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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第六十一話 一人の不安と夜の不和

 元の世界に帰りたい。

 それはひとえに、今のままでは不味いという焦りに由来する感情だ。親、妹弟、親族、親しいとは言える同級生。廉太郎がいなくなった、失踪したことで、程度の差はあれど少なからず気に病んでいる者たち。

 彼らへ与える心労が、捜索等の労力が忍びない。謝罪の言葉も思い浮かばないほどに。

 つまり、廉太郎の目標は「いつか帰れること」になく、「今すぐに帰る」ことにある。

 そして、それは既に手遅れとなった。

 現時点、一週間以上家を開けてここにいる。

 現代日本の、それも学校を代表しても恥かしくないほどには生真面目な学生が起こす行動ではなかった。まず事件性、あるいは事故を疑われている。いっそ、生存を信じている者の方が少ないだろう。

 最も廉太郎の心を責め立てるのはそれだ。他人への影響、他人からの視線が前提となる罪の意識。この瞬間にも、向こうの世界では近しい人間にほど大きな心的負荷を抱かせている。

 ――自分はこうして、何もかも満たされた環境で保護されているというのに。


 繰り返せば、廉太郎の目標は他人の視線を前提にする義務感だ。

 そこに『悲しい』『寂しい』『会いたい』という自らの欲求や感情は付随しない。それらをまったく感じない人間というわけでも、当然ない。

 だが、少しばかり家を空けた程度。現実感がことここに至って追いついていないように、永劫帰れない可能性を考慮するような時期にないのだ。

 断絶への恐怖はなかった。 

 しがらみが産む、自らの落ち度を恐れていた。







「……えぇと」


 友人として向けてくれるユーリアの献身を嬉しく思う。しかしその思いが強すぎて、現状不良が恫喝するように凄まれているかのような気分だった。そうなれば自然と彼女は退くだろうが、触れてしまいそうで逃げるに逃げれない。

 退いてくれとも言えず、こらえきれずに目を閉じた。


「眠いの?」


 明かりが瞼を透過する暗闇の中、囁かれるような声が耳に届く。


「なら、私に付き合わないで寝ていいのよ」

「別に、眠くないよ」


 矛盾したように見える行動が、廉太郎は自分でも滑稽に思えた。しかし一度眠くないと言ってしまったせいで、それを嘘にもしたくない。かといって目を閉じた手前、今一度目を開けては至近距離で目を覗きあうことが分かってしまっている。

 目を合わせるのを避けるのは、きっと――


「眠れないのなら、ここにいてあげるから」

「いや、眠れないよそれ……」


 とてもではないし、とんでもない。

 思わず目を開けてしまったが、冗談を言っている顔ではなかった。それが妙で、廉太郎は訝し気な目でまじまじとその顔を覗き込んだ。

 その発言に至った意図も不明だし、何よりそんなうかつなことを言う人間ではない。


「どうして?」

 

 不思議そうに首をかしげるユーリアに、同じことを問い返したく思う。意味もなくそんな発言をするがずがないのだ。だからこそ、彼女がそうするべきだと思うに至った原因があるはずで、廉太郎としてはそれを取り除いてやる必要がある。


「ねぇ?」

「いや、どうしても何も……」一瞬躊躇して、あまりにも格好がつかなくて声に出した。「照れる」

「何に?」


 そう問いを重ねるユーリアの表情があまりにも普段と変わらないもので、廉太郎はうろたえるしかない

 問うてはいるものの、分かっていないはずがないのだ。それでいて、とぼけている様子にも見えない。

 そして、あぁそうかと、廉太郎は合点がいった。

 どうやら彼女は、ただ会話を重ねたいだけらしい。聞くまでもない答えだとしても、それを意味のない会話とは呼ばないから。


「全部かな」


 最も負荷のない言葉が口をつきながら、自然と目が向いていたはユーリアの着ている服だった。何もないとしても、やはり普段と比べれば遥かに無防備で、自室をさらけ出されているかのような落ち着きなさを感じてしまう。

 自覚のない視線に目ざとく気づき、「えっ、大丈夫よね……ちゃんと服は着てるし」とユーリアが身なりを気にする様子を見せた。裾を伸ばしながら確認を続け、そしてなんてこともないかのようにさらりと言う。


「今は下着もつけてるわ」


 聞かなければよかった。

 逆に言えば、普段の寝巻ではそうではないと言っているようなもの。

 確かに、いざ横になり眠るときには何も着たがらない彼女のことだ。体と気を休められる時間に、少しでも身の拘束感を削りたいのだろう。

 そういう人は少なくないはずだし、生活スタイルとして耳にしたことくらいは廉太郎にもある。だからそれ自体何も悪くはないのだが、そんな事実が告げられてしまえばもう湯を上がってから寝るまでの彼女と顔を合わせられる気がしない。

