5-1 キスミアへ
本日もよろしくお願いします。
なお、当作品はフィクションであり、実際に存在しない地名が多用されています。
【連絡】投稿した後に、キスミアの設定に重大な矛盾点がありましたので、次話投稿時に変更点をご連絡します。
「シートベルトした!?」
「うん、した!」
命子のチェックに妹の萌々子が期待と緊張を孕んだ声で頷く。
いつもは背伸びをしてドライ気味な萌々子だが、今日はテンションが高い。命子もそわそわといつもの様子ではない。
「おトイレは済ませた!? 飛び立とうとしている時に行きたいって言っても、行けないんだよ!?」
「大丈夫!」
「よし! ……ちょっと私が行きたくなってきたかも。どうしよう」
命子はそわそわもじもじした。
そんなことをやっていると、CAのアナウンスが流れる。
『本日は○○○航空をご利用頂き誠にありがとうございます』
「映画とかでやっているヤツだ。本当にああやって言うんだね」
「わざわざ奇をてらってラップ調で言うようなことはないんじゃない?」
「ドゥクドゥクドゥーン! ギュクギュク!」
エアDJを始めた命子だったが、アナウンスでシートベルトを締めるように促されたので、すぐさま妹の世話を再開する。何度目になるか分からないシートベルト検査だ。
さて、今日から、命子たちは海外旅行だ。
行くのは命子たち子供だけではない。
4人の家族も同行している。
その費用は、ささらママのやっている『冒険道』から出る。
『冒険道』は、主に命子たちが得た情報によってダンジョン攻略サイトとして不動の地位を築いたので、4人の活動には収入から惜しみなく費用が出る。
まあ、今回の場合は家族も含めた旅費なので、家族はウハウハだが。
さらに、付き添いとして日本政府から、馬場と滝沢さんというお姉さんが付いてきている。
滝沢さんは、冒険者試験の時に紫蓮の面倒を見ていた自衛官だ。紫蓮もまた、地球さんから選ばれたようにダンジョンに落とされただけあって、命子同様に政府から注目されている人物であった。
さらにさらに、命子たちは気づかないが、他にも只者じゃなさそうなオジサンやお姉さんがいる。覆面SPである。
かなりの戦闘力を保持した集団が収まっている飛行機の座席クラスは、プレミアムエコノミーだ。
座席数の少ないこのクラスのスペースは、命子関連の人で満席になっていた。
命子たちの社会的ステータス上、ファーストクラスでも良かったのだが、キスミア行きの航空機のファーストクラスもビジネスクラスも1人席だったのだ。隣の距離はお喋りするのに不自由だった。
初めての飛行機を1人で過ごすのは嫌だという命子の提案に他のメンバーも賛同して、このクラスになった。
命子の席は隣に妹の萌々子、通路を挟んだ3席には紫蓮とささら、ルルが座っている。
その周りを馬場たちや各家族が座っている形だ。
時刻は23時。
これから約14時間のフライトだ。
「ほら、萌々子!」
「なにお姉ちゃん!?」
「呼んでみただけ!」
「彼女か!」
そわそわを吐き出すように口を動かす命子は、何を隠そう飛行機が初めてだった。
背伸び系小学生の萌々子も同様に初体験であり、テンションが高い。
そうして飛行機が滑走路を走り出し、飛行を始めるといちいちはしゃいで喜ぶ。飛行機ド素人の姿がそこにあった。
「見てみて、町の灯がゴミのようだ!」
「規模が大きいうえにキラキラしすぎだよ、お姉ちゃん!」
「君の瞳に乾杯だね! 目がぁ、目がぁっつってな!」
ロリッ娘姉妹が窓の外を眺めて、キャッキャした。
しかし、アナウンスが流れ始めると、すぐさまピシィとお膝に手を置いて借りてきた猫のように静かにする。
雲の上に出ると、月に照らされた雲海の様子に感動し、そうして30分も同じ光景が続くと、飽きた。
慣れとは恐ろしいものだ。
一方、ささらとルルは海外に行ったことがあるので、飛行機には慣れていた。
紫蓮も北海道へ飛行機で行ったので、初めてではない。
ささらとルルは、時計を現地時間に合わせ、時差ボケ対策を始めている。
すでにこれは命子たちにも伝授されている。
「キスミアかぁ。どんなところだろうね?」
萌々子がぽわぽわと想像しているような調子で、問うた。
命子は紫蓮に質問を流す。
「ふーむ……紫蓮ちゃん、キスミアってどんなところ?」
紫蓮は、生産アイデアノートに書き書きする手を止め、命子に向き直る。
