9-26 VS終わりの子 後編
■■本日2話目です!■■
空を覆う万華鏡が砕け散り、赤とオレンジの破片が地上に降り注ぐ。
「万華鏡が……怒りの流入が終わるのかな?」
「……わかりません」
2人は背を向け合って油断なく構えた。
業火の燃える音が止み、世界は静寂に満たされた。
これが最後かもしれないと思ったキャルメは、一拍息を止めて、言った。
「命子さん。僕が得たこの力は、憎悪から生まれたものではなく、みんなに胸を張って誇れる力です」
「うん。そのとおりだよ」
「あの日、無限鳥居で見せたあなたの笑顔と勇気に憧れて、ここまで強くなることができました」
「キャルメちゃん……」
「命子さん。心の底からあなたに感謝しています。僕たちを導いてくれて、ありがとうございました」
耳が痛くなるほどの静寂が満たす2人きりの世界で、キャルメの言葉が命子の胸に広がっていく。
「無限鳥居の冒険でなにかを感じてくれたのなら、それはキャルメちゃんたちがその足で人生を歩きたいと願ったからだよ。だけど、その言葉、大切に受け取るよ」
キャルメは静かに目を閉じた。
その瞼の裏側には、支援物資で貸してもらえた1台のタブレットをみんなで囲み、地球さんTVを夢中で見たあの日のことが鮮明に焼き付いていた。
いま、あの日のお礼を受け取ってもらえた。
目尻から涙がこぼれ、それを瞼で強く切った。
「ありがとうございます。それに、一緒に戦えて、嬉しかったです」
「言ってくれれば、いつでもボス戦を一緒にするよ。キャルメ団のみんなとも一緒にたくさん冒険しよう」
「はい」
そうなったら素敵だな、とキャルメは思う。
ギギギギギギギギギギギギ——
そんな未来を否定するように、世界に不吉なノイズが走った。
万華鏡が割れて灰色になった空に虫が食べたような黒い穴が空き、世界が崩壊し始める。
「これは……」
「足元!」
命子の注意喚起と共に、2人はサッとその場からジャンプする。
屋上の床にもノイズが走り、消え始めているのだ。
「キャルメちゃん、こっち!」
「は、はい!」
命子はキャルメの手を引いて屋上の花壇の中に逃れた。終わりの子との激戦にあっても静かに咲き続ける不思議な花々。
世界の崩壊は加速度的に速くなり、やがて花壇を残して世界の全てがなくなった。そして、その花壇もまた端から順番に花々を散らしていく。
ついには、2人もたくさんの花びらとともに空中に投げ出されてしまった。
「キャルメちゃん!」
「命子さん!」
2人は手を繋ぎ、落下していく。
「なにもない……」
キャルメが呟く。
そう、落下する先には地面などなかった。
真っ暗な空間の中に花壇の花びらと万華鏡の欠片がキラキラと輝く、それだけの世界だった。
ここは自分の心の中だと、命子は言っていた。
先ほどの炎の世界といい、かなり抽象的なのだろうけど、それにしたって何もない。みんなの心の世界もこんななのだろうか。それとも、自分がここで終わるから、このような虚無の世界なのだろうか。
「きゃ、キャルメちゃん! しっかり手を繋いで!」
落下の風圧もないのに、なぜかキャルメの手が離れていく。
なにかがおかしいと、命子は慌ててキャルメを引き寄せて抱きしめるが、まるで油を塗ったようにするりと体が離れてしまう。
命子は上へ、キャルメは下へ。
なにか大きな力に引き込まれていく。
自分の手を必死で掴んでくれる命子へ、キャルメは微笑んだ。
「命子さん。どうやらここからは僕1人のようです」
「キャルメ、ちゃん? ……あ、あれは?」
命子は気づく。
いつのまにか、下の方に赤とオレンジの花畑ができていることに。
そこには1人の少女が佇んでいた。
近代的なボディスーツを着ており、四肢や急所に装甲を纏った少女。
太陽を宿したような小麦色の肌に反して、髪は雪のように白い。
歳はわからない。15と言われればそう見えるし、20と言われればやはりそう見える。
そんな少女が、花畑に万華鏡の破片が降り注ぐさまを見つめていた。
きっとあれが未来のキャルメちゃんの姿なのだろう。
命子はそう理解した。
引きはがされそうになる手を必死に掴み、命子は叫んだ。
「キャルメちゃん! みんな、キャルメちゃんが大好きなんだ! みんな待っているよ! だから、だから! 負けちゃダメだ!」
大粒の涙を煌めかせながらそう言ってくれる命子へ向けて、キャルメは微笑んで応えた。
