9-13 サーベル老師と闖入者
本日もよろしくお願いします。
「にゃんばうイーツでーす!」
控室のドアがトントンと鳴ると同時に、来客がそう告げた。
ささらがニコニコしながらドアを開けると、部長と数人の女子高生がいい匂いがする大量の荷物を持って入ってきた。
部長たち的には、今流行りのご飯宅配サービス『にゃんばうイーツ』というカードで軽いジャブを放ったつもりだった。
しかし、控室に入った部長たちは目を見開いて驚かされた。
なんと、そこでは命子が寝転がりながら空中浮遊していたのだ。
笑うのを堪えて目を閉じる命子の向こう側では、ドヤ顔をしたルルが魔女のような手つきをしている。
「な、なんだよそれ、すげぇ!」
そう叫んだのは命子のクラスメイトである日向だった。
日向は風見屋さんの朝のお手伝いに来ており、昼からはフリーになっていた。
一方、部長はしまったと思った。命子たちの一発芸の前では、にゃんばうイーツ程度の冗談ではまるで歯が立たないではないか。
ぐぬぬとした部長は、悔し紛れに命子の巫女風衣装のスリットをチラッと持ち上げた。
「残念、スパッツでした!」
「ぐぬぬぅ!」
さらに敗北を重ねた形の部長である。
命子はよいしょと起き上がると、その下からは魔導書が現れた。
そう、命子の空中浮遊の仕掛けは、『魔導書師』になったことで三冊まで操作できるようになった魔導書にあった。
「やれやれ。それはともかくお昼買ってきたよ」
「わぁい、ありがとうございます!」
そう、部長たちにゃんばうイーツ部隊は、ダンジョンご飯祭りでお昼ご飯を買ってきてくれたのだ。
パイプテーブルにパックの器に入ったたくさんの料理が並ぶ。
「「「おーっ!」」」
その壮観な光景に命子たちは元より、買ってきた本人たちも目をキラキラさせた。
メインは自分たちのお店で売っているヘビの蒲焼だが、並んでゲットしたものもいくつかある。
「「「いっただっきまーす!」」」
さっそくにゃんばうイーツ部隊も交えて、お昼タイムに入った。
「うんまー!?」
命子は大好物のクリームシチューを食べて、目をまん丸に見開いた。
「この中だと、それが一番混んでたやつね。なんか海外で修行した超凄腕シェフがダンジョンにハマったらしいよ」
部長が教えてくれる。
「マジかー!」
「それ、あたしが買ってきたんだぞ。ありがたく食えよ」
そう言ったのは日向だった。
「じゃあ、日向ちゃんも食べて食べて」
「や、やめ、いらねえよ」
「なんだと! 命子ちゃんの間接キスが受け取れねえってのか!」
「うるせぇ!」
日向は顔を真っ赤にして、イキリ散らす命子の頭を引っ叩いた。
命子はほぇっと頭を摩りながら、そんなにマジにならなくても、とプンプンする日向の顔を眺める。
ちなみに、このクリームシチューを作った人は、有名フェレンス料理店の息子だが、特に海外で修行しておらず、ただの料理が得意な大学生であった。完全に話に尾ひれがついている。
「11時台から誰か注目の選手いた?」
カエルの足の照り焼きをもぐもぐする部長が問うてきた。
11時台はこれらの料理を調達するために並んでいたので、全部はマークできていなかったのだ。
「カタナ使いの女の人たちが凄かったね」
「あっ、大和撫死狐でしょ!」
「それそれ。風見町防衛戦でも戦った人たちだって」
「うん。この前『NYAN NYAN』の表紙になってたから知ってるぅ。相当凄い人たちだよ」
「へぇ! たしかにキレッキレな綺麗さがあったね。ささらママ系」
「んぐ」
命子の感想に、樹海キノコそばを食べているささらが咽た。
自分の母親を綺麗と言われて悪い気はしないが、恥ずかしい。
DRAGONはお昼ご飯の間も選手は常に出走している。
命子たちはお昼ご飯を食べながら、観戦を続けた。
そして、お昼が終わってすぐが、命子たちや女子高生にとって、いや世界規模でも大注目の選手であった。
