10-23 精霊さんの祈祷
本日もよろしくお願いします。
不思議な空間から抜けだした命子たちは、行き止まりの壁に向き合った。
とは言っても広場になっているわけでなく、相変わらず一列に並んだ勇者パーティスタイル。
「深さはどのくらいなんでしょうね」
「無限空間道に入っていたからどうだろうね。私が引き返す提案をしたのが80m地点だったが、今ではそれも怪しいところだと思っている」
そういうわけで、さっそく教授と隠密さんが行き止まりの壁にタッチしてみるが、反応はなかった。
「さて、私たちが無理となると、やはり命子君が触る必要があるのだろう」
教授としては、ささらたちにも試してもらいたいところだったが、時間が惜しいし、通路が狭く隊列の変更が容易ではないので、我慢なのである。
狭い階段で教授と順番を入れ替えて。
隠密さんを盾にした命子は、隠密さんのわき腹の横から手を伸ばして行き止まりの壁にタッチした。
「ひらけーい、ゴマ!」
すると、命子の龍角がピカーッと光り、それに共鳴するように行き止まりの壁にも龍の文様が現れた。
「ゴクリ……」
事の成り行きを緊張して見守る命子はその場で固まり、その盾になっている隠密さんは、必然的に、未知の挙動を起こそうとしている壁を間近で見つめる形となった。
古代の未知と現代のロリによるサンドイッチ、それが今の隠密さんである。人類の歴史に想いを馳せずにはいられない。
今度の龍の文様も上の入口と同じく、頭と尻尾を繋いだ円環を描いた姿だった。
龍の円環が少しだけ回転することで開錠の合図となり、行き止まりの壁が内側へ40cmほど開いた。
階段の上の入り口も中途半端に開いたので、故障ではなく、人が入れるスペース分だけを動かしているのだろう。
行き止まりの先は、直径10mほどの円形の部屋だった。
壁には複雑な文様が刻まれており、その上部からは地下水が壁の文様を伝うようにして絶えず流れている。
その地下水は床に到達すると、そこに掘られた溝に流れこみ、部屋の中央付近にある石で作られた原始的な形の小さな社の中へと導かれていく。
社がどこに繋がっているのかは、建物から放たれる翡翠色のオーラを見れば一目瞭然だろう。
つまり、ここは地下70mにある魂魄の泉と近しい深度にあると推測できた。
とりわけ目を引くのは、社のほかにもう1点ある。
それは部屋の4か所に刺さっている精霊石製の剣だった。精霊自体は宿っていないようだ。
「誰もいないな」
「はい。精霊さんがいると思いましたが……」
しかし、そこには肝心な精霊さんの姿はなかった。
「……ここに龍の巫女は入ったのだろうか?」
教授が社の中に空いた穴を見て、言った。
「こわこわデス」
「キスミア人は泳げないでゴザルから、やばたにえんでゴザル」
「ワタシはもう泳げるデスけどね」
「にゃんと!」
社は部屋中から集めた水を穴に流し込んでおり、翡翠色の光で明るくはあれど、不帰を想起させる恐ろしさがあった。
「この下は魂魄の泉っぽいですし、龍の巫女が入ったのかもしれないですね。でも、そうすると誰が魂魄の泉にあった文を書いたんだろう」
「本人じゃないのかい。魂魄の泉に落ちてから一度岸辺に上がり、ひと時を過ごしていてもおかしくない」
「なるほど。たしかにそうですね」
そんな話をしていると、剣を見ていた紫蓮が言った。
「羊谷命子。この剣、知らない魔導回路が入っている」
「昔に作られたものなのに、強い剣ってこと?」
「強いかはちょっとわからない。でも昔の人が精霊石をこれだけ綺麗に加工するには、精霊の力がないとたぶん無理。その過程で力が宿ったのかも。もしくは次元龍の力を浴びすぎたとか」
「ふむふむ、どちらもありそうだね」
と、そこでアイが教授の顔の前でわたわたして、指さした。
その指が示す方向へ顔を向けると、そこにあるのは紫蓮が見ているのとは別の剣だった。
命子たちは、全員でそちらの剣の前に移動した。
