10-2 運動能力テスト 前編
本日もよろしくお願いします。
入学式が終わり、翌日から2、3年生も普通に登校するようになった。
1年生たちにとって、世界一の高校を作り上げた先輩たちとのご対面なのである。ドキドキだ。
朝のスクールゾーンでは、先輩に挨拶する子の姿がそこかしこで見られた。
面識のない後輩にいきなり挨拶されては先輩としてもびっくりであるが、挨拶されて悪い気はしない。
「あ、あわわ。お、おは、おはようございます!」
ここでもまた1人、畏敬の念とともに挨拶される2年生の姿があった。
命子たちのクラスメイト、ポケットにちっちゃいオッサンを飼っている少女・ナナコである。【※9-2話参照】
ナナコはセミロングの髪をふわりと揺らして、そちらへ顔を向けた。
「ええ、おはよう。あら? あなた……」
ナナコがツカツカと1年生に近寄る。
なにか粗相を!? とビビる1年生。
そんな1年生の心情とは裏腹に、ナナコは1年生の胸元に手を伸ばすとリボンをクイッと直してあげた。
「これでよし。これから頑張っていこうね」
「は、はい!」
にこりと微笑んで先輩風を後輩に叩きこんだナナコは、キューティクルをキラつかせて颯爽とその場を去っていった。
「は、はわー」
あとに残った1年生は、素敵な先輩の後ろ姿を見つめるのだった。
しばらく進んで道を曲がったナナコは、直後、壁にもたれて腕組みをしている人物を見て、口から心臓が出そうになった。
「めめめ、命子ちゃん……っ!」
「おはよう。ナナコちゃん」
「お、おはよう。き、今日はいつもと時間が違うじゃん」
「まあね。部長も卒業しちゃったし。あれ? ナナコちゃん、リボンが曲がってるよ」
「っっっ!」
命子はナナコのリボンを直してあげた。
「おのれ、見たわね!?」
「汚い女だよ、まったく!」
命子は自分が行なってきた数々の所業を棚上げしてナナコを罵った。
一方、威勢よく口火を切ったナナコだったが、顔が真っ赤になっていることを自覚して、両手で覆ってしまった。
先ほどのナナコと1年生のやりとり。そこにはトリックが存在していた。
1年生のリボンは曲がっていなかったのであるっ!
そう、ナナコは1年生に先輩風を叩きこむために、曲がってもいないリボンをキュッとしたのだ。
「ああいうの憧れてたの?」
命子が質問すると、ナナコは顔から片手を外し、半分現れた真っ赤な顔の前で、指でCの字を作った。ちょっとだけ憧れていたらしい。
「わかるわー」
「でしょ!? でしょでしょー!?」
OBの部長がまさにそういうタイプのお姉さんだったので、ナナコもほかの子も、後輩のリボンを直すのをやってみたかったのだ。
だけど、リボンタイが曲がっている子が話しかけてくれるのを待っていては、機を逃す。
ならば自分で道を切り開くしかないじゃない!
「懐かれたらちゃんと面倒みてあげるんだよ?」
「大丈夫。可愛い子だったから」
「まあ夏が終わる頃には、あれ、このお姉さまクソヤロウだな、って思うようになるさ」
「ならないし! それに命子ちゃんこそ気を付けるべきじゃない? 半年後には、あっこいつ適当言ってんな、って一年生に思われるし!」
「ドキン!」
そんなことを話しながら登校し、2年生になって変わった新しい教室に行くと、すでにささらたちも来ていた。
ちなみに、風見女学園はクラス替えがない学校である。
朝修行で顔を見ているので挨拶もそこそこに、命子はささらの調子を窺った。
「新入生はどうだった? 絡まれた?」
「いえ、特にそういうのはなかったですわね。元気にご挨拶してくださる方が多かったですわ」
「まあ先輩だしね。そりゃそっか」
ささらが怖がるハイテンションお神輿は、先輩が命子たちにやったから成り立つのであって、後輩が命子たちにやるのは相当に頭がぶっ壊れてなければ無理だ。
だから、ささらが懸念していたよりも心労はなかった様子。
命子はスッとナナコを見た。
先ほどのことをネタに出そうかなと顔に書いてある命子を見て、ナナコはスッと握りこぶしを振り上げた。命子は目をまん丸にして、慌てて両手で口を塞いだ。
「ワタクシよりも、ルルさんとメリスさんの人気が凄かったんですのよ」
「いや、それってささらちゃんも込みでしょ。3人で登校してるんだし、迫力半端ないって」
ナナコがささらに言った。
毎日顔を合わせている級友から見ても、この3人の登校シーンは異様に目立つ。
ナナコからしても命子は紛れもなく英雄だが、同時にマスコットでもあった。
しかし、ささら、ルル、メリスは、なんかご令嬢と凄腕メイド2人みたいな感じになっている。その光景は、アニメかよ、と思わずツッコミたくなるレベルで神々しいのだ。
