9-15 キャルメの演武と謎の気配
本日もよろしくお願いします。
多くの選手を観戦していると時間はあっという間に過ぎ、命子たちの出走まで残り1時間ほどになった。
命子たちは選手の第2待機所に少し早めに移動することにした。
その道すがら、日向が問うてきた。
「お前たち、本気出すのか?」
「うーん、私は割と本気出せるかな。ルルとメリスもいけそう。ささらと紫蓮ちゃんは制限するんじゃない?」
「あー、ギミックが耐えられないのか」
「貸してもらう武器も耐えられそうにないんだよね。たぶん、ささらと紫蓮ちゃんが本気出すと、武器かギミックのどっちかが壊れるんじゃないかな」
「おー、こえ」
「日向ちゃんもあと半年もすればこうなるよ」
「あたしが抜いても泣くなよ?」
「ななな泣かないし!」
わざとらしく慌てる命子の仕草に、日向は声を立てずに肩を震わせる。
そんなことを話していると、第2待機所に到着した。
命子たちが部屋の前にある荷物預かり所にリュックなどを預けていると、丁度、キャルメが廊下の向こうからやってきた。荷物を持っていないところを見ると、トイレか何かの帰りだろう。
キャルメの服装は普段着ではなく、ダンジョンに着ていく服装で、それは旅人の服とでも呼称されそうな男の子用の服だった。チュニックの下にズボンを穿くルックスで露出は少なく、さらにマントを羽織っている。
「あっ、キャルメちゃん。やっほー」
「命子さん」
やっほーに対する答えを知らないキャルメは、微笑んで返した。
「あっ、ちょっとごめんね。キャルメちゃん」
「はい。では、僕は中で待っていますね」
「うん」
視線から意を汲んでくれたキャルメと一旦別れ、命子はにゃんばうイーツ部隊にお別れの挨拶をした。第2待機所まではお付きの人は入れないのだ。
「それじゃあ、部長、またあとで」
「うん。命子ちゃんはラストだし、ド派手に決めてね」
「私が本気出したらこの一帯が消し飛んじゃいますよ」
「ひゅーっ、言う言うー!」
命子と部長のやりとりを聞いていた荷物預かりのスタッフさんがギョッとした。命子たんってそんなに強いの、と。スタッフさんは純粋だった。
「ん?」
命子はふと服に違和感を覚えた。
なんだろうと見てみれば、なんと命子の服を日向がキュッと握っていたのだ。命子はハワッとして部長を見た。少し遅れて部長も同じくハワッとした。
「「で、デレ期!」」
「え? あっ、ち、違うわ!」
命子と部長が声を揃えて言うと、ハッとした日向が真っ赤な顔で慌てて否定した。
「えー、ホントかなぁ」と命子と部長がキャッキャする一方で、日向はすぐに真面目な顔をした。
「さっきのって、砂嵐の妖精か?」
「うん、キャルメちゃん。つよ可愛くてビビった?」
命子が冗談を飛ばすが、日向は難しい顔をした。
「あいつ、なにか変だったぞ」
命子と部長は顔を見合わせて首を傾げた。
日向は口こそ悪いが、陰口を言っている姿は見たことがなかった。
命子たちが反応に困っていると、日向が続けた。
「なんというか、あいつから次元龍に似たヤバい気配がした」
「うぇええ!? 私は全然そんな気配感じないけど。部長は?」
「私も全然。気のせいとかじゃなく?」
「はい、部長。気のせいと言うには気配がでかすぎます。あいつが来た時、思わず土下座しそうになりました」
お日様色のキャワガールがてとてと歩いてきて、これに思わず土下座しようと思うのは一大事である。もしくは事案。
神獣の気配は人にとって感じ方が違うのは事実であった。
特に神獣と波長が合うマナ因子を持っているかどうかはとても重要で、それによって信仰に似た畏怖を覚えたり、絶望的な恐怖に怯えたりする。
しかし、マナ因子如何で気配すらも感じなくなるという話は、命子も知らなかった。
「日向ちゃんが持っていて、私たちにない因子……花属性?」
「それしかねえな」
日向は【花魔法】の使い手であり、それで得られる属性はこの中のメンバーでほかに一人も持っていないものだった。
「でも日本の神獣は次元龍だけだしな、どういうことだろう?」
日本の神獣は、日本列島そのものである次元龍だ。近くの海には空飛びクジラがいたが、今では空の彼方に消えて所在が知れない。むしろまた海の底に戻っているのかもしれないが、人類にそれを知る術はない。