「古の剣か。まさか、草薙の剣ではあるまいね」
「それは三種の神器ですわよね? そうなると、あとは八咫鏡でしょうか」
教授の呟きを拾って、ささらが言った。
勾玉に関しては龍の巫女が持っているから、残りは八咫鏡という発想になったのだろう。
「まあ、それはひとまず置いておこう。それでアイ、これが気になるのかい?」
「っっっ!」
アイはふむぅと頷くと、今度は命子の顔の前でわたわたした。
「どうしたの?」
「っっっ!」
「剣を握れって言っているね」
「聖剣伝説の始まり始まり!」
アイの言葉を教授が翻訳し、命子はテンションを上げた。
命子が剣の前に立つと、アイはその頭の上にポテンと乗った。
命子は目の端で馬場を見た。
こういう時に真っ先に止めに来る馬場だったが、今回はちょっと違った。お花畑で花冠を作っている幼女のような明るい顔でほわーっとしている。
よほど無限空間道が怖かったのだろう。まあ、それも無理はない。無限空間道から脱出して、まだ10分も経っていないのだから。
「それじゃあ、握ってみます。目覚めよ、聖剣エクスカリバー!」
「せめて和風の名前がいいと思う」
紫蓮のそんなツッコミを背中で聞きつつ、命子は剣の柄を握った。
それと同時に、アイが命子の龍角に手を伸ばす。その姿はまるで、人型ロボットを動かすパイロットのよう。
その瞬間、命子の龍角が光り輝き、その輝きが伝播するように精霊石の剣もまた同じ色の光を発した。それに留まらず、台座や床や壁を流れる地下水が光を放つ。
ささらたちは手をぶんぶんさせて、大興奮。
命子といると本当にワクワクする。
次の変化は、社だった。
社の中へと流れる水が、まるで逆流するように翡翠色の光に染まっていく。それはどんどん広がり、部屋中の水と命子が握る剣を翡翠色に変えていく。
「こ、これは!」
床の水が光を放ったことで、教授は床に刻まれた溝が何を示しているのか理解できた。
一方、人型ロボ命子は、自分の体の中を凄い力が駆け巡っているのを感じていた。
それは自分たちが使っている魔力ではない魔法の使用方法。
つまり、マナから力を引き出す非常に強力な魔法の気配だった。
今の命子では、こんな魔法は使用できない。これはアイ、もしくはこの剣が引き起こしているのだろう。
そして、この魔法がなんであるのかも、少し前に得たジョブのおかげで理解できてしまった。
「空間転移が始まります!」
命子がそう言った数瞬後、全員がよく知った現象を体に感じた。ダンジョンゲートに入った際に起こる転移現象の感覚だ。
不意打ち気味だったので、全員が半歩足を引いてバランスを保ち、同時に警戒態勢に入る。
転移した先は、先ほどまでいた部屋とほぼ何も変わらない造りをしていた。
しかし、いくつか変わった点がある。
先ほどまで室内を満たしていた光は収まり、精霊が放つほんのわずかな光だけになった点。
それから、命子が握っていた剣が台座ごと姿を消し、代わりに別の場所に台座と剣が現れていた点。
そして、中央にある社が、魂魄の泉からの光を放っていない点。
最後に。
『なん~、なん~、なん~』
そこには先ほどまでにいなかった存在がいた。
謎の精霊・イザナミは、淡い光を纏いながら、社の前で枝をフリフリしていた。
小さいのに、その姿からは鬼気迫るものが感じられる。
「……精霊さんは、人に対してこんなにも情を抱くものなのでしょうか」
薄暗い部屋の中、一人ぼっちで頑張るその姿を見て、ささらが切なそうに言った。
「どうだろうか……」
教授もその答えを持ち合わせていなかったが、その視線を少しばかりアイに向けた。
どれほどの長生きなのかわからない無垢な存在に対して、教授も切なく思うところがあるのだろう。
その時、ふわりと室内が明るくなった。
命子が借りている魔導書に再び魔法を灯したのだ。
「ここに跳ぶために私の魔力が必要だったのかな」
