9-1 ラビットフライヤー1号
本日もよろしくお願いします。
「んにゅーっ!」
目覚まし時計の音を聞いて目を覚ましたルルは、ベッドの上でお尻を突き出して伸びをする。
お尻の部分に穴を空けた改造パジャマからはシッポが出ており、伸びに合わせてピピピッと小刻みに揺れる。
伸びは誰しも気持ちがいいものだが、シッポが生えたルルはほかの人とはまた違った気持ち良さを感じるようになった。シッポも伸びをすると気持ちがいいのである。
「ほら、シャーラ! メリス! 起きるデス!」
「んーっ!」
普通の寝起きをしているメリスはすでに起きており、抱き枕にしてくるささらの腕の中でジタバタした。本日の生贄はメリスだったのだ。
ウネウネと体を動かして、まるで猫のようにささらの腕の中からにゅるんと脱出する。
「まったくこいつはデスワよ!」
メリスは顔を真っ赤にして、自分の代わりに布団を抱き枕にし始めるささらのお尻を引っ叩いた。ささらがビクンと体を跳ねさせて、そのまま二度寝。
「起きるデス!」
「起きるデスワよ!」
窓の外はまだ暗いが、そんないつもの朝である。
朝は修行し、午後になると本日の命子たちは家族と一緒に富士山の麓にある自衛隊の基地に来ていた。
「ようこそおいでくださいました」
建物の外でそう言って出迎えてくれたのは研究所の所長さんと教授だった。
所長さんの握手から始まり、すぐに建物の中に通される。
「教授、検査はどうでした?」
「とても興味深い結果になったよ」
その道中でさっそく命子が絡むと、教授は口角を上げた。
そんな教授の足元にはウサギがおり、その上にはアイが乗っていた。同行している光子がアイとウサギに興味を持ち、二体で一緒にウサギの背中に乗り始めた。
「まめ吉も元気だったか?」
命子が言うと、ウサギは鼻をひくひくさせた。
龍宮の事件を一緒に潜り抜けたことで、ウサギは実験動物からペットに昇格した。それに伴って名前が与えられ、『まめ吉』と名づけられた。命名者は命子である。
さて、龍宮の事件から一か月半ほどの時間が流れ、時は十二月中旬。
本日の命子たちは二つの用事があってこの場に来ていた。そのうちの一つは、いま命子と教授が話していた検査の結果だ。
命子たちはマナ進化したわけだが、実際のところどこがどう変わったのかよくわかっていなかった。
そこで、家族や親戚のデータが集められ、本日はその結果を教えてもらうわけである。
これはマナ進化した自衛官たちも同様の検査がされており、集積されたデータから恐るべきことが判明した。
会議室に通された命子たちとその家族一人一人に資料が渡された。ルルとルルママ、メリスにはキスミア語の資料だ。
「ふむふむ」
資料に目を落とした命子は知ったような顔をした。そうしてから萌々子の動向をチェック。とりあえず、できる姉としてのポーズである。
「……」
ところが萌々子は小学生ながらも真剣な目で資料を見始めており、姉の挙動など見ていない。
その代わりに、机の端っこに乗っているまめ吉とアイと光子が命子に向かってコクンと頷いた。命子もコクンと頷いて、今度こそ資料に向き直った。
「それでは資料の1ページ目からご説明します」
プロジェクターの映像を交えて教授の説明が始まった。
「現在、全世界でマナ進化を達成したのは1045名になります。羽化の時期が始まったようですので、これから世界各地で加速度的に増えていくかと思われます。今回の資料では、みなさんを含めたこの1045名の身に実際に起こった現象のみを記載しています」
龍宮のイベントを皮切りに、世界中で神獣と名づけられた超生物の魂がイベントに試練を付け加えることが増えた。地球さんのイベント自体がすでに人類の試練なので、『二重試練』などと言われることもある。
この試練を受けたメンバーは大体がマナ進化かスキル覚醒を達成することになる。というより、そういう段階にいなければ試されないのだろう。
「さて、すでに有鴨紫蓮さんが体験していることなのでご存じかと思いますが、マナ進化には疾病を完治させる効果があります。紫蓮さんの場合は、奥歯の虫歯の完治でした。また、笹笠ささらさんの場合は、刀剣での切り傷を完治させました。ほかに多くの者がそれぞれ疾病を完治させています。資料の3、4ページ目に記載されているのはその内容になります」
教授の説明で身近な例が出てきたが、紫蓮は奥歯に治療済みの虫歯があった。