「神獣の上を通過することとかもあるのかもよ? 命子ちゃんたちの時も、空飛びクジラがいた海域にフニャルーが闖入したんでしょ?」
「たしかにそれもそうですね。うーん、花の神獣か……」
命子は国連が公表した72体の神獣の位置を思い出す。これは教授が龍宮で得た情報で、かなり重宝されていた。
ただ、72体の神獣の中でどんな生物なのかはっきりしているものは少なく、花の神獣は一覧になかった。似たものだと超大きな木・通称『世界樹』というものがあるが、それではないように思えた。
「一応、馬場さんと教授にも報せておくよ」
「え。そ、それは大丈夫なのか?」
「連行されちゃうかもってこと? それは大丈夫だよ。もしそうなら私とかとっくにどっかのダンジョンに閉じ込められてるよ」
始まりの子である命子の神獣からの注目のされっぷりは、世界でも十指に入るレベルである。そんな命子をどうにかする手っ取り早い方法は、ダンジョンに放逐するか国外追放だ。
しかし、そもそも神獣に注目されている人は割とおり、その度そんなことをしていたらキリがない。
なによりもそういう人は大抵が国益になる優秀な人材であり、さらに試練に巻き込まれることで近くにいる人も頭一つ抜きんでた人材になりやすかった。いうなれば、命子と命子に関わった自衛官みたいな関係である。
なので、現状では馬場のような担当官を置くなどをして、注意する程度で留めていた。
「とにかく、そういうことなら命子ちゃんも少し気をつけてね」
そう言った部長は、命子ちゃんは息するように巻き込まれるから、と続けようと思った言葉を飲み込んだ。
「はい。わかりました。あっ、部長、すみませんけど馬場さんにルインで報告しておいてもらえますか? ちょっとこのあとは準備運動とかしたいので」
「オッケー。そのことはこっちに任せて、命子ちゃんたちは大会に集中してよ」
「お願いします」
馬場は女子高生たちとルインを交換しまくっているので、こういう時に便利だった。女子高生のアドレスをいっぱいゲットして、馬場的に嬉しいらしい。
部長たちと別れ、命子たちは女性用の第2待機所に入った。
そこは化粧直しや軽く準備運動ができる広い部屋で、これから出走する女性選手たちが控えていた。
ソロもいればパーティもおり、各々が軽く運動したり大会のこれまでの感想を話したりしていた。
そんな彼女たちの視線が一斉に命子たちへ向かう。
「命子ちゃんたちだ」「本物」「カワイイ」「隙が無い」「角生えとる」「ネコミミ」
等々、室内の話題が一気に変わった。
命子と紫蓮は、「別に気にしてませんけど?」みたいなお澄ましした顔をして、壁際のベンチにちょこんと座る。いい気持ちであった。
二人で噂話に耳を傾けるが、次第に恥ずかしくなってきた。
「こいつ!」
「ぴゃ! んーっ!」
「にゃんだとこいつ、んーっ!」
二人で照れ隠しのこちょこちょをしていると、メリスが先に部屋に入っていたキャルメを連れてきた。
「あっ、キャルメちゃんお待たせ」
「いえいえ。それにしても、みなさん、命子さんたちの噂をしてますね」
「えー、そうかなー?」
にこぱと笑って迎えていた命子だが、キャルメの言葉を受けてすぐにシャンと背筋を伸ばして、「別に気にしてませんけど?」みたいな澄ました顔に戻った。しかし、残念ながら口角が上がってしまっている。むふぅである。
キャルメはそんな命子の姿を見て、命子像を一新していく。
キャルメは、プイッターや動画などで羊谷命子という女の子についてとてもよく分析していたが、実際に接触したことで、より人物像が鮮明になりつつあった。
功名心があると最初からわかっていたが、どうやらそんなカッコイイ言葉ではなく、ただ単に俗っぽいのではないか。それがキャルメの考えであった。
大当たりである。
かつての命子は、アイドルになれるならなってみたいと思う普通の女の子だった。今ではこれっぽっちもそう思わないが、それはベクトルが『凄い冒険者になりたい』に変わっているだけなのだ。だから、みんなから凄いと言われるのが恥ずかしく思いつつもとても嬉しかった。
「あれ、また私なんかやっちゃいました?」を意図的にやってチヤホヤを得ようとした少女、それが羊谷命子なのである!