『エントリーナンバー269番は、風見町からお越しのこの方です! ご本人が決めた登録選手名は『サーベルジジイ』! ご存じの方も多いかと存じますが、この方はあの羊谷命子さんたちの師匠としても有名であります。さあ、いったいどれほどの強さを魅せてくれるのか!』
実況者が紹介する選手は、そう命子たちの師匠であるサーベル老師であった。
老師の本名は当然違うし、雅号である森山嵐火はあまり使いたくないらしく、登録選手名はサーベルジジイらしい。老師という単語も本人が言うにはおかしいと思ったのだろう。
「老師ですわ!」
「刮目せねば!」
命子はタブレットをセットして、その前で正座した。椅子の上なので座りにくくて、すぐに足を崩す。
そんな姿が命子たちだけでなく、風見町の自宅でテレビを見ている弟子たちの間でも行なわれていた。
ダンジョン装備である着物袴を着たサーベル老師は、沿道の人の様子に白眉の下で目を細めた。
大昔、パントマイムを学ぶにあたって弟子入りした師匠の下で、時には大勢の前で演技をすることもあった。規模としては当然今回の方が遥かに大きいが、この光景はなんとも懐かしく感じた。
もともと出るつもりがなかった大会ではあるが、かつてはそういう舞台に立ったこともあるサーベル老師は、少しテンションが上がっていた。
なによりも、これは丁度いい機会と考えていた。
現在の自分の技術をプロが映像として残し、こういう技が可能であると若い者たちに教える。その結果、カシムのような使い手が出現するのは、サーベル老師にとって喜ばしいことだった。
実況の紹介が終わると、サーベル老師はあらかじめ貸してもらっていたマイクを使って、観客に向けて言った。
『世の中に増えた腕自慢の諸君。すまんが、これからわしの演技を見て気分が悪くなった者は、すぐに見るのをやめてもらいたい。わしの武術は他者の感覚を狂わせるものなのじゃ。これは武術を知る者ほど狂わされやすい。わしの技術は映像として残るゆえ、各々で視聴の引き際を考えてほしい』
サーベル老師はそう言い終わるとマイクをスタッフに返し、代わりに模造のサーベルを抜き放つ。
サーベル老師は軽やかにステージから下りて走り出すが、その速度はほかの選手に比べてそう速いものではない。
しかし、十歩ほど進んだ瞬間、沿道の観客の視線が一斉に外された。
あれ、おかしいな、と思いつつも観客は遠くから見ているので、その視野の中にはサーベル老師が入っている。だから、すぐに目のピントを合わせてその姿を追いかけた。
しかし、次の瞬間にはまた自分の見ている場所からサーベル老師の姿がズレてしまう。
歓声に満ちていた沿道から楽しさが混じった困惑の声が上がっていく。言い方は悪いが、それは奇妙な動物を見ているような感覚だろう。
一方で、冒険者のトップ層は驚愕していた。
「な、なんだ、この化け物は……」
そう呟いたのは、貸しきりのホテルの個室で視聴していたカタナ使いの女性。命子たちがさっき話題に挙げていた大和撫死狐のリーダーである。
もともと居合道を習っており、女子高生時代には美少女剣士などと話題になったこともあり、その経験からカタナを使ってダンジョンを探索している女性だった。
剣士として日本トップクラスになったと自負していた女性だったが、それが思い上がりだったと知る。
まるで動きが予想できない。
いや違う、予想させられた動きのほとんどが外されてしまう。予想が当たったものすらも伏線であるかのように、次のアクションを誤認させる原因に繋がっている。
テレビの前や沿道でそんな冒険者たちが量産されていく。
目が良い者はサーベル老師の技の秘密に気づくが、気づいても対処できない。反射的に脳が次の動きを予想してしまい、見ている位置からその姿がわずかにズレる。
特に剣を振るうアクションの際にはそれが顕著に起こった。
そして、サーベル老師が事前に忠告した通り、昨今増えた強い人たちほど老師の動きで脳が混乱し始める。
武術家は対象の動きに対して、感覚の全てを使って反射的に処理する。これは実に細かな点まで処理しているもので、そういったことを当たり前にできる者が現在では大勢いた。
