10-19 ひととき日常へ
ちょっと遅れました。
本日もよろしくお願いします。
その日の夜遅くに、日本における精霊洞窟の発見の第一報がニュースで報じられた。
そこには精霊洞窟の発見とともに、謎の少女を保護したことも公表された。
少女の推定活動時期は調査中とされたが、明治以前の可能性が極めて高いという文言も添えられている。
日本政府がここまで素早い公開に踏み切ったのは、未だ目覚めない少女がもし目覚めた際に、彼女の言葉の信憑性を守るためである。
というのも、この少女の活動時期が3世紀~5世紀の可能性がかなり高いからであった。
日本において、この時期の国家的、学術的な価値はあまりに高すぎて、国民に疑われる隙を作りたくなかったのだ。
なにせ、その頃の日本のことは、古代チュゴーの魏志倭人伝にほんの少しだけ記述があるだけで、日本自体には文献が一切ないのだから。
しかもそれが精霊と関わりがある少女が関連しているとなれば、どの国にも自慢できるような凄まじい歴史である。
さらに言えば、各国にある製作方法が不明の巨石遺跡などの謎が連鎖的に解き明かされる可能性もある。
これらは全て彼女の話の信憑性に左右されるため、日本政府は彼女の言葉の価値を守らなければならないのだ。
というわけで初回なので概略程度の発表がされたわけだが、この発表は世界中の学者に超特大の驚愕をもたらし、ここに官僚たちのデスマーチ・シープバレー春の陣が始まった。
なお、懸念されていたシークレットイベントは起こっておらず、引き続き警戒を強める対応を取っている。
子供たちの長かった一日が終わった。
命子と萌々子もおウチに帰り、いまは姉妹で仲良くお風呂に入っていた。
「っっっ! っっっ!」
「みんなちゃんとできてるかなー?」
萌々子は、光子が入った風呂桶をお湯の上でクルクル回しながら、新しく精霊使いになった友人たちを想った。
洗濯機に入ったみたいにぶん回されている光子は、キャッキャと楽しげだ。
「まあ平気っしょ」
命子は風呂の縁でくてーっとしながら、あっけらかんとして言った。
「でもキスミアから帰ってきた時は、ファンタジーに慣れてるお姉ちゃんだって大はしゃぎだったじゃん。普通の人だったら大変な騒ぎになると思うよ?」
「まあそりゃそうかもだけど。それもひっくるめて楽しいんじゃないかな。きっと今頃、おウチの中を紹介したりして大忙しだよ」
萌々子はその情景を思い浮かべて、それはそうかもと思った。
実際に、帰宅した精霊使いの少女たちは、命子の読みそのままにおウチの中を紹介して大忙しだった。兄弟姉妹がいる子の場合は、それこそ家がひっくり返ってしまいそうなお祭り騒ぎだ。
「まあ、わからなかったら電話がくるっしょ。それに明日は学校だし。それよりも、あの子はどうなったんだろうなぁ」
命子は魂魄の泉で発見された女の子が気になっていた。
結局、命子たちが地上に戻った後に馬場たちがすぐにやってくることはなく、自衛隊のお姉さんの案内で帰宅することになってしまったのだ。
「教授さんから連絡はないの?」
「馬場さんから地上に戻ったって連絡はあったけど、そこからはないね。教授はきっと夢中で忘れちゃってると思う。あの人はそういうところがちょいちょいあるからね」
「めっちゃありそう」
ふぅー、と体勢を変えた命子は、風呂桶に入っている光子を見た。
「みっちゃん、『なん』って言ってみ?」
「っ?」
しかし、光子はこてんと首を傾げてわからない様子。それよりも回してと、風呂桶の端をペシペシ叩いた。
「あの精霊はなんだったんだろうね。光子も喋るようになるのかな?」
萌々子は女の子よりも、謎の精霊のほうが気になる様だ。
「進化するか、長いこと一緒にいて学ぶか。なんにせよ、モモちゃんも一つ目標ができたね?」
「うん!」
羊谷姉妹のお風呂でのそんな一幕であった。
