9-7 ロマンを求めて
本日もよろしくお願いします。
「なんだかな」
青年はつまらなそうに呟いた。
以前は挨拶しても返さなかった専務がフレンドリーに声をかけてきて、去り際にバシバシと背中を叩いてきたのはつい今しがた、廊下でのこと。
風見町防衛戦で活躍したことで、青年は社内ではすっかり有名になってしまい、朝礼で表彰までされてしまった。
賞状を貰った青年はその時も、なんだかな、という気持ちだった。
青年も人命を助けた社員を会社が表彰するのは理解できる。上司とて映画を見て感動することだってあるだろうから、いい社員を持ったものだと思うのは無理もなかろう。
でも、サラリーマンなんだから、会社のために頑張った人もちゃんと表彰しろと思うのだ。
そうでないのなら、まるでメディアが取り上げたから表彰するみたいではないか。
例えば、地球さんがレベルアップして以降にすっかり撲滅されたサービス残業。以前はそれを月に数十時間しようとも表彰なんてされなかったのに。
まあ会社からすれば、そのサービス残業の結果、S判定でボーナスという賞を与えているではないかと言うのだろうし、サービス残業の表彰状なんて社員に与えたら労働基準監督署に駆けこまれてしまうだろうけど。
上には逆らわず波風立てず、給料を貰ってボチボチ生きる。
好きな娯楽にお金を使って、毎朝会社に行きたくない病と戦い続けるサラリーマン生活。
それで以前はある程度満足していたし、そもそも仕事とは大体が楽しいものではないのだろうけれど。
「なんだかな」
青年は廊下の窓から青い空を見上げて、つまらなそうに呟いた。
「ん? おう!」
今日も仕事が終わり、帰りの電車に乗り込むとすぐに陽気な声がかかった。
ほぼ満員電車なので自分のことではないと思いつつも顔を上げてみれば、そこには青年の仲間がスーツを着て立っていた。
「よう、風間! 偶然じゃんか。お前もいま帰りか?」
「まあな。それにしてもお前、不良社員みたいに見えるな」
「え、そんな侮辱初めて言われたんだけど。お前、よく目が節穴とか言われない?」
「そりゃお前、遠慮されてんだぞ。なんていうか、あれだよ。直帰でパチンコ行くやつみたい」
「嘘じゃん。馬車馬みたいに働いてるんだけど」
「ホントホント。たぶん、10人に聞いたら8人は同じ感想持つぜ」
「1億人に聞いたら8千万人かよ、やべえな。いやでも待てよ。そういえば昔、先輩から俺がパチンコ知ってることを前提に雑談を始められたわ。あれってそういうことだったの?」
「確実にそうだわ」
二人の会話を聞いていた周りのOLが青年の姿と顔をチラリと見て、ギュッと唇を噛んで下を向いた。本当に直帰でパチンコに行きそうな雰囲気だった。
「まあ、それはともかく。どうだ、一杯やらないか?」
「おう、いいぜ。次で降りよう」
「へいらっしゃい! カウンター席にどうぞ!」
二人の男性が居酒屋に入ってきた。
砂肝をもきゅもきゅして、うんまぁ、としていた女性は片方の男を見て、目をまん丸に開いてササッと顔を反対側に向けた。
空いているカウンター席はまさに自分の隣で、そこに二人が着座する。
おしぼりを持ってきた店員さんに、男性たちはメニューをチラッと見て注文した。
「修羅娘、ぬる燗で。お猪口を二つください」
その注文に、女性はむむむっとした。
修羅娘はなかなかお高い日本酒だ。
昨今は、安酒を大量に飲んでドンチャンする人が非常に減った。
カルマの可視化と修行ブームの到来により、美味いつまみと美味い酒を飲み、ほどよく酔うのがスタンダードになりつつあった。
経済学者の中には、将来に対する期待度が高まったことで、不安や不満を安酒で洗い流す人が減ったと指摘する者もいる。魔物が出現する世界になれば本来なら不安でいっぱいなはずなのにおかしなものである。
この二人の男性も、徳利一杯の高い酒とかなり多くのつまみを注文していた。
「「お疲れ」」
お互いに手酌をしあうことなどせず、風間と呼ばれる男の方がササッと酌んで、二人は小さくお猪口を上げる。
それがまた、まるで十年来の友のように気心が知れた様子だ。女性はボンジリをもきゅもきゅしながら、目の端でそんな様子を観察する。
「剣崎の話、聞いたか?」
風間がお猪口に残った酒を見つめながら言った。
「あいつなー。まさか広告代理店に勤めてるあいつが真っ先に辞めるとは思わんかったわ。俺の三倍は貰ってるぜ?」