「そうかもしれないね。ちなみに、ここはおそらく北海道の摩周湖ダンジョン近辺のはずだ」
「北海道? 教授はなんでわかるんですか?」
「床に刻まれている溝が日本地図だったんだよ。そして、君が握った剣は、摩周湖ダンジョンがあるあたりに刺さっていた。それから、新しく現れた剣は風見町がある場所に刺さっている」
はぁー、よく見てんなぁ、と命子たちは感心した。
「そうすると、日本には計5か所、こういう場所はあるってことですか?」
「そういうことになるね」
剣は現在いる位置には刺さっていないため、残り4本。つまり、命子が言うように5か所あることが推測できた。
なんにせよ、話してばかりもいられない。
命子たちはイザナミへ視線を向けた。
『なん~、なん~……な~んっ!』
ちょうどその時、イザナミが枝を振り上げた。
それと同時に、イザナミの体が激しく発光する。
「きょ、教授。これ、かなり力を使っているようです。大丈夫でしょうか?」
「わからん。魔力を使いすぎたことで、精霊が完全消滅したことは今のところないんだ」
精霊使いのジョブで得られる知識で、この状態が精霊にとって危ないことだと教授は知っていた。
しかし、実際にそれを目の当たりにしたことはなかった。
そもそも、精霊は自主的に魔法を行使することがあまりない。
キスミアでは、ガーデニングに興味を持って、猫じゃらしの植わった鉢の土を土壌改良する個体も現れ始めたようだが、そういう際には人から魔力を吸収していく。
このように、精霊は無敵かつ物をすり抜けられ、さらに現状では無欲なため、弱るほどの魔法を使う機会がほとんどないのである。
すぐに止めさせようとしたところで、社の奥から翡翠色の光がポワンと一つ浮かびあがった。
『最後の封印を解かん。楔となっていた巫女の魂は解放される』
ふいに次元龍の声が聞こえ、それだけ言うと気配が去っていった。
一瞬のことだったのに、命子たちは息が止まり、ルルとメリスは宇宙の真理を知ってしまった猫のようにフリーズした。
ひゅっと息を吹き返した命子は、頭を振ってしゃきっとした。
「さ、最後の封印?」
「かは……っ! か、風見町、阿蘇、京都、白神山地、そして摩周湖だ。イザナミはその全ての封印を解いたのだろう。風見町はわからんが」
教授の言葉に、命子は自分が魔力を吸われた回数を思い出した。
出会った時と合わせて、その数5回。封印の数も5つ。
風見町の封印と最初の1回目の魔力吸収がどうなっているかわからないが、少なくとも命子を訪ねる形で魔力吸収した回数と、封印の数はイコールしている。
「ど、どうなるんでしょうか?」
「わからんが、少なくともああなるんだろう」
教授が指さす先にある社からは、魂魄の泉から放出されるマナが堰を切ったようにこんこんと湧き出ていた。
『なん! ん~、なんな~ん!』
その前ではイザナミが枝をぶんぶんと振って喜んでいた。
巫女の魂が解放されたと次元龍は言っていた。
だから、イザナミの願いは叶ったのだろう。
イザナミの喜ぶ姿は微笑ましいものだったのだが――
唐突にその腕からは勢いが失われ、すぐに片腕が無くなってしまった。
「「まずい!」」「「「っっ!」」」
命子と教授の言葉と、仲間たちの驚きが重なった。
イザナミは形を保てなくなっているのだ。
命子たちがわずか3mほどを駆けつける極短い時間で、頭や足が失われ、体のほとんどが光の球体に戻ってしまった。
ただ一つ、麻の枝を模した部分だけは残り続け、フリフリと弱弱しく振っている。
その姿を見た命子は、先ほどのささらの呟きや自分の家にいる光子を思い出さずにはいられなかった。
「命子君は転移に魔力をどれくらい使ったか計算!」
そう叫んだ教授は、イザナミに触れながら手から魔力を放出した。
精霊は魔力に好き嫌いがある。
これが単なる好き嫌いなのか、力に変える適合によるものかは未だに判明していないが、なんにせよ、イザナミは教授の魔力を吸い始めた。
