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ワールド・ブラインド   作者: 宝の飴
第一章 越境のアジャスト
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第九話 崩壊

 不意に、握られた手に力が込められた。


「これから君の魂に深く触れていく。そのすべてを、私は見ることになる。過去さえもね」


 頭の中をさらけ出すことは文字や言葉でも出来るだろう。しかし、魂などと言う曖昧なものはそうもいかない。過去まで見られるとは、果たして他人にそこまでさらけ出せる人間がどれだけいるというのだろうか。

 ましてやこの自分が……。

 そんなこと、本当は死んでもやりたくないというのに。

 しかし彼女の言葉によれば切実な話で、必要な行為だ。何を問題視し、どう期待しているのかもわからない。力になれるかも分からないが、とても無視させてもらえそうにない。

 それに、自分の事を伝えきるには都合がよくもあるのだ。

 死んでもやりたくないと言ったが、物事には優先事項がある。最下層に身の安全、次点で魂の秘匿、最優先事項は元の世界に帰ることだ。


「協力してくれるかい?」

「はい」


 覚悟を決め、閉じた目をさらにきつく結ぶ。握られた手に、意識を集中する。

 そしてお湯を飲んだかのような体内への熱の侵入感を覚えた時、不意に何かが机に落ちた音がした。

 

 ――ん?


 鈍く、重い音。

 机から伝わった振動が、それが決して些細な物ではないと告げてくる。

 廉太郎は、反射的に目を開けていた。


「――ロ、ロゼさんっ!?」


 彼女は机に伏していた。

 まるで頭でも打ち付けたかのように、不意に意識を手放した病人のように倒れている。

 その現状が、彼女の意図したものではないことはすぐにわかった。一目で異常だと思えたからだ。

 燃えるように鮮やかだった髪の赤い色が、灰にでもなった様に抜け落ちている。

 ほんの、一瞬での出来事。


「なっ……え、うわっ!」


 突如、彼女の体が痙攣した。死んでいるような魚や虫が、唐突に身を跳ね上げた様に。

 そのまま目の錯覚かと見紛う程その体は膨張していき、そして戻らなかった。右肩から腰に掛けた体の構造が、もはや人の物ではなくなっている。人の右肩から生えているのは右腕以外にあり得ないのだが、義肢と呼ぶことすらできないほど歪なものに変わってしまっていた。

 大木の幹をくっつけたような右腕が、服を突き破っている。天井に向けて拳をつき出しているその腕は、気づかぬうちに人の背丈ほどの大きさにまで膨れ上がっていた。

 ――そして、蠢いている。

 机に伏し、意識すらない様子の彼女と裏腹に、まるでそれ単体が別の生き物のように独立して動いているようにすら感じられてしまう。


 ――な、なにが……なんで!?


 廉太郎は握っていた彼女の右の手を、一度も離していない。今もなお握りこんでいる感触が確かにあるはずなのに、彼女の右肩からは異形の肉塊が突き出している。

 そんなことはもはや問題にすらならないというのに、思考は凍り付き、正常な判断などなにもできそうにない。

 呆然と、手元に視線を落とした。

 握っているのは、変わらず綺麗な女の腕。   

 しかし、それはもう彼女の体の一部とは言えなくなっていた。

 破壊されたマネキンの腕のように、無造作に机に転がっているのだ。肩から切断でもされたように、新たに生えた右腕に丸ごと追い出されていた。

 血の一滴も流れていない。

 声すらあげなかったのは、あまりに理解が追い付かなかったからだ。


「な、なんだよ……これ」


 とにかくこの場を離れ、人を呼ばなければと今さらながらに思い立つ。

 廉太郎が席を立つと、まるでその動きを察知でもしたように、彼女の右腕は反応を示した。上げられていた腕が唐突に振り下ろされ、互いの間にあった机を叩き割る。

 思わず、体は固まってしまっていた。

 耳に、地鳴りのようなノイズが飛び込んでくる。

 残骸となった机のあたりから、得物を捉えた獣でもいるように。

 疑う余地なく、その腕は一個の生き物になっていた。


 ――見られてる……?