 同時に、やはりおかしいと思う。

 普段であればこんなことを言うはずがない。先ほどのアイヴィの手帳の件にしても、彼女は軽率に隠すべき情報を晒さないことを証明していたではないか。

 そんな彼女が、羞恥や品性のガードを下げてまでこの場の会話に殉じようとしている。


 もう知られているに違いない。

 廉太郎が、すでに一人で眠るには耐えがたい心労を背負っているということを。

 考えられる原因はクリスにしかなく、十中八九あることもないことも告げ口されているに違いない。これ以上一緒に寝させられるのは勘弁だから、どうにかしてくれと半ばなすりつていくかたちで。

 思えば、「眠れないのなら」という台詞が如実にそれを物語っていた。

 元の世界に帰れていない廉太郎が、それで気を病んでいると知れば、ユーリアの性格上何が何でも力になろうとしてくるはずだ。良くも悪くも他人のことしか考えてない。それはもう、普段気をつけている異性への距離感なんて疎かにしてしまうわけだ。

 確かに、こんな会話をされてしまえば自分の立ち位置なんて頭からは飛んでしまう。

 しかし、それはそれで眠れそうにない爆弾だということも分かってほしいと強く思う。


「――あっ……ていうか、俺読んでないんだけど……それ」


 言い忘れていたのを思い出した。

 今後の関係に影響を及ぼしかねないほど大事な話だ。例の手帳の件、廉太郎はその「読んではいけない」部分をほとんど目にせずに済んでいるという事実。

 それを伝え忘れたのは失敗だった。

 事実、彼女は今おそらく『それくらいはすでに知られている』という前提の元それを口にしてしまったに違いないではないか。


「その、触りの部分ですぐに駄目だと分かったから……」

 

 なんだか言い訳じみていて、信憑性にも欠ける声にしかならなかった。


「触りねぇ、どのあたりのことよ?」

「その、だから……」今日ばかりは何でもこうしてつっこまれてしまう。その気遣いが、逆に会話を苦手なものに変えてしまっていた。答えは躱せそうにない。


「――サイズだよ」


 それが記載されていたことが警告となって廉太郎の手を止めたのだ。その続きは想像でしかないが、しかし触りとはいえトップクラスにデリケートな情報なのは変わらない。それを「読んだ」と打ち明けられたのは、廉太郎には言い分が一つあったからだ。


「でも、こっちの単位で書かれている数値を見ても、俺は何も分からないはずだよ」


 そもそも、元の世界の見知った単位で記載されようが、数値だけで人の体型をイメージすることは廉太郎にはできない。ほとんど暗号である。


「だから安心してほしい」そんな廉太郎の視線に、しかし彼女は首をかしげ、


「え? でも、あなた一回見てるじゃない」


 それで思わず頭を抱えた。

 初めて彼女を起こす際――決して誓って不本意に、当然のごとく遠慮がちに――無遠慮にも彼女の寝室を開けてしまった。当時は何も知らなかったせいで、確かに廉太郎はそれを見てしまった。そういう事実が確かにある。

 思えばあれもアイヴィの差し金だ。あのときから彼女の立ち位置、思惑は一貫してぶれていない。仮にこの世界に敵がいるのなら、それはあの人と言っても過言ではないような気さえする。

 まるで気にした様には言ってこない、そんなユーリアだけが救いだった。当然、罪悪感で潰れそうになる。

 しかし。

 それに関してもまだあるのだ。廉太郎にはその上ですべて丸く収められるだけの言い分が。


「大丈夫。それはもう何も覚えていないから」

「え……」


 口にしてすぐ、しまったと思った。

 何が悪かったのか、まるで見当もつかない。しかし、口を滑らせたでは済まない言葉だったことを、すぐさま廉太郎は理解していた。

 ユーリアの表情は沈んでいた。二人で話していて、少なくとも談笑していて、彼女がこんな顔を見せることはめったにない。

 それが――


 なにが地雷に触れてしまったのか。気分が目に見えて地の底にまで沈んでいる。

 焦る。

 嘘は言っていない。何も覚えていないのは、誓って記憶の真実だ。

 その日から、すでに魂の中に『ロゼ』は居た。夜になると、夢無意識の中でだけ旧知であることを自覚できた存在。そう遅くないうちに、廉太郎は彼女に懇願した。どうにかしてくれと。

 具体的には記憶の削除だ。映像の一部を編集し、カットしてしまうようなもの。だから、本当の意味でその一件は記憶から消えている。当時の『ロゼ』はからかいながらも『健全じゃない』と言ってしぶっていたが、罪悪感で気まずくてしかたないという熱意に圧されて彼女の介入は成立した。そんな経緯があることを、今の廉太郎は平時であろうと覚えてられる。