そんな命子だが、むふぅとしてばかりではない。キャルメの接待をせねば。
「キャルメちゃんの出走もあとちょっとだっけ」
「はい。あと10分ほどで最終待機所へ行きます」
「じゃあお互いに見られそうだね」
「はい。精一杯頑張ります!」
ふんすと握りこぶしを作るキャルメに、命子はにっこりと微笑んだ。
先ほど観察された命子だが、今度は観察する番だった。
少し危なっかしさを感じるキャルメだが、今はそんな様子は見られない。
昨日の昼間も普通だったし、眠れないという夜になるといろいろと考えてしまうのかもしれない。
キャルメが命子を分析しているように、そうやって命子もキャルメを分析していた。それはまるで深淵とそれを覗き込む人の関係性。
「キャルメ、ストレッチするデスワよ!」
「はい、ぜひお願いします。メリスさん」
実は、キャルメはとっくにストレッチを終えていたが、話を合わせてくれていた。まああと10分で最終待機所へ行くので当然であろう。
「じゃあ私たちも準備運動を始めよっか」
メリスの提案に乗っかって、命子たちもストレッチを始めた。
全員が世界に名だたる冒険者なので、その体は非常に柔らかい。くねっくねだ。
少しして命子が問うた。
「キャルメちゃんの体、【龍眼】で見ていい?」
「あっ、はい、構いません」
「ではでは、ペカーッ。……むむっ、凄いな」
I字バランスをしているメリスとキャルメを見て、命子が唸る。
メリスのマナ因子はかなり煮詰まっており、もう一回E級のボスを倒せばマナ進化が始まるのではないかと思われた。
藤堂がD級ダンジョンの途中でマナ進化したように、マナ進化するには、必ずしもD級のボスを倒さなければならないわけではないのだ。D級のボスを倒すのは、確定でマナ進化するための一種の目安のようなものである。
そんなメリスの状況よりも、キャルメの魔力は凄いことになっていた。
命子がマナ進化した時よりも遥かに強い。というか、今まで見てきた人で、かつマナ進化をしていない人間の中という条件なら一番強いのではないだろうか。
まあサーベル老師のような化け物も中にはいるが、こと新世界の要素である『魔力』という要素で語るならキャルメは随一だった。
命子には、なぜこんな状況でマナ進化できないのか疑問だった。
やっぱり重大ななにかがある子なのかもしれない、と命子は思った。
命子や紫蓮には『始まりの子』なんていう役割があったし、キスミアのアリアは夢見の一族の子だし、ほかにもなにか特殊な人生になる要因があっても不思議ではないのだ。
「キャルメさんは大丈夫?」
同じく【魔眼】で見た紫蓮がちょっと不安そうに小さな声で尋ねる。
紫蓮の目には、魔力が大きすぎて、キャルメの小さな体が悲鳴を上げているように見えた。
「この大会が終わったら教授に一回見てもらったほうがいいかもね」
命子も同意見だった。
もうその時を迎えているのにマナ進化ができずに魔力ばかりが大きくなっていく人というのは、命子も初めて見た。キャルメはなまじ天才だけに、ずっと前からこの状態だったのではないだろうか。
命子と紫蓮には、これがいいことだとはどうしても思えなかった。マナ進化ができない魔力関連の病気があっても不思議ではないのだから。
『あいつ、なにか変だったぞ』
命子は先ほどの日向の言葉を思い出す。
花の神獣と思われる存在の気配を宿すキャルメ。
なにか事件が起きそうな予感を命子は感じていた。というか、起きないかなと思っていた。
自分のワクワクを満たしたいというのもあるが、なによりもこの大会中ならば戦力が充実しているので、日常でいきなり事件が起きるよりもキャルメにとってもいいと思えた。
「お報せします。エントリーナンバー376番から380番の方、こちらにお集まりください」
そうやってストレッチをしていると、キャルメに招集がかかった。
「あっ、僕の番です。それではお先に行かせていただきます」
「キャルメ、頑張るデスワよ!」
「キャルメちゃん、頑張ってね」
「はい!」
メリスと命子が応援すると、キャルメは笑顔で応えた。
大人たちに混じって部屋から出ていくキャルメを見送ったあとも、命子たちは入念にストレッチを続ける。
「キャルメちゃんのチャンネルはどこだっけ?」
「キャルメは大江戸テレビデスワよ」
この部屋には選手たちを映すテレビがいくつか設置されており、それぞれがチャンネルを固定されて流れ続けていた。キャルメが映る大江戸テレビも同様にコーナーがあるので、それとなく近づいて良い場所をゲットすることにした。
