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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第二章 新世界開眼
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第六十話 「面白い人」

「悪いわね、こんな時間に」


 控えめなノック音に戸を開けると、はにかんだ様子のユーリアの姿が目に留まる。

 その様相はまさに寝る前の姿で、当然のように寝巻だった。とはいえ、開放的に過ぎたアイヴィとは異なりそこに無防備さは感じられない。シャツをそのまま流用したような服は首元までボタンが絞められていたし、普段の彼女がそうであるように気崩しや露出などの遊びは一切がない。寝るためのデザインとサイズ感を除けば、外を歩いたところでまだ無理のない格好。

 異性とはいえ友人同士であるならば、互いにそんな姿であろうと特筆するべきことでさえない。

 かといって、緊張せずにいられるわけではなかった。


「平気だけど――」


 視線、それよりも反応に困る。そしてそれを知られるのも何となく嫌で、さらにどうしようもなく困ってしまう。

 同じ家で生活しているのだから、見慣れていないわけでもない。だが借りてている部屋とはいえ完全なプライベートゾーンであり、眠る前の時間と格好というものも互いにとってそれに当たる。

 こうして踏み込まれるのは初めてのことで、戸惑いが転じて身構えてしまった。


「珍しいな。君がこの時間に起きてるのは」


 暗くなると眠くなるという。そんなユーリアの習慣をまるで小さい子供のようだと、少しも悪気なく思ったりもした。むろん、口にしたりはしない。

 夕食のあとはすぐに寝自宅をして自室へと上がってしまう。だから今日の食事がいつもより遅いことを考えれば、とっくに眠っているはずの時間なのだ。


「さすがにね。眠くないのよ」

「……なるほど」


 少しも重くなさそうな瞼の動きに、廉太郎は合点がいった。

 町に到着するまで図書館で睡眠をとっていたのだ。ではいつから休んでいたのかと考えれば、今朝方の羽妖精を介した通話を終えてからそう時間は空けていないはず。疲れていたのだし、事態は収束した後だ。

 となれば、半日しっかり睡眠をとった後ということになる。横になる気にもなれないのだろう。


「あなたは?」

「そうだね、まだ寝ないよ。――車の中でも寝ていたし」


 咄嗟についた嘘に意味などなかった。ユーリアは用があってわざわざ部屋まで

来たのだろうから、時間は合わせられることを示して気を遣ったつもりなのかもしれない。


「そう」


 好都合とばかりにユーリアは部屋の中へ足を踏み入れる。追い返すつもりも理由も権限もないが、招き入れる仕草は自然とぎこちないものになってしまった。

 八畳ほどの室内には、ローテーブルを挟んで茶が飲めるように小さめのソファが配置してある。そこへ促すつもりで廉太郎が腰かけるも、ユーリアが座ったのは何のつもりかそう開いていない右隣りであった。

 肘が当たるほど狭くはないし、会話でも食事でも、連れ相手に取りたいポジションは人によって違う上、本来自由なので不自然とまでは言えない。

 ただ、その行動にも距離の詰め方にもためらいがない。

 ユーリアだって分かっているはずだ。この場、この状況でその行動は親密すぎる。いかに親しい間柄でも、引くべきラインがある以上控えるべきだと。

 そして、それは普段彼女が意図的に実践していることだ。意図的でなければそれができない彼女にとって必要な習慣。有体に言うのなら、異性に対し「変な勘違いや意識をされないように」と、格好から言動から徹底していることでもある。

 なればこそ、矛盾している。

 それを押して懐に攻め込んでくるほど、シリアスな話が始まるのかと思われた。


「ど、どうしたの?」

「えぇと、そうね――」


 明らかな用に反して、話す事柄が定められていないようだった。それもまた、彼女らしからぬ珍しい様子。それを横からのぞき込むような姿勢で、またそれをのぞき込まれるように見つめ返される。やりづらく、居心地が悪い。それを顔に出さずにいるのがやっとだった。

