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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第三章 「」
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第五話 『精神状態』

 ――いつごろ好きだと認めるんです?


 茶化しているのか焚きつけているのか、はたまた本気で誤解しているのか。

 しかし、そんなクリスの発言や思惑とは別に、現実的な問題は存在する。

 ユーリアのとの関係が実に曖昧なままであり、それが維持されているということ。何度も顔を出し、そのたびに棚上げにして、なあなあで済ませてしまっている。

 恋人でもなく特別な感情がないことも明らかだが、では友達ではあるのかという問題が。


 ユーリアは廉太郎を友達だと認識し、そう宣言してもいる。

 その友情に応えたい。

 しかし、口ではそれを否定せず、またそのように振る舞っていようとも、廉太郎にはいまだその踏ん切りをつけることができていない。果たして本当に友達だと定義していいものか、心の中に躊躇いがある。


 ユーリアは非常に稀有な人間だ。自分たちは友達だ――などと、そんな台詞を面と向かって言えてしまう。そこに嘘や誇張、打算といった不純物は存在しない。

 言葉にすれば簡単で、ありふれたような素質にも聞こえてくる。

 だが、それだけで間違いなく稀有であると廉太郎は確信できる。友愛の強さを言葉ではなく行動で体現してしまえる人間など、そうそう見当たるようなものではないのだから。

 友だち、友情。

 陳腐になるほど使い回された言葉でありながら、彼女の口を通るそれらは少しも軽いものに聞こえてこない。


 ――友達のためなら何でもする。いくらでも力になる。


 そう言ったユーリアは、現に廉太郎やトリカの危機に際し、自らの危険を顧みることがなかった。

 彼女は心からの『親友』を作れる人間だ。

 廉太郎の思う、『本当の友人』を作れる人間だ。


 そんな彼女となら。

 もしかすると、本当に『友達』になれるのかもしれない。

 彼女に巻き込まれるように、人生を変えるほどの信頼を築き上げられるのかもしれない。


 だが、そうは言っても――。

 廉太郎はまだ、ユーリアのことをほとんど理解できていない。多少知ることができたのは人と成り、それと人づてに聞いた過去くらいのものだ。思想や哲学、宗教観。その人を構成する人格の核となるものは、ほんの少しも見えてこないまま。

 それに、肝心な部分は打ち明けてくれない。彼女の抱える過去の辛さ、町の人間と確執を生むに至った原因でさえ、本人は態度にも出そうとしていないのだ。

 心を許されたわけではない。

 当然だ。

 一緒に過ごした時間なんて、まだまだ短いものなのだから。そう考えれば、それらはいずれ埋めてくれる溝でもあるのかもしれない。

 

 だが、その逆はちがう。

 同じく廉太郎の心の内、そのすべてを預けられるような日はおそらく来ない。

 些細な日常の中で心に生まれる、無数の『言いにくいこと、言いにくい気持ち』。

 誰に対しても、いつになろうとも、廉太郎がそれらを言えるようにはならないだろう。自分の問題を押し付けて共有し、巻き込んでしまうことに抵抗を覚えて仕方ないのだ。そういう性格を自覚している。そうそう変わるとも思えない。

 『そんなことも言えないようでは友達じゃない』とさえ思うのに、どうしても口をついては出てこない。

 


「うえぇ……」


 帰宅した家で合流し、食事の席でユーリアの顔を盗み見るように、廉太郎はそんな物思いにふけっていた。その最中、不意に情けない声で隣のクリスが口を尖らせだしたのだった。


「――お前、また」


 どうにも、食後に出された飲み物の味か匂いか、あるいはその両方がお気に召さないようであるらしい。一口中身を含んだだけで、これみよがしにカップはテーブルへと戻されていく。