さて、大事件だったとはいえ、明日は学校に行かねばならない。
否、大事件だったからこそ、明日の学校には行かねばならぬ。鉄とトレンドは熱いうちに打つのだ。
というわけで、命子は眠ることにした。
「はー、今日も面白かった!」
お布団に潜り込んだ命子は、小学生並みの本日の総括を述べた。けれど、今日も面白かった、と素直に言えるのはとても素敵なことであろう。
命子は今日あったことを思い出しながら、ベッドの横にある窓から夜空を見上げた。
ベランダ側とは違う方角の窓で、こちらからはよく月が見えた。今日はどうやら満月のようである。
こいつぁいいや、と今日は満月に照らされながら眠ることにした。
「名月や 布団の温もり……布団の温もり……しゅきしゅきー」
俳句が思いつかなかったので、命子はお布団さんに熱愛の言葉を送って目を閉じた。
すると瞼の先から透ける満月の光。
満月は案外眩しいのだと知る16歳の春の夜。
こいつぁ無理だ、と命子はカーテンを閉めることにした。
「風流よりも惰眠。それが女子高生の生態なり。さらば名月や……ハッできた! お布団で 惰眠貪る 春の夜 さらば名月 花の散るらん」
命子は『花の散るらん』を入れておけばいい感じになる原理を使った。意味は不明、口当たり重視。
そんなふうにごちゃごちゃ言いながらカーテンに手を伸ばした時であった。
命子の手に、唐突に人形サイズの存在がヒシィと抱き着いたのだ。
物を透過できる光子と暮らすようになって度々こういうことがあるので、命子は少しドキンとするくらいだった。
しかし、ドキンはすぐにふぇええに変わる。光子ではなかったのだ。
「こ、この精霊さんは!」
『なん!』
そう鳴いた精霊さんは、地底湖で発見された謎の精霊さんだった。
「どうして私んちに!?」
命子は惰眠どころじゃねえと、ベッドから跳ね起きた。
そのまま窓の外を覗いてみるが、そこに飼い主の姿はない。
「アンタ、どうしたの? あの子は? もしかしてお得な乗り換えプラン?」
『なんっ』
「ふむ、わからん。ちょっとこっちにおいで。モモちゃんのお部屋に行こう」
命子がそう言うと、謎の精霊はポテンと命子の頭の上に乗っかった。
魔力がぐんぐん吸われているが、それを差し引いても。
「やっぱり可愛いんだよなぁ」
羨ましいゲージをむくむくと上昇させつつ、ドアに手をかけた命子だったが、それにしても魔力をどんどん吸っていく。
「ちょっと吸い過ぎじゃない? お腹減ってるの?」
『なんっ!』
「そっか。それならしょうがない」
命子は自分の部屋を出て、萌々子の部屋のドアを開けた。
すると、ズンズンと腕を上下に振るった体勢で固まる萌々子と目が合った。
命子は一旦ドアを閉め、トントンとドアをノックした。言われなくてもやり直せる、できる子の見本のような行動である。
「モモちゃん。開けるよー」
やっぱり返事を待たずにドアを開けると、萌々子はベッドにうつ伏せになって枕に顔を埋めていた。
その枕元で、光子がズンズンダンスをマスターするために頑張っているのだが、煽っているようにしか見えない。
そんな光子の隣へ謎の精霊が移動してご挨拶した。
『なんっ!』
「っっっ!」
その声を聞いた萌々子はガバッと起き上がって、真っ赤な顔を世界に晒した。
「お姉ちゃん、この子!」
命子はしめしめと思いながら、頷いた。
「そうなの。なんか知んないけど、私のところに来たんだ。モモちゃんならなんて言ってるのかなんとなく分かるんじゃないかな?」
「オッケー。ちょっと待ってね」
萌々子はそう言うと、命子に近寄った。
はて、と首を傾げた命子は妹に姿勢を弄られて、壁へ手をつかされた。必然的に突き出される小ぶりのお尻。
「はーあ、素敵な一日だったのに、どうしてこんなことになっちゃったんだろう」
「私が聞きたいよ!」
スパンッ!
「ひぅ!」
スパン!
