10-20 キャッキャする研究者たち
本日もよろしくお願いします。
学校が終わり、命子たちは風見町立総合病院にやってきた。
教授はここにいるというのである。
風見町立総合病院は、10年ほど前に建て替えられており、割と新しい建物だ。町の人からは、専ら『総合病院』と呼ばれている。
その後、風見ダンジョンが現れてからさまざまな設備が導入され、大きな大学病院にも負けない病院になっていた。
病院に行くと、駐車場に自衛隊の研究用車両が数台止まっていた。
その周りには白衣を着た人たちがたくさんおり、テレビで見たことがあるような偉い先生も来ていた。
「おー、男性系研究者の最終進化先だ……」
「研究と論文とノーベル賞のカードを合成すると進化できる」
「モンスター玉を投げるでゴザル!」
命子と紫蓮とメリスがアホなことを言ってクスクスした。
「それにしても、みなさん病院の中には入らないんですのね」
「きっとキャッキャして立ち入り禁止になったんデス」
「まあ!」
というわけで、命子が電話すると、教授が1台の車両から外に出てきてくれた。
「やあ命子君。さっそく来たね」
「教授、こんにちは」
「うん。それじゃあどうしようか。彼女と会ってみるかい?」
「え、いいんですか?」
「ああ、少しだけになってしまうが問題ないよ」
というわけで、命子たちは病室に案内された。
病室の前には自衛官が待機しており、有事に備えているようだ。
自衛官からビシッと敬礼で挨拶されつつ、命子たちは病室に入った。
命子は、白い壁にマジックミラーみたいな研究所っぽい場所にいるイメージがあったが、そこは良いお部屋ではあるものの普通の個室だった。
ただ、監視カメラや医療機器が持ち込まれており、その点が普通とは違うだろう。
件の少女はベッドで眠っていた。
点滴こそされているが、顔色は良好。それこそ声をかければ、ふわりと目を覚ましそうな寝顔であった。面白いのはその髪で、あまりにも長いため、綺麗にまとめられてサイドテーブルに置かれていた。
初見のささらたちはもちろん、命子も少女を近くで見るのは初めてだった。
「こんにちは」
ベッドサイドで命子がそう呼びかけるが、反応はない。
そのままサッと謎の精霊さんの姿を探したが、見当たらなかった。
「どこか悪い所があるでゴザルか?」
病室なので少しばかりトーンを落として、メリスが教授に尋ねた。
「いや、目覚めない原因は不明だ。特に悪いところは見当たらないんだがね」
「そうでゴザルか……。早く良くなるといいでゴザルね」
「ニャウ」
メリスの言葉に、ルルとささらが頷いた。
「この子はどういう子……なんですか?」
紫蓮が教授に尋ねた。
こういう時、紫蓮は命子経由で尋ねることが多いので、なかなか珍しい。
「それは我々もわからないが、ひとまず、地底湖の壁にあった文字から、『龍の巫女』と呼ぶことになったね」
「龍の巫女……」
「うん。君たちは、昨晩の公表記者会見を見たかい?」
教授が問うと、全員が頷き、命子が話を広げた。
「明治以前の人だって話でしたね。実際どうなんですか?」
「実際は3世紀か18世紀の人間だと我々は考えている」
教授の言葉に、全員が目をまん丸にして驚いた。
「3世紀って西暦200年代ですよね? それと18世紀だと江戸時代? ずいぶん開きがありますね」
「それなんだよ。科学者として『魔法があるからなんでもあり得る』という前提は恥ずかしいんだがね」
命子の質問に、教授はそんな前置きをしつつ言った。
「しかし、この子は保存状態があまりに良すぎて、科学的な検査がほとんど通用しないんだよ。だから、状況証拠からの考察になってしまうんだ。例えば、そこに掛った衣服を見たまえ」
「白装束ですか。なんかお侍さんが切腹の時に使うやつみたい」
壁に掛った白い巫女服を見て、命子が率直な意見を言った。
「うん、その意見もあったね。しかし、その服を科学的に測定してみると、原材料が採取されたのは2年以内と結果が出てしまうんだ」
「私の羊さんパーカー・マーク2と同じくらい新しいですね」
ファッションセンターしましまで売られている羊さんパーカー、1980円である。
一方、紫蓮は職人の目線だった。作りが全てにおいて雑に思えたのだ。だけど、すぐ近くで少女が眠っているので、それを口にはできなかった。大切な服かもしれないし。
「この子はね、様々な点で不可解なんだよ。それが学者たちを混乱させている」