「まあその分ストレスがヤバかったんだろうよ。俺らと同年代なのに髪も薄くなっちゃってるし」
「だな。でも命子ちゃんも角が生えたし、髪くらいなら余裕だろ」
「今はまだ命子ちゃんしかマナ進化してないからなんとも言えないけど、そうだといいよな。あいつイケメンだし」
そんな話をしていると次第につまみが焼き上がり、カウンターから渡されていく。
「それで、赤い槍よ。お前はどうすんだ?」
「確実に近々仕事は辞めるだろうな。問題はそのタイミング」
「むもぅ!?」
赤い槍と呼ばれた青年がそう答えた瞬間、女性はネギマを片手に持ちながらガタッと席を立った。いきなりの奇声に、お猪口を傾けようとした赤い槍はギョッとして手を止める。
「え、あれ。穂崎さん? 奇遇ですね」
「も、もむ!」
「ああ、風間、こちら会社が同じ穂崎さん。穂崎さん、こいつは俺のパーティメンバーで忍者やってる風間です」
赤い槍がそうやって紹介するが、穂崎はそれどころじゃない。
穂崎はネギマをもむもむごっくんしてからビールをくいっと飲み、赤い槍に言った。
「仕事辞めちゃうんですか!?」
「え、あ、ああ。聞いてたんですか?」
ハッ、盗み聞きしていたのをバレた、と内心で焦った穂崎だが赤い槍は特に気にしなかった。
「はい。ダンジョン一本で食っていこうかと思っています」
私も仲間にいれてください!
大学を出て会社勤めを始めたけれど、これじゃない感を日々感じていた穂崎は咄嗟にそう言いたい衝動にかられたが、そもそもこの青年との接点はほぼなかった。
だから口を出たのは、自分自身が抱く不安であった。
「で、でもでもでも。まだ生まれたばかりの職業ですよ、不安じゃないんですか?」
穂崎の言葉に赤い槍は首を傾げた。
「はい、まあそうですね。でも、穂崎さん。少なくとも冒険者の元締めはうちの会社よりは信用できますよ」
「ぼ、冒険者協会ですか?」
「まあ冒険者協会もそうですが、それのさらに上ですね。地球さんのことです」
「くはははははっ!」
赤い槍のセリフに風間が笑う。
赤い槍の大真面目な言葉と、それを一瞬で理解したような風間の態度に穂崎は混乱した。
穂崎には地球さんが信用できるという話がよくわからなかったのだ。
「穂崎さん。俺たちは人生の時間を売ってなにかを得ています。サラリーマンなら会社に金で時間を買ってもらっています。まあうちの会社はちょっと前まで、俺たちの時間をタダで買ってたクレイジーな会社でしたがね」
「そ、そんなことはわかってます。でも、じゃあ、地球さんは私たちの時間に対してなにを支払ってくれるんですか?」
「ロマン」
「あははははははははは!」
その言葉に風間が大笑いして赤い槍の背中をバシバシ叩いた。赤い槍はテレテレしながら、お猪口の修羅娘をくいっと呑んだ。
男だけでわかり合っている感があるそのやりとりに、穂崎は頬をぷくぅとした。穂崎さんは酔っていた。
「ろ、ロマンじゃご飯は食べられないです!」
「旧時代に語られていたようなロマンならそうでしょう。でも新時代のロマンは大金だって生み出しますよ。まあ、俺の場合は地上で欲しい物なんて今のところあまり多くはないので、ファンタジー化したこの世界を楽しむほうが重要なんですけどね。なんにせよ、勤め先が社員の求めるものを提供できるかどうかは重要です。超大企業の地球さんは俺の求めるものを提供してくれるようなので正社員になろうかと考えているわけです」
そんなことを恥ずかしげもなく語る赤い槍の横顔は、酒が入ったからか冒険のことを思い出しているからか、男らしいものだった。それは風見町防衛戦でも見せたギラリとした雰囲気だ。
赤い槍の横顔にもじもじして言葉を失う穂崎。
その時間が赤い槍に覚悟を決めさせたのか、修羅娘を一気に呷って空になったお猪口をトンッとカウンターに置いて、大きく頷いた。
「うん。穂崎さんにこんなことを語っていたら決心がつきました。明日、退職願を出します」
「そうか。よし、俺も明日、辞めちまうわ! 剣崎を誘ってクランを設立しようぜ!」
「ああ。まあ引継ぎとかあるから退職は一月後ってところか」
これが若さゆえの無軌道さか。
穂崎はあわあわした。
このチャンスを逃したらずっと後悔する気がして、本能が警鐘を鳴らし始める。
あわあわする穂崎は、ビールさんの存在を思い出す。こいつっきゃねえ!