 ユーリアは困ったように天井を見上げ、


「改めて、あなたと二人で話しておきたくて」


 一度口が動きだせば、彼女の言葉に淀みはない。


「今回は本当に、いろいろあって大変だったでしょう? だから……大丈夫かなって」

「大丈夫……っていうと?」

「ほら、初めにあなたを狙った奴」


 ユーリアの表情には影が差し、口調は重みを纏っていた。具合の悪い知人を見舞いにきたかのように、本気で身を案じてくれているのが分かる。

 身というよりも、案じているのは心の方なのだろうが。


「殺意に晒されたのも、それを……対処したのも初めてだったのよね。だから――」

「あぁ――」


 こうして気をかけてくれる相手に、廉太郎は返す言葉を見つけられずにいた。それが歯がゆく、もったいないことをさせている気がして心が痛い。

 先日起きた、名も知れぬ男の襲撃。メインデルトに差し向けられたあの男との顛末の、その正確なところを廉太郎は話せていない。

 『ロゼ』の存在を隠し通す以上、あの場で奴を殺した要因も伏せなければならないからだ。

 一度断ち切られたクリスとの繋がりを利用して、ラインパイプの切断面から魔力を噴き出し高水圧カッターのように命を断った。むろん、あの場限りの力で、『ロゼ』の補佐なしに廉太郎が操れる力ではない。

 ゆえに、最終的なとどめを刺したのはクリスということで話を合わせている。

 それでも、二人がかりで人を殺したという事実がユーリアには伝わっている。正当防衛であろうと、分割されたものだろうと。初めて人の死に関わってしまったその心理的苦痛を、彼女は心配していた。


「……え、ぇと」


 その懸念は当然だった。

 クリスも即座にメンタルケアを勧めてきたし、『ロゼ』もその行為を躊躇わぬよう、また、その後の行動に支障がないよう罪悪感の一切を意識の上から隠し覆っていてくれた。そのため、今現在それで思い悩んでいる、などという事実は廉太郎にはない。

 心配させておいて、騙しているようで悪いとは思う。


「ほら、クリスがいたから」


 口をついた言い訳は、もっともなものにも聞こえた。

 あのときクリスは危険だった。それがあったからこそ、一もにもなく敵への攻撃に移れたのだ。そうしなけれればならない状況がそこにあった。

 例え『ロゼ』の気遣いがなくとも、躊躇うことはなかったと思いたい。

 『ロゼ』が隠した罪悪感は、今はもう返してもらっている。感情を制御するのは健全ではないとのことで、それに対してはもっともだと思うのだが、しかしその上で驚くほどその一件への関心は湧かない。

 思い返して、正当化しているだけかもしれないが、こちらに害をなしてくる危険人物の命にそこまでの重きを置くこと自体が難しい。それは自分でも突飛な思考の形態で、もしや人間として正常でないのではないかとも疑ったが、異常だとしてもそんな事態には二度とならないのだから問題はないはずだと無理やり納得しておいた。

 だから、


「それに関しては心配ないよ。後悔もしてない」

「……そう」

「ありがとう」


 余計な心配をさせてしまった後ろめたさに、廉太郎は天井を見上げる。

 振り返れば、この遠征で廉太郎には大した負荷がかかっていない。一度意識を飛ばされはしたが、それだけだ。ユーリアは心身ともに大変だったはずだし、ラヴィもクリスも怪我をした。得たものこそ――なし崩し的に表の意識でも『ロゼ』を認知できるようになったことを除けば――何もないが、背負ったリスクも何もない。

 ――否、生まれた懸念事項ならいくつかある。

 