神経を取ってセラミックを被せたのだが、セラミックは消失し、神経と歯も復元された。
資料に列挙されている完治した疾病の内容を見て、家族が息を呑む。
日本ではないが、マナ進化は手首や片耳、片目の欠損、歯牙破折も復元しているそうだ。臓器関連の、たとえばアレルギーを完治させた例も見られる。
中級回復薬でも回復するケガは多いが、マナ進化はそれを凌駕している。
マナ進化の研究は急速に進められており、マナ進化者とその家族のDNA検査もされている。
DNA検査の一つの目的は、特定の病気に対するかかりやすさを調べたりすることなわけだが、ここでも病気になりにくい体に変わっていることが判明している。
しかし、教授はこう付け加える。
「素晴らしい結果になっていますが、ただ、我々は魔法世界特有の病気をなにも知りません。龍宮は我々よりも高度な文明を築いていたと思われますが、その龍宮でエリクサーと名づけられたほどの薬品が発見されています。これは逆説的には、我々の世界もそういった薬品が必要になるということだと考えられます。関係各所も注意をしますが、みなさんもご息女の変化に注意していただければ幸いです」
体温検査を毎日するようにとか食事の好みの変化など、家族なら気づきやすいこともある。
話は進み、家族からの質問も資料を交えながら回答されていく。教授もわからないことは多いが、それは世界的にもわからないことだ。
そして、最後に教授は言う。
「マナ進化者のご家族からの質問で比較的多かったことなのですが、マナ進化をした人は自分たちの遺伝子が残っているのかという疑問です。まったく別の存在になってしまったのではないかと気になる方も多いようです」
命子たちの親などは『娘は娘』と考えるが、世の中にはいろいろな考えの人がいるわけで、こういうことを気にする人もいる。
精神的な問題だけでなく、すでに子供がおり、マナ進化したあとに弟妹を授かった場合は、兄姉と能力が変わりすぎないかと気にする配偶者もいた。
わずか1045名のマナ進化者の中にこの疑問を抱いた人が一定割合いた以上は、世界規模で見ればかなりの人数になるだろう。
「これは個々人の考え方に依存する問題だと思いますが、私としては、ご家族が努力と正しい心を持ち続けた結果、生命として素晴らしい成長をしたのだと考えて祝福していただけたらと思います」
教授はそう言って話を締めくくり、命子に向けて微笑んだ。命子も目を輝かせてうんうんと頷いた。
同様に、猫信仰の強いルルママもまったくその通りだと言わんばかりに大きく頷く。キスミア人にとってネコミミ、ネコシッポはありのようだった。
世間の人の考え方や教授の言葉を、親たちも真剣に考える。
マナ進化した者の家族がマイナスカルマの場合は当然あるだろう。そこに宿るのは劣等感や嫉妬かもしれない。これは世界的にも難しい問題になるかもしれない。
こうして説明会は終わり、ついでに全員分の精密検査の結果を貰って、次のイベントに移った。
研究所からバスで移動し、富士演習所の特別区に向かう。
「「わぁ!」」
命子と萌々子はバスの車窓に指をちょんと引っかけて、流れる外の風景に楽しげな歓声を上げた。
走り込み、武術訓練、魔法射撃とそこではたくさんの人が修行をしていた。
銃火器の威力が低下したり土に還ったりしたため、富士演習場は現在、広大な修行場になっている。
修行場は自衛隊が使う区域のほかに一般人が使える修行場もあり、そこでは自衛隊が武術も教えてくれる。しかも自衛隊が運営している修行場は、宿泊施設と魔法射撃場が併設されているため、予約が必要なほど人気があった。
「ここでは無限鳥居の入場試験もやっているわよ。ほら、あそこら辺がそうね」
馬場が窓の外を指さして言った。
そこでは関東甲信越東海辺りからやってきた冒険者たちが試験に挑んでいた。
「おー、カッコイイ装備がいっぱい!」
「むむっ、あれはカニアーマー?」
各地のダンジョンで手に入る防具や、素材から作られた防具を装備している冒険者たちの姿に、命子たちのみならず家族たちのテンションも上がる。
特に紫蓮は素材を推測して、どんな装備なのか興味深そうに見ていた。
「カニアーマーは水属性耐性が強い代わりに火属性に弱い。龍麟装備はバランスタイプ」
紫蓮は隣に座る紫蓮ママにウンチクを述べる。
「はわー、鎧さんになるなんておっきなカニさんなのねぇー」