教授は、衣服の作製技術の未熟さ、レベル15相当の魔力という才能を説明した。さらに、その後に来た学者たちが発見したことを続けた。
「足の裏を見てごらん。それは裸足で土を踏む人たちに見られる足だ。西洋の靴が入ってきた明治以降の人間、あるいは日常的に足袋などを履けた階級の者ではなかなかこうはならない」
教授が掛け布団を少しめくって足の裏を命子たちに見せた。
足首やふくらはぎは綺麗なのだが、爪から足の裏にかけて、たしかに柔らかそうではなかった。
あまり晒しているのも可哀そうなので、教授は布団をかけ直した。
「反面、かつての農民のような飢餓に喘いでいた肉付きではなく、手も農作業をしてきた手ではない。巫女のような立場であろうことは間違いなさそうだが、レベル15相当の才を持つ者に与えられる品質の服ではない。だが、これほど長い髪なのにとても美しく手入れされている」
「なるほど。たしかにちぐはぐですね」
教授のオタクな部分が出て、命子は頑張ってお話を聞いた。
「極めつきは、命子君が発見したマナ文字だ。今朝方になって自衛隊の魔眼視専門官が到着してね。彼が書き写した文字は、日本史上存在しない文字だったんだ」
「ふむふむ、なるほどなぁ!」
命子は相槌を打った。
と、その時、ドアがノックされて、自衛官が顔を出した。
「お時間です」
「おっと、もうそんなか。すまんね、君たち。面会は終わりだ」
「早いですね」
「非常に大切な子だからね。あまり無理はさせられないんだ」
「それはそうですね」
というわけで、命子たちは外に出ることにした。
その際に、命子は少女の胸に手を置いて、声をかけた。
「早く良くなってね。ここは楽しい世界だよ」
ポンポンと布団の上から優しく叩くと、命子は満足してみんなのあとを追った。
駐車場に戻ると、教授が提案した。
「それじゃあ、みんな、お茶にでもしようか」
命子と紫蓮はチラッと研究用車両を見た。入りたいらしい。
「すまんね。ここは君たちを招くにはちょっと狭いんだ」
命子たちはぽわぽわーんと中の様子を想像して、納得した。きっと観光用バス並みの通路幅で、両側に機材が並んでいるのだろうと。
歩き始めた命子は、フェンスの向こう側に並ぶ研究用車両を見ながら、先ほどささらが言った素朴な質問をした。
「なんだってみんな外にいるんですか?」
教授は苦笑いした。
「さすがに我々が大挙して押し寄せるわけにはいかないからね。ほかの患者さんもいるわけだし。だから外の車をベースにして、中では数人が活動しているくらいなんだよ」
「つまり、キャッキャしちゃうからですね?」
「冗談抜きに、その通りだ」
その答えを聞いて、ルルが得意げな顔をした。
というわけで、命子たちは近所のカフェにやってきた。病院に来た人がよく使うカフェである。
「クリームソーダデス!」
「じゃあ私もー」「我も」「ではワタクシも」「拙者も!」
ルルがキスミアの国民ジュースを選ぶと、子供たちは全員が同じものを注文した。
「では私もクリームソーダで。あとサンドイッチセットと、揚げポテトも」
クリームソーダ推しが強すぎる少女たちにあてられて、教授も久しぶりに飲んでみたくなってしまった。なかなかない注文であろう。
ルルとメリスは、クリームソーダを飲むと目をまん丸にして、ネコミミとシッポをシュピピと震わせた。教授も目をギュッと瞑り、シュピピと体を震わせる。
教授の精霊であるアイは、教授をシュピピとさせる謎の液体に興味を示して、コップにペタリとくっついて眺めている。
「これを飲むのも20年ぶりくらいか。……え、20年? 凄いな」
教授はあまり炭酸が得意じゃないので、気づけばコーヒーやお茶などを飲むようになってしまった。最後に飲んだのは10歳くらいだったので、教授は自分で言いながらちょっとびっくりした。
場所は変わっても、話題はやはり謎の少女についてだった。
「それでキョージュ殿。なんで18世紀なんデス? もしかしてニンニンの気配デス?」
「いや、忍の者ではないね。全ての年代で可能性はあるが、学者の考えは3世紀か18世紀で割れているんだ。3世紀については先ほど言ったとおりだが、18世紀は宝永の大噴火に焦点を当てられている」
「ホーエーの大噴火! シャーラのお家ができた事件デス!」
全員がささらを見た。
ささらはもじもじとした。