「キスミアはヨーロッパのガラパゴスと言われてる」
命子はふむふむと頷いて、萌々子に伝言した。
「聞いた? キスミアは携帯電話らしいよ。携帯電話発祥の地なのかな?」
「待って待って。羊谷命子。ガラパゴスと携帯電話をセットにして考えるのは危険」
「まあ知ってるけどなっ!」
「羊谷命子はたまにマジな時があるから困る」
そんな前置きをしてから、紫蓮が少し考えてから、キスミアの特徴を言った。
「キスミアは猫じゃらしの大生産地で有名。世界で使われる猫じゃらしの98%のシェアを誇ってる」
「そ、それは土地を丸々自然のままに遊ばせているって認識でOK?」
「我もよく知らない。ルルさん、猫じゃらしで何するの?」
紫蓮からさらにルルへ話が飛び、ルルが答える。
「そんなの決まってるデス、畑で猫を放牧するデスよ」
「猫の放牧とか初めて聞いたわ!」
大真面目な顔で言うルルに、命子は混乱した。
猫じゃらし畑に放牧される猫。いったいどんなことになっちゃうのか。狂喜乱舞した後に飽きてどっかに行ってしまうビジョンしか見えない。
「猫を放牧してどうすんの?」
「いずれ復活するネズミの王、ネチュマスと戦う軍隊を作ってるデス」
「おっと世界平和のための産業だった。え、宗教的な理由だったの?」
するとルルは、んふふぅと笑って本当のことを言った。
「ウソデースよ」
「ですよねー」
「ホントは猫じゃらしを食べるデス。有名なのはお茶デス。あとはパンにしたり、炒ってパンに混ぜ込んだりするデス。お酒にもなりマスね」
「思いのほか万能!」
驚く命子に、ガイドブックを広げるささらが補足を始める。
「普通の猫じゃらしも食べられますが、キスミアで栽培されているのは、ワタクシたちの知っている猫じゃらしとは少し種類が違いますのよ。粒が少し大きいそうですわ。粟に近いみたいです」
「へぇ。じゃあ私たちは猫じゃらしパンを食べるわけだね」
楽しみだね、と萌々子に言うと、うん、と元気に返ってくる。
特にハイジャックとかは起きないまま、時間が過ぎていく。
すっかり飛行機の中にも慣れ、機内食をロリッ娘姉妹が並んでもむもむ食べたり。
前の座席の背もたれにテレビがついているタイプだったので、それを視聴したり。なんと鈴木さんの『大冒険者時代 PART2』が視聴できた。この回では、泊まり込みで風見ダンジョンの妖精店を撮影したようだった。
5時間が経過する頃には、命子はすっかり飛行機に飽きていた。
現地時刻に合わせた時計によればキスミアは現在20時だ。もう少し起きていたい。
「思いのほか暇だな……」
もう飛行機が動き出す前の初々しい少女はすっかり滅んでいた。
そこにいるのは、次回飛行機に乗る時にどうやって暇を潰そうか考える効率重視の少女の姿であった。
スマホを弄るのもありなのだが、国際データローミングなる仕組みと定額プランとワイファイの関係性が命子にはよく分からなかったため、あまりスマホは触りたくなかった。
ちなみに、旅行本のオススメに則って、機内モードである。
月のお小遣いを2万円にしている命子にとって、高額請求を喰らったら精神に甚大なダメージを受けかねないのである。
キスミアの空港に着くのは明け方なので、チラホラと眠り始めている人もいる。
萌々子も眠ってしまった。
紫蓮たちも寝る準備を始めている。
命子は、せっかくの初フライトだし勿体ないような、しかしこれと言ってやることもないし、という焦りにも似た変な感情に包まれていた。
「寝よ」
命子も寝ることにした。
キスミアはかなり変わった国だ。
ヨーロッパという中世時代にブイブイ言わせていた激戦地にありながら、さらに言えば、フェレンスという中世時代に神ってた国の隣に……というかモロにめり込む立地にありながら、この国が発見されたのは19世紀に入ってからなのだ。
そうなってしまった理由は、周囲を囲む山々にある。
セイス方面である東から南にかけてジュララン山脈を、フェレンス方面である西から北にかけては猫山フニャルーを含むモルバール山脈を。
どちらも、近代の装備をつけた探検家でさえも越えるのは相当に難しい魔の山脈であり、中世時代では踏破に成功した例はなかった。
東西南北が4000メートルを超える山脈によって綺麗に囲まれていた故に、周辺国家に知られていなかったのである。