「僕はもう大丈夫です。必ず帰ります」
するりと2人の手が離れ、命子の体が一気に浮上していく。
命子の体の周りを花びらが囲い、やがて命子の視界が光に包まれた。
命子はカッと意識を覚醒させた。
「命子さん!」
「羊谷命子!」
ずっと膝枕してくれていたささらの胸に顔が当たるが、それに構う暇もなく、命子は素早く立ち上がると【龍眼】を発動する。
涙を流しながら【龍眼】を使う命子に、多くの人が嫌な想像をしてしまう。少しふらつく命子を支える紫蓮は、涙を見せる命子の姿に胸が痛くなった。
ざわつく冒険者や自衛官たち。巨大な魔法陣。未だ起きないキャルメ。そのキャルメから流れ出る魔力と、入り込む魔力。
命子は即座に状況を理解した。
「キャルメちゃんがまだ戦っています!」
その一言で、魔力提供を止めてもいいのかなという雰囲気が、再び引き締められる。
「命子ちゃん、なにが起こっているの!?」
馬場が言った。
命子はその質問に対して、言葉を詰まらせた。
世界を滅ぼす予定だった子というのは、果たして受け入れられるのか。
命子はグシッと涙を拭いながら、言葉を考える。
嘘を吐きたくはない。だから、本当のことを言おう。
「旧時代の悪意の置き土産が、キャルメちゃんを襲っているんです」
「なっ!?」
「詳細はあとで。とりあえず、ここでの魔力の提供が、そのまま魔力の高速回復と、ダメージの肩代わりになっています。お願いします、絶やさないでください」
「わかったわ!」
馬場がすぐに指示を出し、それに入れ替わるように日向と馬飼野が命子の下へやってきた。
「羊谷! 無事か!?」
「命子ちゃん!」
「無事だよ。でもまだキャルメちゃんが戦ってるんだ」
命子たちは、仲間たちの中心で横たわるキャルメを見つめる。
キャルメから漏れ出る赤い光が激しく明滅し、命子は戦闘をしているのだろうと確信した。
「そうか。じゃあ、羊谷、これを使ってくれよ」
「花?」
「ああ、アイリスだ。【花魔法】で使うと対象にメッセージを送れるんだ」
それを聞いた命子は、目を見開いた。
命子が光の中に消えていくのを見つめるキャルメは、寂しさと安堵を覚えた。
一緒に戦ってくれて嬉しかった。
でも、帰ってもらえて安心もできた。
あの光を絶対に死なせてはいけない。
だから、矛盾しているのはわかっていたけれど、一緒に戦ってくれるという申し出を拒むことはできなかった。
キャルメは最後に魔力を確認した。
『395/505』
『210/505』
『505/505』
『51/505』
『402/505』
壊れた計器のように、目まぐるしく数値を変える魔力量。
それは普通に見れば不気味な光景だったけれど、キャルメには、まるで死にゆく自分の命をみんなが繋ぎとめてくれているような、そんな温かな光景に思えた。
「ありがとうございます……っ」
キャルメは最後に頭上へお礼を言った。
やがて、キャルメの体が花畑に着地した。
いや、花畑ではない。それは万華鏡の欠片で作られた赤とオレンジの大地であった。
キャルメはもう一人の自分、終わりの子を見つめた。
終わりの子もまた、キャルメのことを見つめる。
目の前に佇む白髪の少女は終わりの子の残滓なのか、言葉を発しない。
ただ静かに、腰から水晶でできた剣を引き抜いた。
キャルメもまた拳を握り締めて構えた。
その半生を同じくする2人のキャルメ。
あの日から続く明暗分かれた2つのストーリーが、激突する。
凄まじい速度で振られた青い剣閃が、身を屈めたキャルメの頭上を通り過ぎる。
「君はその人生のどこかでアイルプ家の地下へ行くのか」
終わりの子が握る剣は間違いなく、キスミアの秘宝・精霊石の剣であった。
精霊が宿ることで一振りごとに魔力を消費するその剣が、旧時代でどれほどの強さを持つのかはキャルメにもわからない。しかし、終わりの子がこの場に持ち出すほどには強力だったのだろう。
なにより、その踏み込みと剣速はあまりにも速い。
レベルを上げる術があったのか、ジョブや魔力を得る術があったのか。それとも神獣の力の欠片だけで到達できる限界まで強くなったのか。あるいは、あくまでこの空間だけの特別な強さなのか。
身を屈めたキャルメは、精霊石の剣を持つ終わりの子の腕へ向けて握り締めた拳を放つ。
しかし、その攻撃は当たらない。
回避されたのか?