 その事実はユーリアには知る由もないことだし、それで疑ってくるのならまだ分かる。

 しかし、こうショックを受けたように項垂れてしまう理由が分からない。廉太郎は無罪を主張しただけだし、後ろめたくないことを誇りたかっただけなのに。

 仮に、女が意中の相手に袖にされたのだとしたら大いに理解できる反応だ。

 だが、彼女に限ってそれはない。二人の間にそれはない。

 そもそも見られたところで、ユーリアはその実何も気にしていなかったではないか。当時も今も、それ自体はどうでもいいとさえ思っている。同性相手だろうが異性相手だろうが、ちょっとバツが悪くなったというだけだ。

 なればこそ、「忘れた」と言われたところで無反応でいるのが自然だというのに、そうだと思って口にしたのに。

 

 もはや、先ほどまであったユーリアの「会話を続けて気を紛らせてやる」という熱量はどこにもない。今にでも自室に帰ってしまいそうな勢いで、先ほど離れてほしかったのとは反対にさすがにそれを止めなければならなくなってしまった。このまま返したのでは申し訳がなさすぎる。

 しかし、原因が分からなければフォローの仕方も分からない。

 軽く、頭の中が麻痺してしまった。

 ――怒っているのか。悲しんでいるのか。傷ついているのか。

 いずれかとして、その理由は。

 無言の、最悪の空気が続いた。一瞬のことだったような気もするし、茶が淹れられるほどの間だったような気もする。


『……邪魔して悪いと思うけどね』


 見かねたように、廉太郎の背後から声が生まれる。

 やはり姿を見せずとも、常に廉太郎の見聞きした状況は知覚しているようであった。

 助けを求めるように、それでいてユーリアに不審に思われぬよう横目を向けて訴える。


『この子は確かに他人の性に関心がないけど、自分自身の認識は普通に女の子だって忘れるなよ』


 分かっている。その認識に狂いはない。


『それも、自分の容姿に滅茶苦茶自信のあるタイプ。……まぁ、この辺りの女にはその傾向が強いけど、その気になれば見てくれだけで世界を取れると思っているような、そんなタイプだよ』

 

 他ならぬロゼ自身にもその気はある。確かに、基本的に皆自分の容姿をやたら褒めていたのは覚えている。

 しかし――


『それがさぁ、男がしてしかるべき普通の評価が何一つないどころか「記憶にも残ってません」なんて言われたら、傷くらいついて当然だろ』


 何が言いたいのか、なにが不味いことだったのか。それを今さらになって理解した。青ざめた顔で、廉太郎はユーリアに心の中で頭を下げた。

 性的魅力なんて話はここにはない。あるのはプライドと自己肯定感。自慢の容姿にケチがつけられた、いい気はしなくて当然だという当たり前の事実。 

 悪意なくそれも真実から出た言葉だったせいもあり、余計にその刃は深く刺さってしまったのだ。そんなつもりは微塵もないのに、知らぬうちに傷つけてしまった。

 ――甘かった。

 ユーリアの個性には()()()()()()()()()はずなのに。いっそ、それが転じて配慮に欠けた言葉を投げる羽目になってしまった。


「ユーリア、その……」


 しかも弁解できない。

 『ロゼ』の存在を隠す以上、記憶の改ざんなどといった芸当に信憑性はまるでない。あくまでもロゼの特性で、廉太郎でなくとも不可能な真似なのだから、苦し紛れの言い訳をでっちあげたのだとしか思われまい。

 どうにもできない状況に、無言で助けを求められたロゼは、


『はぁ……。じゃあもう諦めてこう言いなよ』


 と、わざとらしく咳ばらいを一つ。


『悪い。忘れたことにしてもう一度見せてほしかっただけなんだ』


 言えるわけがない。

 どうやら敵が増えたようである。ここには敵しかないないのか、ユーリアを除いたのならば。

 再度頭を抱えても、気の利いた言葉はどう考えても言い訳にさえならないものだった。

 それでも一つ、諦めかけた頭が疑問を見つける。

 ――自己肯定感が高いのなら、たかが自分の一言で一喜一憂しないで良さそうなものなのに。


『それはさぁ……』


 何かを言いかけて、やがてその口を『ロゼ』はつぐんだ。

 そして消えるでもなく、少しの間項垂れたままのユーリアの頭部を見下ろしていた。

 ――話しかけても、声が届くことはない。触れることは、もちろん叶わない。

 その視線にあるのは、もはやそういう存在となった自分がいることも知らない、かつての友人への寂寥の念。手に取るように手に触れずとも心の中を知れる、そんな相手に抱いた痛み。

 それに気づけるだけの余裕が、今の廉太郎には足りなかった。

 

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