「……クリスには悪いことしたな」


 思い返すのは、その男に襲われていたただ中のこと。

 足を負傷し一時的に動けなくなった廉太郎。逃げることもできず、勝ち目は薄い。半ば殺されるのを待つだけとなった状態で、あの皮肉屋な子供は泣いていた。

 想像さえしない姿だった。今に至ってなお、クリスのことは何も知らないままでいるのだと自覚させられるかのよう。


「あいつ、本当は行きたがらなかったんだ。危険があるかもって」


 もしかすると、何か確信めいた予感があったのかもしれない。

 もっと言えば、何かを知っていた。

 メインデルトの存在と、その背景の一部に覚えがあるような態度を示していたように。 

 懸念の一つが、まずそれだ。クリスにはらしくなくなってしまうほど抱えるものがあって、しかもそれを言おうとしない。

 そのくせ、それは見え隠れしてしまうもので、不審に思ってしまうこともあるけれど、


「いい子ね」

「そうだね」


 ユーリアの言う通り、それは間違くそうだ。

 遠征に反対していたのも、元を思い返せばどちらかといえば心配していたのは廉太郎の方の身だったように思うのだ。何を意図して抱えているにせよ、それで誰が困るわけでもないのだという信頼がある。


「さっきだって――」何か言いかけたかと思えば、ユーリアは取り繕うようにそれに続け「その、仲良くやれてるの?」

「……どうかな」


 そんな問いに、苦笑いを浮かべることしかできなかった。

 クリスは――一言で言えば妙な子供だ。およそ子供らしくはない。  

 性格は気難しく、気を遣ってやっても上手く受け取ってもらえない。口を開けば余計なことばかりで、しかもそれが時折芯をついているのだから手に負えない。子供を相手するようにはいかず、かといって大人として扱うには手もかかって馬鹿馬鹿しい。隣に居て疲れることも少なくない。

 それでも。


「俺は好きだし、それなりに楽しくはやれてると思うよ」


 だからこそ、切ないと感じる事実がある。


「――でもあいつは、あんまり俺を好きじゃないんだって」


 それも、それなりに交流を重ねてから下された評価だ。むしろ体感では、初期値よりやや下降傾向にさえあるかのよう。

 いざ話してみて、思ったより気の合わない相手だったと肩を透かすような諦めの視線に気づかないわけでもない。

 嫌われてはいないのだ、どうやら。

 ただ、物足りないとは思われている。

 人としてつまらない、面白みに欠けると言われた。否定する言葉は、今のところ見つからない。


「そうかしら、本当に?」とユーリアは半信半疑で、軽口でも聞いたかのように笑っていた。

「でも、君のことは気に入ってるみたいだ」


 それが、何やら気持ち的に救いになる。日も浅く途中に別行動が多かったせいで二人の交流は多くないが、ユーリアもクリスのことはだいぶ好いているようで、それが自分のことのように嬉しい。ユーリアが友達を宣言し、クリスはそれを受け入れていたのが記憶に新しかった。

 一方、廉太郎とクリスはそうではない。友達にはなれないだろうし、なるつもりがないことを互いに察している。

 ユーリアは、クリスに言わせれば面白い人間なのだろう。廉太郎とは反対の人間にあたる。

 では、つまらないの反対とは。

 どうあれば人は面白いのだろうか。ユーリアを面白いと評する様子は、一体どこにあるというのだろう。

 人にはない特徴を多く持つからか。言動に予測がつかないからか。能力や権力、過去に劇的なものがあるからか。

 廉太郎には断定できなかった。 

 それらが丸ごと抜け落ちたとしても、彼女という人間はきっと面白いと思えるから。

 すると――


「ど、どうしたの?」


 こちらが何となしにユーリアの顔を伺っていたように、向こうからもじっと見つめられていたのに気づく。

 問われたユーリアは「いえ――」と軽く断り、


「ただ、思い出してしまったのよ」

「何を?」

「私があなたに見せてきたこれまでの姿って、結構情けないものばかりだったのよね」

「え?! ――そ、そんなことないと思うけど」


 思いもしない言葉で、本人の口からはとても聞きたくないような言葉。思い返してもそんな感想を抱いたことは一度もないし、抱いた印象はむしろ逆。

 自らを卑下するような言葉など聞きたくないと思えるほどなのに。

 当のユーリアのその語る顔からは冗談の色も見て取れない。


「洞窟での一件の後、つまりあなたと出会ってからの私はまともじゃなかった。そう見えなかったと思うけど、私は取り繕うのが好きだから――」


 友人を自分の手で死なせた。

 その罪悪感と、喪失感。無力感もあったのだろう。

 そこまで言われて、ようやくその片鱗を思い出すことができた。当時はロゼに示唆されるだけ、出会ったときの様子から推測するだけでしかなかったが、「何かがあった」ことだけは分かっていた。