そんな3人を生で見て、耐性のない1年生たちがポーッとしないわけがない。
「えー、そんなことないですわ」
などと照れるささらに、ルルとメリスがキャッキャとちょっかいをかける。
「「……」」
命子とナナコは、3人のプルンプルンの唇を見比べて、うーむとした。
3人で同時にチューとかできるのだろうか。
それは命子もナナコも知らない領域だった。
入学式が終わって数日が経ち、この日は運動能力テストの日だった。
本日行なうのは、1年生の全員と2年生の半分だ。
風見女学園は1000人近くいるので、一気に全学年はできないため、2年生は半分ずつの振り分けになっている。
例年ならば、2時限程度で終わるイベントなのだが、今年からは午前中の授業を全て使う大型イベントになっていた。
旧時代でも高校生の運動能力データが毎年ちゃんと更新されるように、こういった測定は学術的にも意味がある。ファンタジー化して旧時代のデータが通用しなくなったので、今年の測定は価値が非常に大きいのだ。
だから、どこの学校も半日使ってしっかりと測定するように、文部科学省から通達されているわけである。
さて、ここ紫蓮の教室では、クラスメイトとの初めてのお着替えに、みんな、少し恥ずかしがった様子でキャッキャしていた。
友達になる切り口を探り探り、会話がそこかしこで繰り広げられている。
紫蓮は家が近いので、入学して間もないのに制服の下にジャージを着てくるという玄人仕様を採用していた。ポイポーイと制服を脱いで完成した。情緒もなにもない。
「なーなー、有鴨さん。見て見て。へへへっ、これ、可愛いだろー」
後ろの席の犬田が、少し顔を赤らめてスポーツブラを自慢してきた。
紫蓮は眠たげな目をしながら、コクンと頷いた。
「姫武者」
紫蓮がそのスポーツブラの商品名を呟くと、犬田は犬歯をチラつかせて目を煌めかせた。
「えへへ、そうなんだー。風女に入学するから奮発して買ったんだぜー」
姫武者は、日本の下着メーカーが出した上下一対のスポーツ用高性能下着で、お高い。しかし、デザインはとても素敵だし、買いに行った店舗では必ず店員さんが個人にぴったり合うものを選んでくれるので、非常に人気が高かった。
犬田はテレテレするも、されど大人のお姉さんたちも使っている下着をつけていることがとても嬉しいらしい。
紫蓮は眠たげな瞳の奥で、それを見て取り、周りの子を真似して褒めた。
「可愛い」
「えへへへ、んふふぅ! もう終わり! んふー!」
犬田は嬉しそうに笑いながらテレテレと身を捩り、でもやっぱり恥ずかしいのでスポンと体操着を着て隠した。体操服から顔を出した犬田は、自慢できて満足げだ。
紫蓮は、ふとキャルメの姿が目に入った。
キャルメは、良いものを食べてこなかったので発育が悪く、お肉はつき始めたが、それでも未だに命子よりも背が小さい。それが恥ずかしいのか、着替えが凄く速かった。
あまり見られたくない姿かもしれないので、紫蓮はバインダーに挟まったプリントに目を落とした。
測定用のプリントで、2枚折りになっており、現在見えているのは個人情報の面。
そこには、地球さんがレベルアップしたことで、かなりファンタジーな記入項目が並んでいた。
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クラス 1年A組
氏名 有鴨紫蓮 出席番号 1番
レベル 32
レベル教育日参加日 20XX年3月
1番長く就いたジョブ 棒使い系ジョブ
2番目に長く就いたジョブ 職人系ジョブ
3番目に長く就いたジョブ 火魔法使い系ジョブ
【質問項目】
1日の運動時間『1』(※4時間以上の区分)
1日の魔力消費量『1』(※500点以上の区分)
1日の食事回数『1』(※3回の区分)
魔物のドロップ食材を食べますか?『1』
(※3日1食以上の区分)
・
・
・
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ファンタジー物語でありがちな、冒険者は能力を秘匿しなくちゃ寝首を掻かれる、という考えはない。あくまで、旧時代の運動能力テストの延長なのだ。
さらに、【質問項目】では、もし高い能力を出した学生がいた場合、どのような生活をしているのか共通点を推測できるようになっている。
こういったデータを蓄積させることで、研究の発展、育成プログラムの確立、ケガの防止を促し、のちの生徒たち育成の助けにするわけである。