1707年に富士山が大噴火を起こしたのが『宝永の大噴火』なのだが、この際に小田原藩は壊滅的な被害に遭い、河川の安定や米の収穫量が元に戻るまで100年近く要したと言われている。
風見町があった場所もその被害にあっていた。
この復興に尽力したのが、ささらの先祖・初代笹笠家当主の小夜である。
男性社会だった当時にありながら、小夜は男たちを率いて、小田原藩の一部を復興してみせた。
このことが時の将軍徳川吉宗の耳に入り、吉宗直々に『笹笠』の苗字を貰い、それと同時に小田原藩風見村の管理を任されることになる。
ささらママは笹笠家の現当主であり、青空修行道場の人たちがささらママをリーダーとして動くのは、このあたりに理由があった。
ちなみに、小夜は地方の偉人という位置づけであったが、ささらが活躍したことでエネーチケーなどの歴史番組で取り上げられており、日本どころか世界中の人が認識するレベルの偉人に昇格されていた。
命子たちがささらの家の歴史を知っているのも、この番組が理由である。
閑話休題。
「このあたりの河川は宝永の大噴火で降り積もった火山灰のせいで、何度も大きな氾濫を起こしてね。神社仏閣、商人や豪農の家に納められていた歴史的な文献がほとんど残っていないんだ。逆に、小夜のおかげで18世紀後半からの文献はかなり詳細に残っている。つまり、龍の巫女というのは、文献を残せなかったほど悲惨だったこの時代に、人身御供に捧げられてしまった少女なのではないか、というのが18世紀派の考えだね。この時代ならば、少女のいくつかの特徴に説明がつくからね」
「なるほどなー」
命子はクリームソーダのアイスを口の中で溶かしながら、頷いた。
「でも、精霊が関わっているし、古い時代の人だと思う」
紫蓮の言葉に、同意見の教授は頷いた。
「うん、我々もそれが一番怪しいと考えているよ。しかし、いきなり古代の人と断言はできないってことだね」
大人の事情であろう。
「お待たせしました」
と、ポテトとサンドイッチが来たので、教授は一旦話を切り、子供たちに食べるように勧めた。
教授もサンドイッチを頬張り、クリームソーダで流し込んでシュピピとした。
丁度いいので、教授は話題を変えた。
「それで、新しく精霊使いになった子たちの様子はどうだい? たしか君たちのクラスメイトもなっていたよね?」
「はい。昨晩の被害はガラス1枚だって言ってました。これから、中学生たちと一緒にお勉強会みたいですね」
「勉強会か、それはいいことだね。国から人を派遣して、書記をさせたいくらいだ」
「そんな大げさな。きっとポテチ食べてキャッキャしながらお話しするだけですよ」
「あー、なるほど、そんな感じか」
命子と教授の考えるお勉強会には、大きな開きがあった。
「しかしね、キスミアでは精霊使いの協会ができているから、日本でもすぐにできるはずだ。その際には彼女たちの体験談がとても役に立つだろう」
「おー。モモちゃんが会長の椅子に座る時が来たか……」
「はははっ。今は無理だが、将来的には十分に可能だろう。なにせ始まりの精霊使いだからね」
そう言って笑った教授は、ある報告を思い出した。
「そういえば、萌々子君と言えば、もう聞いたかな?」
「なにをですか?」
「アリア君が来日するんだよ」
「「「えーっ!」」」
「なにしに来るでゴザルか?」
「ニャウ。アイルプ家はあまり国外に出ないのに珍しいデス」
キスミアコンビは、母国のお偉いさんが来ることにネコミミをピンとさせて、興味津々な様子。
「それはもちろん精霊洞窟の視察さ。世界的なニュースだが、キスミアでは特に他人事じゃないからね」
「これはモモちゃんに黙っておかなくては……」
「言わないんですのね」
「うん。アリアちゃんが言わないってことはサプライズだろうし」
「まあ!」
命子が言うと、ささらは目をキラキラさせた。命子たちと付き合い始めて、ささらはすっかりサプライズが好きになってしまっていた。
「それにしても、今の時期によく来る気になりましたね。飛行機とかそろそろ最終じゃないですか?」
「キスミア国内ではすでに飛行機は使われていないね。おそらくセイスを経由してくるのだろう」
日本では、今年いっぱいくらいならおそらく飛べるはずというのが研究者の考えだったが、一方で、怖くて客が集まらないだろうというのが経済学者の考えだった。
それは数日後に迫ったゴールデンウイークのアンケートですでに表れており、今年の国内旅行者数は平成以降最高値になっている反面、海外旅行者数は最低値を記録していた。