その周りで、アイが応援するように手を振っている。
「命子君、もう一度跳べるか!?」
「あと一回なら! 問題はアイです。あの転移を引き起こしたのはアイの可能性もあります」
命子の返答を聞いて、教授はアイを見た。
「アイ、もう一度転移できそうかい?」
「っっっ!」
アイは、ふむぅと元気に頷いた。
「命子君。可能ならばすぐに行こう。これは精霊石で休ませなければダメだ」
教授は自らが持つ精霊石のペンダントを見せるが、イザナミは入らない。
今までは精霊が精霊石を選ぶのは、『家に対するこだわり』という説もあったが、この危機的状況でも入らないところを見ると『精霊石との適合』の線が強まった。
「わかりました。すみません、どの剣を握ればいいですか?」
「あれだ」
「わかりました。ちなみに、この精霊石の剣は家に使えないですか?」
「……やめておこう。キスミアの精霊石の剣は攻撃するたびに魔力を使用する。だから、常時、精霊に無理をさせている可能性もある」
それはもっともなので、命子は頷くとすぐに転移の準備を始めた。
「準備はいいですか?」
その質問に全員が頷き返したので、命子は剣の柄を握った。
それと同時に、アイが命子のツノをガシーンと握った。
転移が行われた証明が三半規管への負荷として現れたが、覚悟をしていればこのメンバーでよろける者はいない。もちろん、教授も。
「メーコ、扉を頼むデス!」
「オッケー!」
命子は扉を開けてから、さあ行こうとばかりに教授を見た。
しかし、教授は手のひらに乗せたイザナミを見つめて、動かない。
不穏な空気を感じ取った命子たちはすぐに駆け寄った。
「教授、私たちの魔力を!」
「あ、ああ、そうだね」
イザナミは教授のほかに、命子の魔力を吸収したが、ほかのメンバーの魔力は吸収しなかった。
2人分の魔力を吸ったが、イザナミは人の形に戻らず、それどころか明滅を始めてしまった。
「何してんの。早く行くわよ!」
それでも諦めない馬場が教授に言った。
しかし、教授は首を振る。
「いや、おそらく間に合わん」
「諦めるっていうの!? 問答している暇があったら行くわよ」
「問答をするつもりなんてないさ。賭けになるが、一つ良い案があるんだ」
イザナミへ視線を落としながら告げた教授の言葉に、命子たちはさすが教授だと目を輝かせた。
教授は顔を上げ、続けた。
「翔子、隠密君。命子君たちを頼むぞ。アイよ、私を導いてくれ」
「っっっ!」
教授はそう言うと、アイと共に、部屋の中央にある社の中に飛び込んだ。
部屋中の地下水を引き込む社の中の穴が、一瞬にして教授を飲み込んでしまった。
「わーっ!? 教授ぅー!?」
叫んで追いかけようとする命子を、隠密さんが羽交い絞めにして止めた。
茫然としていた馬場は、ハッとした。
「みんな、魂魄の泉に行くわよ!」
「「「りょ、了解!」」」
命子たちは無限空間道だった地下階段を駆け上がった。
「あんの馬鹿っ!」
「馬場さん、教授、泳ぎは!?」
「あいつは犬かきすらできないわ!」
「ひぅうううう! 教授ぅ!」
社の中に飛び込んだ教授は、ウォータースライダーのような天然の地下水路を滑っていく。その手に包み込んだイザナミを胸に引き寄せて守り、自分は背中やひじにダメージを受けながら。
地下水路はすぐに終わり、一瞬だけ魂魄の泉の空洞内が見える場所に出た。
しかし、教授はギュッと目を瞑ってしまっていたため、そのことを理解したのは魂魄の泉の中に落ちた後だった。
水に体が包まれた教授はゴボォと息を口から吐くが、運動神経が皆無でも知識としてそれがまずいことはわかっているので、慌てて息を止めた。
怖い。
そう思う教授は、水の中で目を開けていられない人だった。
『気合で目を開けなさいよ!』
ふわりと脳裏に過った映像は、スクール水着姿の高校時代の馬場だった。