「やっぱり嫌がらせなんですかね。お昼も結局、出されたのはインクみたいなやつでしたし」

「し、してないわよそんなの……」


 ユーリアを除き、食事の席で飲んでいるのは全員が同じ。にもかかわらず、注いでくれたアイヴィをまるで加害者扱いだ。当然そんなことがあるはずもなく、むしろ済まなそうにしているアイヴィが気の毒で、クリスの方が嫌がらせをしているような図にも思える。

 確かに今日の朝食兼昼食の席、出された飲み物は凝り過ぎていた。なんだったのかはよく分からない。食べ物同様、異郷の地でのそれらは判断に困る。

 コーヒーよりも飲みにくい何かで、美味しそうに飲んで見せるのは廉太郎でも苦労したものだ。砂糖を入れようが何を入れようが変化など実感できなくて、クリスが渋い顔をしていたのを覚えている。


「だいぶ、甘い感じだと思うんだけどなぁ」

「子供の舌を舐めないでください。大人の言う『甘い』は気取りすぎなんですよ」


 一理ある――ついそう思ってしまい、誤魔化すように茶を煽った。注がれた赤い液体から、香水のような植物の香りが漂っている。不快ではないにせよ、美味しくないとまでは言わないにせよ、味が何やら難しい。


「……ジュースとか、作ってあげたらどうなの?」


 そんな指摘をユーリアから受けとると、アイヴィは難しい顔で席を立った。「良いけど……誰が作ったって同じじゃない……」と頬を膨らませている。

 茶葉か植物か、あるいは焼いて炒る豆か何か。そんな凝った茶を客に出すのが、仕事というより趣味でさえある彼女のことだ。絞っただけの果物より、何かしらの逸品を出したい気持ちがあるのだろう。

 そんな母親に向けて、ユーリアが告げたのは一言だけ。


「意地悪しないの」

「してないわ!?」


 ショックでも受けたようにキッチンへ飛んでいく姿を、クリスは何とも言えない笑みで見送り、「どうも」といった愛嬌をユーリアへと振りまいていく。


「無理することはないわ。私なんて、水とお湯しか飲めないんだから」

「それも極端だとは思いますが……」 


 苦笑いを浮かべ、今度はからかうようなその視線を廉太郎へと向け始める。何が楽しいのか、一つ終わったら次へ行こうとする見境のなさに辟易せずにいられない。


「廉太郎も頼んでみます? 緑茶以外はダメなんですよね、本当は」

「……言うなよ、あの人の前で」


 日本語なのがせめてもの情けか。ちらりと見たユーリアは――当たり前だが――不思議そうにこちらを見ているだけだった。

 「気にしないで」とばかりに曖昧な笑みで誤魔化して、廉太郎は自身のカップを飲み干していった。味わい深い酸味が後に残る。赤いのだから、紅茶か何かか――あるいは何かの植物か。推測できるはずもない。

 海外旅行の経験もないのに、ずいぶんと度胸がついたものだ。

 人の肉でも出されない限り、文句など顔に出ることもないだろう。


「――そうだ、ユーリアさん」


 不意にクリスの口から、問いか何かが顔を出す。見てそれと分かれば気づけるような、そんな少しばかりの遠慮を含ませて。


「図書館に行ったはずですが、どうでした? ……その、お友達は」

「んー、まだ起きないのよね」


 それは残念な答えであり、丸一日経ってもトリカの意識が目覚めなかったことを意味している。結構な大事であるはずだ。

 にも関わらず、ユーリアの表情は暗くない。


「でも、見ていて平気そうなのが伝わってくるの。気持ちよさそうに、ただ眠っている感じで……体の構成は、もう回復しているみたいだし」


 だから大丈夫だと、そう言って笑ってみせていた。

 こちらに心配かけまいと、多少の強がりは混じっているはずだ。しかし、トリカの面倒を見ているあの図書館の二人を、ユーリアが信用していないはずがない。

 当初は互いに確執を抱え、ぎくしゃくしていたラヴィとも、今や友人同士であるのだから。

 