そして、脳はこうあるべきだと考えたものが合致すると安心し、それがズレると不安になる。
ズレた原因を探るために脳が処理を始め、視覚情報では次のズレが生じる。これこそ幻歩法が他者の感覚を狂わせる原因だった。
冒険者たちの脳は今まさにこの状態に陥っていた。
一方、素人はこれに対して酔うことはほとんどなかった。
動きが速すぎて、そもそも高度なフェイントを発見できないのだ。ほぇーなんかズレたな、程度で終わり、そのあとはお気楽にキャッキャなのである。
「うぅ、爺さんを見てたら、ちょっと酔ってきたかも」
命子たちの個室では、日向が真っ先に酔っぱらった。
風見町防衛戦で花覚醒に至った日向だが、その後、冒険者になった。
天邪鬼な性格に反してビルドはかなり補助寄りで、おそらくこの室内で一番戦闘能力が低い。
その中途半端な武術練度と肉体スペックのせいで、サーベル老師の技の効果は抜群だった。
しかし、命子たちはサーベル老師の演技に夢中で相手をしてくれない。
日向は内心でつまらなく思いつつ、タブレットから視線を外して、休憩した。
「うーむ。予想通り手加減してるね」
「はい。速度はレベル10前後の方に向けられていますわね」
命子とささらが意見を出し合う。
そう、サーベル老師は本気ではなかった。
サーベル老師はすでにE級ダンジョンの攻略を始めているため、本気を出した動きは一般人がゆっくりと見ていられるものではない。幻歩法すら使う必要がないほどにビュンビュンなのである。
幻歩法自体も手加減しているのだろう。命子たちが完全に全てを見切れているため、それは間違いない。
「だけど仕方ないかもね。本気を出したら日向ちゃんみたいな人が大量に出てくるし」
「ふん」
命子がテシテシと頭を叩くと、日向はその手をうるさそうに払った。
日向がプイッと横を向いた先で、紫蓮の眠そうな目と合った。
「な、なんだよ」
「ぴゃ。な、なんでもない、ですけど」
天邪鬼系先輩と陰キャ系後輩の初めての会話であった。
日向は部長のようにリードしてくれる系の先輩ではないので、紫蓮にはちょっと難易度が高かった。
命子たちにとっては若干の物足りない演技を見せつつ、サーベル老師がテクニカルコースへと入り、その終点へ至った。
テクニカルコースの終点は、単純なギミックが連続しており、高い身体能力で観客を沸かせる目的に使われる。
忍者系が一番有利ではあるが、工夫次第ではさまざまな演武が可能であった。
サーベル老師が演武を開始しようと一歩踏み出したその時である。
沿道を埋め尽くす観客の頭の上を飛び越えて、ふわりと一人の人物がコースの中に降り立った。
『お、おや、誰かが入ってきてしまったようです』
闖入者に、実況者も視聴者も困惑する。
金と青で薔薇の刺繍が施された上品な白いロングコートを纏い、フードを深くかぶって顔を隠した人物だ。
170cm台半ばの長身だが、肩幅とブーツのデザインからして女性だと予想できた。
「むっ、この人強いぞ……」
観客を飛び越えて着地した一連の動作から、命子がその人物の強さを予想する。
すぐに魔法などの誤射から観客を守るために配備された自衛官たちが近づくが、どういうわけか全員が見当違いな場所に手を伸ばす。
「幻歩法ですわ……」
「うん。それに相当な練度だよ」
命子たちは少し不安に思いながら、画面に注目して成り行きを見守った。
カルマがある新時代なので、暗殺者ということはないだろうが……。
サーベル老師が自衛官になにやら語りかけると、自衛官はその場を譲った。
それからサーベル老師が今度は、闖入者に語りかける。
すると、闖入者はフードを取った。
そこから現れたのは、金髪碧眼に美しい顔立ち、そしてなによりも目を惹くのは少し尖った長い耳であった。
その顔を見て、命子たちが揃って驚愕を口にした。
「「「薔薇騎士だ!」」」
それはエギリスの英雄、エルフ姫・薔薇騎士であった。
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