 

 それは錯覚ですらなく、腕にはいつしか眼球としか呼べない器官が認められていた。それも一対ではない。何もかもでたらめ……観察すれば、きっと発声器官も口もある。

 もはや、腕と呼ぶことすら適当ではない。


「――あぁっ!」


 危険だと認識した瞬間に体は自然と駆けだしていた。逃げるためではなく、助けを呼ぼうとして。襲われるという確信もあったが、このままではロゼが死ぬと思った。

 状況は何も分からなかったが、直感で自分が原因だと疑うことが出来た。直前までしていたことを思えばそれ以外に考えられない。

 ――もしや別世界の人間に触れるのは、何かしらまずいことがあるのではないか。


「駄目だそれは!」



 自分のせいで誰かが死ぬことなど、とても認められるはずがない。

 面会室のドアまで走り抜け、そのまま廊下に躍り出た。化け物との距離は十歩以上離したことになり、廉太郎はそこで廊下の左右を確認するだけの余裕があると思いこんでいた。

 一瞬立ち止まったその背中越しに、強い衝撃を受けることになる。


「――ぐうっ……っ!」


 身を吹き飛ばされていた。

 固い鈍器で殴りつけられたような鈍痛。数歩先の壁まで叩きつけれられ、左半身をさらに痛みが襲っていく。頭を打ち付けることは免れたものの、骨折したのかと思う程に腕が痛い。

 痛みと圧迫感で呼吸も満足にできない。廊下に蹲った廉太郎は、化け物が近づいて来る気配を感じ取っていた。今すぐ逃げなければならないのに、体制を立て直すことさえ間に合わない。


「だ、だれか……っ」


 助けを呼ぼうとした声は、自分でも泣きたくなるほど小さかった。痛みで声がでなかったから……だけではない。

 こんな化け物の相手を誰かに任せることが心苦しかったからだ。不用意に人を呼ぶことで、怪我人が増えることを無意識に恐れてしまっている。

 こんなときですら自分は助け一つ呼べないのかと思うと、あまりに不甲斐ない。

 思わず、奥歯を噛み締めていた。

 ロゼは意識を失ったままであったが、それでも体も足も動かされているようだった。巨大な腕が杖のかわりのように躍動し、彼女を引きずり回している。

 それはもう見ていられないほど痛ましい姿。まるでゾンビにでもなってしまったように、意識と肉体の制御が完全に別の何かに乗っ取られているようだった。

 先ほどまで会話していた快活な彼女を思い出すと、胸が張り裂けそうになってしまう。

 謝罪したい、意味は何もないが。

 それ以外には何も浮かばない。人一人化け物に変えておいて、許しが得られるものなら方法を教えてほしい。

 罪悪感から逃れるように、このまま死んで詫びるしかないと目を閉じかけた時、


「――うっ、うわあっ!? え、なんで……っ!」

 

 突如廊下に響き渡った声に、廉太郎ははっと驚かされていた。

 偶然にもその場を目撃したらしい、動転した少年のような声だった。何とか体を動かして視線を向けると、倍ほどの身長差がある二人の男がこちらを凝視しているのが遠目に見えた。

 すぐに、背の高い方の男が駆け寄って来る。

 白髪の男だ。

 痛みと混乱で正常に捉えることが出来なかったが、かなり足が速い。人の走る姿を常日頃見ていた廉太郎にとっても驚くほど……というより、人に可能な動きではなかった。

 男は、瞬時に廊下を駆け抜けて接近している。するとそれに合わせるように、化け物の体は不自然に硬直を初めていった。


「どうした……? 落ち着け、この馬鹿が!」


 男が廉太郎の傍で足を止める頃には、化け物の体は完全に地に伏していた。苦しむような呻き声を発しているものの、身動き一つとることが出来ていないようだ。

 混乱したまま目を凝らすと、化け物の体が僅かに発光しているように見えた。日の光に照らされて視認しづらいが、光のように輝く帯がその全身に纏わりついている。


「す、すごい……」


 これが話に聞いた魔法なのかと呆然と眺めていた廉太郎に向かって、その男は短く言葉を投げた。


「――ガキが、離れてろ。あぶねぇぞ」


 近くで見ると本当に背の高い男だった。日本ではなかなか見ないほどの背丈に負けぬほど、力強い体躯をしている。口調もそれに倣う様に荒いというのに、隙無く着こまれた制服を纏う姿からは鋭い知性すら感じさせられてしまう。