とはいえ、この大会は命子がオオトリなわけで、つまり次第に人の数は減ってきており、場所取りはさほど困らなさそうだった。
「なにか起きるのデスワよ?」
メリスが友人を心配して言った。
「どうだろう。神獣にも性格があるみたいだし、カットインしがちなやつもいれば、まったく関わってこないやつもいるし」
次元龍が闖入してきたのは風見町防衛戦だけで、あとは大人しいものだ。ただ龍のマナ因子の覚醒を望む者は、ダンジョン内で試練を受けたり、神秘的な森の夢を見たりするらしい。
一方で、フニャルーはとても闖入してくる神獣だった。マナ進化したキスミア人は吹雪の中でフニャルーと必ず対面している。
「ワタクシたちが気づかないうちに終わっていることもあるわけですわね」
「まあそうだね。日向ちゃんが教えてくれなければ、私たちとか神獣の気配なんて全然察知できなかったし」
世界は広く、ファンタジー化して1年近く経つ。
大きな発見をしたのは命子たちだけではなくなったし、凄い物語を紡ぎ始めたのもやはり命子たちだけではない。絶賛イベント中な人がそこら辺にいても、やはりそれは不思議ではないのだ。
「もしなにかあった時は即座に対応できるようにしておこう」
「はい、そうですわね」
命子の言葉にささらたちは頷き、気を引き締めるのだった。
いよいよキャルメの出番を迎えた。
ステージ上に立つキャルメはニコニコしながら観客へ手を振っている。キャルメよりもずっと年上のお兄さんお姉さんですら吐きそうなほどの人の海の前にあって、それはとても社交的な姿だった。
『エントリーナンバー376番は、本大会を大変に盛り上げてくださったキャルメ団のリーダー、キャルメ選手です! ラクートで行なわれた防衛戦においては、町を背に獅子奮迅の活躍を魅せた格闘家です。人呼んで、砂嵐の妖精。ご覧になっている皆さんの中にも、そんな彼女のファンは多いことでしょう。はたして本日はどのような絶技を魅せてくださいますのでしょうか! 期待いたしましょう!』
実況の紹介を受けて、キャルメはにこぱと可愛らしく笑った。
映像で見ている人たちの大スクショタイムの始まりである。すぐに映像が切り抜かれ、SNS上にガンガンと投稿されていく。これはどの選手でも起こっている現象なのだが、キャルメは有名なだけあってその規模が大きかった。
そんな笑顔もすぐに終わり、眼前に右手を突き立てる。
両目の間に己の武器を掲げるその仕草が誰を真似ているのかは一目瞭然であろう。ちなみに、その誰かはなにかのゲームやアニメで見たポージングを真似ているだけである。
そんなキャルメの手足と、体の周りに配置されている二冊の魔導書からスキル覚醒を表す紫色の炎が噴き出した。
キャルメは幼い顔立ちと小さな背丈なので、紫の炎を纏った姿はどこか神秘さを醸し出している。
スタートゲートが上がり、キャルメがステージから跳んだ。
体の回転とともに大きく開脚した二本の足が空中に紫色の螺旋を描き、落下していく。
コース上にふわりと着地したキャルメの体の周りに、己の足と魔導書で描いた螺旋の残光が竜巻のように広がった。
紫の竜巻の中で静かに佇むキャルメの姿を見て、観客が息を呑む。
前評判通りではあるのだが、実際に見ると想像以上にヤバい。
その一回のアクションだけで観客の脳裏から、キャルメが大人たちに劣るという考えが消え去った。
キャルメが動き出すと、紫色の竜巻が煙のように体にまとわりついて形を崩す。
オーラを操作して両足からだけ放出させたキャルメは、回転を加えながら何度も前方へジャンプして、その都度、空中で足技を繰り出した。
蹴りの軌道がオーラによって弧を描き、その技の優美さを観客たちに印象付けていく。
しばらくすると今度は両腕にオーラを発生させ、やはりくるくると回りながら複雑な手技を使って進んでいく。
武術というにはあまりに美しいその体術は、まるで紫色の帯を持って踊っているかのようである。
しかも、そんなアクションをしながらかなりの速さで前へ進んでいるのだから、その身体能力の高さもわかろうというものだ。
しかし、キャルメの体術において、これらの技は実のところ大型のボス用の技や実用性のない魅せ技だった。
キャルメが普通の魔物に使う体術は、空中で相手の首を掴んでギュルンと回転してへし折るものや、手足を掴んで地面に叩きつけるなど、動いてくれる相手がいなければ使えない技が多かったのだ。
もちろんジャブなどもあるが、不可視レベルの速度で繰り出されるジャブを観客が望むとはキャルメには思えなかった。