それを言われた当時の教授は怖くてやっぱり無理だったが、今回はその思い出に背中を押されて頑張って目を開けた。
不思議と目は痛くなかった。それどころか、ぼやけずにとても鮮明に水の中が見えていた。
そんな教授の瞳には、様々な濃淡の緑色で輝く世界が広がっていた。
「っっっ!」
教授の体がアイの魔法で移動を開始した。
この魂魄の泉は、泳ぎが達者でないものなら普通に溺れる程度の深さがある。
そんな水深の一番下まで導かれた教授は、緑に輝く大地に立った。
「っっっ!」
アイに導かれて、教授はゆっくりと歩き出す。
水の底を歩くのは初めてのことだったが、アイの魔法のおかげか、運動音痴な教授でもかなりスムーズに歩くことができた。
その足元で踏まれた精霊石の中から、教授を見つめる精霊たち。
中には教授の姿に変わる精霊も現れた。
キスミアでもそうだったが、それは伝播していき、教授型の精霊が増えていく。
やがて、アイは地面を指さした。
通常の精霊石は水晶のように地面から生えている鉱石なのだが、そこにあるのは地面から分離したものだった。
そのあたりにはそういう精霊石が多く散らばっていた。
これこそが教授の狙い。
龍の巫女が入っていた精霊石の棺の欠片である。
これらは長く龍の巫女を包み込んでいたものだ。
イザナミが気に入るものもあるだろうと。
大小さまざまな欠片には、精霊が入っているものと入っていないものがあった。
教授は膝をつき、アイが持ってきた欠片をイザナミに差し出した。
するとイザナミはその中に入り、明滅をやめて穏やかな光を放ち始めた。
精霊使いの勘が、もう大丈夫だと告げてくる。
それを見た教授は小さく笑い、ゴボリと息を吐きだして、気を失った。
一方、魂魄の泉へ繋がる縦穴に急行した命子たち。
縦穴は多くの自衛官や研究者たちがおり、非常に賑わっていた。
「チィッ! エレベーターが下にいるわ!」
馬場が忌々しそうに叫んだ。
この縦穴のエレベーターは2台あったが、片方が下、片方が昇ってきている最中だった。
「命子ちゃんたちはエレベーターで来て! 私はこのまま行くわ!」
「待ってください! 私を連れていけば何かと便利です!」
「わかったわ!」
「ごめん、ささらたちはエレベーターで追ってきて!」
「わかりましたわ!」
一応、階段もあるのだが、ささらたちの脚力で駆け降りると壊れる恐れがある。
ささらの返事を聞いた命子は、馬場の背中に飛びついた。
ガシーンと手足を絡めて準備万端。
「行くわよ!」
馬場は縦穴の外周を4分の1ほど走って中の状況を確認すると、何の躊躇もなく飛び込んだ。
「ハッ!」
【鞭技:マジックフック】は、壁や天井、魔法に至るまで、いろいろなものに鞭の先端をくっつけることができる技だ。
馬場はその技を使い、落下の勢いを器用に殺していく。
70mという普通なら助からない縦穴を落下しているのに、馬場と命子は何も恐れない。
「落ーっ!」
馬場が叫ぶ。
地方や組織によって多少は変わるが、これは山岳林業などの作業で見られる合図である。切った木や崩れた岩が山の斜面を転がっていくことがあるため、こうやって叫んで注意を促すのである。
いま使うようなものではないが、それでも合図としての効果はあった。
急遽空けられたスペースに、スタリと馬場が着地する。
「失礼!」
謝罪する馬場は、背中から降りた命子とともに今度はトンネルを走った。
「緊急です! 道を空けてください!」
声を張り上げた馬場の声量はさすが自衛官というべきかかなり大きく、命子たちは邪魔されることなく、すぐに最奥にたどり着いた。
「馬場ダンジョン特務官です。緊急事態により、中に入らせていただきます!」
馬場が走りながら断りを入れると、通りすがった自衛官が「まさか、またシープ……ッ!」と言いかけて、慌てて口をつぐんだ。危うく秘密の作戦名がバレるところだった。
2人は魂魄の泉がある空洞内に駆け込んだ。