 男は丸眼鏡から覗く鋭い目つきを元来た方へ向けると、先ほどまで連れていた少年に向けて声を荒げて一喝していた。


「なに見てやがんだてめぇ、間抜けか!? さっさと魔術師どもを呼んできやがれ!」

「――わ、分かりました!」


 その言葉に、放心していた少年が我に返ったように階段を駆け上がっていくのが見えた。

 男は未だ警戒を続けているのか、そのまま注意深く地に伏した姿を睨んでいる。


「ありがとう、ございます……助かりました」


 寸前で助けられた廉太郎は、それですっかり安堵してしまっていたわけではない。

 何より気がかりなのは、変わってしまったロゼの安否。


「そ、その、彼女は――」

「うるせぇ。邪魔だから、早くどっか行っちまえよ」


 立ち上がって礼を言う廉太郎に対し、男は目もくれず手の動きで退避を迫っている。当事者である廉太郎がその場から離れてしまうのはまずいと思ったのだが、おとなしく従うほかはない。

 ひとまず移動しようと足を踏み出した、その瞬間。


「――うわっ!?」


 化け物の体が激しく跳ね上がり、見えない拘束から逃れようと暴れだしていた。体を地に打ち付けながら暴れる姿に、つい足がすくんでしまう。


「クソっ……! やはり俺じゃあ、傷もつけねぇと……」


 男は腕――その化け物を片足で踏みつけていた。押さえつけた分動きは制限されたものの、むしろ抵抗自体は徐々に強まっているようにすら見えてしまう。


「意識がねぇのか……?  なんだって今日は……お前」


 男は眼下の状況を観察して何事かを訝しんでいるようだった。

 そして視線を未だ傍らから動かない廉太郎に向けて、言う。


「――まさか、何かしたんじゃねぇだろうな?」


 その疑いは恐らく正しい。それでもその視線を前にして、気安く肯定することなどとてもできなかった。


「まさか、そんな……そんなことが……」

 

 答えず、目をそらしてしまう。

 廉太郎はこの世界の人間と不用意に関わるのを恐れていた。それは自分に危害を加えられるかもしれないという自己保身からだったが、まさかそれと逆の事が起ころうなどとは思いもしなかった。

 後悔してもしきれない。


 「久しぶりだよなぁ、お前がそんな狂暴になるなんざ……っ!」


 懸命に拘束しようとする男と、そこから逃れようともがく化け物から目が離せなかった。

 抵抗は徐々に激しさを増してく。拘束の強度が足りているようには見えなかった。ついに足で押さえつけることすら叶わなくなり、男の膝体が激しく揺さぶられていく。

 突如、化け物の体が大きく唸りをあげて跳ね上がった。男を薙ぎ払おうと腕が振るわれ、空を切った。勢いあまって打ち付けられた廊下の壁は、大きく風穴が空いている。

 人に当たればひとたまりもない。

 とっさに後退し回避して見せたその男は、ゆっくりとその化け物と距離をとっていく。

 対峙するその有様を見て、廉太郎はさらに驚愕させられてしまっていた。


「う、うわっ……」


 化け物の体はさらに異形と化していた。

 元は人の背丈ほどの腕という風体であったのに、いまやそれは腕などという人間の付属部位ですらなくなっている。

 その化け物、その肉塊がもはや本体。手足すら生やして地に足をつけているのがわかる。

 人の背丈を大きく超える、蜥蜴の奇形のような姿。自然界にはこんなに大きな動物がいるのだなぁ、などと感嘆してしまいそうになる程の巨体が、廊下を埋める勢いで降り立っていた。