「ひぅううう!」
その音色に合わせて、謎の精霊とそれを真似する光子が葉っぱのついた枝を左右に振るった。神事である。
お仕置きが終わり、お尻をもにゅもにゅして痛みを和らげる命子に見守られながら、萌々子は精霊さんと対話を試みた。
『なん~、なんっ!』
葉っぱがついた枝をフリフリして、謎の精霊が鳴いた。
それを見て、萌々子はふむふむとした。
「ふむふむ、なるほど」
「モモちゃんマジかよ。なんて言ったの?」
「魔力を貰いに来たって言ってる、ような気がする。光子との意思疎通も完全じゃないし、もしかしたらちょっと違うかも」
「いやでもそんな感じなんでしょ? 助かったよ」
「ううん」
「それで、なんで魔力が必要なの? もうあとは寝るだけだから別にいいけどさ」
『なん~、なんっ!』
精霊が枝をフリフリして答えるので、命子は萌々子を見た。
「目覚めさせるためだって、言ってるような気がする」
「目覚めさせるねぇ。つまりあの子を起こすために魔力が必要なのかな?」
顎を摩って考える命子に、精霊は『なんっ』と一声かけて、飛んでいってしまった。
夜空に淡く光るその姿を見て、命子が言った。
「あっちの方角だと……」
「タカギ柱の方かな?」
「みんな、まだあそこにいるのかー」
もう時刻は23時を過ぎている。
いつもの命子と萌々子は寝ている時間だが、いろいろあったのでこの時間になってしまった。
とはいえ、それは自分たちの話で、自衛隊ともなると夜遅くまで活動できるのだろうと、命子は働く人たちへの尊敬を深めた。
「でも、なんで私なんだろう? 近くに魔力が多い人はけっこういると思うけど」
「そりゃ、魂魄の泉でお姉ちゃんの魔力を吸収したからでしょ。精霊は好きな魔力の人の場所は遠くからでもわかるし」
「あ、そういうことか」
「光子やアイちゃんからも好かれているみたいだし、お姉ちゃんの魔力は美味しいのかもね」
「ハイオクってやつだね」
「なにそれ?」
「エンジンの分類」
ガソリンである。
翌日、スクールゾーンを歩く命子は不審者を発見した。
制服姿なのに、サングラスとマスクをしているのだ。
「そ、そこにいるのは、精霊を手に入れたナナコさんじゃないですか!?」
命子からそう呼びかけられたナナコは、びょーんと一つジャンプしてから振り返り、命子の頭を引っ叩いた。
「命子ちゃん、脅かさないでよ!」
命子は頭を押さえて、ふぇーとした。
「なにその格好。逆に目立つよ。マスクだけで十分」
「でもでも、私、電車に乗ると男の子からよくチラチラ見られるし」
「私がもう少し蛮族っ子寄りだったらツバを吐き捨ててるね。良かったな、上品な命子ちゃんで」
「いやいや、ホントだからね? 私が知る限り、告白カウントダウンしてる男子は、ひーふーみー、10人はいるね。断るのも可哀そうになるし、ホント困るんだけどね、そういうの。あっ、これは電車の中だけの話ね?」
「4から10のサバ読み感。もうちょっと控えめなら騙されてたね」
「なんもわかってないわー。風女ブランドと新世界クオリティの美少女だよ? 男子からすれば、見ただけで字一色・大四喜・四暗刻単騎テンパった時くらいドキドキするよ?」
「それ、チンッてやつでしょ? 知ってるよ」
「ポンだよ!? もしくはチーかロンかカン! 二度と言うなよ」
ウォーミングアップを済ませ、2人は学校に向けて歩き出した。
「それで、ルナちゃんはどうなの? 家には慣れた?」
命子が名前を口にすると、ナナコの胸元からルナがぴょこんと顔を出した。
ナナコは早くルナと仲良くなるために、学校に連れてきたのである。
「いやー、萌々子ちゃんから教えてもらってたけど、予想以上にいろいろな物に興味津々で大変だったね。寝たのなんて4時よ4時。もうコイツゥ、うにゅにゅにゅにゅ」
「っっっ!」
ナナコの指でうにゅにゅされて、ルナはキャッキャした。
「なんか壊した?」
「ガラス1枚だけ。あらかじめ教えてもらってたから、電化製品は大丈夫だったよ」
精霊は透過モードと固体化モードを使い分けられる。
そのうえなにも知らないので、電化製品の中のスペースで固体化して、内部の配線や基板を壊してしまうことがあった。
その際に怒るだけではダメで、遊んであげつつ、教えていかなければならない。
「あとウチのパパがもうね、超可愛がるのよ。今日も仕事を休んで、ルナ用の食器とか椅子を用意するんだって、アンティークショップ巡りに行っちゃったわ」
「精霊は食べないけどね。進化すればわからないけど」
「でしょ? でも食卓に食器を用意してあげないのは可哀そうだって、鉄の意思で仕事休んでたよ」
「ウチのお父さんは緑のロボを壊され……っ!」