それからしばらく雑談していると、ふいにささらが言った。
「そういえば命子さん。精霊さんについてお尋ねするんじゃなかったんですの?」
「ンッ!」
ささらにそう言われ、クリームソーダに入っているチェリーをストローでチューとしていた命子の目が見開かれた。
「精霊かい?」
「そうなんです、教授。実は、昨晩からあの子の精霊が私の所に3回も来たんです」
「なんだって? いったい何をしに?」
教授は訝しげな顔をした。
「魔力をめっちゃ吸収してタカギ柱の方に帰っていくんです。妹に翻訳してもらったんですが、どうやらあの子を目覚めさせるために魔力が必要みたいです」
「タカギ柱の方へ? ……来た時間と帰った時間はわかるかい?」
「え? うーんと、昨日の晩は11時くらい、今日の朝は8時くらい、昼は1時くらいですね。最初は10分くらいで帰って、他は1分くらいです」
「その時間なのにタカギ柱の方に向かったんだね?」
「今日はよく見てなかったんでちょっとわからないですけど、昨晩はそうです。え、もしかして、その時間にはもう病院にいたんですか?」
「うん。君たちが帰って1時間もせずに彼女は病院に搬送されたよ」
「精霊さんは?」
「実は、昨晩から精霊の所在が掴めていないんだ。精霊は精霊石がなければ消滅してしまうので、すぐに帰ってくると思ったんだが……」
「えー!」
「命子君。本当に萌々子君は、あの子を目覚めさせるために魔力が必要だと翻訳したのかい?」
命子は昨晩のことを思い出して、ハッとした。
「目覚めさせるためとしか言ってなかったです。私が勝手にあの子のことだと勘違いしただけです」
「いや、状況からしてそう考えるのが普通だ。実際に、あの子を目覚めさせるためにタカギ柱や魂魄の泉が関係しているのかもしれないわけだし。なんにせよ、このことは報告しておくが、いいかい?」
「はい、大丈夫です」
「ありがとう。しかし、そうなると、やはり龍の巫女は別の場所に搬送するべきではないかもしれないな」
「え、連れていかれちゃうんですか?」
「あそこの病院に入ったのは、長距離搬送が可能か検査するためだったんだが、その後の意見が割れていてね。風見町で見つかった以上はこの地から離すべきではないという意見と、より良い環境でケアをするという意見だ」
「えー、絶対に風見町にいた方がいいですって」
命子が言うと、ささらたちもコクコクと同意した。
「その意見が多いよ。こういう世界になったから、なにを以てして良い環境なのか指摘されている。風見町は世界でも有数のマナが満ちている地だからね。そんな場所で見つかった少女なのだから、動かすべきではないという意見が多い」
魔法世界になったわけで、科学だけに頼った医療が正解とは限らない。現に、科学では不可能な保存方法で龍の巫女は眠りについていたわけだし。
「まあ、別の場所に移したい連中は、手元に移したいんだろう。そういう連中は風見町では外様だからね。よほどの専門家ではなければ、時間が経つと研究の中心からは外されてしまうのさ」
「黒い巨塔ですね?」
「あのドラマはそういう話なのかい? 私はドラマを見ないんだ」
「すみません。適当言いました。私も見たことないです」
小さく笑った教授は、すぐに真面目な顔に戻った。
「問題は精霊か。実際のところ何をしているのか突き止める必要があるだろう」
「そうですね。次にやってきたら連絡しましょうか?」
「うん、頼むよ。あと羊谷家の警備の者にも伝えておこう」
そういうわけで、教授とのお茶会が終わった。
お会計で命子たちがお金を出そうとすると、教授が言った。
「ここは私が払うよ」
大人にそう言われたら恥をかかせないためにも奢られるのが子供の務め。
「「「ごちそうさまです!」」」
だから命子たちは元気にお礼を言って、先にお外で待つことにした。どのように支払うかもジロジロ見ない、それがマナーだ。
すると、教授がすぐにほんのり顔を赤らめて出てきた。
「も、申し訳ない。その、なんだ……お財布を忘れちゃった」
勝手に恥をかいた教授のポンコツさを見た命子は、萌えた。
その後、教授は電子マネーが使えなかったと言い訳した。
そして、カフェからの帰り道。
謎の精霊さんによる4度目の奇襲が起こった。
読んでくださりありがとうございます。
来週はもしかしたら日がズレるかもしれません。ご容赦ください。