いいや、違う。攻撃をずらされた。
攻撃をミスしたキャルメは、即座にその場を離れて、目に集中する。
「今のは幻歩法……森山嵐火先生にも出会うの?」
その返答とばかりに、精霊石の剣が下段から薙ぎ払われる。
キャルメはギンッと目を見開き、斜め上方へ向けてアッパーを放つ。
終わりの子は少しの重心移動だけで、下段から振るわれたはずの剣の軌道を袈裟斬りにまで変化させたのだ。
狙い違わず剣の腹を殴りつけて剣の軌道を変えると、キャルメは回し蹴りを放った。
その回し蹴りに合わされて放たれた終わりの子の回し蹴りがクロスする。
足元の万華鏡の破片がその衝撃で舞い、足の裏ではパキパキと悲しげに鳴いた。
「猫と暮らすキスミアの人たちを見て、優しい森山先生と出会い。その復讐の道の中には、多くの優しさがあったんだろう。それでも君は世界を壊したのか……っ」
哀れみで滲みそうな目に力を籠めるキャルメ。
その瞳を終わりの子は無感情の瞳で見つめ続けた。
幻歩法を用いて繰り出される剣技と体術。
剣筋はまるでヘビのように軌道を変え、そうかと思えば唐突に肘打ちや蹴りが放たれる。
対するキャルメは瞳に紫の炎を纏わせて、全力でその動きを解析する。
キャルメ自身の武術に決まった流派は存在しない。急激な早さで全世界の体術を学んでいる途中だった。空手も使うし、太極拳も使う。柔道も合気道も、果てはマントでマタドールの技すらも使った。
そんな2人の天才による戦いは、わずか3分で優に200を超える技の応酬が繰り広げられた。力、速さ、技術、体力、判断力、全てのものが拮抗していたのだ。
しかし、その戦いもついに決着の瞬間を迎える。
凄まじい速度の斬撃を、オーラを纏わせた手が受け流す。
2人の足さばきに、万華鏡の破片がキラキラと宙を舞う。
キャルメはそのまま中段回し蹴りを放とうとした。
それに対して、終わりの子が背後へと回避する挙動を見せる。
その時に起こったことは偶然なのか、終わりの子の技術なのか。
2人の間で舞う万華鏡の破片が、キャルメに、今まで見切っていた幻歩法のほんの小さな正解を見逃させた。
終わりの子の動きを追うために回し蹴りから踏み込みへと瞬時に切り替えたキャルメ。
しかし、背後へ行くはずだった終わりの子が前へと踏み込み、キャルメの腹部に、五指を獣の爪のように立てた変則の掌底がめり込んだ。
「っ!」
魔力が肩代わりしたことでダメージはない。
キャルメはその衝撃を使って咄嗟に背後へ跳ぼうとするが、変則の掌底が形作った指が閉じ、キャルメの服を掴んで逃げることを許さない。
絶妙な力で引き寄せられたキャルメはわずかに宙へと浮かぶ。その視線の先では、終わりの子が精霊石の剣を引き絞っていた。
キャルメと終わりの子の瞳が交錯する。
僕の負けか。
この状態から出せるどの技よりも早く、終わりの子の剣が胸を貫くだろう。
……だけど、終われないっ!