そこでは、自衛官と研究員双方が数名で調査していた。重要度に対して人数が少ないのは、初期調査で精霊と契約してしまう事故を極力減らすためである。
彼らは少し騒がしい程度で、命子たちが想定していたよりも混乱がない。
まさか、あそこは魂魄の泉に繋がっていなかったのか、と嫌な予感が命子たちの胸中を襲う。
「馬場ダンジョン特務官です。5分ほど前から魂魄の泉に変化はありませんか?」
馬場が男性研究員に尋ねると、彼は一つ頷いた。
「なにかが落水した大きな音がありました。あちらを見てください」
そこは岩場の陰になっている場所だった。
「あそこに地下水の流れがあるんですが、そこでなにかが落下したようです。現在、設置してあるカメラを分析しているところです。おそらく剥がれた岩盤かと考えているのですが……」
「いえ、それは風見町駐屯研究主任の音井礼子だと思います」
「……え?」
「良かった。とりあえずここに来れたみたいですね、馬場さん」
「ええ」
「いやいや、全然良くないですよ!?」
研究員が命子に鋭くツッコンだ。
しかし、命子と馬場にとっては、教授が変な場所に流れ着いていなかったのは朗報なのだ。
「命子ちゃん、ちょっと行ってくるわ」
「わかりました。気をつけて」
ここの魂魄の泉は、龍人系統のマナ進化を誘発させる疑いがある。だから、マナ進化が龍人系統に入っている自分が行くほうがいいと命子は思っていたが、一刻を争うので馬場に任せることにした。
上着を脱いで湖へ向かって走り始める馬場。
しかし、馬場が飛び込む前に、それは起こった。
水面から気を失った教授が浮かび上がってきたのだ。
「しめた!」
馬場は、龍の巫女を助けた時のように一瞬にして鞭を水面へ走らせた。
しかし、鞭は教授の体に巻き付く前に、強力な力で弾かれた。
「こ、これは!?」
「あ、あれは!? 馬場さん、たぶん、マナ進化が始まります!」
「なんですって!?」
馬場の隣に駆け寄った命子が叫んだ。
それと同時に、水面が震えていくつもの波紋を描き、周囲を漂うマナの光が一斉に光り輝いた。
「「はわわわわ!」」
これには周りの研究者たちも大興奮。
定点カメラをむんずと掴み、一流カメラマンのように激写しまくる。
光り輝くマナは、教授を中心にして渦を巻くように移動し始め、だんだん帯状に変化していく。
やがて教授は水面から浮上して、マナの帯が形成する繭に包まれるのだった。
教授は、マナの繭の中で極上の旋律を聞いていた。
そこにはとてつもなく大きな存在がたくさんいて、自分の人生を祝福してくれていた。
マナの繭の中で教授が見る夢は、自分の研究成果や今考えている仮説を、その大きな存在たちに発表する自分の姿であった。
そして、それらの研究で、世界が長らく幸福になってほしいと願うのだった。
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『文殊姫』
★種族スキル
【神秘眼】
バランス型であるが、長期間タカギ柱を見てきたためか、教授固有としてマナ視にとくに長けている。
【龍眼】や【猫眼】のような動体視力などを上げる戦闘補正は一切ない。
【並列思考】
物事を完全に並列で考えられる。
※この思考補助スキルを使うと魔力が消費されるが、熟達すると消費魔力がどんどん減っていく。
【龍角】
龍角を得る。装着時、魔法操作力が格段に上がる。
※この種族スキルの取得は、教授本人に興味があったためと、魂魄の泉の水を飲みすぎたことに起因する。のちにわかるが、本来の『文殊人』は、研究用の魔力操作性が向上する能力が得られる。
【ある程度マナ因子が溜まったスキルの性能が微上昇】
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、大変励みになっております。
誤字報告も助かっています。ありがとうございます!