穂崎はビールさんをゴックゴックと一気に呷ると、プハーッと酒気を放出させながら覚悟を決めた。
「わ、私も仲間に入れてほしいです! ういっくぅ!」
穂崎さんは酔っていた。
四か月後。
会社勤めになんだかな、と思っていたサラリーマンの青年は滅んでいた。
会社、辞めてやったぜ!
そんな彼は現在、秋葉原で主役の一人になろうとしていた。
実況者の紹介を終えてステージから飛び出した青年は、ソロでの出場だ。
『巷では彼が持つ武器のカラーリングから赤い槍さんと親しまれております。スキルを覚醒させたその姿はまさに天狼戦士団の一番槍。風見町防衛戦や東京大激闘で見せた獅子奮迅の活躍を今大会でも見せてくれるのでしょうか!』
続く実況のセリフだが、赤い槍の耳にはすでに入っていない。
紫のオーラを手足と槍に纏わせて、秋葉原の町を疾駆する。
武術を交えていくつものギミックを踏破すると、目の前に現れたのはギミック・スネークロード。螺旋を描くようなスロープの道だ。
この大会では各ギミックの使い方は自由だし、むしろ使わなくてもいいわけだが、ここでの演武はどの選手もかなり手こずっていた。
一直線にスネークロードへと突き進む赤い槍は、沿道に一人の女性の姿を見つけた。居酒屋で話し、一緒に会社を辞めた元受付の穂崎であった。
グッと両手を握り締めて応援するその姿に赤い槍は軽く手を振ってから、視線を正面へと戻した。
「さぁて、魅せてやろうか!」
スネークロードの内部に飛び込んだ赤い槍は獰猛な笑みを見せると、覚醒したスキルを使用する。
「【覚醒槍技・ダッシュスラスト】!」
もともと強烈な槍の突進技を繰り出す必殺技が、スキル覚醒したことでさらにその威力を増す。
高速の突進技を繰り出した赤い槍。
その体が螺旋型の道に沿って駆け抜ける。
スネークロードの出口に設置された巨大風船を、天地が逆転した状態でぶち破った赤い槍は、空中で身を翻しながら槍を振るって着地する。
赤い槍が進んだスロープの道には、紫色の炎の残滓が残っていた。
今まではスネークロードで大技を繰り出せる者はいなかった。『下忍者』の一之宮も三角飛びを駆使して魅せた程度だ。
しかし、赤い槍の姿は、まさに巨大ヘビを討伐したような迫力があった。
「わんわん! くぅーんくぅーん!」
ブオンと槍を回転させながら立ち上がった赤い槍の耳に、ふいに犬の鳴き声が届いた。
そこにはいつぞや助けたコリー犬のルーナと、その飼い主の少女の姿があった。
少女は手を、ルーナはシッポをパタパタさせて大興奮している。
ははっと軽快に笑う赤い槍の姿に、いつもの昼行燈な雰囲気は微塵も感じられない。
「この歓声もまたロマンか」
まったく面白い人生になったものだ、と赤い槍はこの時代に生まれたことを感謝した。
「さあ、後半戦行ってみようか!」
赤い槍は元気に笑うと、沿道を賑わす人々に誘われるようにして再び駆け出すのだった。
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