 図書館で一度、不意に取り乱していたことだってある。

 しかし、それを情けないとは思わない。そう口を挟もうとした廉太郎を、ユーリアは静かに手で制し、 


「だから、きっと――あなたが抱えている事情、持ってきてくれた事情は、私にとって逃げ込むのにちょうど良かったんだわ。おかげで、余計なことを考える時間を作らずに済んだし、心を落ち着けることもできたから」


 何が言いたいのか、その言葉と表情ですべて分かった。見ていて気の毒なほど恐縮していたし、口にするのにも勇気を要しているのが伝わってくる。

 家族の元には帰らなければならない、協力は無条件で惜しまない。友人のためならなんでもする。――これまで、さんざん利他的に放っていたそれらの言葉。

 それが、実はそうではなかったのだと彼女は知ってしまったのだ。知らない顔で、それを利用してしまったと悔いている。


「それを謝りたくて」

  

 そんな必要はまるでないのに、ユーリアは心から済まなそうに頭を下げた。

 受け取る方の立場がなくなってしまうような態度。

 どれだけ律儀で真摯なのだろう。黙っていたってよかったのだ。全部が全部ではないはずなのだから、罪悪感だって芽生えないのが普通なのに。


「それが本題?」

「いいえ、本題はあなたとのおしゃべりよ」


 確かめるように突いた問いは、少し考えれば意地悪だったかとも思ったが、意外にもユーリアの答えは違っていた。てっきり、普段とは違う浮ついたように見える行動は、緊張のせいだったのかと納得しかけていたのにだ。


「それと、お礼も言いたいの。もしその時間がなかったら、私は今回動揺するだけで何もできず、トリカを連れ帰ってあげることはできなかったと思うから」


 その視線を受けて、廉太郎には今度こそ言葉が浮かんでこなくなってしまった。上手く気持ちが伝えられない。頭の中で言いたいことは溜まった水のように溢れているのに、栓は壊れて外へ流れていこうとしてくれない。

 ――謝ることなんて何もない。どんな理由があれ、力になってくれている現状が心の底から嬉しい。力になれた実感なんて何もないが、そうなれたのなら本当に良かった。


「そうだとしても、俺の目にはずっとかっこよく見えていたよ」

「なら、もっと格好よく見えるようになるわ」 


 やっと口をついた気の利かない言葉でも、きっと気の利いた言葉で返されたのだろう。

 やがて脈絡なく、ユーリアは立ち上がった。

 それに続くべきかと何となしに腰を上げるが、続くユーリアの動きが思いのほか予想の外で体勢を崩してしまう。正面に立たれたかと思えば、目の奥を覗き込むようにその顔を近づけられて。

 立とうとした体をひっこめたことで、中途半端な姿勢でクッションの上に倒れ込む。ほぼ横になってしまった廉太郎に、ユーリアは何を思ったのか詰められる分など残さないとばかりにさらにその顔を寄せてくる。

 そのまま、顔の横に腕まで立てられている始末。


「お詫びだなんて思わないで。私は証明したいのよ。心の底から、あなたの力になってあげたいと思っているんだから」


 仮にわざとやっているのなら、人間不信にさえなりかねない言動だ。

 ともすれば真意を読み違えてしまいそうになるが、お詫びとはつまり、これから今までの協力関係を続けることで生まれてしまう、それまでの逃避行為への埋め合わせとしての意味合いを差している。そんな後ろ向きなモチベーションは欠片もないと、ユーリアは主張しているのだ。

 その宣言だけなら、ここまで凄むような真似をする必要はないはずなのに。


「充分だよ。今までだって、どれだけ――」

「でも帰れていないのよ? 何もできてないようなものじゃない」


 その言葉、友人への思いは態度と同じく、距離感と同じく強引なものだ。

 そして、それがありがたいと思う。文字通りの意味で。

 彼女の他に、そういるとは思えない。それらの言動に合致する、目もくらむように眩しく光る魂が。





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