぐにユーリアを見つけることが出来た。
「……あ」
こちらの視線に気づいて、彼女はそう声を漏らしている。先ほどと変わらず、同じような表情を浮かべていた。
倒れたロゼのことを心配しているのだろうと思い、先ほど聞かされた言葉を伝えていく。
「……その、ロゼさん大丈夫だって言ってたよ」
「え? あ、うん……それはそうでしょうね」
少しでも安心させようと言ったつもりだが、彼女の無事を疑ってはいないようだった。捉えようによっては気にも留めてないようでもあり、少し冷たい言い方だとどうしても感じてしまう。
だが、そんなつもりであるはずがない。少なからず二人が親しいのは間違いないのだ。そのような印象をロゼの言葉から受けていたし、ユーリアがまず彼女を頼った事からもそう思える。ロゼを紹介しようとした時の彼女の口ぶりは、とても気軽なものだった。
――あぁ、そうか。
廉太郎は、ロゼとアイヴィらが口にしていたユーリアへの評価を思い出していた。言葉が足りず、友人も少ないという評価。
恐らく、こんな風に誤解を与えることが多いのだろう。加えて、朝食の席で見せた短気もある。
あれはつまらないことだったはずだ。それでも、彼女にとってああするに足るのほどのことなのだろう。
彼女があらゆるものに対して過剰な反応を示すことは、すでに分かっていた。
そういう風にしか生きられない似た人物を、家族に一人抱えていたからだ。
――なにかこの世界は生き苦しいと思うことはない?音とか、光とか。世界との手触りが決定的に違うとは思わない?
ユーリアが何を思ってそんな問いを投げたのかはわからない。ただ、それは彼女自身が抱えてる物に直結しているように感じられるのだ。
まるで、同類であるかどうかを探るような問い。
その苦痛を共有できるのかという確認。
個人個人の感覚を、他人が正確に理解することはできない。同じ世界を見ていても、どう感じるのかは一人一人違う。
きっと特殊過ぎて、だれにも理解されることもなく、共有することもなかったのだ。
彼女は特異な世界で生きている。
廉太郎にはそれらを理解することはできないが、理解されないことがあるということだけはよく知っていた。
「どうしたの?」
「あ、いや……いろいろ起こり過ぎて、少し混乱してて」
「……そうね。とりあえず家に戻りましょう、話を纏めたいしね」
「家って……?」
戻ると言われても、立ち寄ったのは朝食を取らせてもらったアイヴィの居た店だけだった。あそこに住んでいるようにも見えない。
訝しんだ廉太郎に、彼女はなんて事のないように言葉を付け加えていく。
「ん? あぁ……つまり、私の家があの店の近くにあるということよ」
「――自宅に招いてくれるとは」
意外だった。
出会ったばかりの人間に対してこうも――それが彼女にとってどれほどのものかはわからないが――心を開ける彼女は人付き合いが苦手そうだとも思えないし、むしろ好かれるだろうにとも思ってしまう。
友人ぐらいすぐにでもできそうなものなのに。
「――あれっ」
歩き出した彼女に足を合わせた時、ふと目に入った物があった。
本部のエントランス、その正面で人を出迎えるように掲げられた大きな旗だ。
「……あれは?」
「え? ……シンボルマークか何かでしょ。意味は知らないけど」
そこに刻まれたもの自体に意味がないと言えば半ば正しい。形に意味があるのではなく、それは音をあらわしているものからだ。
つまり、表音文字。
その形がアルファベットだということを思い出した時、同時に一つの事実に気づいてしまった。
――何で、俺はこんな訳の分からない言葉を使いこなして……。
廉太郎は日本人として平均的な語学力をもった高校生であり、日本語と不出来な英語くらいしか扱えない。当然、今いるこの地での言語など存在すら知らないはずであるし、話せるはずもなかったなのだ。
いつの間にか、思考言語までもが置き換えられている。
知らない単語や文法を、まるで母国語のように扱っていた。会話に何の不自由もなく、目にした文字も読解できていた。
――そして、その事実に今の今まで気づけないでいた。
途端に、全身が凍るような恐怖を覚えてしまう。この世界に対する漠然とした恐怖ではなく、はっきりと自分の身に起きた恐怖だ。
自分自身が知らぬ間に歪められていたという恐怖。
未知ゆえに恐ろしいと感じていたこの世界に、いつしか自分自身が同化していた。
どうしても、化け物のようになってしまった彼女の姿が脳裏に浮かんでしまう。
「ど、どうしたの? 顔色が悪いようだけど……」
「い、いや……その、変なこと聞くんだけど」
「ええ」
「今話しているのって何語だっけ?」
「……第三統一言語だけど?」
当たり前のように聞き覚えの全くない言語だった。
もういっそはっきりと口にしてくれたことで無理やりにでも説明がついてしまい、安堵すら覚えてしまう。そのように脳内で整理するのに用いたのも、やはりその言語。もはや日本語で思考することすら難しくなっている。不可能ではないが、妙な手間と抵抗感があるのだった。
その旗に刻まれていたのは、W・R・R・A……そうあしらったように見えるデザインだった。企業ロゴなどで見かけるような、文字を捻ったような気の利かせたシンボルだ。
存在する言語さえ違う別世界に、どういうわけかその文字が刻まれている。
世界復興機関。
――『World』、……『Rehabilitation?』、『Administration』、……まさか、それの頭文字!? そこまで符合するなんてことが偶然に……あるのか?