「……困りましたね」


 そこへ、水を差すようなクリスの呟き。本人も意識せず零れたようなその言葉に、ユーリアは怪訝そうに、


「困る? クリス、あの子と面識ないはずよね」

「……あぁ、いえ。それでも、その……気になるといいますか」


 不自然に言い淀んだクリスだったが、ユーリアは気にすることもなく「いい子ね……」と、柔らかく細めた目で微笑んだ。見ず知らずの相手を気にかける姿勢に感極まったのか、クリスの手へと自然に腕を伸ばしている。

 クリスはそんな自分の手を、握られる前にテーブルからどけた。

 どこか、気まずそうな顔だった。



 







「――あの、廉太郎」

「うん?」


 食事の後、クリスはどこかこっそりとした様子でふと声をかけてきた。アイヴィは一人で住む家に戻り、ユーリアはシャワーを浴びに消えていった。

 まるで二人になるのを見計らったかの様な、そんなタイミングでのことだった。

 

「『ロゼ』なんですけど」


 クリスはその姿を探すように、静かになった居間のあちこちに目を這わせ、


「あの女、あれから何か言ってきました?」

「あれから、っていうと……いや、そういえば顔を出さないな」


 魂の中に居座る『ロゼ』は、廉太郎の意識の表層に上がってくるつもりが、非常時でもない限り基本的にない。だが今日は彼女の自室を見舞うのもあり、姿と声のイメージを見せ、聞かせてきたのだ。

 色々と立て込んでいて気づくのが遅れたが、指摘されてみれば、いつのまにやら彼女の気配は隠れてしまっている。


「そうですか……」

 

 返された問いの答えに、クリスは何がそんなに気になっているのか腕まで組んで唸っている。かと思えば、人の顔を覗き込んで辛気臭い顔を晒している始末だ。

 それを不審に思う。

 『ロゼ』とクリス、その仲が一方的に緊張しているのには気づいてる。だが、だからといって今の質問と反応の意図が、少しも見えてきそうにない。


「ですが、今この瞬間も聞かれていると考えていいでしょうね。――まったく密談もできないってのは、不便なものです」


 廉太郎の魂の中に、彼女の魂は取り込まれている。現実世界、廉太郎が五感で得た情報は当然のように伝わっている。

 だから『ロゼ』に隠れての内緒話ができないのは確かなのだが、


「お前、何が言いたいんだ?」


 今現在、彼女に隠れてするような会話があるとは思えない。

 だからこそ眉を顰めているというのに、クリスはそんな態度が納得いかないかの様子でこちらをじっと見すえていた。そうして何事かを思案しながら、いっそ睨むような表情でその首を傾げていた。


「廉太郎、何だか……あの女に対してはずいぶん察しが悪くなりますね」

「はあ?」

「不自然ですよ。自覚あります?」

「だから、何が――」


 まったく心当たりがない。クリスの態度は要領を得ず、分かるように話してくれているとも思えなかった。

 廉太郎は真意を覗こうとその目を見つめ、クリスもまた同じような表情でその視線を返している。先ほどからずっと、一人で頭を悩ませているように。


「本人自ら、正しい認知を妨害しているという可能性もありますが……」

「だから、なに言ってるんだよ」

「……前例もありますしね」


 ――前例。

 一昨日、危機に陥るまで。廉太郎は夢の中で接触できる『ロゼ』の存在を、すでにずっと知覚していた。そうでありながら、起きている間は『ロゼ』がそれを忘却させていたのだった。

 しかし、それは自身の存在が原因で、廉太郎へ余計な心理的負担を与えたくなかったというお節介にすぎない。その状況が終了した今、『ロゼ』に干渉される理由はなにもない。

 それに、察しが悪いと言われても困るのだ。今現在『ロゼ』の何を考慮すればいいのか、まるで思いつかない。

 おそらく。

 現実世界にいるロゼの不調が、何か関係してはいるのだろうが――


「いいですか――」


 クリスは口を開き、そしてそれをすぐに閉じた。

 たぶん、何も言うことがなかったのだろう。











「大丈、大丈夫だから――」


 廉太郎の今の悩みはただ一つ。いかにしてユーリアをこの寝室から追い出すか、である。

 

