10章おまけ 各家の歴史
今章では、ささらの家について少しばかり書いたので、ついでにみんなの家の歴史も書いてみました。
とくにストーリーには関わることはないと思います。
【各家の歴史】
※この調査は、各家あるいはお寺の過去帳から遡って調査されたものである。
★羊谷家 (命子パパのほう)
・1800年代初頭
江戸郊外にある幕府の薬草園・巣鴨薬園にて飼育されていた羊の世話係の『谷 藤七郎』という男が初代・羊谷である。
日本の湿潤な気候にもふもふな羊の飼育はあまり適さなかったのだが、そんな中で谷はこれに一定の成功を収めてみせた。
これは飼育されていた場所である巣鴨薬園の総督であった渋江長迫に大変感激され、『羊飼いの谷』、すなわち『羊谷』の苗字を貰うことになる。
この子孫は1800年代後期に大久保利通によって計画された牧羊場の構想で、重要なポストを与えられる。
が、それは総本家の話であり、命子の家は遠すぎる分家なので、その存在すら知らない。というか、命子の家の女性はつい最近まで羊すら生で見たことがなかったほど、羊に縁がない。
命子の先祖は、藤七郎の五男であり、成人して分家となる。その際に、名字が本家と同じ読み方では申し訳ないということで、長男以外の子供たちは羊谷を名乗ることになる。
・1700年代
上記の羊谷本家の菩提寺の過去帳から追跡調査されたが、主に農民が多く、これといって特殊なことをした人物はいない。
これより前は、調査が不可能と判断されている。
・1800年代~旧時代の終わりまで
羊谷家は関東地方を中心に広がるが、前述の通り、命子パパは遠すぎる分家なので総本家のことは一切知らずに風見町で暮らす。
・新時代
羊谷本家は羊谷という苗字の読み方の由来を知っており、ウチの遠い親戚にガチモンのやべぇやつが爆誕したことに喜んでいる。
★羊谷家 (命子ママのほう)
富士周辺の町の寺に過去帳が存在し、そこから追跡調査されたが、これといって特徴的な人物はいない。宝永の大噴火の影響で1700年代以前は追跡不可能になっている。
★笹笠家 (ささらママのほう)
笹笠家で最も有名なのは、笹笠小夜。
江戸時代の小田原藩一帯で活躍した女性であり、その地では有名だけど他所の人からすれば、誰それといったよくある偉人。
・1700年代前期
小夜はまだ女性が軽視されがちだった時代にあって、男衆を率いて、宝永の大噴火(※富士山の噴火)による火山灰で荒れていた土地を復興する。
このことは大岡越前守忠相を経由し、民の飢饉に心を痛めていた八代将軍徳川吉宗の知るところとなり、小夜は小田原藩風見村の管理を任される。
その際に、『笹笠』の苗字を徳川吉宗から直々に与えられる。
この苗字の由来は、小夜が大切な考え事をする際に竹林にある石の上で思案していたことに由来している。
ささらママは笹笠の総本家の現当主である。
こういったことから、笹笠家に家系図があるので血筋はかなりはっきりしている。一方、小夜以前は宝永の大噴火の影響で追跡不可能になっている。
なお、ささらが活躍したことで、エネーチケーや民放の歴史ドキュメンタリーが小夜の特集をしており、命子たちも笹笠家の歴史はよく知っている。
というか、これらのドキュメンタリーのせいで、日本人どころか海外の人も小夜を知っており、マイナーな偉人から超メジャーな偉人に昇格している。
ちなみに、青空修行道場の中学生たちの中には遠い親戚の子も多い。クララもその1人。
★笹笠家 (ささらパパのほう)
ささらパパの先祖もかなりはっきりしている。
主に商人と豪農が多く、代々、教育の土台ができた血筋となっている。
が、オカルト的な事柄に関わっている記録は存在しない。
★流家 (ルルママのほう)
ルルママの血筋で一番有名なのは、太陽のルオミャ。
やつこそはニャルクス(※昔の猫の名前)の生まれ変わりよ、とまで言われたほどの、ネズミ取りの名人であり、とても陽気な人物だったとか。
ただし、キスミアでは、猫の生まれ変わりやネズミ取りの名人という人物の言い伝えはかなり多いので、この評価はそこまであてにならない。
キスミアは文字の発達が遅く、同時に紙の発明も遅かったため、粘土で作られた石板などに割と古い時代の名前が見られる。ルオミャも1600年代の人物であり、石板に名前とどのような人物だったか記録が残っている。
★流家 (ルルパパのほう)
ルルパパの先祖が実は一番追跡調査が上手くいっておらず、幕末の頃まで旅芸人の先祖が多かったのではないかと考えられている。
明治より近年になると寺の過去帳に名前が載っており、その人物の戒名には旅と音楽にまつわるものが与えられている。『流』という苗字も旅芸人だった先祖に由来していると考えられている。
★有鴨家 (紫蓮パパ&ママ)
紫蓮の先祖で一番有名なのは、日光東照宮の設計を行なった大工頭の中井清正である。
先祖は全体的に大工が多いものの、紆余曲折のすえに商人となってそこそこ成功したのが紫蓮の5代前である。しかし、現在の有鴨家は大工や商人だったなどの意識は極めて薄い。
なお、紫蓮ママと紫蓮パパは曽々祖父が同じなので遠い親戚であり、かつ幼馴染である。
★メモケット家 (メリスパパ&ママ)
メリスの家で一番有名なのは確定しており、ペロニャである。
メモケットとはキスミアの子猫の試練が行なわれる大きな窪地の名称であり、メモケットを苗字とする人はそこで子猫を応援するのが大好きな一族である。
子猫の試練観察の関係で、メモケット家には1700年代にペロニャの一族の血が入っているのがわかっている。同好の士としての出会いでもあったのだろう。
それ以外はこれといって有名人はいない。
読んでくださりありがとうございます。