「この前ささらさんの家で食べたでっかいカニがそう」
「美味しかった子ね?」
「それ」
バスは一般人入場禁止のエリアに入り、しばらく進む。
ここからは機密エリアで撮影はもちろんのこと口外もできない。特に今回見る物に関しては世界を大きく混乱させることなので、下手は打てない。
身分証を提示してゲートを越えて広大な敷地をさらに進むと、やがていくつかの建物が見えてくる。
そこもスルーして進み、目的地である実験場が見えてきた。
バスから下車して実験場の中に入ると、そこには龍宮を一緒に冒険した高山隊長と南条さんがいた。ほかに自衛隊の技術班の人たちが控えている。
そして、そのそばには布が被せられた大きななにかが置かれていた。これが本題のものだ。
「あっ、高山隊長に南条さん、お久しぶりです!」
「お久しぶりです。今日はよろしくお願いしますね」
命子がにこぱと笑うと、二人は口角を上げて少しだけ笑い、すぐにキリリとした。
命子パパは娘の交友関係の広さにビビッた。自分が高校生の頃なんて、中学の後輩か同じ高校生以外に知り合いなんていなかったと思う。
教授が一行に説明を始めた。
「龍宮での事件で、我々はいくつかの重要な情報を手に入れました。その内の一つが、現状の航空機ではいずれ空を飛べなくなるということです」
その話を聞いて、命子たちの家族は少なからず衝撃を受けた。
命子たちはこのことを親には言わなかったのだ。
「航空機が飛べなくなる時期については不明ですが、来年の四月前には空にダンジョンが出現すると地球さんは言っていました。いま言ったようにタイムリミットは不明ではありますが、目処としては早ければ来年の五月ほど、遅くとも一年以内には航空機の使用は不可能になると考えて研究を急いでいます」
教授の話に、ささらママが手を挙げた。
「それを我々に公開してしまってよろしいのでしょうか? 娘たちは秘密にしていたようですが」
その質問には馬場が答えた。
「それは大丈夫です。年末には発表が予定されていますので、今回の公開が許可されました。とはいえ、まだ日はありますのでこの件は口外しないでください」
と馬場は日程を言ったが、実際の公表は年が明けて数日経ってからになってしまう。なにかドラマがあったとかではなく、ただの政治的なゴタゴタである。
「さて、それでは命子君が待ちきれない顔をしているので、お披露目しましょうか」
教授はそう言って目で合図をすると、技術班の人たちが布を取り払った。
「「お、おーっ!」」
命子と紫蓮、それにパパたちが歓声を上げた。
太陽の光を浴びて光り輝く流線形のボディを持つメカがそこにあった。
ボディにはウサギのマークがついており、まめ吉の手柄を示していた。
例えるなら、前後に長くしたバイクのサイドカーが近いか。もしくは短いボブスレーのソリ。
「ラビットフライヤー1号。オトヒュミアの言葉を借りると、飛空艇と呼ばれる空飛ぶ乗り物です」
「ふわわ、まめ吉! お前が空を統べる時が来たぞ!」
命子がそう言って目を向けると、まめ吉はぴょんぴょんとジャンプした。
「しかし、これはどういう仕組みで動くんでしょうか? 空を飛ぶにしてはずいぶん小型ですが」
ささらパパが首を傾げる。
ささらパパは本来、余計な質問をする人ではない。この質問も放っておけば教授が説明してくれただろう。口を軽くしたのは男の子ゆえにテンションが上がってしまったからだ。
そうラビットフライヤーは空を飛ぶには小さかった。飛ぶためのエンジンや燃料を積む場所も確保できていないように見えた。
「これは浮遊石というダンジョン素材を使用して飛行します。本来は十グラムの物体すらも飛ばせない素材だったのですが、レシピの発見によって積載制限が大きく変わりました」
「な、なるほど……」
ささらパパが、マジファンタジーみたいな顔をして頷いた。
ラビットフライヤーの全長は2.7メートル。幅0.8メートル。3シーター。
全ての部品がダンジョン産の素材で作られ、さらに【合成強化】を掛けられて強化された物だ。
最大時速は、搭乗者数が1人の場合は100km、2人の場合は180km、3人の場合は250kmになる。
「え、搭乗者が増えるほど飛行速度が上がるんですか?」
今度は紫蓮パパが質問した。パパ陣は完全に車のディーラーに来た気分。