キャルメはがむしゃらに両手を前に出す。
キャルメを死に至らしめる突きが放たれようとしたその瞬間——
『『『キャルメお姉ちゃーん!!!』』』
——静寂の世界の中に、無数の花びらと共にたくさんの子供の声が響いた。
それを聞いた終わりの子の動きがピクリと止まった。
その一瞬の静止によってキャルメの手が終わりの子を突き飛ばし、そのあまりの無防備さに、キャルメも諸共に重なるようにして転がった。
終わりの子を下敷きにして、その腹部に頭を乗せるようにしてキャルメが倒れ込む。
キャルメは寝転がったまま手を伸ばして終わりの子の胸の装甲を掴むと、一瞬にして馬乗りになった。そして、終わりの子にとどめを刺すべく、拳を振り上げる。
そんなキャルメの頭上から、また声がする。
『負けるな、キャルメーッ!』
『頑張って、キャルメ!』
それは先ほどの子供たちよりも少しだけ大人びたたくさんの声。
一つ一つの声が色とりどりの花を伴い、暗い空から降り注ぐ。
「カ……シム……テッド……サ……ラ……リーア……」
その声を聞くキャルメの下で、終わりの子が花舞う暗い空の彼方を見つめていた。
「君は——」
キャルメは震える声で呟く。
『うえええんえんえんえん、キャルメお姉ちゃーん! 早く帰ってきてよぅ!』
「カリーナ……カリーナ……っ」
そう呟いて涙を流す終わりの子の顔に、キャルメの涙が落ちた。
「——どうしようもなく、僕じゃないか……っ」
振り上げた拳を力なく下ろし、キャルメは終わりの子の横へ崩れるようにして転がった。
キャルメと終わりの子が見上げる暗い空を、たくさんの花びらが生まれて、彩っていた。
「僕は君を殺せない。誰がなんと言おうとも、僕らの人生は君がくれたものなのだから」
キャルメは万華鏡の破片の上で、終わりの子の手を握った。
『キャルメお姉ちゃん。お姉ちゃんがいないとみんな悲しいよ』
一輪分の花びらが舞い落ちる。
終わりの子はキャルメの手を握り返さず、口をゆっくり開けて問うた。
「……テッドはたくさん食べているか?」
「うん。お腹いっぱい食べているよ」
キャルメもまた静かな声で花びらを見つめながら答えた。
『キャルメ、お前がリーダーだろうが! 戻ってこい!』
また一輪分の花びらが舞い落ちる。
「……カシムの笛と指を奪う者はいないか?」
「いないさ。みんな上手だってたくさん褒めてくれるんだ」
『キャルメお姉ちゃぁあああんあんあんあん!』
一生懸命な声と共に、チロチロと花びらが舞う。
暗い空で生まれたその花びらへもう片方の手を伸ばし、終わりの子は言った。
「……カリーナは……あの子は笑っているか?」
「ああ、笑っているよ。いっぱい笑って生きてるよ」
その質問は、きっと終わりの子が見てきたみんなの悲しい人生と結末。
ああ、そうか、とキャルメは理解する。
この存在は怒りの権化ではなかったのだ。それはきっとあの炎の石像と共に倒したのだろう。
終わりの子は、『悲しみ』と『怒り』の塊だったのだ。
「みんなが幸せならそれでいい。それだけでいい」
終わりの子はそう言って、ギュッとキャルメの手を握った。
それを合図にするように終わりの子の体が光の粒になって薄れていく。
キャルメはその手を握り返すと、終わりの子の背中を抱えて、起き上がらせた。
2人の下にはすでにどこにも万華鏡の破片はなかった。その代わりに、たくさんの花が咲き誇る花畑がどこまでも続いていた。
「一緒に行こう。みんなが幸せになる姿を僕と一緒に見よう」
そう言ったキャルメを終わりの子は眩しそうに見つめて、小さく笑った。
「いい出会いをしたんだな」
「そうさ。その出会いを運んでくれたのは君なんだ! だから、一緒に行こう!」
キャルメは薄れゆく終わりの子を抱きしめた。
そうしなければ消えてなくなってしまいそうだから。
そんなキャルメの耳元で終わりの子が呟いた。
「あとは、光の道を辿るもう一人の僕に全てを託す」
キャルメの腕の中で、もう1人のキャルメは光の粒になって消えていった。
支えを失った腕は光を掻き抱き、その光景を見たキャルメの顔がくしゃりと歪んだ。
「……そんなのって……そんなのって、あんまりじゃないか……っ」
キャルメは花畑に蹲り、声を上げて泣いた。
■本日はあと1話投稿します■