そんなことを話していると、命子はハッとして素早く前方に回避した。
その瞬間、命子が今までいた場所に薄く光る存在が通過した。
ナナコは武術の達人みたいなことをした命子をぽかーんと見て、遅れてはわっとした。
そんなナナコを放置して、命子は飛んできた物体を見た。
それは例の謎の精霊さんだった。
「「あ、この子は!」」
命子はもちろんだが、中学生たちが撮っていた動画からナナコもこの精霊を知っていた。
「え、精霊!?」「どこどこ!?」
さて、ここはスクールゾーン。
ほかにも生徒は歩いており、精霊が現れたとあってわちゃわちゃと集まってきた。昨日の事件もニュースで見たため、ワンチャンあると思っているのだ。
精霊さんは、命子の頭にポテンと座り、『なん~、なん~』とやり始めた。
「うっわ、超可愛い!?」
「なん~って言ってるぅ!? もしかしてこの子って命子ちゃんがゲットした子?」
「え、命子ちゃんもゲットしたの!?」
「「あわー」」
女子に囲まれて全方位からわちゃわちゃとやられた命子とナナコは、あわーとした。
「ううん、私はゲットしてないよ。ほら、ニュースで謎の少女を発見したって言ってたでしょ。その子とセットで発見されたのがこの精霊さんなの」
『なんっ!』
精霊さんはそう一声鳴くと、命子の頭から飛び立っていった。たっぷり命子の魔力を吸収して。
「なにしに来たの?」
ナナコが問うた。
「昨日の晩も来たんだけど、魔力を吸収して帰っていくんだ」
「なんで?」
「うーん、よくわかんない」
謎の少女の件はあまり吹聴して良いものでなさそうなので、精霊さんが魔力を吸収する目的についてはぼかしておいた。
その後、集まった生徒たちにナナコは質問攻めにあいながら学校へ向かった。
学校でもナナコはまさに本日の主役であった。
ほかにも今回の冒険に遊びに来たクラスメイトの1人が精霊使いになっており、その子も同じである。
一方で、昨日の事件に関わった中学生たちも同様だ。
精霊使いになった子たちはもちろんのこと、命子と馬場が魂魄の泉に連れていってくれたおかげで、精霊をゲットできなかった子たちも話題の中心だった。
さて、ナナコの……というかルナの人気は昼休みになっても衰えない。
ルナが疲れちゃうんじゃないか、という心配もされたが、ルナはむしろ元気いっぱいで、たくさんのお姉さんに囲まれて無限にキャッキャしている。
「凄い人気ですわねぇ」
その騒ぎを見て、ささらが言った。
「まあ精霊さんだからねぇ。あー、しょこ、凄くいい」
命子はそんなささらの太ももに頭を乗っけて、ほえーしながら言った。
命子は、ささらに耳かきをしてもらっているのである。
ですわお嬢さまによる膝枕耳かき。それはむにむにでこしょこしょで、こんな素晴らしい体験を無料でさせてもらえる自分は、きっと特別な存在なのだろうと命子は感じました。
耳かきをするささらの手に、ふいに薄く光る物体が降り立った。朝に引き続き、謎の精霊さん昼の部である。
「ひょわ!? あぶ、あぶぅ……」
ドキンとしながらも耳かき棒をビタリと止められたのは、ひとえにささらの日頃からの鍛錬の賜物だろう。常人とは反射神経が違うのだ。
しかし、そんなささらの手の上で精霊さんが『なん~、なん~』と枝をフリフリし、命子の鼓膜は絶体絶命。
これはいかんとささらが耳かき棒を抜くと、精霊さんは命子の側頭部にぴょんと飛び乗った。そして、『なん~、なん~』と命子の耳にダイレクトアタック。
「めめめめ命子さん、精霊さんですわ!」
「耳元で聞こえてるよ」
下はむにむに、上はなんなん、心臓はドッキドキ、これが今の命子である。
「精霊さんデス!」
「メーコのこめかみをステージにしてるでゴザルね?」
「この子は例の精霊さんデス?」
ルルとメリスが命子の眼前に座り、精霊さんを観察する。
視線がこめかみや耳など、普段あまり見られない場所に近いので、命子はなんだか恥ずかしくなってきた。
なんにせよ、鼓膜の危機は去ったようなので、命子はステータスを見た。
授業中に回復していた分がガンガン吸収されていく。
魔力は消費すると成長していくが、この調子が続けば修行に支障をきたすかもしれない。
「これはいかんね。今日の帰りに教授の所に行こうかな。みんなも行く?」
「はい、お供いたしますわ」
「もちろん行くデス」
「お楽しみの独り占めはダメでゴザル」
ささらたちがそう答えると同時に、精霊さんは命子の目の方へ移動して、『なんっ』と一声かけて、昨晩と変わらずにやはりタカギ柱の方へ帰っていった。
その方角に気づいたなら、なにかがおかしいと命子も思っただろうが、耳かきが続行されたためそれに気づくことはなかった。
読んでくださりありがとうございます。