「はい。飛空艇は生物の魔力と大気中のマナを燃料にして飛行します。今の数値はあくまで最大速度ですので、条件にもよりますが通常は60km程度までは魔力負担が少なく、長時間の飛行を可能にします。そこから速度を上げることで魔力の負担は高くなります」
それを聞いた瞬間、ささらの両親が驚愕した。
教授はその様子を見て、言う。
「仰りたいことはわかりますが、研究中としか答えられません。レシピに書かれていたのはあくまでも飛空艇を飛ばすための方法だったのです」
ささらの両親が考えたことは、このプロジェクトに関わった研究者なら誰でもすぐに考えついた。
もしも、人の魔力やマナをエネルギーに変えられるのなら、エネルギー革命が起こるのでは、と。
例えば今の命子は魔力が400を超えており、わざわざ【魔力放出】で無駄に放って魔力を成長させている。これを朝起きて、家に設置されたアイテムに触れただけで一日分の家庭エネルギー、あるいは都市エネルギーの一部に変えてくれるのならとても効率がいい。
だが、残念ながら今回手に入ったレシピはあくまでも飛空艇を飛ばすものだった。
「それでは実際に飛行する姿を見てみましょうか」
教授が目で合図すると、今度は高山隊長と南条さんがビシッと敬礼する。
二人がここにいる理由はまさにこれだった。
飛空艇は空を飛ぶので、航空自衛隊の管轄になっている。そのうえで命子たちとともに龍宮で活躍したこともあって、この二人が世界初の飛空艇乗りに大抜擢されたのだ。
二人がラビットフライヤーに搭乗する姿を見て、命子と紫蓮とパパたちが羨ましそうに目を輝かせた。
しばらくするとラビットフライヤーは音もなく真上に浮遊し始めた。
「「「ふぉおおお! すげぇ!」」」
四人のパパたち大喜び。
もちろん命子たちもキャッキャである。
ママたちはそこまでではない。
ラビットフライヤーは地上30メートルほどまで浮上すると、飛行実演をした。
時速は60kmほどと一般道を走る車よりも少し速い程度だ。
「高度はあれ以上上がらないんですか?」
ルルパパが質問した。
「今回は修行場にいる一般人に見られないように低空を飛行しています」
演習場では一般人が修行をしているため、あまり高度を上げると見られてしまうのだ。
「実験では約1000フィート……いえ、約300メートルまでは正常に飛行が可能でした。それ以上になると使用魔力が大きくなります。飛空艇のエネルギーは大気中のマナが大部分を占めています。ですので、マナがない場所では一気に魔力を消費することになるのだと考えられています」
逆に言えば、300メートルまではマナがかなり潤沢に満ちていることになる。
教授はわざわざ説明しなかったが、300メートル以上になると、マナは存在するもののどんどん希薄になっていく。ラビットフライヤーは、実際には1400メートルまで上昇できた記録があるが、その地点で魔力がなくなったため実験は終わり、パラシュートで落下した経緯があった。
そして、この魔力が満ちている領域は日に日に拡大しつつあった。先ほど教授が言った、『五か月後か一年後に航空機が飛べなくなる』というのは、この領域の広がる速度から推測されてのことだ。
ラビットフライヤーは五分ほどの飛行を終えて、一行の前にゆっくりと降りてきた。
命子たちは教授と馬場をキラキラした目で見る。
二人は苦笑いし、頷いた。
「速度は出せませんが、試乗しますか?」
「「「ぜひ!」」」
というわけで、命子たちはラビットフライヤーに試乗してみた。
運転は高山隊長で、2番席と3番席に試乗することになる。
実際乗ってみてテンションを上げたのは、やはりパパたちだった。キャッキャである。
一方で、命子たちは高度が20メートルほどで、速度も40km程度しか出てなかったのでそこまでではない。ついこの前、三保の松原から飛び立った時の方が凄かったからだ。
とはいえ、萌々子が楽しむ姿を見た命子は大満足の経験だった。
飛空艇の研究はまだ始まったばかり。
大型化や高速化はもちろんのこと、以前の世界では難しかった機能を付加することも可能かもしれない。
その系譜の始まりにはウサギの絵が描かれたラビットフライヤー1号があることを、年始めの試作機お披露目の放送で全世界の人間が目撃することになる。
読んでくださりありがとうございます。
ブクマ、評価、感想、大変励みになっております。
誤字報告も助かっています、ありがとうございます!