ちなみに、紫蓮のレベル教育参加日は一年前の地球の日だ。
細かい日付がないのは、自分がレベル教育を受けた日を万人が覚えているわけではないからである。
お着替えが終わり、本日テストを受ける生徒たちが外で準備体操をする。
ファンタジーになった世界だが、やるのはラジオ体操だ。
ラジオ体操は、準備体操を集団で行なうという点でとても合理的だからだ。
1年A組の列の先頭でラジオ体操をしているのは、出席番号1番の紫蓮である。
いかにもダラダラやりそうな面構えの紫蓮だが、半分はその認識で合っていた。というのも、旧時代にはそうだったのだ。
しかし、新時代になって運動することがとても多くなったため、眠たげな目とは裏腹に真剣にやっている。ラジオ体操オジサンが見れば、唸らずにはいられない綺麗なフォームである。
そんな紫蓮の視線の先では各クラスの担任教師たちもラジオ体操をしているのだが、その中には滝沢の姿もあった。
滝沢はクラスを受け持っていないのだが、さすが元自衛官だけあってこの運動能力テストをよく理解しているため、体育教師に次いで、テストの副主任みたいな立ち位置になっている。
滝沢はいつもの秘書風ダンジョン装備で、これが風見女学園冒険科の教師の正装であった。少しコスプレ味が強いのでかなり浮いているが、滝沢本人はニコニコしながら、スカート姿で『腕と足の運動』をしている。
そうして準備体操が終わると、運動能力テストが始まった。
テストは、クラスごとに体育館と校庭にある各測定場所を巡る形式だ。
紫蓮たちA組はまず、体育館に行った。
「今から、動体視力のテストを行います」
担任の先生が説明を始めた。
体操着姿の紫蓮は体育座りをして、先生を見上げてお話を聞く。
先生のそばには3台のタブレットがあった。これを使って動体視力のテストをするのだ。
「これから行なうテストでは、問題とその答えとなる選択肢が一瞬しか表示されません。選択肢が表示し終わったら、回答フェイズが始まるのでAからDのいずれかをタップします。回答時間は3秒ありますが、早く選択するとどんどん先に進んでいきます。本番の前に3回の練習があるので、大体の内容は把握できるかと思います。というわけで、みんな、頑張っていきましょう」
「わぁ、楽しそう! なー、有鴨さん」
「うん」
「ふふぅ!」
紫蓮の横で犬田が言う。
すっかり懐かれた紫蓮である。
さて、新時代の運動能力テストには、追加された項目が複数あった。
命子たちの急成長をスポーツ協会も認識しており、学生にもアスリートが行なうようなテストを追加するように文部科学省に要請したのだ。
この動体視力のテストもそのひとつだった。
ただ、スポーツ協会としては、本当はボードについたランプを点灯した瞬間に押していくテストを行ないたいところだったのだが、これを短期間に高校や中学の数だけ揃えるのが不可能だったので、妥協案としてタブレットを使ったテストになった経緯がある。
地球がファンタジー化したことで、今までそこまで必要ではなかった物の需要が急増し、その製造が間に合わないという事例は、こんなふうにいろいろなところであった。
それはともかくとして。
このテストを最初に行なうのは紫蓮と犬田とその次の子であった。
出席番号1番と2番と3番の宿命である。
3人は誤タップ防止用の白手袋をつけて、タッチペンを持った。
「頑張るぞー」
隣で犬田がふんすぅとする。
紫蓮も無様なところは見せられないと、やる気十分で挑んだ。
まず、真っ暗の画面に『練習』の文字が現れた。
黒い画面に3センチほどの白い輪が登場する。これがウェイトゲージで、これが小さくなって消えると、問題が1問出る仕様になっている。
『一番数字が高いのは?』
という問いが表示され、消え。
『A.43 C.22 D.55 B.54』
すぐさまこのような選択肢が表示されて、消えた。
それぞれ1秒程度の表示時間だ。
人が認識するには十分な時間で、簡単だった。
注目したいのは、AからDの並び順が違ったり、これらが画面上に散らばっていたりする点だった。縦や逆さなどにはならないので、その点は安心だ。
最終的な回答フェイズではアルファベット通りに普通に並んでおり、あとはタップするだけである。
「なるほどなー。理解した」
犬田が隣でふむふむとしている。
3回の練習が終わり、『それでは本番を始めます。テスト時間は1分間です』と淡々と始まった。
『レベル1』
まずはレベル帯をお知らせするタイトルが表示され、例のウェイトゲージが消えた瞬間に問題文と選択肢がパッパッと出ては消えた。
『赤い花が一番右にあるものを選べ』