 ロゼの体はもう直立さえすることなくその一部に食い込まされていたし、頭部にあたる先端からは大きく口が開き鋭い歯さえもが生え揃っている。

 錯覚ではなく、完全に一個の生き物と化していた。


「――ちッ」


 それが、そのまま地を這うように男に襲いかかる。

 目を見張るほどの素早さだった。人間が襲われたら、とても逃げられそうにない。

 しかし、男の動きはそれを上回るほど俊敏だった。明らかに魔法的な技術が使われている。

 男はそのまま化け物の注意を引き続け、未だ逃げられずにいる廉太郎を巻き込まないように位置取りを変えているようだった。

 決して横に広くはない通路、確実に邪魔になってしまっている。

 しかし、移動せずとも邪魔になることは、結果的になくなってしまった。

 男が正面に腕をかざすのと、化け物の後方遠い壁面が砕け散るのが同時に見えた。視認できたのはほんの一瞬だったが、光り輝く何かの軌道が空中を走っていく。

 恐らくは、殺傷力のある飛び道具のような攻撃。

 しかしその射線上にいたはずの化け物の動きから察するに、わずかな動きだけで回避されてしまったのだろう。

 激しく音を立てて迫る化け物に対し、男は腕をかざしたままに立ち尽くしている。先ほどは瞬時に発してみせた破壊の攻撃を生み出す様子はなかった。

 廉太郎はその冷やりとする一瞬の中で、彼が攻撃を引きつけているのだと瞬間的に思った。先ほどは回避された破壊の衝撃を、至近距離で叩きこむのだろうと。


「――駄目だな、できねぇ」


 しかし、男は腕が触れそうになる距離にまで迫っても攻撃しようとしない。それどころか、直前で腕を下ろし横に飛んで回避行動をとる始末。

 あまりに唐突な行動の変化。

 加えて、判断も遅かった。


「――あ、あぁ……っ!」


 廉太郎は男の腹が何かに貫かれるのを、絶望しながら眺めていた。触手のように伸びたそれは、男を掠めた一瞬で伸ばされた物。

 鋭い触手はそのまま廉太郎の傍に突き立ち、男を串刺しにしていく。

 出血が酷い。


「だ、大丈夫ですか!?」


 そんなはずはなかった。これで二人目の犠牲を生んでしまったと、頭の冷静な部分が震えていく。

 廉太郎は、彼が死んだと思ったのに。

 だというのに、男は笑っていた。


「さ、些細なことだ……ロゼ。あいつも来たからな」


 口から血を吐きながら痛みに顔を歪めているというのに、男の言動は要領を得ない。悠長、余裕……そのまま、傷口を撫でている。

 化け物は依然として二人を捉えていた。男はもう動けないし、廉太郎が逃げ切れるような相手ではない。絶体絶命の状況の中で、廉太郎には何を考える猶予も与えられなかった。目の前に迫る巨体を前に、恐怖することも忘れて呆然と立ち尽くしている。

 その時、


「え?」


 突如、その巨体は崩れ落ちていた。

 糸の切れた人形のようにあっけない姿に戸惑っていると、耳に声が聞こえてくる。


「怪我は……ないのね」


 化け物の背後から現れたのは、音も気配もなく現れたユーリアだった。

 その姿と声に、張り詰めていた緊張が解きほぐされていくようだった。


「あ、ありがとう……」


 何が起きたのかは誰も説明してくれないが、彼女が助けてくれたことは明白らしい。

 その声があまりに小さく聞こえなかったのか、彼女はそれに答えようとせず悲痛な表情で眼下の肉塊を見下ろしていた。

 その姿に、やはり胸が痛くなってしまう。


「え、えぇ……駄目です、先輩がやられてます! 何やってるんですかね、あの人!?」


 その場に慌ただしく人が駆け寄ってくる。負傷した男はそのまま治療を受けるようだったし、化け物ともども意識を失っているロゼの周りにも数人が取り囲んでいるようだった。


「あの――」


 一番近くで事情を把握していた廉太郎は、混乱している現場に状況を説明しようと名乗り出ていた。一言二言質問に答えた後、詳しく話を聞くために別室へと連れていかれることになる。

 その場を離れるとき、その場から動かずにいたユーリアと目が合ってしまった。言うべきことは思い浮かばず、曖昧な表情のまま視線を逸らし、付き添いの職員と共に上への階段に足をかけていった。





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