大昔から一応は山師の間で伝説として語られてはいたのだが、前述の通り、実際に世に認知されたのは19世紀の登山探検家が活躍した時代となる。
3組の探検家がこの地に訪れることになるのだが、最初の1組は帰ることができなくなり一生をキスミアで過ごし、2組目は帰還途中で全滅し、3組目が隊の8割を減じてようやくセイスにこの地のことを教えるに至る。
とまあ、そんな奇跡の立地の中心に、キスミア盆地は存在する。
面積にして埼玉県程度の大きさだ。国としては狭いが、盆地としては結構広い。それなのに発見されなかったのが、世界の七不思議に数えられていたりする。
キスミアに住む人々は3千年以上前から存在すると研究でわかっているが、文献が残っているのは百年戦争の時代からである。
煤で汚れた美しい女性がどこからともなく迷い込み、この地で暮らし始めてから、文明度が向上していくことになる。
女性はほぼ文盲であったが、文字の重要性を理解していたため、原住民とキスミア独自の文字を開発することとなり、その様子がキスミアの文献に残ることとなった。
この文献の始まりは15世紀中頃のことだと推測されているが、文字が言語として未成熟だったため正確な年代は分かっていない。
この女性はおかしな体質をしており、眠ると変な知識を取得して目覚めた。
それはおとぎ話であったり、未知の技術であったり。
それらの技術をキスミア原住民は、再現できたり、できなかったりしたのだが、これによりキスミアはヨーロッパにありながら、他の地の色に染まらない独自の文化を築くことになる。
そうして、今日ではヨーロッパのガラパゴスと呼ばれたりしている。
女性の名前は、ペロニャ。
キスミア語で『涙猫』を意味する名が付けられるほど、女性は発見された当初、世の中に絶望していたそうだ。
自分の本当の名前は忘れたふりをし、山の向こう側に酷く怯え、言葉は通じないが優しく素朴な原住民との生活で心を癒していくことになる。
「これジャンヌ・ダルクじゃね!?」
命子はガイドブックに掲載されていたキスミア伝説を読んで、思わずツッコミを入れた。
そうして、寝起きのルルを問い詰める。
「ルル、ルル。これジャンヌ・ダルクじゃん!」
「ふにぇ? んー? もしかしてペロニャのことデス?」
「そうだよ。これ完全にジャンヌ・ダルクだよね?」
「あはははっ、違いマスよー、ペロニャは猫山と喧嘩して家出してきた子猫山の化身デス」
バカだなぁメーコは、みたいな顔でルルに笑われる。
「意味不明だよ!?」
憤慨する命子に、ルルは、もう1からデス? と説明を始めた。
「だってジャンヌ・ダルクはルーアンで処刑されてるデスよ? それが偽装だったとしても、フェレンス方面からだとモルバール山脈を越えなくちゃならないデス。最後には猫山フニャルーが待ち構えてるデスよ? 15世紀の人たちじゃムリゲーデス」
「いやでもほら、神がかった人だし、処刑される前に瞬間移動しちゃった的な」
「あははははっ、メーコはファンタジー脳デース。中二デース!」
「羊谷命子は中二。ウケる」
ルルと紫蓮がプークスクスした。
「ふぇえええ、心外すぎて怯える怯える! 子猫山の化身説より信憑性あるじゃん!?」
しかも、現状で世界はファンタジーになっているのだ。
地球さんからすれば600年や1000年など誤差の範囲内だろうし、その当時から多少の奇跡を起こせてもなんら不思議ではない、と命子は思った。
さらに、命子はこのペロニャなる人物について興味深いところがあった。
寝ると、変な知識を取得して目覚めるという点だ。
睡眠時に『概念流れ』を高確率で起こす体質だったのではないかと考えたのだ。
「キスミアか……へへっ、意味分かんない国だぜ」
命子は窓の外を眺めた。
朝陽が夜と朝の境界線を黄金色に縁取り始めている。
「お姉ちゃん、山!」
「むむっ、きっとあれがジュララン山脈だね」
標高4000メートル級の山々が連なるキスミアとセイスを隔てる山脈だ。
山頂に積もった万年雪が朝日に照らされて輝いている。
そうしてジュララン山脈を越えると、いよいよキスミアが姿を現すのだった。
読んでくださりありがとうございます。
【連絡】投稿した後に、キスミアの設定に重大な矛盾点がありましたので、次話投稿時に変更点をご連絡します。申し訳ありません……っ!
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