「遠慮しないで? 眠くなるまで一緒にいてあげるから」

「朝になっちゃうよ、また」


 その友情は身に余るほどありがたいのだが、そこまで優しくされて――というより甘やかされて――しまうと立つ瀬がない。夜遅くまで付き合わせては悪いし、強いているようで心が辛いし、何より子供があやされているようで恥ずかしくて仕方ない。

 洞窟の探索が無駄に終わったことを聞いたユーリアが、こうして心配して止まないのだ。昨晩と同じように、眠れないほどの不安に襲われていはしないかと、放っておこうとしないのだ。

 確かに、精神的には平気とは言えない。最悪とまではいかないが、一人で寝付くには頭の中を余計なことが飛び回りすぎている。

 とはいえ、そんなことで『寝る前に隣にいてもらう』などという異常事態を習慣にしてしまうのは良くないことだ。

 それこそ、友達かどうか怪しくなってしまう。


「そっか……」

「う――」


 この問題はいつも廉太郎を悩ませるのだが、受け取らない善意は時として相手を傷つけてしまう。拒まれたユーリアは気落ちした様子で、力になれない自分を不甲斐ないとさえ思っているようにも見える――というより、察せられてしまう。

 そんな仕草や表情と、それからシチュエーションが昨晩の問答と重なって、どうしてもいたたまれない気分が膨らんでいく。


「なーに遠慮してんですか廉太郎」


 クリスが隣の部屋から顔を出した。面倒くさそうに、状況など聞かずとも見ただけで分かる、とでも言いたげな顔で、


「迷惑だって思うなら、隣で勝手に辛そうにされてるのも滅茶苦茶迷惑なんだってことも知っといてください」

「…………そうだな」


 暗に、本人からの強い苦情を感じてしまう。その上で何も言い返せない指摘だったのもあり、未熟さが気恥ずかしくて顔を伏せてしまった。


「ユーリア――君の提案は凄く嬉しいし、とても助かるんだけど……でも、今夜は昨日の今日だから」

「あぁー、そうね?」


 バツの悪さと有難さ、それと主に逃げ出したい気持ちが混じり合いよく分からない発言となって口を突いた。ユーリアも反応に困っている。

 が、それがかえって『じゃあ仕方ないか』という気分に変えてくれたらしい。ラインのぎりぎりを攻めている自覚が、彼女にないはずがないのだから。


「じゃあ……クリス、一緒に寝ない?」

「おやすみなさい」

「あっ……」


 そちらには何の問題もなさそうなのに、クリスは懐かない飼い猫か何かのごとく、意にも介さず自室へと消えてしまった。

 一度に二人に袖にされた、そんなユーリアの姿があまりに人寂しそうに見えたのもので、結局それから少し、廉太郎は彼女の話に付き合った。

 朝までなんてことはない。昨日はユーリアが眠くならなかっただけだ。

 お互いが眠くなるまでの、ほんの短い対話の時間。

 しかしそれでも、なぜ拒むなんてことができたのか不思議になるほどの有意義さを覚えてしまう。

 隣にいることが楽しいだけでなく、安心感を生んでいくのが分かる。 

 話をしながら、ユーリアが眠気を感じ始めていくのが目に見えて分かり、それに釣られていく感覚が心地いい。

 帰れない閉塞感、帰れないかもしれない不安。そんなものは顔を出さない。一時的に、それが大した問題ではないかのようにマヒしていくのだ。募る眠気と目の前の非日常が、強い酒の代わりとなって酔わせている。

 今の気分であれば、しばらくは一人になっても大丈夫だろう。

 何も考えずに眠ることができる。

 それ以上の幸福があるものか、今の廉太郎には思い浮かびそうになかった。



 

 そしてその夜、廉太郎は夢を見た。

 この世界に来てからというもの、初めて見る夢であった。

 





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