『※青、赤、黄色の3種類の花を組み合わせたイラストの4択』
『回答してください』
「……」
紫蓮はBをペッと押した。
『正解!』とかは出ずに、次の問題にどんどん進んでいく。
『レベル2』
『奇数を選べ』
『A.13982 D.54776
C.68027 B.33218』
「……」
『レベル3』
『14時45分を選べ』
『※円盤時計のイラストの4択』
「……」
紫蓮は眠たげな瞳でパネルをタッチしていくが、その解答速度は凄まじく速い。
それに応えるように、レベルが上がるごとにレベル帯を教えるタイトル、ウェイトゲージ、問題、選択肢まで、すべての表示時間が徐々に短くなっていく。
だが、紫蓮としてはあくびが出るレベルだ。
紫蓮は命子たちとともに、三頭龍や巨大猫を倒した。E級ダンジョンを1つクリアし、現在はD級ダンジョンに入るために必要な2つ目のE級ダンジョンの最深部を探索している。
それに伴って激しさも増していく【覚醒イメージトレーニング】で毎日修行している紫蓮にとって、このテストの低レベル帯は容易かった。
『レベル7』
『一番数字が高いのは?』
『C.245981 B.35001
A.245989 D.34999』
「……」
紫蓮はペッとAを押した。
このくらいから多少手ごたえを感じ始め、眠たげな目の奥に、かつてゲーマーとしてミニゲームを頑張った日々の炎が燃え上がっていく。
待ち・パパパパッ! ペッ。
待ち・パパパパッ! ペッ。
待ち・パパパパッ! ペッ。
問題と解答速度が速すぎて、タップする音が一定間隔に鳴り始める。
最終的にレベルは10にまでなり、紫蓮はひたすら回答し続け、1分間のテストが終わった。
「ぷはー、難しかったなー!」
犬田が犬歯を見せてニコパとした。
紫蓮はどう答えていいのかわからなかった。
「有鴨さんは全問正解したかー?」
「うん。レベル10までいった」
「すげー! あたし、最後までレベル7から上がらなかったー。数字がいっぱい出るのがダメだった」
そこに嫉妬のようなものはなく、なんとも爽やかな言葉が返ってくる。
紫蓮は少しホッとした。
「たぶん、3問連続正解で次のレベルに上がれるプログラム。間違えるとどうなるのかは知らない」
「ほへー」
紫蓮はプログラムまで見切っていた。ただ、間違えてないはずなので、間違えるとどうなるのかは知らない。
「羊谷命子はもっとすごい。こういうのをやらせたら、世界で最高レベル」
「ふへー。羊谷先輩すげー」
うむと頷いた紫蓮は、命子の知らないところでハードルを上げるのだった。
その後も動体視力のテストは続き、キャルメの番になった。
キャルメも紫蓮と同様に、恐ろしい速度で回答していった。
「どうだった?」
「僕もレベル10までいきました」
紫蓮の言葉に、キャルメが答えた。
「面白いテストでした。問題すら一瞬なのがいいですね」
「うん。たしかに気を抜けない」
2人でこのテストの評価をしていると、犬田が問うてきた。
「なあなあ、有鴨さん。数字を選ぶのはどうすればできるようになるんだー?」
「犬田さん。我のことは有鴨か紫蓮でいい」
紫蓮は犬田にそう提案した。
すると、犬田は犬歯をチラつかせてパッと顔を明るくした。
「ホントかー? んふふ、じゃあ紫蓮ちゃんって呼ぶなー?」
「うん」
「あたしのことは環奈でいいぞ。キャルメちゃんもよろしくなー?」
「はい、よろしくお願いします。環奈さん」
「んふー!」
環奈は嬉しそうに笑った。
「さっきの質問だけど、我もどうやってるのかわからない。集中するとスローになる」
「ほへー、すげー」
「犬田さんもすぐにできるようになる」
「環奈だぞ」
「う、うむ。環奈」
「んふー!」
どうやら、紫蓮が教えてくれるコツよりも、呼び方が変わったことのほうが嬉しいようだ。
その後も体育館でできる測定を進めていき、握力、上体起こし、長座体前屈、垂直飛びなどを行なっていく。
恐るべきは新時代の子供たちの運動能力。
多くの生徒が、旧時代の高校生男子の記録を塗り替えてしまっている。
その中でも紫蓮とキャルメは別格だ。特にキャルメは武力特化のため、紫蓮すらも凌駕していた。
とまあ、それらの結果はさておいて。
こういうイベントではお話しできるチャンスがたくさんあるので、紫蓮もキャルメも多くの子から話しかけられ、親交を深めることができた。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、大変励みになっております。
誤字報告も助かっています、ありがとうございます。