その疑念は、気づかないでもいい恐怖に気付かされてしまっただけではない。
一種の朗報でさえある。
気持ちを僅かに逸らせながら、ユーリアに問いを重ねていった。
「あのマーク、誰が考えたか分かる?」
「さぁ? ずっとあるし……創設者とかじゃない?」
「調べることって……」
「うーん、やってみるけど……どうして?」
「いや……意外と、すぐ帰れるかもしれないから」
共通した言語が存在するということは、関係が必ずあるということだ。いくらなんでも、異なる場所で偶然同じ文字が発生したとは考えにくい。
今はまだ情報がたりず不確かな憶測にすぎないが、前向きに捉えていいはずだ。
気持ちが逸り、廉太郎の言葉はあまりに圧縮されてしまっていた。ユーリアには当然のように意図が分からず、口調に僅かな苛立ちを含ませているようだった。
「わかるように話しなさい」
「ご、ごめん。……いや、説明が難しいな。ゆっくり話すから」
端的なその指摘に、しどろもどろになってしまう。怒らせてしまうのはいけないとつい先ほど教わったはずなのに、なぜだか悪くない気分にさせられてしまうのだった。
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「ふーん。あなた、魔力量が多いのね……逆に」
廉太郎がユーリアに報告を済ませると、彼女は腕を組んで考え込んでいた。やがて溜息を吐いたかと思うと、廉太郎を睨むように呟いた。
「え、ずるくない?」
確かに使い道は無く、持て余すしかない。
「いや、そんなこと言われてもな……」
廉太郎自身なんの実感もない話なのだ。これまで存在すら知らなかったものが自分の魂に宿っているなどと言われても、ただただ困惑するしかない。実は元からそうだったのか、この世界に来てしまったことによってそう歪められたのか、それは分からない。思考言語が書き換えられたことを考えると、どうも後者のような気がしてならなかった。この世界には人の魂を歪める病気が蔓延しているという以上、廉太郎もその影響を受けたと考えるのが自然なことであった。
魔力も知らなかった廉太郎がそれを大量に有しているのは、完全に持て余し腐らせているだけなので魔術師であるユーリアにとって複雑なものなのだろう。
気づけば、彼女は独り言のように何事かを口にしていた。
「仲間かと思ったけど、やっぱり違うのかしら……。魔力があるとなると」
「ん? 何が?」
「いえ、その……あなたと同じように、もしかして私も知らないうちにこの世界に移動して来たのかな……なんて、少し思っていただけよ。先ほどまでね」
それは、まるで頭に浮かばなかったような話だった。不可思議で、不自然な発言である。彼女は初め、廉太郎の言葉を信じていなかったのだ。
「何で、そう思ったんだ?」
「同じだからよ、私とあなたが。本来居るべき世界に居なくて、魔力が……いや、これはなんでもないわ」
「居るべき世界……? そういえば朝、そんなことを聞いていたけど……あれはどういう意味が?」
問われたのは確か、世界との相性についてだった。
それは要領を得ない不可思議な問いだった。答えに窮した廉太郎に、彼女はすぐになんでもないと言ってはぐらかしていた。
「その……私は生まれる世界を間違えたのかなって、子供の頃から思っていたからね」
「生まれる世界?」
「私、変わってるのよ。普通の人が我慢できる……いえ、我慢すらしていないのでしょうけど、そういう普通のことにほとんど耐えられないから」
車に乗っただけで苦しんでいた彼女を覚えている。だれもかれも普通に乗れているのが信じられないとも言っていた。
廉太郎はおぼろげながらそのことに気が付いていた。本人の口から聞いたことで、それが確信となる。
「ちょっとした音とか光とか、それがとても痛くて。……とにかく五感がね、世界にうまく合っていないみたいなのよ」
彼女がサングラスを掛けている理由を、それで理解した。特に日差しが強いわけでもない上に室内でも外そうとしていなかったことが、ずっと気になっていたのだ。
「それで、体を魔術で制御しているのよね」
初めて会った時、彼女の魔力は負傷の手当てに充てられ、体を制御する余裕がなかった。それでずっと調子が悪かったのだろう。車に乗るだけで会話もできなくなるほどに。
それに目も見えていなかったし、それは視力を確保できていないからだと初めから言っていた。しかし、それは制御とはまた別のものである。体の五感を制御しなければいけないのに加えて、視力を確保する必要が別に存在するのだ。
「あなたが別の世界から来たと分かって、もしかしたら私に合っている世界はそっちなのかも……なんて期待したのだけれど、破綻したわ」
「破綻って、どうして」
「だって魔力が……いえ、何でもないわ。もういいでしょう?」
ユーリアが会話を切り上げた以上、もう口を挿む気はなかった。追及する必要すらもなかった。
腑に落ちない点は多々あれど、それ以上に彼女のことを知れただけで十分だと思えてしまう。