キャルメはギミックを利用してある程度そういった技の片鱗を魅せつつ、共通コースの終盤にある『フライングイーグル』に入った。フライングイーグルなどと言っているが、競技用の鉄棒である。
例のごとくこの鉄棒はどう使ってもいいのだが、どの選手の使用用途も大車輪からの跳躍であった。
意外にもこれは観客にかなり人気が高く、ネット上でもオススメスポットとして高い評価を得ていた。昔からある運動器具だけあって、繰り出される技で彼らの運動能力がいかに高いか窺えるからだろう。
走りながらマントを縛ったキャルメは、ロイター板で踏み切り、3メートルほどの高さにある鉄棒へ軽々と手をかける。すると、どういった体の使い方をしているのか、鉄棒を握ってから反動なしで一気に回転が始まった。
「「「「わぁ!」」」」
キャルメの足と魔導書が鉄棒の周りに紫色の大きな円を描くと、観客が快哉を叫んだ。
——まるで紫色の花みたい。
そう言ったのは誰だったか、まさにそれは大きな花のようだった。
キャルメはぐるぐると回りながらも、紫のオーラが花に見えるように魔導書を巧みに操っていたのだ。自分の状態がどうなっているのかすらわからなくなりそうな大回転中にそんな技を使えるのは、キャルメの才能ゆえか。
たっぷり10秒ほど大回転したキャルメが鉄棒から手を放す。
紫色の大輪が空中に飛び出したキャルメの動きに合わせて形を崩す中、キャルメ自身は飛んだ先に設置された大きな風船へ鋭い蹴りを放った。
けたたましい音が鳴った跡地に、すちゃりとキャルメが着地する。
その顔に大技を決めた達成感はなく、まだ続くコースの先へどこか無機質な視線を向けるだけであった。
「っっっ!」
一方、その場にはキャルメの姿を見て、驚愕を表す人物がいた。
「馬飼野君、どうしたの? キャルメちゃん凄いわよ!」
そう、その人物とは、かつて命子が始めたランニングに参加した兄ちゃんであった。
隣で問うたのは、同じく一緒にランニングした大学生のツバサである。
馬飼野はキャルメの演武を見ずにその場に片膝をついていた。その顔は蒼白で、春先だというのに大量の汗を流している。
さすがに様子がおかしいので、はしゃいでいたツバサも屈んで馬飼野の背中を摩った。
「大丈夫、もしかして具合が悪いの?」
「つ、ツバサさんはなにも感じないのか?」
「え?」
馬飼野は冒険者界隈ではそれなりに有名で、風見町防衛戦のほかに、鎌倉防衛戦と東京大激闘の2つの地球さんイベントに巻き込まれていた。
地球さんイベントはレベルアップの祭りというだけあって、馬飼野はメキメキと強くなっているのだが、能力的にあまりこの大会向きではないので出場はしていなかった。
そんな馬飼野だが、日向と同様に【花魔法】を使う『騎士』だった。
そのマナ因子が馬飼野を刺激していた。
「なぜだかわからないけど、次元龍に似たヤバい気配をあの子から感じるんだ……」
だが、日向とは違ってこの場には多彩なマナ因子を持つ風見女学園の生徒たちがおらず、なんで自分だけが神獣の気配を察知しているのか推理できなかった。
「え、全然感じないけど。間違いないの?」
「うん、この大きな気配は間違いようがない。馬場さんに連絡を入れた方がいいと思う」
馬飼野は、次元龍の声のほかに空飛びクジラが空に昇る場面も見ており、神獣の気配はよく覚えていた。
「……わかったわ」
自身や観客がなにも感じていないので半信半疑のツバサであるが、馬飼野を信じた。
ツバサがすぐに馬場に連絡を入れると、すでにこの情報が命子と連名で風見女学園の生徒からもたらされており、警戒態勢に入っていることを知った。
「ということだそうよ」
「マジか」
ツバサから報告を受けた馬飼野は、小さく呟く。
前述のとおり、馬飼野は計3つのイベントに巻き込まれていた。
もしや自分は巻き込まれ体質なのかと疑いからの呟きだったが、すぐに気づく。もっと大きな巻き込まれ体質がこの大会にはいるという事実に。
すでにこの場を去り、テクニカルコースの最後で凄まじい体術を魅せるキャルメ。その姿をスマホで見る馬飼野は、画面越しからは神獣の畏怖は感じなかった。とはいえ、キャルメ自身の強さに称賛を覚えるが。
幸いにして、キャルメの出番の時には命子たちが危惧したようなことは起こらなかった。
しかし、このあとの夜には出場した冒険者たちを交えたパレードがある。最後まで気を抜くことはできない。
そんな中で、ついに命子たちの出番がやってこようとしていた。
読んでくださりありがとうございます。
■お知らせ■
11月1日にマンガ版の「地球さん」が発売予定です!
予約も開始されましたので、どうぞよろしくお願いします。